西の箱根越えと称される山陽本線瀬野~八本松間は「セノハチ」と呼ばれ(正しくは大山峠という。)、山陽本線の前身である「山陽鉄道」が開業した当時から難所となっていました。22.6‰の急勾配が連続して続いており、上り列車(大阪・東京方面)では列車の最後部に機関車を連結し、押し上げてもらいます。
かつては客車列車、貨物列車だけではなく、電車列車も機関車に押し上げてもらいました。しかし、高性能化が進むと旅客列車全般は機関車の補助が必要ではなくなりました。貨物列車は1000tを超える列車があるため、現在も機関車の補助が必要です。
この機関車は最初は蒸気機関車です。その後、電気機関車が投入されました。この初代がEF59形式です。
戦前に設計された機関車であり、老朽化が進んだため新型機関車が投入される事となりました。EF60形式及びEF61形式を改造したEF61形式100番代、200番代が登場する事に。手始めに昭和52年にEF60形式を改造した200番代が投入されましたが、性能上1000t以上の貨物列車を重連で押し上げられない事が判明し、この計画は中止となってしまいました。このため、EF59形式は引き続きの活躍となりました。
EF59形式の担う、1000t以上貨物列車の重連補機運用の後継として昭和57年にEF67形式が登場しました。
新製機関車を投入したいところですが、台所事情によりEF60形式及びEF65形式の改造車となっています。

0番代

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EF60形式4次車を改造したグループで、3両が登場しました。EF59形式重連による1200t貨物列車の補機運用を単機でも行えるように、制御方式は「電機子チョッパ制御方式」を電気機関車では初採用しました。従来の抵抗制御方式とは異なり、連続的電圧制御を行う事で粘着性能が向上し、空転の発生を抑える事が可能となるため、単機での押上げも可能としています。ブレーキに回生ブレーキを装備しています。この回生ブレーキは空気ブレーキの連続使用による車輪の緩みを抑える事が目的で、復路となる回送列車の時にのみ使用します。広島方で運転する時に使用が可能で、3つの台車のうち両端の台車のみ主電動機を動かし、中央の台車を回生ブレーキ用として使います。
車体は種車のものをベースとしていますが、東京方は貫通扉及びデッキが追加設置され、車体長の延長が行われています。
車体色は広島県の県花である「もみじ」をイメージしたもみじ色(赤11号)を採用しました。当時の国鉄の規定では直流用は青色、交流用は赤色、交直両用は桃色となっており、異例の採用例となっています。

100番代

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EF61形式200番代の置換用として平成2年に登場したグループです。種車はEF65形式0番代として、5両改造されました。性能面では0番代と同じですが、種車が異なるための番代区分となります。
外観は種車時代とほぼ変わらず、東京方には貫通扉及びデッキは設けられていません。連結器部分に押上げ時の重量を支える大容量緩衝装置が設けられており、外観の特徴となっています。走行中の解放扱いが廃止されており、連結器は並形自動連結器となっています。
制御面では101・102号機が0番代と同じサイリスタチョッパ装置を採用。サイリスタ素子が生産中止となり、103~105号機がGTO素子を用いたチョッパ装置を搭載しています。
平成15年より更新工事が行われ、車体塗装の一部変更、後部標識灯の角形化、パンタグラフのシングルアーム式に変更などが行われています。なお、シングルアーム式パンタグラフは不具合が多いため、もとのPS22B形式(下枠交差式)に戻されています。