キハ58系

 暖地向けの系列で昭和36年に登場しました。急行形気動車の主力として昭和44年まで製作が行われました。その間に様々な改良が行われ、多くの種類があります。
普通車(3等車)では2エンジン搭載のキハ58形式、1エンジン搭載のキハ28形式、グリーン車(2等車)では2エンジン搭載のキロ58形式、1エンジン搭載のキロ28形式の4形式が用意されました。なお、ビュッフェ車や食堂車の形式はありませんでした。
 キハ58系には様々な改造が行われました。その中の一つ「冷房化改造」について簡単にお話ししましょう。
 登場時は非冷房でしたが、昭和43年頃より冷房化改造が行われる事になりました。まずはグリーン車であるキロ28形式で試験を行い、電車の冷房電源と同じく三相交流電源による分散式冷房装置を屋根上に搭載する事になりました。冷房装置を動かすために大容量の交流電源が必要となるのですが…走行用エンジンに付属する発電機(オルタネーター)はエンジンの始動、照明、放送装置などの電力量を確保する程度の能力で、エンジンそのものが非力であるため、大容量発電機を駆動する余力がありませんでした。そこで、4QD-11P形ディーゼルエンジンとDM72形発電機をセットで搭載して、自車分の電源を確保する事にしました。
この4QD発電装置セットは1エンジン車にはすんなり搭載できましたが、2エンジン車は床下に搭載する場所がありません。そこで、最大3両分の供給が可能な4kv用冷房用発電装置を開発しました。この発電装置を1エンジン車に搭載し、これで一件落着、冷房化が進む・・・またまた問題が発生しました。
冷房化しても、編成の組成によっては冷房装置を動かす事が出来ない。どういう事?
例1:キハ58(冷)+キハ28(冷・発)+キハ58(冷)+キハ58(冷)
この場合は冷房電源が1両分不足。
例2:キハ58(冷)+キハ28(冷・発)+キハ58(非冷)+キハ58(冷)
この場合は3両分の冷房電源は確保できますが、非冷房の車輛には冷房用の制御装置などの設備が無いため、一番右の冷房車は冷房が使えない。
例3:キハ58(冷)+キロ28(冷・発)+キハ58(非冷)+キハ58(冷)(A)+キハ28(冷・発)+キハ58(冷)
この編成の状態では冷房電源は確保可能ですが、4両と2両で分割をすると、4両側のキハ58(A)の冷房は使えなくなってしまいます。
このように3両で1ユニットという制約があるため、当時の担当者の方は相当苦労したそうです。
この他に、冷房化だけを考えてしまうと、2エンジン車の連結両数を下げる事になり、速度低下を招いてしまいます。また、勾配線区などでは運転の制約から1エンジン車を連結できない。といった事もあり、さらに非力なエンジンに冷房装置の搭載は自重増となってしまい、死重になり搭載する意味が無いため非冷房のまま残ってしまう問題もありました。
 気動車急行列車として、全国津々浦々で大活躍。晩年はローカル線の主役となり活躍。現在は保留車がJR東日本に残っているのみとなっています。

キハ58 1~312(キハ58 137 キハ58 231)

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駆動用エンジンを2基搭載した暖地向けの形式です。ブレーキシステムは自動空気ブレーキで、編成が長大になると応答性が悪くなる欠点があり、編成に制限が出てきました。そこで、電磁自動空気ブレーキ方式に変更する工事が行われており、受けた車輛は識別のため、乗降扉下部に丸い窓(明かり取り窓)をつけていました。

キハ58 801~819(キハ58 414:修学旅行色リバイバルカラー)
キハ28 801~813

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昭和37年に東北・九州地区の修学旅行用車輛として存在した番代です。車体構造は一般車に準じていますが、車内は155系・159系修学旅行用電車と同じで、デッキ補助席、客室内速度計、大型テーブル、座席を引き出して急病人対応簡易ベットなど設備を同じとしています。塗装は写真の通り、黄色5号地に朱色3号と電車とは反転した色を使用していました。東北地区では「おもいで」、九州地区では「とびうめ」の愛称で子供たちに夢と希望を乗せて活躍しました。1970年代後半に廃止となり、塗装を急行色に改め、他のキハ58系と共に活躍しました。

キハ58 401~799・1000~1052(キハ58 424・キハ58 681)

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キハ58 1~と同一設計のグループですが、昭和38年から増備されたグループは長大編成時のブレーキ問題を解決したグループです。細部も変化があり、乗降扉に丸窓が付いたほか、トイレ窓が正方形になるなどの違いがあります。

