諸元
全 長  20000mm
全 幅  2832mm
全 高  3935mm
主電動機 MT55形式(110kw)
制御方式 抵抗制御(直並列組み合せ制御、弱め界磁制御)、バーニア制御(地下鉄仕様車)
制動方式 SELD発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ
動力台車 DT33形式 不随台車 TR201形式

車内設備など
座 席 ロングシート(普通席)
乗降扉 片側4扉
トイレ あり(改造車)

 昭和32年、国鉄初の新性能電車であるモハ90形式(後の101系)。当時の最新技術がふんだんに盛り込まれ、今日の新性能電車の礎を作りました。当時、輸送力がひっ迫していた中央快速線の輸送力改善を果たすべく投入。高速域まで速やかに加速できるように全電動車編成としましたが、電力設備関係の大幅な改善が必要となり、不随車を組み込んで対応し目的が果たせず。また、混雑が見られ始めた山手線に投入すると、駅間が短いため高速域での性能が十分に出せない。といった諸々の問題が出て、101系のオーバースペックな性能は通勤形電車においては改善が必要となりました。
 101系のユニット方式やカルダン駆動方式など基本的なシステムや切妻形車体、両開きの乗降扉など構造を継承しつつ、通勤輸送に適した性能を有する経済性の高い車輛として昭和38年に登場したのが103系です。通勤線区の多くは駅間が短いため、加速性能よりも減速度を向上させたほか、編成構成を電動車と不随車の比率を1:1としたものとしています。

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外観、車内などは上の写真を見ると101系と見た限りほぼ似ていますが、主な違いとして前面運転台窓がやや細くなり、前面行先表示器が少し大きくなりました。また、連結器上部に外気導入口(後年、蓋がされたものや奇麗に埋められており、現存車では見ることが出来ない。)が追加されています。この他に機器類の集約化が図られました。
 昭和38年に試作車が山手線に登場し、多くの通勤線区に進出。それに伴い様々な仕様が誕生。昭和59年まで製造が行われ、3447両という国電最大派閥を形成しました。国鉄からJR各社へ多くが継承され、その後各社の用途などに合わせて派生番代なども生まれましたが、各社の設計した新型通勤形電車に置き換えられていきます。
 平成31年現在、JR西日本及び九州に63両が残存するのみとなっており、その雄姿も間もなく見納めになりそうです。

900番代・0番代(第1次量産車グループ)
 本系列の基本グループです。昭和38年から昭和59年までの長期にわたって製造されており、形態はバラエティーに富んでいます。当絵本では年代ごとに主だったものを紹介しましょう。
 まずは900番代・0番代。昭和38年に試作車として、クハ103+モハ102+モハ103+クハ103の4両編成2本が制作されました。翌、昭和39年に量産車が誕生しました。首都圏を中心に活躍の場が徐々に広がっていきます。

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クハ103ー901~(クハ103-901)

昭和38年に登場した試作車編成の制御車です。101系では電気配線の関係で、制御車は連結する方向で偶数向き、奇数向きとしていました。これ片渡り構造と言いますが、103系では両渡り構造としました。これにより連結する方向はどちらでも対応できるようになっています。運転台下部にジャンパ栓受けが設置され、奇数向きの場合はジャンパ栓があり、偶数向きの場合は受けだけとなっています。写真は受けのみなので、偶数向きとして使用しています。昭和42年に量産車化改造を受けています。羽村工場長様撮影。

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モハ103-901~(モハ103-901)

昭和38年に登場した試作車で、2両つくられました。本系列のパンタグラフ付き中間電動車で、走行に必要な機器であるパンタグラフの他、主制御器などを搭載しています。量産車が誕生し900番代に改番し、昭和42年に量産車化改造を受けています。

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クハ103-1~114(クハ103-20)

昭和39年に登場した量産車の制御車です。外観はほぼ101系に近いスタイルで、床下に蓄電池を搭載しています。量産車では奇数番号を奇数向き、偶数番号を偶数向きとして使われていました。

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モハ102-1~433(モハ102-46)

本系列の偶数向き中間電動車です。電動空気圧縮機、電動発電機と言った補助機器を搭載しています。後年、冷房化改造工事を受けた車輛では容量の大きい電動発電機に換装されていました。

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モハ103-1~278(モハ103-151)

本系列の奇数向き中間電動車です。パンタグラフ、主制御器など走行に必要な機器を搭載しています。101系では抵抗送風機に電動発電機を組み合わせたものを使用していましたが、本系列では機器集約から採用はしていません。この他、101系との違いとして、主電動機や電動発電機の冷却風取入れ口が側面に設置され、戸袋を風道としています。

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サハ103-1~225(サハ103ー164)

量産車の登場と同時に登場した形式。中間不随車として4両編成以上に1両又は2両組み込まれます。

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サハ103-1~(サハ103-186)

クモハ103+モハ102+サハ103+クハ103といった蓄電池を搭載したクハ103が1両のみの編成の場合、蓄電池の故障や停電時に蓄電池を使用してしまうと動かす事が出来なくなる不具合が起きてしまいます。そこで、サハ103に蓄電池を搭載した車輛もありました。写真は豊田電車区(現:豊田車両センター)に所属していた車輛です。

0番代(京浜東北線投入車グループ)
 京浜東北線に103系10両編成が投入される事が決まりました。この際、所属となる車両基地において検査をする際に分割を行う必要があるため、新しい形式であるクモハ103形式が登場しました。

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クモハ103-1~155(クモハ103-39)

昭和40年に登場した奇数向きのパンタグラフ付き制御電動車です。ユニットとなるモハ102形式は続番で製造されたため、以降製造されたモハ103形式とは大きく番号が異なり、ファンの頭を悩ませることになります。京浜東北線で活躍後は各地の小編成運転線区や分割・併合の多い線区に転属して活躍しました。

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クハ103-501~616(クハ103-502)

