ク5000形式(ク5277・ク5387)

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昭和41年に登場した12t積み車運車です。登場以前は車運車は私有貨車のみであり、自動車メーカでもその車種ごとに車運車を用意する必要があったほか、私有貨車であるため帰りは空車になって効率が良くありませんでした。そこで、国鉄では積載車種を限定しない、汎用車運車の設計に取り掛かりました。当初は高速貨車を予定していましたが、構造や性能などの問題があり、特急高速貨物列車と同じ運転最高速度85km/hとしたク9000形式が昭和41年に登場しました。そして、試用結果を反映したク5000形式が登場しました。
自動車は1200~1900ccクラスは8台、800~1000ccクラスは10台、360ccクラスを12台積載できます。自動車の積み下ろしはスロープ設備を用いた自走式で、ク5000形式も隣の車輛に移動できるよう跳ね上げ式の渡り板が設置されています。また、汚れを防ぐためにシートが用意され、床下には収納箱があります。(実際は有蓋車による返却回送が多かったようです。)
特急「アロー号」として全国各地へ自動車輸送に活躍しました。最後は日産自動車の自動車輸送を行い、平成8年に形式消滅をしています。

クム80000形式(クム80033・クム80011)

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 昭和61年に登場した16t積み4tトラックピギーバック輸送用の私有車運車です。国鉄では大型トラックによるピギーバック輸送の試験を行っていましたが実現には至りませんでした。昭和60年4tトラックによるピギーバック輸送の提案が大手運輸会社からなされ、4tトラックの輸送では通常の貨車と同じサイズなので、実現に至りました。車体は新製で、台車はク5000形式からのものを流用。運転最高速度は100km/hです。
 運転を開始すると瞬く間に様々な運送事業者が参入し、ピギーバック輸送は成長していきました。最盛期には20両編成(トラック40台)を一度に輸送するに至りました。しかし、バブル崩壊により需要は減少。トラックの自重も貨物運賃に含まれることから、平成12年にピギーバック輸送は廃止されました。何か転用先はないか模索しましたが、平成15年に形式消滅しています。

クム1000形式(クム1000-13)・クム1001形式(クム1001-7)

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平成元年に登場した20.2t積み4tトラックピギーバック輸送用の私有車運車です。クム80000形式を高速化させるため、コキ100系の設計を採り入れたもので、運転最高速度は110km/hです。電磁自動空気ブレーキを装備していますが、給排気用電磁弁はクム1000形式のみに装備しており、クム1001形式2両で一組で運用されます。
東海道、山陽本線系統を中心に活躍し、ピギーバック輸送廃止を受けて平成15年に両形式ともに形式消滅しています。

クム1000形式500番代(クム1000-523)

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2両一組であったクム1000形式を単独運用できるようにしたグループで、平成2年に登場しました。主に東北地方で活躍しました。平成15年に形式及び番代消滅しています。

クサ1000形式900番代(クサ1000-902)

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ピギーバック輸送は好評であるものの、1台に4tトラックを2台しか積載できない問題がありました。そこで、低床コンテナ車の技術を用いて試作した24t積み4tトラックピギーバック輸送用の車運車で、平成5年に登場しました。クム1000系と同じく応荷重装置付電磁自動空気ブレーキを装備し、901と902の2両一組で使用します。台車は小型車輪を用いたFT12形式で、コキ70形式のFT11形式の軸距離を延長したものです。

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イラスト(伊勢崎軌道様より拝借しました。)のように、トラックは専用のものが試作されており、車体長を縮め、高さを大きくしています。
「スーパーピギーバック」という愛称で活躍が期待されましたが、バブル経済崩壊により、ピギーバック輸送縮小となり試作の域を出ることなく、登場した同年廃形式となっています。

クキ1000形式(クキ1000-8)

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バブル景気の影響により、タンクローリードライバーが不足し、道路渋滞の深刻化を受けて平成3年に登場した私有貨車では初めての44.4t積みセミトレーラー型タンクローリーピギーバック輸送用の私有車運車です。車体長は20m級の大型車体で、荷役方法はリーチスタッカー(大型コンテナを吊り上げて荷役をする機械。)を用いてトレーラーごと持ち上げて荷役をします。20キロリットル車は背中合わせに2台、14キロリットル車は3台積載が出来ます。バブル崩壊と渋滞緩和対策が進み、輸送は終了。僅か5年後の平成8年に廃形式となっています。

チサ9000形式(チサ9000)

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この車運車は国鉄で製作された低床式ピギーバック輸送方式の車運車です。国鉄が道路と鉄道を一貫輸送するコンテナ輸送が普及し始めたのに続いて、トラックをそのまま貨車に搭載し輸送するピギーバック輸送の導入が考えられました。
一般の貨車にトラックをそのまま搭載する事は車輛限界の関係から、日本では不可能でした。昭和42年にクサ9000形式という車運車が1両試作されました。この車輛はカンガルー方式と呼ばれるトラックのタイヤを台枠内側に格納して高さを下げる方式でした。クサ9000形式に続く車輛として、貨車の台枠を限界まで下げた低床式のピギーバック輸送が考えられ、小径車輪を装備したクラ9000形式が1両製作されました。車運車に分類はされていますが、小径車輪を用いた台車の試験車輛であり、1台の自動車も積載できない構造でした。
この超低床車輛を実現させるために、車輪径を350㎜と通常の鉄道車輛に使用される860㎜の半分以下となっています。小さな車輪では分岐器の通過が上手く案内が出来ないため、三軸台車となっています。この三軸台車は1軸台車を並べ、連結した構造で上下に撓む事で軌道の追従性を良くし、運転最高速度は95km/hとしています。
この台車の開発から始まり、昭和46年にトーションバーとコイルばねを併用したTR900形式台車(日車)と重ね板ばね方式のTR901形式(日立)が製作され、試験が始まりました。昭和47年にトキ15000形式の台枠を基に仮車体とした車輛を製作し、郡山工場内で試験が行われ、結果の良かったTR901形式台車をもう1つ製作し、昭和48年には狩勝実験線などで試験が行われました。昭和49年にはクラ9000形式の形式が与えられ、本線上での試験が行われました。ところが、昭和51年に開発は打ち切られてしまいます。
昭和58年にトラックのピギーバック輸送の開発が再開されます。クラ9000形式に試用していたTR901形式台車を採用し、新しい車体を組み合わせる改造が行われ、チサ9000形式が登場しました。
全長16925㎜、全幅2660㎜、全高1096㎜、荷重20t、自重18.3t、ブレーキ方式はCL空気ブレーキとなっています。10tトラック程度の大型トラックを積載する事を目的としており、台車間の部分を低床化した構造とし、トラックの最大高さを3800㎜としています。トラックは自走で貨車に載る方式です。と、立派な車運車ですが、長物車に分類されています。
こうして本線でのトラックを積載して長期試験輸送などを行いましたが、トラックの積み荷の高さに制限を加えなければならず、一般的な有蓋タイプのトラックの多くが積載できない事、荷役に手間取るなどの問題があり実用化には至りませんでした。
国鉄からJR貨物へ継承されました。車籍はあるようですが、動きはなく広島車両所に配置され、一般公開時に見る事が出来ます。(展示しない時があるかもしれません。)