信越本線横川~軽井沢間にはかつて日本一の急勾配(最大勾配66.7‰)を持つ「碓氷峠」がありました。この区間には開業以来、様々な専用の機関車が往来する列車のシェルパとして活躍してきました。このページでは碓氷峠で活躍した電気機関車をご紹介しましょう。

10000形式(EC40形式)

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碓氷峠は明治26年に開通しました。この区間の急勾配を往来する方法として、「アプト式」が採用されました。このアプト式というのはラック式鉄道の一つで、走行用レール2本の中央に歯形のレールを敷き(写真右)、車輛の床下に設けた歯車(ピニオンとも言います。)を噛み合わせて急勾配を往来するシステムです。日本にはこのアプト式のみが輸入されており、この他にもマーシュ式やロヒャー式などがあるのですが、ラック式鉄道=アプト式と誤解されて紹介される事もあります。
このアプト式を装備した蒸気機関車が活躍し始めます。横川~軽井沢間は運転速度が低いため、1時間15分もかかりました。碓氷峠には多くのトンネルがあり、乗客、乗務員は蒸気機関車から出る煤煙に悩まされました。特に乗務員の環境は過酷で窒息事故もしばしば発生しました。煙突を特殊な形状にするなどの対策をしましたが、良い結果は出ませんでした。
そこで、同区間を電化させて乗務員、乗客の環境を改善すると共に、輸送力増強を図る事とし、電気機関車第1号として鉄道省がドイツより明治45年に輸入しました。その機関車がこの10000形機関車です。昭和3年の車輛称号規定改正により、EC40形式となっています。この機関車の投入により、運転時分は49分と大幅に短縮され、輸送量もわずかに増えました。
凸型のボンネット機関車で、軸配置は3軸と日本の機関車では唯一の奇数軸配置として有名です。
運転台は当初両側に設置されていましたが、後に軽井沢方が撤去され片運転台となりました。撤去した場所には蓄電池が設置されています。パンタグラフは構内運転用として、屋根上にポール式(後にパンタグラフ化)が搭載されています。本線用はトンネルの建築限界の関係から第三軌条方式を採用したため、片側に2ヶ所集電靴を設置。落ち葉などによる集電不良を避けるため、第三軌条の下側に接触する日本では唯一の方式が採用されていました。
昭和11年まで活躍し、昭和16年に保管していた4両が京福電気鉄道に払い下げられて、同社で活躍。この中に1号機が含まれており、昭和39年に国鉄へ返還し、明治時代の姿に復元して鉄道記念物に指定されました。現在は旧軽井沢駅舎記念館に静態保存されています。

10020形式(ED40形式)

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10000形(後のEC40形式)の増備車として大正8年に登場した形式です。鉄道院が初めて導入した国産電気機関車として知られています。昭和3年の車輛称号規定改正によりED40形式となりました。14両が製作され、碓氷峠での蒸気機関車運転は終了しました。
車体は箱型の切妻車体で、屋根上には構内用のパンタグラフ、足廻りには本線用の集電靴が片側2ヶ所に設置されています。運転台は横川方のみの片運転台方式で、軽井沢方には連結器上まで張り出した抵抗器室が設置されています。電動機は走行用主電動機、歯車駆動用電動機が1台ずつ車内に配置されており、動力は歯車で減速した後、連結棒(カップリングロッド)で動軸及び歯車に伝わります。
昭和18年頃より、後に登場するED42形式が増備されると共に廃車が始まり、昭和27年に廃形式となりました。
一部の車輛は東武鉄道、駿豆鉄道(現在の伊豆箱根鉄道駿豆線)、南海電気鉄道へアプト関係機器を撤去した上、譲渡されました。(南海電気鉄道の車輛はその後、秋田中央交通へ再譲渡されています。)
昭和43年、東武鉄道より10号機が寄贈され、これを復元し、準鉄道記念物として静態保存されていましたが、平成19年に鉄道博物館に移設し、展示されています。この展示に際し、アプト式の仕組みを理解してもらう目的で、観察が出来ます。