キハ58 1101~1143(キハ58 1143)

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昭和43年に登場したグループで、走行性能などは従来車と同一ですが、車体のマイナーチェンジが行われました。車体高さは冷房化を考え、低くなりました。同時期に登場したキハ23系と同じくパノラミックウィンドゥを採用し、スカートも装備して踏切事故対策を行っています。このグループは暖地向けのグループです。

キハ58 1501~1534(キハ58 1503・キハ58 1504)

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本州寒冷地向けに登場したグループです。キハ58 1101~と同じモデルチェンジ車で、冷房準備工事車として登場しています。配属された地域が勾配線区が多く、冷房化が困難であったことから、多くの車輛が冷房化されず非冷房のまま活躍しました。また、一部の車輛は乗降扉付近をロングシート化しています。(例;写真右1504番)

キハ28 1~203(キハ28 2110・キハ28 2174)

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駆動用エンジンを1基搭載する暖地向けの形式です。床下に余裕がある事から、トイレの水タンクを床下に搭載しているため、キハ58形式にある屋根上の水タンクは無く、外観上の違いともなっています。冷房化工事を受けた車輛は床下に冷房電源装置を搭載。その際に原番号に2000番を加えています。キハ58形式と同じく、使用される地域により様々な装備品の違いやアコモ改良が異なっていました。

キハ28 301~494(キハ28 2401)

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昭和38年に登場した長大編成対応車のグループです。このグループも冷房化工事を受けた車輛は原番号に2000番を加えています。

キハ28 1001~1024(キハ28 3014:マワ車所蔵)

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昭和43年に登場した暖地向けモデルチェンジ車のグループです。全車冷房化工事を受けたため、原番号に2000を加えています。このため、1000番代は消滅し3000番代となったため、3000番代とも言われます。

キハ28 501~504・1505~1510(キハ28 503:マワ車所蔵)

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昭和43年に登場した本州寒冷地向けのモデルチェンジ車のグループです。このグループも非冷房車で活躍した車輛が多くありました。

キロ28 301~308・2309~2314(キロ28 2305:マワ車所蔵)

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キハ58系の2等車(グリーン車)です。キロ28形式などは次のようなグループになっていました。
キロ28 1~85 初期のグループ
キロ28 101~204 長大編成対応車グループ
キロ58 1~8 中央東線急行「アルプス」用2基エンジン搭載、長大編成対応車。中央本線新宿~高尾間の国電ダイヤに影響が出ないよう、また勾配区間が多くあるため登場した形式。冷房電源はキハ28形式から供給。
キロ28 301~308・2309~2314 暖地向けモデルチェンジ車グループ。
キロ28 501~507・2508~2518 本州寒冷地向けモデルチェンジ車グループ。
となっていました。グリーン車の淘汰は早く、急行列車が削減され余剰となると普通車への格下げや荷物車への改造が行われました。格下げされた車輛はキハ28形式5000番代・5200番代・5300番代となっています。外観や座席に変化はなかったようです。

JR東日本急行列車用アコモ改良車(キハ58 23)

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秋田~陸中花輪(現:鹿角花輪)を結ぶ急行「よねしろ」や山形~酒田間を結ぶ急行「月山」号などに使われるキハ58系をアコモ改良したもので、通常の更新工事に加えて、座席のリクライニングシート化、側面行先表示器装備などを行いました。

キハ58 3001(キハ58 3001)

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名古屋と奈良を結ぶ急行「かすが」号用のアコモ改良車で、平成元年に登場しました。キハ58 714の車内を0系新幹線電車で使われるリクライニングシートにするなどの改造を行いました。登場時は5000番を加えたキハ58 5714でしたが、快速「みえ」号用のグレートアップ車登場により、平成3年に改番したものです。

キハ58 5001・5002・5101(キハ58 5002)

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名古屋と伊勢地方を結ぶ快速「みえ」号用のグループで平成3年に登場しました。種車はキハ58 680・1033・1101で、1101番はマイナーチェンジ車で、改番後は5101番となっています。スピードアップと接客設備のアコモ改良の改造が行われており、エンジンはカミンズ社製C-DMF14HZ(350PS/2000rpm)、変速の換装、台車をキハ82系の廃車発生品であるDT31C形空気ばね台車に履き替え、座席のリクライングシート化などとしました。高出力エンジン、空気ばね台車により運転最高速度が110km/hとなっています。

キハ58 6001~6003・キハ28 6001・6002(キハ58 6003・キハ28 6002)

