東海道・山陽新幹線

0系

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昭和39年、東海道新幹線開業と共に登場した最初の新幹線電車です。昭和50年以降は新しく完成した山陽新幹線でも活躍を始めます。昭和39年に登場し、昭和61年まで38次にわたって、改良などが加えられながら3216両がつくられました。世界初の200km/hを超える営業運転を達成した事は有名な話です。そして、丸みのある先頭部と白色と青色に塗り分けられた流線形の外観は高度成長時代の象徴として、人々から親しまれました。平成20年に営業運転を終了しています。
●0系が生まれるまで。
戦後、国鉄では陸海軍で働いていた有能な技術者たちが解体により散逸してしまう事から、多数の技術者を鉄道技術研究所に受け入れていました。その中の一人に三木忠直がいました。三木は海軍の航空機技術者で、陸上爆撃機「銀河」などの機体設計を担当していました。0系のデザインは三木が設計したものです。戦争から平和へ技術を役立てました。車体長は24.5m、車体幅3380㎜と非常に大きい流線型セミモノコック構造の車体で、在来線車輛よりも破格の大きさです。この大型車体に1~6mmの範囲で板厚を細かく変更し、必要に応じて鋼材の種類を使い分け、当時の技術では限界一杯の軽量化(10.5t)を施した普通鋼製車体をつくりました。初めての超高速電車であるため、機器などの冗長性を高め、信頼性を確保した設計から重装備となり、52.5t~57.6tの重量となっています。
東海道新幹線は建設から開業までが短く、車輛開発は急ピッチで行わなければなりませんでした。このため、開発には今まで蓄積した技術を組み合わせたものとしました。こうして、試験車輛1000形(写真下:模型)が設計され、試験結果を基に0系がつくられました。因みに0系と呼ばれ始めたのは昭和55年に登場した東北、上越新幹線向けの200系が登場以降になり、それ以前までは新幹線電車と呼ばれていました。

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0系を開発した後、そこで発生した改良するべき個所を後継車輛へ反映させる計画でした。ところが・・・。
車輛の耐用年数を20年と見込んでいたものの、長距離高速運転による酷使によって車体、機器の劣化が予想より早く進んでおり、昭和51年頃から初期車輛の置換えが始まりました。この頃の国鉄は、財政事情の悪化や労使紛争の影響で技術革新が滞り、0系が増備され続ける事になりました。結果、昭和61年までの長期に亘って製造が続きました。
●鼻の中には何があるの?

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丸みのあるデザインで、人々に親しまれた0系。その中でも「だんご鼻」がとても有名ですね。写真のようにボンネットの前面に大きくある丸いカバーを言います。鉄道車輛には連結器を装備しなければならない。という決まりがあり、新幹線も例外ではありません。このカバーの中には非常用の連結器が収納されているのです。さらに、このカバーのトリビアを教えましょう。当初はこのカバーは半透明のアクリル樹脂で出来たものでした。(写真右)左右にある前部標識灯の漏れた光をもとに光る構造となっており、「光前頭」と呼ばれていました。鳥との衝突で破損をする事から、FRP製の丈夫なものに変えられ、廃止となっています。衝突と言えば運転台の窓ガラスですが、このガラスは防弾ガラスになっており、2tの衝撃にも耐えられるものだったそうです。
●0系の種類

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0系は製造年数の長さから、1~38次車まで様々なモデルチェンジが行われてきました。外観では大窓車と小窓車という2つに大別する事が出来ます。どちらが最初?となると小窓と答える方が多いでしょう。見晴らしをよくするのに、後の車輛は窓が大きくなった。実は逆なのです。最初は大窓で設計されていました。所が、東海道新幹線の難所の一つ「関ケ原」である問題があったのです。それが雪です。雪の塊などが窓ガラスを破損させる事が多くあったため、補修を考えて小窓になりました。番代区分がされており、昭和51年に登場した1000番代から小窓となりました。その他に内装を大幅にモデルチェンジしたのが2000番代になります。

100系

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昭和60年に登場し、国鉄分割民営化後もJR東海、JR西日本で製作された東海道、山陽新幹線の2代目になる新幹線電車です。東海道新幹線開業時より活躍を始めた0系ですが、1970年代に入ると劣化が見られ始め、原因を調べると安全かつ快適に高速走行させるために最新技術を盛り込んだ車輛でしたが、高速、高頻度という過酷な条件下での運行形態にありました。その一つとして、快適な車内とするため気密構造が採用されましたが、列車同士のすれ違い、トンネル出入口で生じる圧力などを繰り返し受ける事で、金属疲労が発生し気密性を維持できなくなるという劣化が発生しました。設計当初の予想を上回る状況であり事と、新幹線が高速運転を長期間運用した最初の事例であり、状況を判断して0系の廃車基準を13年としました。
本来、この期間であれば新系列の投入。となるところですが、財政状況、労使関係の悪化による技術停滞という影響に加え、車輛の経年数が不揃いの編成があり、既存車輛と混成や編成替えに互換性を持たせる必要があるなどの理由から0系の製造が続きました。
しかし、マイナーチェンジを繰り返すも、陳腐化の印象は否めなくなってきた事。運用に生ずる問題が把握できた事の理由により、新型車輛導入の機運が高まり、フルモデルチェンジ車として100系が誕生しました。0系、200系で生まれた技術を盛り込みつつ、内装を中心に、外装もデザインを一新。また、地上設備の改良を最小限としつつ、到達時間短縮を図ることをコンセプトに1056両がつくられました。
0系との最大の違いは、先頭車輛の先頭部分と2階建て車輛の存在でしょう。先頭部は騒音と空気抵抗の低減を図るために、鋭角に設計され、徐々に断面積を大きくした「流線型」としました。また、運転台窓と車体の段差を極力小さくし、走行抵抗を軽減することとしています。この先頭形状を「シャークノーズ(サメ鼻)」といいます。
車体は0系と同じ耐候性鋼を主としながら軽量化を図るべく、改良したものとなっています。塗装は0系に似ていますが、0系はアイボリーホワイト(クリーム10号)ですが、明るいものとしたパールホワイト(白3号)をベースとし、窓廻り等にはディープブルー(青20号)と同じものを使用しています。客室窓は試作車では小窓でしたが、板厚などを見直して強度を上げたものを量産車では採用し、大窓としました。
東海道新幹線利用客のピークは昭和51年で、以降減少が続き、減便さえ行われる事態となっていました。そこで、100系ではサービス面での大幅なモデルチェンジが行われる事となり、話題性を高めるため初の二階建て車輛を設計しました。二階部分には眺望がよく、乗客の通り抜けが少ないグリーン席、食堂とし、一階部分は指定席、カフェテリア、個室を設定しました。二階建て車輛は平屋車輛と段差が生じ、空気抵抗が増加する事や車体重心が高くなることから、床面をレール面ぎりぎりまで下げ、床面を厚い鋼板を張る事で構造強化、低重心化を図りました。食堂車は東京~博多駅間の長距離運用を行う編成に組み込まれ、二階は食堂、一階は厨房となっており、出来上がった料理はエレベーターで運ばれていました。一方、短距離運用の編成には二階席をグリーン席、一階をカフェテリアとしていました。因みに、東海道、山陽新幹線では300系以降、軸重、定員の相違による互換性面での支障などの理由により、二階建て車輛はつくられなくなりました。主要な機器は東北、上越新幹線向けに開発された200系の構造をベースにコスト面を改良したものとなっています。
昭和60年に東海道、山陽新幹線に華々しくデビューし、2階建て車輛を2両又は4両(グランドひかりという愛称が付けられていました。)で活躍。1990年代に入ると東海道新幹線の高速化に対応した300系、500系、700系が続々登場し、0系よりもほんの少し性能が良くなった100系では高速ダイヤに対応が難しくなりました。一方、山陽新幹線においても16両編成では輸送量過剰という事もあり、東海道新幹線から平成12年頃より運用を離れ、平成15年に運用終了。山陽新幹線では短編成化され、こだま号などに細々と活躍をしていました。しかし、山陽新幹線も高速化、老朽化の進行により後継車へのバトンタッチが行われ、平成24年に運用を終了しました。