奇数向きのクモハ103形式に対をなすように、偶数向きとなった制御車のグループです。0番代と比べるとジャンパ栓納めが無いのが特徴です。

0番代(フラット対策車グループ)
 車輛の減速時、つまりブレーキをかけている時ですが、不随車は制輪子を車輪に押し当てて減速を行います。(電動車は電動機(モーター)を使い、ある程度速度が落ちると制輪子を用いて、車輪に押し当てて減速します。)
 この減速方法は雨天や降雪時になると制輪子が当たった際に車輪をロックし、滑り出す現象を起こします。皆さんが電車に乗っていて、ブレーキがかかった後に前後方向に動揺があった経験があるでしょうか?この現象を滑走(かっそう)と言い、長く続くと車輪や線路を傷つけてしまいます。車輪は削られ、その部分が平らになってしまいます。この傷をフラットと言い、タンタンタン…と大きな音を発生させ、乗心地が悪くなります。フラットが大きくなると脱線事故の原因ともなります。このフラット対策のために、制輪子を用いた踏面式からディスクブレーキ式に変更したのが本グループで昭和42年に登場しました。以降、つくられた不随車は全てディスクブレーキ式となります。

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クハ103-116~177(クハ103-140)

0番代のクハ103形式にフラット対策を行ったグループです。台車は踏面式TR62形式からディスクブレーキ式となったTR212形式に変更されています。

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クハ103-616~638(クハ103-630)

500番代のフラット対策を行ったグループです。番号は番代区分はされず、続番となっています。

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サハ103-226~306(サハ103-279)

サハ103系のフラット対策を行ったグループです。写真はJR西日本の延命対策工事を施した車輛です。

0番代(冷房試作車)
 昭和40年代に入り、私鉄各社ではサービス向上を目的に冷房車の導入が進みました。一方、国鉄は冷房装置は特急形車輛の標準装備とする。と定めており、通勤形電車などには扇風機を使用し、暑ければ窓を開ける事で対応していました。
 昭和45年にサービス向上を図るため通勤形電車にも採用する事が決まり、各種要素を盛り込んだ冷房装置を搭載した103系10両編成1本が登場しました。冷房装置は製作企業の集中式のものを搭載し、電源となる電動発電機をクハ103形式に搭載しました。車体は従来車と同じ大型白熱灯1灯、側面行先表示器もないものですが、客室窓は製作に手間のかかる固定窓から、外羽目式の取付けが容易なユニットサッシ窓が採用され、外観に僅かな変化が見られました。このユニットサッシ窓は以降の車輛に採用され、他の系列にも採用されました。
 冷房装置の試験結果から冷房装置の標準装備化が決まり、以降の103系は冷房装置付きとなります。

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クハ103-178・179(クハ103-178)

冷房試作車としてつくられた制御車です。登場時は5両分を給電する容量の大きい電動発電機が搭載され、外観の特徴ともなっていました。客室窓にユニットサッシ窓が採用されており、在来車とは少し外観に変化が出ました。後に量産車化改造が行わて、電動発電機は撤去されています。

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モハ102-434~436(モハ102-436)

冷房試作車としてつくられた中間電動車のグループです。登場時は冷房装置はあるものの、床下は在来車と同じでした。量産車化改造時に冷房装置の電源も賄える容量の大きい電動発電機に換装されています。

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モハ103-279~281(モハ103-281)

冷房試作車としてつくられたパンタグラフ付き中間電動車のグループです。冷房量産車と外観がそっくりでしたが、抵抗器の排熱を行う送風機(ブロアモーター)に時素がないため、停止しない特徴があり、特徴ともなっていました。

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サハ103-306・307(サハ103-307)

冷房試作車としてつくられた中間不随車です。写真の307番が最後まで活躍した車輛で、廃車されており本グループは消滅しました。

0番代(第2次量産車グループ)
関西地区の国電を新性能電車に置き換えられる事となり、昭和47年に登場したグループです。冷房試作車を除いた在来車と同じ非冷房車でしたが、冷房試作車で採用されたユニットサッシ窓としたほか、前部標識灯(前照灯)が白熱灯からシールドビームに変更され、灯具の形状が変更され、外観の様子に変化が出ています。

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クハ103-180~212(クハ103-191)

関西地区向けに登場したグループです。101系に似たデザインからマイナーチェンジされ、都会的なデザインとなっています。現存車は全て冷房化改造工事を受けています。

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モハ102-437~486(モハ102-468)

ユニットサッシ窓が真新しい所ですが、非冷房で登場したグループです。現存車は冷房化改造工事を受けています。

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モハ103-282~330(モハ103-329)

ユニットサッシ窓、非冷房車で登場したグループです。写真はJR東日本が所有していた車輛で、AU712形式冷房装置を搭載したミスマッチな組み合わせが特徴の1両です。

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サハ103-308~323(サハ103-321)

本グループの中間不随車です。現存車は冷房化、延命工事を受けており、原形を保っている車輛はありません。

0番代(第2次量産車冷房搭載グループ)
 冷房試作車の良好な結果を受け、昭和48年に登場したグループです。丸いグローブ型ベンチレーターが並ぶ外観から大きく変化し、中央にAU75型冷房装置が搭載され一変しています。車体は前年に関西地区に登場したグループと同じですが、冷房装置の他に側面に行先表示器が装備され、サービス向上が図られています。
 最初に中央快速線の「特別快速」専用の運用を行い、山手線での活躍を経て、関西地区に転属して活躍をしています。

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クハ103-213~268(クハ103-229)

本系列初の冷房装置搭載の制御車です。冷房装置、行先表示器の制御盤が新設され、この制御盤は運転台背面中央に設置されており、客室との仕切り窓が3枚から2枚に変更されています。

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モハ102-487~528(モハ102-527)

冷房量産車として登場したグループです。冷房装置の電源を担うため、160kvAの容量を持つ電動発電機が搭載されています。

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モハ103-331~372(モハ103-371)

冷房装置、行先表示器の装備により近代的なスタイルとなったグループです。ブロアモーターも時素があり、停車して一定時間経過すると停止するようになりました。

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サハ103-324~503(サハ103-361)

新製製造数を抑えるため、本グループ以降は他系列からの編入改造車で賄う事になり、このグループをもって当形式の製造が終了しました。

0番代(京浜東北線非冷房車編成対応グループ)
 冷房車が登場し、103系も新しい時代を迎え、活躍線区も増えていきました。初期に103系を投入していた路線である京浜東北線では、列車増発に伴い編成が増強されることに。その増強される編成が非冷房車であったため、非冷房車で登場する事になった103系の中でも異色のグループです。

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モハ102-529~538(モハ102-538)

ユニットサッシ窓、行先表示器装備ながら非冷房車というアンバランスなスタイルで登場したグループです。写真は209系に採用されている冷房装置に似た冷房装置を搭載した車輛です。

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モハ103-373~382(モハ103-382)