ED42形式

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電化開業以来活躍してきたEC40形式の置換え用として昭和9年に登場しました。大正15年にスイスより2両輸入したED41形式(アプト式機関車の出力向上を図る目的で試験的に投入しました。)を基に設計されました。ほぼ同じスタイルで、一部設計変更が加えられています。
切妻スタイルの箱型車体で、前後には小さなデッキがあります。運転台は麓側(横川方)のみに設置された片運転台方式を採用しています。
従来車同様に屋根上には構内用パンタグラフ、車輛下部には本線用の第三軌条集電用集電靴が片側に2ヶ所設置されています。制御方式は抵抗制御方式で、回生ブレーキ併用電気ブレーキも装備されました。(昭和26年より)
1~22号機は戦前形設計、23~28号機は戦時形設計となっています。登場時は既存機と共に活躍をしていましたが、昭和26年以降はED42形式のみで活躍しています。
出力向上機という事もあり、最大編成重量360tの列車を推進又は牽引をしました。
昭和38年に粘着運転(レールと車輪の摩擦力にのみ頼る運転方式)の新線に切替えられ、アプト式が廃止される事となり、同年形式消滅しました。

EF63形式

開業よりラック式鉄道の一つである「アプト式」を用いて、専用機関車による峠の往来を行ってきましたが、戦後復興、高度成長期へと時代の流れを見て、主要幹線の輸送力増強が行われました。信越本線もその対象となり、碓氷峠を含み所要時間短縮を目的にアプト式を廃止し、粘着運転への切換を行う事が決まりました。
こうして、昭和38年に新線が開業し、これにあわせてEF60形式を基に開発されたのがEF63形式です。ファンからは「峠のシェルパ」や「ロクサン」などの愛称で親しまれました。
EF63形式は碓氷峠専用の電気機関車で、この峠に特化した性能や特徴を持っています。
●運転方式
EF63形式は最も重量のかかる麓側(横川方)に連結され、同時期に登場したEF62形式との運用の際は、下り列車ではプッシュプル運転、上り列車では協調運転となります。また、2両一組で運用されるため、前面には貫通扉が設けられました。
●制御方式
制御方式は抵抗制御方式で、勾配区間上においての空転防止を図るため、ノッチ(自動車で言うアクセル。)の段数を細かくし、主電動機に与える負担を減らす目的で、電動カム軸式自動進段抵抗器、バーニア制御器、電動カム軸式転換制御器を採用しています。主電動機はEF70形式にて初採用となったMT52形式主電動機を直流電気機関車では初めて採用しました。この主電動機を冷却する送風機はEF62形式と同じものですが、個数を減らし、電圧を増強し能力を上げています。このため、他の機関車にはない甲高い動作音がするのが特徴となっています。
客車列車や貨物列車以外の電車列車の峠越えもEF63形式の仕事になっています。協調運転装置というものが搭載されています。登場した頃は牽引又は推進のみで最大8両編成までしか運用が出来ませんでした。これは構造や地形によるもので、車輛のブレーキが効かなくなる事や勾配上で浮き上がって脱線するなどの事故を防ぐ目的となっています。8両編成までしか対応できず、輸送力の不足が指摘され、最大12両まで可能とするために協調運転装置が登場しました。電車では169系、189系、489系の系列が登場しました。この装置は、機関車から力行やブレーキ操作を行える仕組みとなっています。
●台車
台車はEF62形式の3軸ボギー台車ではなく、一般F級電気機関車に見られるボギー台車を3組用いています。この台車には様々な特殊装備があり、専用の台車になっています。また、軸重も勾配区間での軸重移動を均等にするため、軽井沢方が19t、中間台車18t、横川方を17tとしたアンバランスな軸重配置となっています。なお、この軸重19tは国鉄車輛としては最大の値となっています。
●保安装置
最大勾配66.7‰である事から、様々な保安装置が搭載されているのもEF63形式の特徴で、ATS(自動列車停止装置)などを除くと、列車の速度に関係する保安装置がいくつも装備されています。
・空気ブレーキ…基本となる自動空気ブレーキ方式を採用しています。停電時に備えて、搭載された大容量蓄電池を電源に電動空気圧縮機を動かす事が可能で、ブレーキ用の圧縮空気を供給するようになっています。
・カム式転動防止装置…自動空気ブレーキが万が一、漏れてしまった時にブレーキが緩まないようにする装置で、空気ブレーキが作動した状態で機械的にロックする仕組みになっています。
・抑速ブレーキ…勾配を下る際、車輪と制輪子のみに頼ると摩擦熱でブレーキが効かなくなり、大変危険な状態になります。そこで、主電動機を発電機にして(フレミング左手、右手の法則)、これを減速力にしたものを発電ブレーキと言います。発電ブレーキは速度が落ちるだけなので、連続した勾配区間では何度も操作が必要になります。そこで、一定の速度で下り勾配を進めるようにしたものが抑速ブレーキです。EF63形式にもこの装備が施されています。抑速ブレーキ(発電ブレーキ)を動作させると、屋根上の抵抗器が発熱をします。発熱量が大きいため、側面のルーバーは大きめになっています。
・電磁吸着ブレーキ(レールブレーキ)…急勾配上で停止した際に、電磁石をレールに接触させ、磁力により機関車を停止した状態を維持させるもの。このブレーキは通常の減速には使いません。
・加速度検知装置(OSR)…下り勾配を走行する際に正確な速度を計測する装置です。中間台車に設置された小型車輪により計測を行います。碓氷峠では旅客列車38km/h、貨物列車25km/hが運転最高速度の上限とされ、これを超えてしまうと列車を停止する事が出来なくなるため、この装置が装備されています。この速度に近づくと警報が鳴り響き、速度を超えると非常ブレーキを動作させます。非常ブレーキが動作し、速度が10km/h以下に落ちると、一定時間ブレーキ力を弱めます。これは、機関車と牽引する列車のブレーキ力を協調させると共に、連結器の破損などの事故防止を目的としています。
・電機子短絡スイッチ…何かの理由で列車を止める際に、あらゆるブレーキ装置を扱っても止められない時に使われるもので、主電動機の回路を破壊し、強力なブレーキ力を発生させる非常用スイッチで、最終手段として用いられます。このスイッチを扱うとその機関車はしばらく入院する事になるそうです。
●その他
 連結器は電車の連結もあり、双頭連結器を装備しています。
最後の碓氷峠の主として活躍を続けてきたEF63形式。平成9年長野行新幹線(現在の北陸新幹線)開業により、碓氷峠が廃止となり、その役目を終えました。現在はEF63形式の所属基地であった横川運転区跡地に開設された「横川鉄道文化むら」で展示、実車を用いた体験運転用として保存されています。