300系

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JR東海及びJR西日本が所有していた新幹線電車です。平成2年に登場した東海道、山陽新幹線3代目の新幹線になります。初めて270km/h運転を行う「のぞみ」号の車輛として開発されました。
昭和63年、100系の後継車として「スーパーひかり」を開発する計画が始まりました。東京~新大阪駅間のライバルは航空機です。競り合いに勝つためには2時間30分で運行すれば良く、その運転速度は270km/hとなりました。
単に270km/hの速度を出そうと思えば、主電動機などの改良で出す事は出来ます。しかし、騒音や振動といった問題をクリアしなければなりません。0系は220km/hが最高速度ですが、そこから得られた結果を基に300系の開発を進めていきました。
新幹線車輛では初めてとなるVVVFインバータ制御方式、ボルスタレス台車を装備。電気ブレーキに回生ブレーキを採用するなど従来車とは全く異なる車輛となりました。
車体も軽量化のため、東海道、山陽新幹線向けの車輛では初めてアルミニウム合金を使用したシングルスキン構造の車体としています。空気抵抗を低くするため、車体断面を縮小しており、車高は100系よりも400㎜低くなっています。先頭部はスカートと一体構造とした滑らかなデザインに仕上がっています。また、低重心化を図るため重量のある空調装置を床下に配置しました。空調装置から送られる空気は窓間の柱内を経由する方法としたため、側面の窓は狭窓に戻っています。この他、乗降扉に車体と段差のない(空気抵抗軽減を図る)プラグドアが採用(構造が複雑でトラブルが多いため、途中から通常の引き戸に変更。)されました。また、100系まで屋根に付いていた雨どいは省略され、乗降扉上部の簡易的なものとなっています。これは、以降の新幹線車輛の標準になっています。
標準になったものとして、編成の構成もあります。300系では16両編成のうち8~10号車をグリーン車として、残りの車輛を普通車としました。以降登場する新系列でも引き継がれています。食堂車やカフェテリア、二階建て車輛、グリーン個室は廃止されています。
高速運転を達成させる事を主眼に置いて設計された300系。このため、サービス面での課題もいろいろ出てきました。高速運転に伴い振動が大きく、テーブルからコーヒーがこぼれるなどの苦情があったほか、回生ブレーキの具合により大きな前後動、付随車に設置された補助電源装置の発生音など、美観面でもデッキのくず入れが小型化され、すぐにゴミで溢れかえってしまう、空調装置のダクトが壁面となり、冷暖房の機器の悪さなどがありました。新幹線高速化の第一歩を歩み出した300系。技術面では高い評価を得る一方、利用者にはやや評判が悪かったようです。でも、後継の700系では高速性能面だけではなく、居住性など快適面においても重視される事となっています。
誕生から13年を過ぎた車輛から運用を離脱。平成24年に引退しました。

500系

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JR西日本が所有する新幹線で、平成8年に登場しました。同社の自社路線である山陽新幹線の航空機に対する競争力強化を図るべく、一層の高速化を目指した車輛で、車体や台車、性能面を320km/hに対応した設計が特徴で、16両編成9本がつくられました。高速化に伴う騒音、特にトンネル微気圧波(※高速で走行する乗り物(列車)がトンネルに突入、出てくる際に発生する空気の圧力波の事。長いトンネルに突入した際に発生した圧縮波が、トンネル内で拡散できない空気の抵抗により圧縮され衝撃波のようになって、出口で解放される現象。出口周辺では「ドーン」といった発破音や振動を発生させます。トンネルドンなどとも言われます。ハトの豆鉄砲をイメージすると良いでしょう。)対策のために、非常に長い前頭部形状(車体長27mの半分以上になる15mにわたって断面を徐々に小さくしています。)、と円形のような車体断面は独特のフォルムとなっています。
車体は高い剛性を保ちつつ、軽量化、防音性向上を図るためアルミハニカムパネル構造を採用しています。この構造は六角形のハニカムコアを2枚のアルミ合金で挟んでパネルにしたものを組んで車体にするというもので、1両あたりの車体構体重量は300系よりも軽くなっています。床下機器はユニット化したものを吊り下げ、車体形状に合わせた点検蓋を兼ねるカバーで覆う構造とした新しいボディマウント構造が採用されています。
この他に特徴として、0系以来となる16両全ての車輛が電動車という構成になっており、その出力は300系の約1.5倍の18240kw(約25000馬力)というハイパワーを誇りました。これにより、発車から4分ほどで300km/hに達する事が可能となっています。もう一つ特徴があり、それはパンタグラフです。騒音を低減させるために従来の菱形構造をやめ、「翼型パンタグラフ」というものを採用しました。楕円形の支柱に翼型の舟体を設けたT字構造としています。闇夜を音もなく滑空できるフクロウの羽根を参考にしたもので、ホーンの部分に穴をあける事によって、空気音(エレオス音)を低減させています。
最初は新大阪~博多間の「のぞみ」号に使用され、最速列車は2時間17分で結びました。その後、東海道新幹線にも登場し活躍を始めました。ところが、先頭車に乗降扉が無いことや居住性が他の車輛と異なるなどの問題があり、500系の後継車輛としてJR西日本、東海の共同開発したN700系が開発され、平成22年に「のぞみ」号の定期運用をやめました。量産先行車を除いた8編成が山陽新幹線「こだま」号用に転用する事になり、編成は半分の8両編成となって活躍をしています。