こちらも新製当初は非冷房車として登場したグループです。

0番代(第3次量産車(ATC車)グループ)
 首都圏における通勤・通学輸送は経済の発展に伴い、日増しに激しさを増していました。保安装置にATS(自動列車停止装置)を駆使し、列車本数増発、線路の改良などで対応していました。しかし、輸送力は限界に達しつつあり、これを打破するためにより保安度の高い、東海道新幹線で採用されたATC(自動列車制御装置)の導入を行う事になり、103系のみで運行されている山手線、京浜東北線が選ばれ、ATC装置を搭載した103系がつくられる事になり、昭和49年に登場しました。
 制御車のクハ103形式は2度目のマイナーチェンジとなりますが、そのスタイルは大きく変わり、当初は105系という別系列にする予定でした。しかし、当時の国鉄の諸事情により103系としてつくられています。

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クハ103-269~499・701~796・798・809・816(クハ103ー412)

ATC装置を搭載した(当初は準備工事)制御車で、在来車とは大きく外観が異なります。山手線、京浜東北線に在籍する大量の103系を置き換えるため、製造数が多い。飛び番になっている理由は、偶数向き制御車である500番代があるためです。

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クハ103-269~499・701~796・798・809・816(クハ103-774)

製造年数が長期にわたっているため、同一のグループでも雨樋や屋根材(塗屋根や抑え屋根)などの違いを見ることが出来ます。

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モハ102-539~899・2001~2043(モハ102-782)

このグループ向けに制作されたもので、900番代は試作車、1000番代は地下鉄仕様車であるため2000番に番号が飛んでいます。

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モハ103-383~787(モハ103-663)

このグループでモハ103形式は続番のみとなります。これはクモハ103形式があり、モハ102形式が155両多く製造されたためです。

0番代(第3次量産車(非ATC車)グループ)
 ATSを採用している線区向けに昭和54年に登場したグループです。運転台後方にあったATC機器室は客室となっています。これにより仕切り窓が復活しています。制御車のみ制作され、このグループをもってクハ103形式の製造は終了しています。

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クハ103-797・799~808・810~815・817~844・846・850(クハ103-802)

ATS線区向けに製造されたクハ103形式の最終増備車です。ATC車と比べると運転台後方の戸袋窓が復活しているのが外観の違いとなります。写真はJR西日本所属車で、排障器が装備されています。更新工事により、戸袋窓が埋められている車輛も多数あります。

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クハ103-818・819(クハ103-818)

昭和58年に山手線、赤羽線の列車増発に伴い、非ATC車であるこの2両がATC車に改造されました。改造に伴う番代新設などは行われていません。使用終了後、非ATC車に戻される事無く活躍をしました。

0番代(第3次量産車(最終増備車)グループ)
 103系が脈々と製造が続けられる中、昭和54年に次世代通勤形電車201系が登場し、同年に登場した非ATC車が最終増備車と思われていました。実際にその翌年、翌々年と増備もありません。昭和58年に山手線、赤羽線列車増発に伴い、103系のユニットが新製され登場し、ファンを驚かせました。塗り屋根、黒色のHゴムを採用するなどスタイリッシュなグループとなっています。このグループをもって、103系の新製車は全て終了しました。

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モハ102-2044~2050(モハ102-2048)

モハ102形式の最終増備車です。

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モハ103-787~793(モハ103-791)

モハ103形式の最終増備車です。

0番代(改造車)
 0番代を種車として、使用線区の実情に合わせた改造車も数多く登場しました。

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クハ103-2551~(クハ103-2551)

関西本線の列車増発に伴い不足する先頭車を用意するため、国鉄時代に101系に簡易な改造を施し、編入した2000番代(クハ100形式改造)、2050番代(クハ101形式改造)が誕生しました。JR西日本発足後も続けられ、本番代はモハ103形式を先頭車化したものです。モハ102形式を先頭車化改造した車輛もあり、2500番代としていました。

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サハ103-751~(サハ103-760)

台所事情の苦しい中、103系の新製両数を抑えるため、中間不随車のサハ103形式は101系中間不随車で賄われる事になりました。これは簡易な改造で済む事から生まれたものです。750番代はサハ101形式を種車としており、サハ100形式も種車として700番代とする計画がありました。
751~767番は非冷房のサハ101形式を種車としており、改造時に冷房化改造及び行先表示器の設置が行われています。

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サハ103-751~(サハ103-770)

サハ103-768~770は101系時代に冷房化改造を受けていた車輛が種車となっており、行先表示器は未設置となっています。

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サハ103-801・804・806(サハ103-804)

超多段バーニア制御方式試作車として910番代が製作されました。試験終了後、他線区への転用が行われますが、この試作ユニットは在来車との混結が出来ないため、モハ102形式は別ユニットのモハ103形式とユニットを組む事になりました。この3両はモハ102形式910番代(912番)と別ユニットで余剰となったモハ102形式を種車としたものです。電装解除が主な工事となっており、後に冷房化改造を受けています。

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サハ103-802・803・805(サハ103-802)

この3両はモハ103形式910番を不随車化改造したものです。電装解除が主で、パンタグラフ部分はランボードが残り、ベンチレーターが少し離れた位置に設置され、外観の特徴となっていました。

910番代(超多段制御試験車)
 抵抗制御方式を採用している電車の仕組みは電動機(モーター)に加える電流値を抵抗器の組み合わせで回転数を制御します。電車が動き出す時が最も大きな力を必要とし、徐々に小さな力で動くようになります。減速時は逆で、高速域では大きい力を必要とし、徐々に弱めていきます。抵抗器の組合せでは、この力の変化がある際に衝動が発生するほか、降雨や降雪時には空転や滑走という現象が起こり、乗心地が悪くなるなどの問題が起きてしまいます。
 空転や滑走、動揺を抑える方法として、抵抗器を増やす。つまり、抵抗器の組合せる回路を増やす方法があります。しかし、床下スペースが限られる鉄道車輛では得策ではありません。そこで、「低効率を変更する」という方法を用います。簡単に言えば、抵抗できる組合せを多くする。というもので、重い貨物や荷物を牽引する機関車ではバーニア制御と言われ、実用化されていました。
 これを電車でも試みてみよう、という事で超多段制御器を搭載した910番代が昭和42年に登場しました。試験の結果、高価でメンテナンスに手間がかかる事から地下鉄仕様車の1000番代、1200番代に採用されるに留まりました。

