昭和32年に登場した通勤形電車です。登場時はモハ90形式としていましたが、昭和34年の称号改正に伴い101系と改称されました。
戦後の混乱もやや落ち着きを見せ始めた昭和28年以降、大手私鉄では旧来の吊り掛け駆動方式からカルダン駆動方式を採用した高性能電車を通勤形電車として登場させて、輸送力の改善に大きな成果を上げていました。一方、国鉄では無煙化計画(気動車の開発)や交流電気車の設計など並行しながら行っていたため、昭和30年代に入っても吊り掛け駆動方式のモハ72系が造られていました。
戦後になると人々は大都市圏に住むようになり、通勤輸送は一気に激増しました。このため、抜本的な改善が強く求められ、新性能通勤形電車の開発が始まりました。開発にあたり、従来車では無かった2両で1つとするユニット方式、国鉄では初めてとなる中空軸平行カルダン駆動方式の採用、軽量で小型の高出力主電動機など近代的な新しい技術が盛り込まれました。国鉄ではこの新しい技術を採用した電車を「新性能電車」と呼び、従来車と一線を画す分類としています。
101系の車体は旧性能電車であるモハ72系通勤形電車(昭和31年に試作された車輛)の基本構造を継承しました。全金属製セミ・モノコック構造、前面非貫通型の切妻形とシンプルなデザインとしています。乗降扉はモハ72系では940mm片開きドアでしたが、1300mmの両開きドアとなり、開閉速度、乗降能力が向上しました。車体色は従来は暗いぶどう色2号(茶色)でしたが、路線ごとに異なる明るい1色とされ、101系の最初の投入線区である中央快速線ではオレンジバーミリオンが採用されました。その後、山手線にはカナリアイエロー、京浜東北線にはスカイブルー、関西本線には黄緑色(ウグイス色)が採用され、通勤線区に鮮やかな彩りを添える事になります。 車内設備はオールロングシートでシンプルですが、居住性向上を目的に初めて扇風機が常設されています。
試作車は混雑の激しい中央快速線に投入され、「ヒョウのようなダッシュ、カモシカのような軽やかさ」を謳い文句に登場しましたが、全電動車の10両編成は電力設備が整っていなかったため様々な問題が発生し、全電動車編成は諦め、MT比を1:1とした6M4T編成に変更されました。
101系は本来の性能を満足に発揮する事は出来ませんでしたが、旧性能電車の活躍していた大阪環状線、山手線へと投入されていきました。平成15年に南武線南武支線で活躍していた車輛が廃車され、系列消滅となっています。
一部の車輛は秩父鉄道に転属し活躍をしました。