エヴァンゲリオン プロジェクト「500 TYPE EVA」

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山陽新幹線開業40周年、テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」放送開始20周年記念によるコラボレーション企画の特別編成で、平成27年より運行を始めました。
エヴァンゲリオンシリーズのメカニックデザインを手掛けた山下いくと氏が新幹線のデザインを担当し、原作、総監督の庵野秀明氏が監修を務めています。外観はエヴァンゲリオン初号機をモチーフとしたカラーリングに。高速走行をするため、ラッピング(ステッカー貼り)ではなく、全面塗装としています。沿線の屋外広告物条例に適合させるためマークなどの意匠は描かれていません。
8両編成のうち、博多方の1号車~3号車(喫煙室部分)まで、内装がエヴァンゲリオンの世界観に沿ったデザインを施しています。

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3号車の博多寄りにある喫煙室の様子。NERV(ネルフ)マークが各所にあるほか、喫煙室内にはキャラクターが描かれています。

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2号車は特別内装車で、エヴァンゲリオンのデザインが施されています。NERVマークが通路や壁に描かれています。座席、枕カバーはエヴァンゲリオン仕様。日よけにもNERVマークのほか、所々にスペシャルデザインが施されています。自由席なので探してみると良いでしょう。(他の人に迷惑をかけない程度でお願いします。)乗降扉にも、写真のようなデザインが施されています。

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1号車は展示・体験ルームで、この編成のメインとなります。車内は座席が全て取り払われ、体験コーナーにはエヴァンゲリオンの実物大コックピット(写真左)があり、体験する事が出来ます。(要予約です。)展示コーナーでは、新幹線とエヴァンゲリオンの世界をたっぷり体験できる4つのブースがあります。写真右はその一つジオラマコーナーです。
この他、車内チャイムがアニメの主題歌である「残酷な天使のテーゼ」のオルゴールバージョンに、車内放送もキャラクターの一人、渚カヲルが一部案内をしています。
新大阪~博多間を運転するこだま730号、741号に限定されて運用されています。

700系

運転最高速度の低い0系、100系を置換えるため平成11年に登場した東海道、山陽新幹線向けの新幹線電車で、四代目になります。東海道、山陽新幹線の全体の高速化を図るため、JR東海、JR西日本の共同開発が行われました。最高速度は285km/hですが、車内の居住性、乗心地を改善しています。
車体はアルミニウム合金製、防音材を挟み込んだダブルスキン構造が採用されており、車内の静粛性を保ちつつ、軽量かつ低コストな構造としています。先頭部形状はトンネル微気圧波対策が施されており、短いノーズで実現をするためにエアロストリーム形状となりました。これを見たファンなどからは「カモノハシ」形などと言われていますが、設計上の偶然の一致らしく、カモノハシをモデルとしたわけではないようです。
300系の改良系列とも言われる700系では機器の小型化など様々な軽量化を行い、20t近く軽くしました。その軽くした分を騒音対策や300系で相次いだ苦情に反映させました。特に乗心地ではセミアクティブサスペンションや空気ばねの改善、車体間ダンパーの設置を行いました。
車輛はJR東海とJR西日本所有車で細部が異なっています。例えば、行先表示器や座席設備(指定席や自由席)の表示がJR東海車では字幕式、JR西日本車ではLED方式などがあります。
0番代(9000番代を含む、JR東海所有車:C編成)

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試作編成(上段の写真)はC1編成で9000番代となっています。先頭車輛では連結器のカバーの形状が異なり、継目が異なっています。(下の写真を見比べてみて下さい。)
3000番代(JR西日本所有車:B編成)

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JR西日本が所有している編成で、外観はJR東海車とはかわりません。運転台後方に青い文字で「JR700」と書かれているのがポイントです。
7000番代(JR西日本所有車)

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山陽新幹線では0系を用いて、新大阪~博多間を3時間前後で結ぶ「ウエストひかり」を走らせ、沿線の主要都市を結んでいました。しかし、「のぞみ」号の山陽新幹線直通運転が始まると車輛性能で劣ってしまう0系では限界でした。そこで平成12年に最新鋭であった700系を投入。走行する姿を「レール上を駆け抜ける星空のようなイメージ」とした「ひかりレールスター」という愛称にしました。塗装も窓周りを黒色とし、側面には黄色の帯が添えられています。
車内の設備がJR東海C編成及びJR西日本B編成と仕様が大きく異なっています。自由席は同じですが、指定席は2+2列配置、コンパートメント(4人用個室)があります。

N700系

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JR東海、JR西日本、JR九州に所属する新幹線電車で、平成19年に登場しました。東海道、山陽新幹線では五代目、九州新幹線では二代目の新幹線車輛になります。
700系をベースに更なる高速性、快適性、環境性能向上を目指してJR東海、JR西日本の両社で開発が進められました。当時300系、山陽新幹線では0系が残っており、これらの置換え、老朽化の見られる500系、700系による「のぞみ」運用の撤退をさせるための主力車輛として登場しました。
車体は700系と同じアルミニウム合金製の中空押出し形材によるダブルスキン構造を採用しており、700系では屋根構体や客室部の側構体のみの使用でしたが、N700系では使用範囲を拡大しています。先頭部形状は700系のエアロストリーム型を進化させたエアロ・ダブルウィングという形状に。先頭形状を抑えつつ、微気圧波を抑え、騒音の抑制、先頭車の定員を確保しています。
乗心地面では新しく、高性能セミアクティブサスペンションを用いたセミアクティブ制振制御装置を設置、車端ダンパーと合わせて乗心地の向上を図りました。また、新幹線の営業車輛では初めてとなる全周ホロを採用しました。下部を除いて完全に覆ってしまう事で車体側面の空気抵抗、車輛内外の騒音低減を実現し、結果省エネルギーにもなっています。
性能面では起動加速度を新幹線車輛としては最高の値(2.6km/h/s(通勤形電車並み))とし、約3分ほどで270km/hにまで加速する性能となっています。
東海道新幹線において、500系及び700系で270km/h運転は行われていましたが、この運転は直線、半径の大きい曲線区間で、これらは全線の3分の1しかありません。東海道新幹線には半径2500mの曲線区間が60ヶ所もあり、この区間で270km/h運転を行うと遠心力による重力(横G)が許容範囲を超えてかかってしまうため、255km/hという制限がありました。これを克服するために、車体傾斜システムを導入して270km/h運転を出来るようにしています。これにより、3分の2以上の区間で270km/h運転が出来るようになりました。
Z・N・X0編成

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N700系の登場した頃の編成に付けられていました。Z編成はJR東海所有の量産車で0番代。N編成はJR西日本所有の量産車で3000番代、X0編成はJR東海所有の試作車(9000番代)の編成となります。JR東海とJR西日本の量産車は番代が異なりますが、概ね仕様は同じとなっています。
G・F編成

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JR東海が老朽化した700系を置換えるために平成23年に登場させたグループで、N700系1000番代、通称N700Aと言われます。この「A」はAcvanced(アドバンス)、進歩を意味しています。在来のN700系(0番代、3000番代)と外観は同じですが、安全性、乗心地などが改善されています。台車振動検知システムの採用、車体傾斜システムの動作範囲の拡大による乗心地改善などが図られています。この他に、グリーン車に採用されていた吸音床構造を普通車にも採用。グリーン車は内壁に制振パネルを設け、静かに過ごせるようになっています。JR東海所有車はG編成、JR西日本車はF編成となっています。
X・K編成