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モハ102-911~913(モハ102-911)

モハ103-911~913とユニットを組むために登場しました。転属する際、911番、913番は他のモハ103形式と組合せされ、そこでねん出されたモハ102形式0番代と912番は電装解除され、サハ103形式800番代になりました。

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モハ103-911~913(モハ103-911)

CS30形超多段バーニア制御器を搭載した試験車。特殊な車輛であり、他の103系との混結が出来ないため、3両とも中間不随車化され、サハ103形式800番代になりました。

1000番代(地下鉄仕様車)
 常磐線複々線電化完成に合わせて昭和45年に登場したグループで、常磐線と帝都高速度交通営団(通称営団、現東京メトロ)千代田線と相互乗入れを行いました。103系を地下鉄適合車とするため、A-A基準(車輛の不燃化、難燃化対策の基準。現在は廃止)を満たす仕様となっており、座席や貫通幌の難燃化や制御車前面には非常用貫通扉が設置されました。保安装置は地下鉄線内用のATC4形(地上信号式)を搭載しています。編成は地下鉄線内の勾配区間に対応するため、8M2Tの強力な組成となっています。車体色は灰色9号をベースに青緑1号の帯を巻いたものとなっています。
 長らく活躍しましたが、非冷房、抵抗器の排熱、トンネル区間内の騒音など利用者には評判が悪く、昭和61年に常磐快速線に転用されています。また、多くの車輛が105系の種車となっています。

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クハ103-1001~(クハ103-1013)

1000番代の制御車です。A-A基準に適合した設計で、前面貫通扉が設置されるなど独特のスタイルとなっています。

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モハ102-1001~(モハ102-1002)

新製時は非冷房でしたが、冷房化改造を受けており、合わせて容量の大きい電動発電機に換装されています。

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モハ103-1001~(モハ103-1008)

910番代で採用された超多段バーニア制御器の量産化したCS40形制御器を搭載しています。トンネル内での騒音低減を目的に自然通風式が採用され、床下には抵抗器がずらりと並んでおり、外観の特徴となっています。

1200番代(地下鉄仕様車)
 1000番代と同じ昭和45年に登場したグループで、営団地下鉄東西線との相互乗入れ用としてつくられました。東西線には301系が登場していましたが、高価な車輛であったため、増備に103系が選ばれました。
 性能や構造は1000番代と同じですが、保安装置や編成が異なります。塗装色は灰色8号をベースに黄色5号の帯を巻いています。(205系投入後は帯色を青22号に変更)

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クモハ102-1201~(クモハ102-1203)

301系と編成を合わせるために用意された偶数向き制御電動車です。103系では初めて偶数向き制御電動車として登場しました。1202番以降はユニットサッシ窓となっています。

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クハ103-1201~(クハ103-1203)

1200番代の制御車で、1000番代とよく似ています。保安装置が異なるため、1000番代では運転台後方が機器室であったのに対し、本グループは無いため客室で、戸袋窓があります。1202番以降はユニットサッシ窓となっています。

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モハ102-1201~(モハ102-1206)

1200番代の中間電動車です。モハ102-1001~と同じ構造となっていますが、1203番以降はユニットサッシ窓となっています。冷房化改造を受けた際に電動発電機を換装している車輛もあります。

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モハ103-1201~(モハ103-1209)

1200番代のパンタグラフ付き中間電動車で、モハ103-1001~と同じ構造となっています。1204番以降はユニットサッシ窓となっています。

1500番代(地下鉄仕様車)
 昭和58年に筑肥線電化開業が行われ、同時に福岡市営地下鉄との相互乗入れを実施する事になりました。九州地区の国鉄路線では初めてとなる直流電化開業となります。新製車輛を投入するにあたり、当時の最新鋭であった201系と同じ、チョッパ制御方式、回生ブレーキを使用した省エネ電車が考えられましたが、列車密度の関係から効果が期待できないため、103系を投入する事になり本番代が登場しました。
 在来の地下鉄仕様車とは異なり、基本構造は103系としつつ、車体構造を201系に準じた設計としているのが特徴で、前面は105系に似た顔つきとなっています。

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クハ103-1501~(クハ103-1515)

本番代の制御車です。車内は201系に準じたもので、暖色系の袖仕切りのあるモケット、平天井でラインフロー式の冷風吹出し口となっています。また、扇風機と戸袋窓が廃止されています。スカートやトイレの設置は後年に行われたものです。

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クモハ102-1501~(クモハ102-1515)

閑散区間となる筑前前原駅以西の運用を適正化する目的で、6両編成の半分となる3両編成で運行をするために、モハ102-1501~に運転台を取付け、先頭車化改造したグループです。分割・併合を自動化するため電気連結器が装備されています。なお、3両編成で地下鉄線内には乗入れをしないため、ATC保安装置は装備していません。

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クモハ103-1501~(クモハ103-1516)

クモハ102-1501~と同じく、モハ103-1501~を先頭車化改造したグループです。クモハ102-1501~と同じく、種車の番号をそのまま引き継いでいます。

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モハ102-1501~(モハ102-1516)

本番代の偶数向き中間電動車です。電動発電機は急行形電車の廃車発生品を手を加えた上で、再利用しています。

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モハ103-1501~(モハ103-1515)

本番代のパンタグラフ付き中間電動車です。他の1000番代車と同じく自然通風式を採用しているため、抵抗器がずらりと並んでいるのが特徴です。

3000番代
 昭和60年、赤羽駅から大宮駅まで路線が延伸され、赤羽線は埼京線という名称になりました。この埼京線と同時に大宮駅と高麗川駅を結ぶ川越線が電化開業しました。この川越線川越~高麗川駅間については旅客需要から3両編成程度で賄え、投資効果を考えると新製車輛は当時の台所事情もあり難しい。
 103系を投入したい所でしたが、当時は余剰車もありませんでした。その頃、仙石線で役目を終えたモハ72系970番代という103系に瓜二つな電車が廃車を待っていました。この車輛は旧型国電主力の仙石線のイメージアップを図るため、103系ATC車に準じた新製車体と台枠以下をモハ72系の部品を組合わせたもので、昭和49年に登場しました。編成はクハ79形式600番代+モハ72形式970番代×2+クハ79形式600番代の4両編成で、5編成登場しました。
 車体の経年が浅く、必要な編成数を確保できる事から、旧性能電車の新性能電車化という前代未聞の改造が行われ、この3000番代が登場しました。改造は台車、主電動機など電装品を中心に103系(一部、101系)のものに交換する事が主で、一部にはモハ72系時代のものが流用されていました。
 

