昭和36年、常磐線取手~勝田駅間が電化されました。この区間の沿線には気象庁の地磁気観測所があり、直流電化は観測に影響を与えるため交流電化となりました。取手~藤代駅間にデッドセクションを設けて、走行中に直流と交流を切り替える車上切換方式が採用されました。電化開業の2年前になる昭和34年に我が国では初めてとなる交直両用電気機関車であるED46形式(後のED92形式)を登場させ、各種試験結果を反映させ、製造されたのがこのEF80形式で昭和37年に登場しました。
機器搭載による車体重量増加を抑えるために、ED46形式で採用され、世界初の量産車となったEF30形式でも引き続き採用された1台車1主電動機2軸駆動のカルダン駆動方式を採用しました。
車体は非貫通構造で、1次形と2次形では若干つくりが異なっており、見た目の印象が異なっています。また、当初は旅客用と貨物用でそれぞれD級、F級とする計画でしたが、旅客列車の電車化が見込まれるためF級で統一しました。
登場から昭和61年の形式消滅まで、常磐線及び水戸鉄道管理局内の路線(水戸線)を中心に活躍しました。後継形式はEF81形式となります。

1次車(EF80 1~50)

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2枚ともマワ車所蔵

前部標識灯(前照灯)が埋め込まれたタイプのグループで、1~30号機は旅客用、31~50号機は貨物用として登場しました。旅客用では直流区間の電気暖房用電源として電動発電機を搭載(交流区間ではインバータを使用します。)しています。貨物用はサービス電源装置を搭載していないため、この分は死重を搭載しています。
1~12号機は昭和43年に20系客車ブレーキ系統改造が行われ、EF80形式もこれに対応するための対応工事が行われました。当時、常磐線の運転最高速度が95km/hであったため空気ばね台車などへ圧縮空気を送る元空気ダメ管の増設に留まっており、電磁ブレーキ指令回路、応編成増圧ブレーキ装置の設置は行われていません。
運転台窓上にひさしが設けられていますが、これはライトケースに窓より雨水が伝わり、溜まる事によって腐食するため、これを防ぐ目的で後に設置されたものです。登場時を模型化する時には気を付けましょう。

2次車(EF80 51~63)

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マイナーチェンジを行った後期形のグループです。51~58号機が貨物用、59~63号機が旅客用となります。
1次形では心皿方式を採用していましたが、ピッチング(前後動)があるため台車形式を変更し、引張力伝達方式にしました。この他、前部標識灯は出っ張ったものに、後部標識灯の形状変化などの違いがあります。
最終車輛となる63号機では、電動発電機に代わり、静止型インバータを試験的に搭載していました。