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N700A系の登場により、従来のN700系に対して、N700A系の機能を持たせて車輛性能を統一する事になりました。X編成はJR東海所有車の0番代で、改造により2000番代に改番され、0番代は消滅。X0編成の9000番代はそのまま。K編成はJR西日本所有車の3000番代で5000番代に改番されています。
山陽、九州新幹線用7000番代、8000番代

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平成23年に九州新幹線が全線開業する事に伴い登場したグル―プで、JR西日本とJR九州の共同開発になります。九州新幹線に直通するにあたって、在来の山陽新幹線用の車輛では走行できない区間(博多~新鳥栖駅間)、新八代駅以南の急勾配区間などに対応させる必要があり、東海道、山陽新幹線用Z、N編成を基本とした8両、全電動車編成N700系7000番代(JR西日本所有車S編成)、8000番代(JR九州所有車R編成)(写真)が登場しました。
性能面などの他に車内設備も異なっており、デザインは「和のおもてなしの心」をコンセプトとしています。全体としては木目調のデザインを用いて落ち着きのある内装になっておおり、指定席は「ひかりレールスター」のサルーンシートと同じ2+2列シート配置や女性専用トイレの設置が行われています。車体色は陶磁器の青磁を連想させる白藍色をベースに紺藍色と金色の帯を1本ずつ入れたものとしています。列車名は直通列車を「さくら」とし、速達タイプの列車を「みずほ」としました。

九州新幹線

800系

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平成16年に登場した九州新幹線の初代新幹線車輛です。基本的な構造は700系と同じとしていますが、先頭部の形状や内装、機器配置などは変更されています。最大35‰の急勾配区間があるため、全車電動車方式で6両編成となっています。車体は白色に赤色の帯が巻かれています。屋根は赤くして、汚れを目立たなくする工夫が行われています。
車内は「和」をコンセプトに設計されています。全車普通車のモノクラスで構成されており、座席は2+2列配置、木材を多用した独特の意匠が特徴となっています。現在は0番代(写真)のほか、増備された1000番代、2000番代があります。

東北・上越・北海道・秋田・山形・北陸新幹線

200系

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昭和57年に開業した東北新幹線、上越新幹線の初代になる新幹線車輛です。962形試験車をベースに設計されたもので、昭和60年に登場した100系よりも番号が200と大きいのは、百の位を東海道、山陽新幹線向け車輛は奇数、東北、上越新幹線向けは偶数を与えるとしたためです。平成25年まで活躍しました。200系が廃系列になった事により、国鉄時代に製造された新幹線電車はすべて姿を消しました。
車体は先頭車では2つの前面形状のものがあり、1つは国鉄時代に製造された0系と同じ「だんご鼻」とも言われる写真のラウンドノーズ。もう一つは東北、上越新幹線を継承したJR東日本が設計した100系に似たシャークノーズ(200番代、2000番代)がありました。200系のデザインは0系の派生系と言ってもよいでしょう。ただし、豪雪地域を走行する事から耐寒、耐雪構造が施されており、床下機器を包むボディーマウント方式が採用。車体は普通鋼では重くなりすぎるため、アルミ合金製となっています。(後に登場する二階建て車輛248形式及び249形式は鋼製)車体はクリーム色をベースに緑14号の帯を巻いたものとしました。これは雪解けの新芽のイメージと言われています。(写真右、リバイバル塗装)
基本的には営業最高速度が210km/hでしたが、後に登場する1000、1500、2000番代は240km/hに対応するグループとなっていました。
大宮~盛岡、新潟駅間で12両編成で活躍を始めます。その後、240km/h対応の1000番代、1500番代が登場。昭和62年には100系新幹線電車と同じシャークノーズとなった2000番代が登場します。上越新幹線では「とき」(各駅停車タイプ)用の8両編成や10両編成、東北新幹線は「あおば」(各駅停車タイプ)の8両編成がありました。1990年代に入ると東北新幹線に東京~盛岡駅間「スーパーやまびこ」(速達列車)が登場し、二階建て車輛が組み込まれ最長の16両編成に達しました。1990年代後半になり、老朽化や陳腐化が見られ始めました。耐用年数の15年を迎えようとしていたのです。しかし、短期間で置換えるのは難しいため、平成11年よりリニューアル工事が実施されるようになりました。インテリアのアコモ改良などが行われたほか、車体色をJR東日本の新幹線として統一したイメージを持たせるため、当時の最新車輛で使用されていた「飛雲ホワイト(白色)」と「紫苑ブルー(濃紺)」の2色塗りとし、境界部分に200系を表した「緑の疾風(緑色)」の細い帯を巻いたものとしました。
平成24年に最後の1編成が営業運転を終え、廃系列となりました。なお、その最後の編成には登場からリニューアルを受けつつも30年近く活躍した車輛があり、新幹線車輛としてはかなりの長寿でした。
最後に、200系にまつわる面白いエピソードを一つ。新幹線の高速化というものは、騒音や振動といった難しい問題をいくつも超えなければなりません。日本の鉄道技術の象徴である新幹線は日夜、その問題に取り組んでいます。一方、海外でも鉄道の高速化というのは同じようなもので、日本で世界一になれば、海外もおのずと奪還をかけて挑んできます。その中で、JR東日本では平成4年に日本の営業列車では最高速となる275km/hの運転を始めました。この列車は上越新幹線の下り、上毛高原~浦佐駅間で275km/hの運転を行います。あれ?200系ってそんなに速度が出たっけ?という疑問があるかと思いますが、構造上は問題ありませんが、性能では無理です。じゃあ、どうするの?答えは下り坂を利用するのです。自然の摂理を上手に利用したものですね。ただ、勢いがつきますので越後湯沢駅には停車する事が出来ませんでした。平成9年に登場した山陽新幹線500系の300km/h運転までは堂々の1位でした。

400系

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平成4年に登場した山形新幹線「つばさ」用として平成22年まで活躍した新幹線直行特急(ミニ新幹線)用の新幹線電車です。
分類上は新幹線車輛ですが、在来線を走行するため車体規格は在来線に準じた車体長は20000㎜、車体幅は2945㎜と小型な車輛となっています。このため、新幹線用のホームでは車体との間に大きな隙間があるため、停車する際にステップが出てきて隙間を埋めています。当初は6両編成でしたが、利用者の増加に伴い平成7年からは7両編成となっています。車体は鋼製で、シルバーメタリックのボディに当初は窓周りに濃い灰色の帯、窓下に緑色の帯を入れたものでしたが、平成11年の新庄延伸開業からは増備されたE3系1000番代と同じ風合いの塗装に変更されています。(写真)この他、JR東日本の新幹線車輛では初めてのボルスタレス台車が採用されています。
平成20年より後継車との置き換えが始まり、平成22年に廃車。本系列は消滅しました。初めての幹在直通車輛として登場した400系。JR東日本では鉄道遺産として保存を決め、411形式1両が保存される事になり、鉄道博物館に展示される予定となっています。