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クモハ102-3001~(クモハ102-3001)

クハ79形式600番代を制御電動車化改造したものです。台車はDT33形式、主電動機はMT55形式に交換するなど103系の仕様に改造しましたが、電動発電機はモハ72形式970番代に装備していたものを流用しています。他の103系には見られない、独特な床下機器配置で、模型化の難易度は高い。

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クハ103-3001~(クハ103-3002)

クハ79形式600番代を改造したもので、ほぼ種車時代と外観は変わっていません。台車は101系の廃車発生品であるDT21T形式を履いています。

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モハ103-3001~(モハ103-3003)

モハ72形式970番代を種車として改造したもの。床下機器、パンタグラフを103系と同じ部品に交換しています。3000番代ではパンタグラフの位置がクモハ寄りではなく、クハ寄りとなっています。

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モハ103-3001~(モハ103-3004)

5両改造されたうち、この3004番のみ種車時代の姿を色濃く残していました。側面にある冷却風取入れ口で、雪切室の名残です。模型化する時のチェックポイントになりますね。

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サハ103-3001~(サハ103-3002)

川越線の改造する編成が3両であったため、モハ72形式970番代が5両余りました。廃車されるかと思われていましたが、同じ頃、青梅線及び五日市線の輸送力増強が図られる事になり、必要となる車輛の一つとして、余剰となったモハ72形式970番代を種車に改造しました。屋根上にはパンタグラフ台が残されているのが特徴です。平成8年に八高線電化開業により、川越線で活躍していた仲間に合流し、4両編成で活躍しました。

JR東日本の103系
 国鉄より大量に継承した103系。JR東日本へ移行し、新しい時代になっても103系は様々なバリエーションが誕生しています。ここでは、JR東日本に所属していた103系の新しい番代などを紹介しましょう。

3500番代
 東京都では最後の非電化区間を持つ八高線。平成8年に八王子~高麗川駅間が電化開業しました。電化に合わせて、川越線との相互乗入れが実施される事になりました。(非電化時代には東飯能駅まで乗入れていた事があります。)車輛は川越線で活躍していた103系3000番代に209系3000番代4両編成4本と103系0番代4両編成1本が加わりました。
 この0番代編成は改造されていないため、半自動機能がありません。このため長時間停車のあるこの路線ではサービス低下となる事から、半自動機能を装備した本番代が登場しました。

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クハ103-3501・3502(クハ103-3502)

クハ103形式0番代を改造したもので、3501番は725番、3502番は738番から改造されました。改造は半自動機能の追加が主で、戸閉回路、車掌ドアスイッチの変更、乗降扉に押しボタンの設置が行われています。また、保安ブレーキとして直通予備ブレーキが装備されました。

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モハ102-3501(モハ102-3501)

モハ102形式0番代(2047番)を改造したもので、半自動機能追加に伴う改造を施しました。乗降扉付近に押しボタンが設置され、外観に僅かな変化が出ています。

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モハ103-3501(モハ103-3501)

モハ103形式0番代(790番)を改造したもので、改造内容はモハ102-3501と同じです。

仙石線の103系
 活躍場所としては最北の地、宮城県にある仙石線で活躍する103系。昭和54年より、旧性能電車置換えを目的に投入されました。寒冷地での使用という事で、耐寒・耐雪装備が施されたほか、半自動機能の追加(ドアは手動扱い)も行われました。また、タブレット閉塞方式が用いられていたため、通過の際に運転台後方にある戸袋窓の破損が考えられたため、埋設工事も行われました。(タブレット閉塞方式終了後の転入車は未施工)

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平成元年に延命工事が始まりました。首都圏で見られる工事ではなく、独特なもので、主な改造内容は下記の通りです。
①列車番号表示器を列車種別(愛称)表示器に交換。
②運転台前面ガラスを3分割から2分割化。(ATC車は未施工)
③客室窓のユニットサッシ窓に変更。(下段固定、上段下降式)
④車内のアコモ改良。
⑤車体塗装色の変更。
⑥扇風機、ベンチレーターの撤去(平成12年より。)

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写真左が延命工事で行われた塗装色です。国鉄試験色のようなデザインが特徴です。平成10年に再度、写真右のように塗装デザインが変更されています。白色をベースにコバルトブルーを配し、ロゴマークが付きました。
仙石線の103系は平成16年まで運行が行われ、後任の205系3100番代に譲る事になりました。
引退してしまった103系ですが、平成18年以降に多賀城駅付近の立体交差化工事が行われる際に車輛が不足する事が考えられるため、廃車待ちのRT235編成が復活する事になりました。この編成は従来車にない特徴がありました。

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クハ103-235(クハ103-235)

復活にあたり、トイレ及び車椅子スペースが設けられました。JR東日本所属車の103系では唯一の例でした。

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モハ103-343(モハ103-343)

ユニットサッシの枠が丸い加工とされているなど、独特のアコモ改良車ですが、復活後は台車が灰色になり、座席モケットは205系と同じものに変更(他車も同じ。)されています。パンタグラフは霜取り用パンタグラフもシングルアーム式になりました。このシングルアーム搭載は103系では初めてで、唯一の例となっています。

冷房化改造・踏切事故対策

冷房化改造

 国鉄より103系をはじめ、113系、115系など多くの電車を引き継いだJR東日本。これら車輛の多くに非冷房車がありました。国鉄時代よりサービス向上を図る目的で冷房化改造工事が実施されてきましたが、非冷房車の補助電源装置である電動発電機の容量は10kvAや20kvAと容量が小さく、冷房装置を動かすため160kvA以上の大容量の電動発電機に交換する必要があります。また、集中式の大型冷房装置を屋根に載せるため、屋根の補強など工事が必要でした。
 そこでJR東日本では、大規模な工事を必要とせず、短期間で冷房化改造工事を行えるようにAU712型冷房装置を開発。冷房電源を直流1500Vからインバーター装置を介して得る方法としました。(大容量の電動発電機を搭載又は他車が搭載している場合はインバーター装置は不要。)
 この冷房装置は容量が小さく、車輛自体も老朽化が進んでいたため、現在ではほとんど見る機会が無くなっています。