EF63 1(先行量産車)

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昭和37年に登場した車輛で、EF62 1と共に各種試験に供されました。翌年、量産車が登場し、量産車化改造を受けています。外観では氷柱切りが無い事や、スカートや屋根上形状が異なっています。
EF63 2~13(1次車)写真はマワ車所蔵

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1号機(先行量産車)の結果を踏まえて製作されたグループです。前面窓上に氷柱切りが設置されたほか、ワイパー形状も異なります。加速度検知装置用の小型車輪の設置位置変更、車体側面非常用蓄電池搬入口の位置変更及び大型化の変更をしています。このグループまでは登場時はぶどう色2号でした。
EF63 14~21(2次車)

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昭和41年より登場したグループです。外観では後部標識灯の形状が変更となったほか、避雷器の位置が貫通扉上の中央に変更となっています。この他、16号機以降になりますが、非常用蓄電池搬入口上部に水切りが設置されています。このグループより、青15号とクリーム1号の塗装に変更されています。
EF63 22~25(3次車)

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昭和49年より登場したグループで、後部標識灯、車号表示がプレート式に変更されています。軽井沢方のジャンパ栓は気動車列車が廃止後の製作のため、当初より未装備で、他のグループと配置が異なります。24・25号機は事故廃車となった5・9号機の代替えとして登場した車輛です。