E1系

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東北、上越新幹線の通勤、通学輸送をはじめとした需要の高まりに対応すべく、速度よりも大量輸送を主眼とした新幹線電車で、平成6年に登場しました。何といっても、新幹線では初めてとなる、全ての車輛が二階建ての車輛で「Max(マックス):Multi Amenity Express」という愛称が付けられていました。(当初は愛称は無く、DDS(Double Decker Shinkansen)と暫定的に呼ばれていました。)また、当初は600系という形式番号を予定していましたが、他車との番号の重複等が考えられるため、JR東日本のEastの頭文字Eをとって、E1系の形式称号となりました。現在の所600系は誕生していません。
車体は、当時の設計技術で二階建て構造の強度が心配されたため、普通鋼で製作されました。このため、JR東日本の新幹線車輛の中では最も重いのが特徴です。このE1系は現在の所、最後につくられた普通鋼製新幹線車輛であり、最後の系列となっています。(つまり、現在は普通鋼製新幹線車輛は走っていません。)
デザインコンセプトは「グランド&ダイナミック」で、先頭部分は二階建てのボリュームが活かされたエアロダイナミックノーズとなっています。登場時は上半分をスカイグレー、下半分をシルバーグレー、ピーコックグリーンの帯を巻いた塗装となっていました。
車内は「ハイクオリティ&アメニティ」をコンセプトとしています。車内は多くの乗客が座れるように設計されており、自由席となる1~4号車では、二階席において車内販売を行わない事を前提に、通路幅を切り詰めて3+3列という座席配置としました。(2+3列配置と比べると、座席の幅は確保されているものの、中央部の肘掛が無いため狭いという印象はぬぐえない。)
登場から10年ほど経つと、車内の陳腐化が目立ち始めたため平成15年よりリニューアル工事が実施されています。車体色は当時の最新型新幹線車輛に合せたものとするため、飛雲ホワイト(白色)と紫苑ブルー(濃紺)の2色を中心に境目に朱鷺(とき)色と呼ばれるピンク色を配したものとしました。座席は座席の交換が行われました。
営業開始は東北新幹線で、「Maxやまびこ」や「Maxあおば」、上越新幹線では「Maxあさひ」、「Maxとき」で活躍を始めました。
その後、東北新幹線の途中駅での分割・併合する列車が増え始めました。E1系は12両固定編成であったため、この改良型として8両固定編成としたE4系の登場により、上越新幹線へと活躍の舞台を移すことになります。しかし、平成24年より東北新幹線向けにE5系が増備される事となり、東北新幹線で活躍していたE4系が上越新幹線に転属、結果置き換えられる事となり、平成24年に廃系列となりました。

E2系

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秋田新幹線「こまち」号を併結する東北新幹線「やまびこ」号用、北陸新幹線(当時は長野行新幹線)高崎~長野駅間「あさま」号向けに平成7年に登場した新幹線車輛です。当初より、JR東日本の新幹線標準型車輛として、200系の置換えも目的に増備されました。両端の先頭車を除いて、中間車を動力車としています。編成は「あさま」号用の8両編成(N編成:上の写真では右の車輛。)と東北、上越新幹線向けの10両編成(J編成:上の写真では左の車輛。)があります。どちらも車体色は上半分を飛雲ホワイト、下半分を紫苑ブルーとし、境目の細い帯色はN編成は真紅レッド、J編成はつつじピンクを配し、車体側面にN編成はそよ風、J編成はりんごをモチーフとしたエンブレムが付いています。また、先頭車の下り方をよく見ると、N編成は連結器カバーが丸い一体ものですが、J編成は分割(連結器を使用する時に左右にカバーが開く)できるようになっています。
車体はアルミニウム合金製で、0番代ではシングルスキン構造を主体として側構体にダブルスキン構造を採用しましたが、1000番代では全面的にダブルスキン構造としています。
0番代(N編成)

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北陸新幹線「あさま」向けの8両編成です。急勾配区間、定速運転機能に対応した抑速ブレーキが備えられています。この抑速ブレーキは30‰の連続勾配があるため、抑速回生ブレーキを使用して最高速度210km/hで走行する事が出来ます。急勾配での高速走行による運転であるため、1編成中に6両ある電動車のうち、3両が回生失効となった場合は非常ブレーキが動作する仕組みとして、保安度を保っています。後継のE7系の登場により置換えが進められ、間もなく見納めとなります。
0番代(J編成:J1~J15)

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東北、上越新幹線向けの10両編成です。当初は8両編成もあり、北陸新幹線や上越新幹線にも運用されていました。このグループも初期車であるため廃車が進んでおり、見納めも近いでしょう。
1000番代(J編成:J51~J75)

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平成13年の東北新幹線八戸延伸開業用として増備されたグループです。先行量産車は8両編成で登場。量産車は10両編成で登場しています。0番代のモデルチェンジ車にあたり、普通車の窓寸法が拡大され、乗降扉はプラグ式ドアから普通の引き戸に変更。パンタグラフがシングルアーム式に変更されています。外観のほか、製造工程の見直し(簡易化)、乗心地改善のため先頭車両及びグリーン車に空気アクチュエータ式フルアクティブサスペンション、その他の車輛にセミアクティブサスペンションが装備されました。これは0番代のJ編成にも後付け装備されました。
現在は東北新幹線ではE3系などの併結列車用、上越新幹線で活躍をしています。

E3系

JR東日本が所有する新幹線直行特急(ミニ新幹線)用の新幹線車輛です。このE3系は分類上、新幹線車輛ですが在来線を走行するため在来線規格(車体長20000㎜、車体幅2950㎜)としており、小柄な新幹線車輛でもあります。登場した時期により様々な種類があります。
0番代(秋田新幹線)

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平成9年に秋田新幹線用として登場した初代のグループです。秋田新幹線「こまち」用として5両編成で登場し、翌年に6両編成に増強されています。性能面では併結相手となるE2系と同じです。平成25年より二代目E6系の置換えが始まり、翌年に秋田新幹線より撤退し、現在はE5系の附属編成として「やまびこ」号や「なすの」号に使用されています。
1000番代(山形新幹線)

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平成11年に山形新幹線新庄駅延伸開業に伴い増備されたグループです。このグループには新製された車輛(写真左)と上記の0番代を改造して編入した車輛(写真右)の2つの種類があります。塗装は初代400系のイメージを継承しつつ、塗り分けなどを変更しています。平成26年からは新しい塗装に変更されています。(写真右)デザインは「山形の彩り豊かな自然の恵み」、「新幹線の躍動感」を表現したものです。白色は「蔵王の雪」、先頭部分や側面上部の濃い紫色は山形県の県鳥である「おしどり」、黄色から赤色のグラデーションは県花である「紅花」をモチーフとしたものです。新しいシンボルマークも用意され「山形の美しい四季」を表現しています。
現在、L53編成(新製)とL54、L55編成(0番代改造車)の3編成のみとなっています。
2000番代(山形新幹線)