踏切事故対策

平成4年、成田線久住~滑河駅間の踏切にて、遮断機が下りていた踏切にダンプカーが進入し、その側面に普通列車(113系)が衝突。列車は前面が大きく潰れ、運転士が死亡、多数の乗客が負傷するという痛ましい事故が起きました。被災した113系の運転台は踏切事故対策が行われておらず、同種の113系をはじめ、115系、103系などに運転台廻りを強化する踏切事故対策が行われました。また、この事故以降に登場する車輛には踏切事故対策が盛り込まれ、サバイバルゾーンとクラッシュブルゾーンの設置、乗務員救出を容易にする構造とするなど対策が盛り込まれました。

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冷房化改造工事の例その1(サハ103-3005)

車輛に備わる電動発電機が低出力の編成では、各車輌にCS24インバーター装置(写真手前の小さなもの)がセットされています。このインバーター装置はパンタグラフ付きの車輛では重量バランスの関係でしょうか、内側にセットされています。ここに直流1500Vを引き込み、変圧の上AU712型冷房装置に給電します。初期の車輛で組成された編成に多く見られ、現在では見る事の出来ないスタイル。103系の他にも113系、115系などでも採用されていますので、そちらも見てみよう。

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冷房化改造工事の例その2(クハ103-635)

屋根上にAU712型冷房装置が2基のみの場合は、電動発電機の出力が高出力のものを搭載しています。このため、AU712型冷房装置とAU75型冷房装置が混在した編成もありました。

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踏切事故対策車の例(クモハ103-52)

103系では101系譲りの低運転台の車輛を対象に踏切事故対策として前面補強工事が行われました。写真の通り、運転台下部廻りに鉄板を貼り付けています。

ATS-P型保安装置搭載車
 JR東日本では昭和63年に発生した東中野駅列車衝突事故をきっかけにATS-P型保安装置の導入を各路線に広めていきました。この保安装置を搭載するにあたり、クモハ103形式では床下スペースがなく、車上にもスペースがありませんでした。このため、運行番号表示器を機器室として、運転台窓に運行番号を表示する方法を採用しました。改造を受けたクモハ103形式は幾つかの形態が生まれました。

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クモハ103-101

多く見られた一般的なスタイルです。列車番号表示器は奇麗に埋められています。ATS-P型には関係ありませんが、インバーター装置を搭載した改造車は数が少なく、早々に見る事がなくなりました。

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クモハ103-105

101番と同じ標準的なATS-P型搭載車ですが、原形ライト(LP402型)で残されていた例も少なく、多くの車輛はシールドビーム化改造を受けていました。

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クモハ103-142

一見すると標準的なATS-P型搭載車。シールドビーム化もされていますが、シールドビームをよく見ると…この車輛だけに見られた変形車です。

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クモハ103-139

この車輛も唯一の例で、簡単に改造する方法を試したのか、元に戻す予定があったためか、今となってはわかりません。

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クモハ103-123

常磐線のATS-P型搭載車は、列車番号表示器をLED化して対応。薄型になったのか、外観の変化は殆どありません。

自動分併装置(電気連結器)装備車
 分割・併合運用では係員が対応しますが、床下作業であり危険が伴うため安全性の改善が必要でした。また、ダイヤ上のネックでもあり、短時間で作業を求めるも、人の行う作業においては時間に限界があります。そこで、平成元年より、分割・併合運用の多い線区で活躍するクハ103形式の一部に自動分併装置が装備されました。
対象となったのは、青梅線・五日市線用103系(4両編成のみ)、京葉線、常磐線の3線区です。

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クハ103-344

青梅線・五日市線用の103系の例です。ATC車の4両編成に装備され、晩年は6両編成の制御車をATC車に統一の上、立川方の制御車に装備していました。

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クハ103-562

京葉線の103系の例です。基本編成は蘇我方、付属編成は東京方の制御車に装備されていました。写真は原形ライトを最後まで保持した562番です。

JR東海の103系
 昭和52年、中央西線で活躍するモハ72系やモハ80系といった旧性能電車を置き換えるため、京浜東北線保安装置更新により捻出された103系が投入されました。車体塗装色は青22号(スカイブルー)のままで、最長10両編成で活躍しました。JR東海へ移行後、同社のコーポレートカラーに変更され平成11年まで活躍しました。

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クハ103-73

転入にあたっては、乗務員室関係の軽微な改造が行われました。2人乗務用に対応するため、座席とワイパーの設置、増設。デフロスター(曇り止めの熱線)の設置。サボ(行先方向板)受けの設置(先頭車のみ)が行われています。

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クモハ103-8

JR東海発足後、リフレッシュ工事が行われました。車体塗装色はクリーム地に湘南色のような帯を巻いた塗装に変更。冷房化改造工事では、他社と同じく工期短縮、低コストで済むようにC-AU711A型冷房装置が開発され、1両に2基搭載しました。モハ102形式の電源装置はSIVに換装しています。車内は211系5000番代をベースにしたものとされ、客室窓は上段下降、下段固定のユニットサッシ窓、バケットシート化などが行われました。

JR西日本の103系
 JR東日本に次いで多くの103系を継承したJR西日本。各線区に応じた派生番代が多く誕生したほか、延命工事などでは独特のスタイルに変化した103系が多く見られました。様々な形態が多くあり、ファンを魅了した事は言うまでもありません。

3500番代
 平成10年に播但線姫路~寺前駅間が電化開業した際に登場したグループです。JR東日本にも同じ番代がありますが、形式が異なるため重複は避けられています。
 編成はクモハ102形式+クモハ103形式の2両編成で、クモハ102形式はモハ102形式の先頭車化改造、クモハ103形式はクモハ103形式2500番代を種車に改造しています。改造にあたっては、当時の標準となる207系通勤形電車に準じたアコモ改良、ワンマン運転に対応した機器の設置が行われました。後にトイレの追加設置工事も行われています。

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クモハ102-3501~(クモハ102-3506)

モハ102形式0番代を先頭車化改造したもので、電動空気圧縮機、電動発電機と言った補助機器の他に蓄電池を搭載しています。平成17年よりトイレが追加設置されており、その部分の窓は埋められています。

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クモハ103-3501~(クモハ103-3507)

クモハ103-2501~を改造したもので、一部の車輛には霜取り用パンタグラフが増設されています。改造に際しては、体質改善40N工事が並行して行われています。(クモハ102-3501~も同じ。)