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大阪と飛騨高山を結ぶ急行「たかやま」号用のアコモ改良車で、平成3年に登場しました。種車はキハ58 1028・1050・1052、キハ28 3007・3008です。車体塗装の変更や座席のリクライニングシート交換、サニタリーアコモ改良、電気暖房化などの改造が行われました。

キロ28 6001・6002(キロ28 6001・6002)

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急行「たかやま」号用のアコモ改良したグリーン車です。キロ28 2510・2152を種車としています。種車のグループがことなり、屋根廻りに違いがある事がお判り頂けると思います。また、客室窓ですが、6001番はオリジナルの1段下降窓ですが、6002番は腐食防止のため、ユニットサッシ化した窓に改造されていました。

キハ58 7201~7212(キハ58 7211)

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京都~城崎など丹後地方を結ぶ急行「丹後」号や岡山~鳥取間を結ぶ急行「砂丘」号などのアコモ改良車で平成4年に登場しました。延命工事のほか、車内座席を新幹線0系から発生したものへ交換、トイレや洗面所のリニューアル工事を実施したほか、「砂丘」号用は塗装変更も行われました。(写真)

キロハ28 101~104(キロハ28 101)

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急行「砂丘」号用にキロ28形式が連結されていましたが、利用率が低いためグリーン席と普通席の合造車に改造した形式で、昭和62年に登場しました。

キハ58 5501~5516、キハ28 5501~5515(キハ28 5510)

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姫新線や播但線などのローカル線区での通勤・通学輸送用に車内をオールロングシート化した格下げ改造グループで平成4年に登場しました。

キユニ28 1~28(キユニ28 23:マワ車所蔵)

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キハ10系を改造した郵便・荷物車の老朽化が著しくなり、この置換えとして余剰となったキロ28形式を種車とし、キハ40系と同タイプ構造の車体を組み合わせた改造車で、昭和53年に登場しました。全室荷物車の形式としてキニ28 1~6も登場しました。

キニ58 1~3(キニ58 1)

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常磐線で活躍するキハ55系改造のキニ55形式老朽化に伴い、キユニ28形式(キニ28形式)と同じく、余剰となったキロ58形式を種車に新製車体を組み合わせた荷物車です。列車密度の高い常磐線では1エンジン車では加速力不足となる事から、2エンジン車を種車としています。

キハ56系

 昭和36年に急行形気動車として初めて登場した系列です。昭和20年代、北海道主要幹線に運転される急行列車は、全て蒸気機関車が牽引する客車列車で、運転時間もとてもかかっていました。また、北海道向けの車輛は、厳しい環境に耐えうる特殊な耐寒・耐雪構造を必要とする事から増備が進まず、車輛数が常に不足し、輸送力が限界に達しつつありました。
 その中、北海道にも普通列車用ながら気動車が投入されていきました。道内初の気動車による優等列車は昭和32年釧網本線釧路~川湯(現在の川湯温泉)間で運転された臨時準急「摩周」です。この列車に使われたのは普通列車用のキハ12形式でした。その後、札幌地区を中心に気動車による準急列車網が整備されましたが、いずれの列車も普通列車用の気動車が使われました。
 昭和31年に登場したキハ55系による準急列車網は大成功をおさめ、急行列車にも活躍を始めていました。北海道でもキハ55系による準急「アカシア」を運転。しかし、キハ55系は暖地向けであるため、冬季は本州に返却されました。この実績は昭和35年、道内初の気動車急行「すずらん」でも再び行われました。札幌~函館間(千歳・室蘭本線経由)で運転。函館本線小樽経由の客車急行列車と比べて30分もスピードアップし、5時間で走りました。冬季はキハ55系からキハ22系に変更して運転。道内での気動車の力を見せる結果となりました。
 キハ55系の実績は全国各地で成功をおさめ、急行列車用のグレートアップ車輛を投入しようという気運が高まり、キハ58系が設計される事になりました。この設計には北海道向け車輛も含まれており、輸送力が限界に達しつつあった北海道に対し、暖地向けのキハ58系よりも先に設計されました。
 本州向けの客室窓では保温性が保てない事から、小さい窓とし、二重窓となっており内窓はFRP製窓枠を採用しています。この小さい窓が外観上の特徴ともなっています。
 平成12年に全車廃車となっています。

キハ56 1~47(キハ56 23)

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キハ58形式0番代に相当する2基のエンジンを搭載する形式です。一部の車輛はキハ53形式500番代の種車となりました。

キハ56 101~151(キハ56 103)

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昭和38年に登場した長大編成対応車となるグループです。乗降扉の下部にある丸窓がポイントです。

キハ56 201~214(キハ56 204)