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平成20年に登場したグループで、400系の置換え用として登場したグループです。現在の山形新幹線の主力となっています。外観では前面の灯具を収めるケースの形状が異なっているのですぐにわかると思います。性能面などでは運転最高速度を275km/hに引き上げたほか、先頭車と次位の車輛間にフルアクティブサスペンション、その他の車輛間にセミアクティブサスペンションを装備し乗心地向上を図っています。サービス面では、鉄道車輛では初となる除菌イオンによる空気清浄器を搭載。グリーン車の全席、普通車では窓際、最前部及び最後部に電源コンセントが設置されました。また、防犯面でもデッキ部分に防犯カメラが設置されたほか、異常時に車掌と通話できる新しい非常通報装置が設置されています。

700番代「とれいゆ」

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平成26年に0番代を改造した観光列車で、新幹線車輛では初めてのジョイフルトレインです。「とれいゆ」という愛称は、列車を意味する「トレイン」とフランス語で太陽を意味する「ソレイユ」、温泉のお湯を組み合わせた造語になります。食(太陽)の恵みによる様々な食材、温泉、歴史と文化、自然を温泉街のように散策しながら旅を楽しむというのがコンセプトになっており、それらテーマを凝縮した列車である事から名付けられました。
車体塗装色は、蔵王をモチーフにした白色を全体に配し、山形県の名峰「月山」を緑色、多くの恵みをもたらしてくれる「最上川」を青色で表現しています。
福島~新庄駅間山形新幹線の区間で臨時特急「とれいゆつばさ」として土休日を中心に全車指定席で運行されています。

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福島方の制御電動車で、11号車になります。もともと、グリーン車でE311形式でしたが普通車に格下げ。このため新形式の誕生となっています。定員は23名で、座席はグリーン車時代のままとなっています。

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12号車に位置するパンタグラフ付中間電動車です。普通車指定席となっており、座敷風のテーブルがあります。13、14号車も同じ。

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13号車に位置する中間付随車です。床下にSIVを搭載しています。車内にはトイレ、洗面所の設備があります。

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14号車に位置する中間付随車です。0番代時代に輸送力増強のため追加された形式です。

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15号車に位置するパンタグラフ付中間電動車です。山形新幹線内は在来線であるため、パンタグラフは使用していません。この車輛は「湯上りラウンジ(ものや人との出会いの間)」となっており、掘り炬燵風の座席があるほか、バーカウンターを備えています。

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新庄方に位置する制御電動車で、16号車になります。車内には足湯の設備があります。この足湯はびゅう旅行商品の利用者のみに販売される利用券が必要ですが、当日の状況によってはアテンダントから購入する事も可能です。

700番代「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」
秋田新幹線で活躍した0番代を改造した観光列車です。新潟県で3年に一度催される世界最大規模のアートイベント「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」にて、首都圏や海外、地元の人々も楽しめるコンテンツとして、「移動する現代アートの美術館」が考えられ登場したもので、平成28年より新潟~越後湯沢駅間を臨時列車「とき」号として運転を始めました。美術館としては世界最速の移動を誇ります。
車体のエクステリアデザイン(外観デザイン)は蜷川 実花(にながわ みか)氏が担当し、黒をベースに夏の夜空を彩る長岡の花火を描いています。11号車及び13号車の一部を除いて、編成の片面の窓が埋められているのが特徴です。

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指定席と自由席があり、指定席は11号車のみで在来の車輛と変わらない座席が配されています。(写真左)、12、14~16号車は自由席で、進行方向に平行に配置されたソファーが配され、作品を鑑賞する場所になっています。(写真右)

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13号車はカフェスペース(写真左:燕三条で人気の「ツバメコーヒー」監修の美味しいコーヒーやビールなど、「romi-unie」のいがらしろみ氏監修の地元の食材にこだわった美味しいスイーツが楽しめる。)とキッズスペース(写真右)となっています。

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越後湯沢方に位置する11号車(制御電動車)。元グリーン車のE311形式を改造したもので、格下げ(普通車化)により形式変更となっています。インテリアは松本 尚(まつもと なお)氏が担当しています。テーマは絵画。多目的室、トイレ、公衆電話、車掌室があります。

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12号車に位置するパンタグラフ付中間電動車です。インテリアは小牟田 悠介(こむた ゆうすけ)氏が担当しています。テーマは平面。写真は座席側から撮影。車端部に大型手荷物置き場が設置されています。

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13号車のSIVを搭載する中間付随車です。カフェとキッズスペースになっています。写真は作品側からの撮影で、客室窓は全て埋められています。インテリアはカフェが古武家 賢太郎(こぶけ けんたろう)氏が担当し、テーマは絵画。キッズスペースはPARAMODEL(パラモデル)が担当し、テーマは絵画、彫刻です。

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14号車の中間付随車です。インテリアは石川 直樹(いしかわ なおき)氏が担当しています。テーマは写真です。

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15号車のパンタグラフ付中間電動車です。インテリアは荒神 明香(こうじん はるか)氏が担当しています。テーマは立体です。トイレ、洗面所の設備があります。

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新潟方16号車の制御電動車です。インテリアはBrian Alfred(ブライアン・アルフレッド)氏が担当しています。テーマは映像です。
どの車輛の芸術作品も素晴らしいものばかりです。その作品はあなたの目で確かめてみて下さい。新幹線で移動しながら現代アートを鑑賞するというものも、なかなか楽しいですよ。

E4系

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200系の置換え、E1系の投入後も増加する旅客需要に対応するために平成9年に登場した二階建て新幹線車輛です。E1系と同じ「Max」の愛称が付けられています。外観はE1系よりもトンネル微気圧波及び騒音対策により長い鼻になりました。鉄道ファンからはその外観から「カモノハシ」や「巨大イカ」と呼ばれているそうです。
車体は車内販売ワゴン用の昇降機などが設置される事から、この重量増にならないようにアルミ合金製となりました。車体塗装は飛雲ホワイトと紫苑ブルー、境界部に黄色又はピンク色の帯が配されています。先頭車には分割、併合装置が収められており同系列又は他系列との併結運転が可能となっています。
車内はE1系とほぼ同じ配置等となっており、8両編成で定員は817名。2編成をつなぐと1634名と高速鉄道では世界最大の定員数を誇ります。
平成24年より廃車が進んでおり、もう間もなく見納めとなる系列になります。E4系が消滅すると二階建て構造の新幹線は全廃となり、その歴史に幕をおろします。