3550番代
 平成17年に加古川線の全線電化開業が行われ、用意されたのが本グループです。播但線と同じワンマン運転対応の2両編成ですが、様々な変更点があり新しい番代区分となっています。種車はクモハ103形式のユニットを選定したかったのですが車齢が高い事、前面形状を変更する事から、体質改善40N工事を施したユニットが選ばれました。
 2両編成を2本組成した際に乗客が通行できるように前面に貫通扉を設置しました。このため105系に近いスタイルとなっています。車内は3500番代と同じく、大幅なリニューアルを行っています。

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クモハ102-3551~(クモハ102-3551)

モハ102形式0番代を先頭車化改造した形式です。同社所属の103系では初めて洋式トイレが設置されています。写真は電化開業記念のラッピング電車です。

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クモハ103-3551~(クモハ103-3555)

モハ103形式0番代を先頭車化改造したもので、前面は貫通扉が設置され、105系のような感じとなっています。一部の車輛には霜取り用パンタグラフが増設されています。

2500番代(5000番代)
 平成元年に片町線(学研都市線)が全線電化開業しました。この開業に合わせて松井山手駅が新設され、同駅より京橋駅方面は7両編成での運転となりました。しかし、松井山手駅より木津駅までは有効長が短いため、7両編成での運転は出来ませんでした。そこで、同駅で京橋駅寄りの4両を切り離し、3両編成のみを入線させる方法になりました。この分割編成は翌年に4両編成となっています。
 この分割・併合作業を容易にするために電気連結器を装備した5000番代が登場しました。その後、103系が置き換えられるなどの理由で電気連結器は外され、原番号に戻った車輛のほか、番代を2500番代に変更しました。

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クモハ103-5001(クモハ103-48(5001))

唯一、クモハ103形式を種車に電気連結器を装備しました。207系が投入され、関連した装備を解除して原番号に復帰して活躍しました。

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クモハ103-5002~(クモハ103-5012)

モハ103形式0番代を先頭車化改造したもので、電気連結器の装備解除後もわずかな期間5000番代のままでしたが、2500番代へと番代変更がされています。

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モハ102-5001~(モハ102-654(5008))

平成2年より編成変更が行われ、クモハ103形式5000番代の分割・併合相手としてモハ102形式0番代に電気連結器を装備したグループです。装備解除後は原番号に復帰しましたが、妻面に後部標識板掛けが残されていました。

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サハ102形式5000番代(サハ102-8(サハ102-5008))

クモハ103形式5000番代の分割・併合相手としてサハ103形式0番代を改造した形式です。電気連結器を装備する際、床下機器と干渉するため方向転換を行いました。これにより、機器が逆配置となり取り扱いなどが異なるため別形式となりました。編成変更により僅か1年ほどの活躍となり、装備解除後は0番代に変更して活躍しました。

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クモハ103-2501~(クモハ103-2503)

クモハ103-5002~の電気連結器装備解除後の番代です。多くの車輛が3500番代の種車となりました。

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クモハ103-2501~(クモハ103-2502)

2501番と2502番は種車となったモハ103形式が非冷房車であったため、冷房化改造が実施されWAU102型が搭載されていました。晩年は後部標識灯がLED化されるなど異彩を放つ1両でもありました。

阪和線羽衣支線
 阪和線鳳駅から東羽衣駅の支線用として、昭和62年よりクモニ143形式荷物電車を改造したクモハ123形式が活躍をはじめました。この増結用車輛としてクハ103形式が用意され、平成元年にワンマン運転を行うため改造が行われました。
 その後、クモハ123形式、初代クハ103形式は転属し、103系をワンマン運転化改造を行いました。現在、同線の運転は225系を用いて行われています。

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クハ103-194

羽衣支線初代の103系ワンマン運転仕様車です。客室窓下にある車外スピーカーが特徴です。平成2年に冷房化改造、延命N工事を受けています。3500番代の改造種車となって廃車されています。

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クモハ103-2503

羽衣支線3代目になるワンマン運転仕様車です。改造内容は初代からと同じで、225系に交代するまで活躍しました。

冷房化改造
 JR西日本でも国鉄から継承した非冷房の103系の冷房化改造が行われていました。当初は国鉄時代と同じくAU75型集中式冷房装置でしたが、JR東日本や東海と同じく経費削減、工期短縮を目的にWAU102型分散式冷房装置を開発。1両あたりに3基搭載します。冷房用電源はクハ103形式に専用の静止型インバータ(SIV)を搭載して対応する方式となっています。
 初期の103系に多く見られるようになりましたが、AU75型と比べると冷房能力がやや劣る事から廃車が早期より始められました。現在は見る事が出来ません。

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クハ103-68

WAU102型分散式冷房装置を搭載した車輛の例です。床下に冷房装置用のSIV装置があります。なお、本車輛は延命NB工事を受けています。このほか、雨水などによる車体腐食を遅らせるため、戸袋窓を埋める工事が平成2年から、妻面窓も埋める工事が平成9年から実施され、ほぼ所属車全車に施行されました。

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クハ103-535

WAU102型分散式冷房装置を搭載した車輛の例です。冷房装置は東芝製と三菱電機製の2種類があり、ルーバー部に違いがあります。(隣のクハ103-68と見比べてみよう。)冷房能力は同じであるため、混載した車輛もありました。なお、本車輛は延命NA工事を受けています。

延命工事
 103系に限らず、鉄道車輛全般になりますが、車輛の経年が長くなるとどうしても傷みが出てきます。このため、一定の年数を経過した車輛に対して寿命を延ばす工事が行われます。国鉄時代は「特別保全工事」が実施されました。この工事は主に配線類の交換など外観ではわからないものでした。
 JR各社へ継承された国鉄時代に生まれた車輛も103系に限らず、様々な車輛に対し延命工事を実施する事になりました。JR東日本では特別保全工事を更に徹底した延命工事が実施され、冷房化改造も合わせて実施しています。外観では窓を抑えるHゴムが黒色に変化、また金属押さえに変更や車内のモケット変更、屋根材の変更などごく僅かな変化が見られました。一方、JR西日本ではJR東日本とほぼ同じ延命工事が実施されていますが、車体の大幅な外観の変化など鉄道ファンが狂喜乱舞するような工事が実施されました。
 なお、103系の他にも同社所属の113系や115系などでも行われた工事です。それぞれのページにありますので、そちらも見て下さいね。