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昭和43年に登場したモデルチェンジ車です。冷房準備車として登場していますが、夏の短い北海道では搭載が見送られ、非冷房のままでした。

キハ27 101~129(キハ27 107)

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キハ28形式に相当する1エンジンを搭載する形式です。この100番代は昭和38年に登場した長大編成対応車のグループです。

キハ27 201~217(キハ27 213)

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昭和43年に登場したマイナーチェンジ車です。

キロ26 101~107(キロ26 104)

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キハ56系の2等車(グリーン車)です。本州向けと異なり、内窓にFRP枠を採用した事から独立した小窓が並ぶ独特の外観となっています。

キハ53 501~(キハ53 502・キハ53 506:マワ車所蔵)

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 国鉄末期、単行運転が出来る北海道用強力型気動車がなく、急勾配の続く路線でもキハ22形式やキハ40形式などの低出力1エンジン車が運転されており、急勾配上では相当な低速運転を余儀なくされてました。また、冬季の降雪時には1両でも十分な輸送量の路線に1エンジン車2両以上連結して、排雪運転を行う不経済な運転を行っていました。それらを改善するために余剰となっていたキハ56形式を両運転台化したものが本形式で昭和61年に登場しました。形式としてキハ45系に同じ形式であるキハ53形式が存在していますが、2エンジン車である以外の関係は全くありません。
 1両のキハ56形式の連結面側を切断し、別の廃車となったキハ56形式又はキハ27形式から切り取った運転台を接合して両運転台化しています。キハ53 504~506は側面雨どいを埋没させていますが、それ以外は雨どい管を出した状態となっています。

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今となっては調査は難しいのですが、502号車(写真左)のみ接合した運転台が断面形状の違うキハ27 2からで、接合部分の処理や後部標識灯など違いがありました。写真右は508号車で、見比べる参考にして下さい。

キハ57系

 この系列は昭和36年に登場した系列で、信越本線横川~軽井沢間にある碓氷峠を通過するために登場したもので、キハ58系に空気ばね台車を装備したものです。
 2基エンジン搭載のキハ57形式、1基エンジン搭載のキロ27形式の2種類が用意されました。1基エンジンの普通車がないのは、山岳地帯を走行するためで必要が無いからです。
 気動車による準急列車や急行列車が全国各地で活躍をし、長野県内でも気動車投入の声が出てきました。信越本線の碓氷峠では当時、最大勾配66.7‰という急勾配を往来するため、官制鉄道以来ラックレールを用いたアプト式が採用され、専用機関車で運用していました。キハ58系で使用されているコイルばね台車で、ここを通過する際にブレーキ部品がラックレールに接触し、通過できない問題がわかりました。
 ディスクブレーキを備えた台車であれば接触しないため、同区間を走行する特急「白鳥」に運用されるキハ80系の空気ばね台車と同じ台車を履くことになりました。
 このキハ57系は長野県にある善光寺の御開帳が近い事もあり、沿線自治体から輸送力増強を求める声があったことから、キハ58系よりも先に登場しています。キハ58系全体では、北海道用キハ56系、この碓氷峠用キハ57系、そして暖地向けのキハ58系の順番で登場しています。
 碓氷峠を通過する際はED42形電気機関車のみ動力を使い、キハ57系は動力は使用せず推進又は牽引されていました。
 登場から2年後の昭和38年、アプト式が廃止となり粘着運転に変更し、信越本線長野電化開業で急行列車は165系化してしまい、あっという間に役目が終わってしまいました。飯山線や中央西線の急行列車で活躍、その後は小海線や高山本線、四国地方に転属し、それぞれの地で活躍をしました。

キハ57 1~(キハ57 9:マワ車所蔵)

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空気ばね台車を装備する形式で、この他はキハ58形式と同じとなっています。

おまけ キハ57 26?

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 群馬県安中市にある上信越自動車道横川サービスエリア(上り線)の一角にメモリアルコーナーというのがあります。種明かしを先にしてしまうとこれはJR九州で活躍していたキハ58 624の運転台を譲り受けたものです。本物の運転台とモックアップの客室部分での保存で、客室内での飲食が出来ます。なぜ、ここにあるの?という事になりますが、碓氷峠の名物といえば・・・そうです横川駅で今でも販売されている「峠の釜めし」です。この「峠の釜めし」を販売する「おぎのや」さんが、名物駅弁として知名度を上げた1960年代を再現するコンセプトのもとに平成21年より展示しているものです。当時を再現するために車体にはキハ57 26と書かれています。皆さんも立ち寄った際には、ここで釜めしを食べてみてはいかがでしょう。