E5系・H5系

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東北新幹線において最高速度320km/h運転を行うために登場した新幹線車輛で、平成23年に登場しました。E2系の後継車輛でもあります。キャッチコピーは「MADE IN DREAM」、「21世紀の夢の超特急をカタチにしたら、こうなりました。」。登場時は最速達列車である「はやぶさ」号の専用となっていましたが、増備が進むにつれて他の列車にも投入されています。また、平成28年に北海道新幹線が一部開業。北海道新幹線向けにJR北海道が所有するH5系が登場しました。基本構造は同一で、帯色や内装が異なる点が違いとなっています。
JR東日本では新幹線の高速化に向けて、試験電車「FASTECH 360」を開発し各種試験を行ってきました。当初は360km/h運転を計画していましたが、環境問題やコスト面などの検討をした所320km/hになりました。
車体はアルミニウム合金によるダブルスキン構造が採用しています。先頭部の形状はFASTECH 360で試用されていたアローラインを基にしたダブルカスプ形としています。車体色は未来を感じさせる先進的なイメージ、スピード感を表現するため車体上部を常盤グリーン、下部を飛雲ホワイトとし、境目にJR東日本のE5系ははやてピンク、JR北海道のH5系はライラック、ルピナス、ラベンダーなどを想像させる彩香パープルの細帯を巻いています。性能面では半径4000mでも320km/hで走行できるように、空気ばねを用いた車体傾斜システムが装備されています。
車内は自然の色を基本とした暖かで落ち着いた仕上がりとなっています。特徴はグリーン車よりも上位となるファーストクラス「グランクラス(Gran Class)」です。室内はウールカーペット敷きで、座席は本革表地のもの。シートピッチ1300㎜、シート幅(座面幅)520㎜で、国内一般旅客向け座席としては最大級となり、日本航空国内線のファーストクラスと同等のスペックとなっています。サービスもグランクラスアテンダントが接客を担当し、毛布、アイマスクなどアメニティグッズや雑誌、新聞が用意されているほか、新幹線沿線の食材を用いた軽食やソフトドリンク、アルコール類が無料で提供されます。軽食は洋軽食と和軽食があり、洋軽食は上下共通ですが、和軽食は行き先及び上下でそれぞれ異なっています。また、季節ごとにメニューが変更されています。グランクラスでは、アテンダントが乗車しない列車もあり、その場合は軽食など一部のサービスはありません。利用する際は時刻表をよく見てみましょう。

E6系

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平成25年に登場した新在直通運転用(ミニ新幹線)用の新幹線電車です。秋田新幹線「こまち」号用の車輛で、二代目になります。東北新幹線区間で320km/h運転を行うために、初代E3系とは大きくデザインが変わりました。JR東日本の新幹線高速化に向けて行われたE5系の開発と並行して設計されたものです。(写真右は先行試作車です。)
デザインは名車「フェラーリ」もデザインした事で知られる奥山清行が監修。車体上部を茜色、下部を飛雲ホワイトとし、境目や側面にアローシルバーの帯が配されています。
先頭部が長くなったため、編成は7両編成としています。また、車体が長くなったため在来線区間の地上設備の改良が行われました。
性能面ではE5系(H5系)とほぼ同じとなっており、空気ばねを用いた車体傾斜システムや電気式のローラネジ式アクチュエータを使用し、電気指令によりローラねじを駆動させ、左右の振動に対して反力を与える電気式フルアクティブサスペンションも装備されています。万が一故障に備えて減衰力切替式セミアクティブサスペンションも装備しています。

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余談ですが、在来線と並行する奥羽本線大曲~秋田駅間では、普通列車に乗っていると後方より新幹線が追いかけてくる事があり、ちょっと変わった風景を楽しむ事が出来ます。

E7系・W7系

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JR東日本、JR西日本が所有する新幹線電車で、北陸新幹線用の新幹線です。E7系はJR東日本、W7系はJR西日本の所有となっています。共同開発によるもので、ほぼ同じ設計となっており、外観や車内もほぼ同じです。
基本的な仕様はJR東日本E5系やE6系に準じていますが、運転最高速度はE2系と同じ260km/h、10M2Tの12両編成です。車内は普通席、グリーン席、グランクラスがあります。首都圏と北陸沿線を結び、日本の伝統文化と未来をつなぐという意味から「和の未来」をデザインコンセプトとしています。
E5系などとは異なり、車体傾斜装置は装備しておらず、車体幅はわずかに大きくなりました。先頭部形状は高速走行するための造形、日本の伝統的な色使い、沿線の風景を融合させ、スピード感と精悍さを表現しており、環境性能を考えた空気力学的に最適な形状としたデザインとなっています。アイボリーホワイトをベースに上部を空色、帯色をカッパー(銅色)及び空色としています。
車内デザインは「大人の琴線に触れる「洗練さ」と心と体の「ゆとり・解放感」をトータルコンセプトとし、日本の伝統と最新技術の融合によって新たな価値を生むことで「洗練さ」を、和風の空間に集う事で得られる「ゆとり・解放感」を表現しています。

試験車輛

922形

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電気軌道総合試験車という事業用の新幹線車輛です。「ドクターイエロー」という愛称でも呼ばれています。3編成つくられており、最初の登場は昭和39年になります。新幹線の基礎をつくったモデル線で運用されていた1000形B編成を改造したもので、電気、信号・通信関係の試験車にしたものです。(軌道系の測定は出来ません。)T1編成とも呼ばれ、4両編成で0番代となっていました。
T1編成は運転最高速度が200km/hと遅く、運用面での不都合がありました。そこで、問題点を解決すべく昭和49年に10番代(T2編成)が1編成製作されました。軌道検測車も組み込まれた7両編成で活躍を始めました。
1号車:通信、信号、電気測定車+2号車:データ処理車+3号車:電源車(観測ドーム付)+4号車:倉庫、休憩室+5号車:軌道検測車+6号車:救援車(観測ドーム付)+7号車:架線摩耗測定車という構成です。
車両の検査を受ける際には、別の軌道検測車を用いていましたが、最高速度が低く、運用上の問題が発生したため、昭和54年にT3編成(写真)がつくられました。製造した時期が0系1000番代と同じであったため、側面の窓が小窓になりました。基本的にはT2編成と近い構成ですが、内容が異なっています。1号車:通信、信号、電気測定車+2号車:データ処理、架線摩耗測定車+3号車:電源車(観測ドーム付)+4号車:倉庫+5号車:軌道検測車+6号車:救援車(観測ドーム付)+7号車:休憩室となっています。架線摩耗測定はレーザー光線を用いたものに変更されています。平成17年に廃車となり、そのうちの1両(922-26)がリニア・鉄道館で展示されています。