延命N工事
 昭和47年までにつくられた車輛に対して実施された工事です。製造から30年の使用を目指して、機器更新、外板整備、配管の交換、制御車ではLP402型(1灯)を装備した車輛はシールドビーム化、非冷房車は冷房化、妻窓の固定窓化などが実施されています。

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クハ103-127

延命工事後の車内の様子。扇風機や冷房装置の吹き出し口、荷棚など103系原形の名残が見られますが、座席モケットや化粧板の張替えなどの変化が見られます。

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クハ103-24

延命N工事では外観の変化は大きくなく、概ね原形を維持しています。前面では運転台前面ガラス、運行番号表示器、行先表示器が雨水などによる腐食対策のため金属押さえになっています。

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サハ103-1

延命N工事を受けた中間車の例です。妻窓の固定窓化程度であり、大きな変化は見られません。

延命NA工事
 国鉄時代に特別保全工事を実施した車輛に対して実施した延命工事です。化粧板の張替えなど延命N工事に準じた工事を実施しています。このため、外観では延命N工事車と大きな違いは見られません。

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クハ103-89

延命NA工事を受けた車輛の例です。外観では乗降扉の窓押さえがHゴムから金属押さえになっている変化が見られます。Hゴムが黒色ですが、国鉄時代に特別保全工事を受けた際に行われたものです。

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モハ102-197

延命NA工事を受けた中間車の例です。クハ103-89も同じですが、妻面窓を埋めた工事が実施されています。

延命NB工事
 昭和45年以前につくられた初期車を対象に行われた工事で、延命N工事及び冷房化改造(WAU102型搭載)、延命N40工事でも使用された1枚窓風にサッシを黒くしたものへ交換したものです。冷房能力のやや低いWAU102型は早期に淘汰対象となり、この工事を受けた車輛は現在、全て廃車となっています。

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モハ103-72

延命NB工事を受けた車輛の例。施行された車輛は僅かに10両程度との事です。客室窓はユニットサッシ窓に交換されており、この枠の四隅は丸い形状となっています。

延命N40工事
 製造から40年の仕様を目指すため、延命N工事、延命NA工事に加えて、塗装の総剥離を行い塗り替え、雨どいのFRP(繊維強化プラスチック)化、窓サッシの交換(下段固定、上段下降式、黒サッシ)などを行いました。

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クハ103-257

延命N40工事を受けた車輛の例。延命工事の中では最もスタイリッシュな仕上がりとなっています。側面の1枚窓風客室窓などが特徴です。

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クハ103-109

広島運転所に所属していた103系のうち、昭和47年以前の車輛に対しても実施されました。前面の金属押さえが施されていないためか、原形とほとんど変わりません。

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モハ103-495

延命N40工事を受けた車輛の例です。妻面窓が残されているのがわかります。

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モハ102-645

延命N40工事を受けた車輛の例です。こちらは妻面窓が埋められているタイプ。施行した工場などによって違いがあるようです。

体質改善工事
 延命工事を施してきましたが、後継車種となる207系と見比べると見劣りが否めなくなってきました。平成8年以降、延命N40工事以上に徹底した延命を行う「体質改善工事」を実施しました。
 この工事では老朽車のイメージを払拭し、メンテナンス性を向上させるため、下記のような工事が実施されています。
〇運転台、ドア窓の支持方法の変更。
〇運行番号表示器、行先表示器、前部標識灯の内支持化。
〇乗降扉間客室窓を下段固定、上段上昇式とし、3分割T字サッシへの交換。車端部窓を固定1枚窓化。
〇荷棚のパイプ化。
〇照明カバーの取付け。
〇扇風機を廃止し、ラインデリアへの交換。冷房風道をラインフロー化する。
〇屋根を張上げ屋根化及び屋根上通風器撤去。
〇車番を国鉄時代の丸ゴシック体から、同社独特の書体に変更。
といった内容で行われ、この工事を「体質改善工事40N」と言います。その姿は究極の103系とも呼ばれ、JR西日本の匠の技が光り輝く傑作となりました。
 平成14年以降、新型車輛の投入するペースが速まり、一方で103系の車齢が高まってきたことから、改造内容を縮小し、製造後30年ほど使えるように変更され、工事も車体を大幅に変更する事をやめ、車内を中心とした改造内容になりました。この工事を「体質改善工事30N」と言います。

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体質改善工事40Nを受けた車内の様子

写真は3550番代のものですが、概ね同じとなっています。これだけを見ると103系とは思えないハイグレードな仕上がりとなっています。

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クハ103-245・246(クハ103-245)

体質改善工事40Nの試作車で、前部標識灯が原形のままなど103系の古いデザインが残されています。

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クハ103-216

体質改善工事40Nを受けた低運転台車輛の例です。原形を残しつつも、古さを隠した都会的なデザインに生まれ変わりました。低運転台車の施工した数は少なかったようです。

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クハ103-800

体質改善工事40Nを受けた高運転台車輛の例です。所々に103系のデザインが残されつつも、ベンチレーターの撤去、張上げ屋根など驚きのあるデザインが印象に残ります。

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サハ103-371

体質改善工事40Nを受けた中間車の例です。行先表示器は金属押さえのタイプもありました。大胆に固定窓に変化しており、103系とは思えない変わりようです。

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体質改善工事30Nを受けた車内の様子。

客室窓など手つかずになり、103系の面影がはっきり残っていますが、冷房関係は大きく変化しています。貫通扉も都会的なデザインに変更されています。

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クハ103-244

体質改善工事30Nを受けた低運転台車の例です。ぱっと見は103系の姿ですが、運転台窓が1枚窓になっているなどの変化があります。

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クハ103-797

体質改善工事30Nを受けた高運転台車輛の例です。こちらも、103系の面影が色濃く残るものとなっていますが、車番表記などに違いが見られます。

広島地区の103系
広島地区で山陽本線、可部線、呉線でも103系が活躍していました。その車輛の中で変わり種の車輛もいました。

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クハ103-86・170・171(クハ103-170)

平成20年にサービス向上を目的にトイレが設置されました。(写真奥)この際、行先表示器を移設しています。

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クハ103-828

平成17年にJR東日本武蔵野線で活躍していた103系8両編成1本が転属しました。828番はそのうちの1両です。当初は戸袋窓が残されていましたが、写真のように戸袋窓は埋められています。