961形

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国鉄が昭和48年に製作した6両編成の試作新幹線電車です。この車輛は全国に新幹線を展開するために必要な試験結果を得るために製作されたものです。
6両編成で全電動車方式となっているほか、交流50/60Hz両方に対応。車体はアルミ合金製ボディマウント構造を採用。客室窓は新幹線車輛では初めて小窓としています。運転台には車上ミニコンピューターシステム(通称ATOMIC)を搭載し、キャラクタディスプレイ(CRT(ブラウン管)方式、文字情報装置)でリアルタイムに情報が表示されます。ATOMICとは自動列車運転装置(ATO)とほぼ同じもので、指定した速度での定速走行や自動停車が出来ましたが、この段階では採用には至りませんでした。後の車輛モニタ装置の基礎となっています。この他に、二層建て列車を考えて、先頭車のスカート上部に連結器を常備していました。このため、丸いカバーの中は空っぽ。蛍光灯を用いて、内部から光るようにする「光前頭」になっています。
6両編成のうち、1・2・6号車は通常の車輛です。3号車は当時の新幹線では初めての食堂車(営業車では36形式が最初です。)で、食堂利用客と通過客の分離をするために側廊下構造となっていました。4号車は長距離列車向けに寝台車としたもので、普通寝台のほか、特別寝台3室、特別個室1室が配置されました。5号車は内装が無く、両側面に大きな開口部を設け、車輛の剛性と乗心地の関係を調査する目的の車輛です。このため意図的に剛性を低下させ、様々な補強材を入れて耐久試験を行いました。
完成後、山陽新幹線で試験を行いましたが、労使問題などの理由により当初予定していた内容の試験を十分に行えませんでした。昭和54年に小山試験線(東北新幹線小山駅付近)に移動し、試験を行いました。この時、当時の電車では世界最高記録となる319km/hを記録しました。平成2年に廃車となっています。

955形(300X)

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この新幹線電車はJR東海が製作した高速試験用新幹線電車です。300系に続く次世代新幹線の技術を実験するために平成7年に製作しました。民営化後間もない平成4年に270km/h運転を始めた300系が登場しました。この300系は国鉄時代から行われてきたボルスタレス台車やVVVFインバータ制御装置の開発に遡ります。このように新しい車輛の開発には長い時間が必要です。300系試作車が完成した平成2年に、より良い鉄道サービスを提供するには、いとまの無い技術開発が必要という考えから本形式の開発が行われました。
車体はアルミニウム合金製のボディマウント構造ですが、次世代車輛の製造時のデータを集めるため、車輛ごとに製造方法が異なっています。先頭車はラウンドウェッジ型(写真)、カスプ型が採用されています。鉄道総合技術研究所(鉄道総研)の開発した車体傾斜装置なども組み込まれました。この他、騒音対策のためパンタグラフカバーなども比較試験が行われました。
平成8年に東海道新幹線米原~京都間で日本国内最高記録となる443km/hを記録しました。その後700系やN700系の開発にも携わり、平成14年に廃車となりました。

E954形・E955形

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この2形式はJR東日本で製作した高速試験用新幹線電車です。E954形(写真)は平成17年、E955形は平成18年に登場しました。それぞれに愛称が付けられており、E954形は「FASTECH(ファステック) 360 S」、E955形は「FASTECH 360 Z」と命名されています。このFASTECHとは、最高速度360km/hで営業運転を行うためのデーター収集を目的としたもので、FAST(ファースト:速い)とTECHnology(テクノロジィ:技術)を組み合わせた造語です。
東北新幹線新青森駅延伸開業にあたり、航空機に対する競争力を高めるためが目的で、平成15年にE2系を用いて360km/hを達成しました。この実用化に向けて、この2形式が製作されました。E954形は新幹線用、E955形は新在直通運転用となっています。2編成あり、先頭車が4両ある事を活かして、先頭車は形状や長さのの差による騒音の影響などを各編成に別々の目的を与える事で、技術開発を効率よくしているのが特徴の一つにあります。この他に、新しいものでは新幹線車輛では初めての空気抵抗増加装置(空力ブレーキ)を搭載している事です。車体に丸みのある扇状の板を側面上部に収納させ、非常ブレーキを扱った際に飛び出てくるというもの。その形状から「ネコミミ」と言われ、海外メディアも報じたそうです。
様々な試験を行い、多くの貴重なデータを残しました。この結果は後に登場したE5系やH6系に反映されました。平成21年に廃車となっています。

超電導リニア

皆さんは「超電導リニア」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは鉄道総合技術研究所とJR東海で共同開発が進められている磁気浮上式リニアモーターカーです。平たく言うと、磁石で車体を浮かせて前後に進もう。というものです。
現在、鉄道の多くは軌道接地走行というもので、速く走るには500km/h程度が限界。と言われています。それ以上の走行をするために磁石の力を使おう。というものです。
どうやって浮くの?
磁石にはN極とS極があり、同じ極同士では反発しますよね。これを利用すれば浮くことが出来ます。そして、その反発している極のそばに反対の極を近づけると引き寄せられます。実際には様々な技術が使われています。例えば、車内に用いる電力ですが、ワイヤレス電力伝送によって誘導集電を行っています。このワイヤレス電力伝送とは、非接触電力伝送とも言い、コンセントやコネクタなどを介さずに電力を伝送するもので、身近なものではコードレスフォン、電気シェーバー、携帯電話などに見られます。まあ、摩訶不思議な技術がたくさん使われています。
この超電導リニアの開発は古くからおこなわれており、一部の車輛を見てみましょう。
LSM200形
鉄道技術研究所(現在の鉄道総合技術研究所)で約220mの実験線を敷設して、昭和47年に初となる超電導電磁石による浮上走行を行った記念すべき試験車輛である。車輛となっていますが、実物は箱型の実験機材のようなスタイルでした。LSMとはLinear Synchronous Moter、リニア同期電動機の略で、200は実験線の長さから命名されました。
ML100形(写真はTuboフォトオフィス様撮影)

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磁気浮上、シュー案内、リニア誘導モーター駆動の4人乗りの車輛。MLとは、磁気浮上を意味するMagnetic Leviationの頭文字。100は鉄道100周年に由来。昭和47年に鉄道技術研究所に設置された480mの実験線で展示され、60km/hでの有人浮上走行に成功しました。
ML500形(写真はTuboフォトオフィス様撮影)

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この形式は宮崎県につくられた宮崎実験線で試用された車輛です。宮崎実験線は日豊本線沿いにつくられた総距離7.0kmの実験線です。昭和52年に1両製作された無人実験車両です。逆T字形のガイドウェイに跨るように載っています。形式の500という数字は500km/hという意味です。昭和54年に当時の世界最高速度517km/hという記録を出しました。この記録は山梨実験線で実験が始められた平成9年まで破られませんでした。
MLX01形(写真右はTuboフォトオフィス様撮影)

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平成8年からは山梨県の実験線が舞台となります。この実験線用につくられた形式です。形式のXはExperiment:実験という意味です。大量輸送に向けた実験を行うため、本格的な客室が作られているのが特徴です。先頭形状は空気抵抗を調べるためにダブルカスプ型(写真左)とエアロウェッジ型(写真右)の2種類が用意され、平成14年には超ロングノーズ型と言う車輛も登場しています。特徴の一つに連接台車が採用されています。これは、超電導コイルの影響を低減させるためです。
これら試験車輛の出した結果を基に、平成22年には営業用車輛となるL0系が登場。平成27年に603km/hの鉄道世界最高速度の記録を達成しました。

リニア新幹線は着実に実現を目指しています。2025年(平成37年)に中央リニア新幹線が首都圏と中京圏を開業する予定となっています。