昭和12年、C55形式63号機として登場する予定の機関車でしたが、改良箇所が多く新形式とする事になり、C57形式旅客用テンダー機関車として登場しました。201両がつくられました。この他に台湾向けに同型機が製作されています。
C55形式との違いは、ボイラー使用圧力の上昇、それに伴いシリンダー直径の縮小。スポーク動輪からボックス動輪への変更があります。これらの変更は石炭や水の消費量が減り、出力上昇という性能面での向上が図られたもので、形式変更の大きな理由の一つとなっています。その他の面ではほぼ同じで、C55形式と共通で使われる場面が多くありました。
愛称は「シゴナナ」の他に「貴婦人」というものがあります。この貴婦人の由来は、急行旅客用テンダー機関車としてC51形式以来の1750㎜動輪を装備した形式である、C53形式、C55形式よりも細いボイラーを搭載しており、その姿から脚の長い整った容姿の女性に例えてつけられたものです。
この「貴婦人」という愛称をC57形式全車にする紹介や文献が見られますが、鉄道ファンの間では、後年に登場するC57形式は設計変更などにより「相応しくない。」とされ、1.原設計の1次形のみ。2.蒸気ドーム以外の基本設計がほぼ同じの2次形まで。3.ボイラー設計が共通の3次形まで。と3つの意見があります。4次形は重装備になっており、共通して「貴婦人」とは呼びません。
●C57形式の形態
★1次車(C57 1~138)
初期のグループで、従台車とテンダー台車は一体鋳鋼製となっているのが特徴です。写真は1号機で、JR西日本に所属し山口線のSLやまぐち号に活躍をしています。
写真は埼玉県にある鉄道博物館に保存されている135号機。国鉄最後の蒸気機関車牽引による客車列車の先頭を務めた貴重な1両です。
★2次車(C57 139~169)
昭和15年より登場したグループで、戦争により資材や工程数の削減を行いました、従台車やテンダー台車枠の変更がありますが、基本は1次形同じです。写真は愛知県にあるリニア・鉄道館に保存されている貴重な1両で、名古屋機関区に所属し、お召し列車を18回も牽引した経歴をもつ車輛です。準鉄道記念物に指定され、お召し装備に復元され展示されています。
★3次車(C57 170~189)
昭和21年より登場したグループで、戦後の旅客用機関車の不足に伴い製作されたもので、2次形に似ていますが、先輪がD52形式用の流用品を用いたり、空気圧縮機の空気放熱管がランボード下に収められるなどの違いがあります。写真はJR東日本で動態保存され、ばんえつ物語号を中心に活躍する180号機です。
★4次車(C57 190~201)
昭和22年より登場した本形式の最後のグループです。3次形が2次形を基本としたのに対し、このグループではC59形式の設計を採用し、大幅な改良が加えられました。運転室は密閉式に変更、デフレクター(除煙板)前部上端は45度に切り取られたほか、炭水車は船底形に変更されるなど、C59形式に似たスタイルとなりました。外観の変化が大きく、「従来車と比べ美しさが失われた。」という意見もあります。また、配属先が山岳路線という事もあり、「貴婦人」に対して、このグループを「山男」と呼ぶこともあるそうです。
四国地区を除く全国各地で、優等旅客列車を中心に牽引しました。性能やメンテナンス面では優秀であり長く活躍する理由の一つとなっています。昭和30年代以降は特急、急行列車の無煙化が進み、普通列車が主体となっていきますが、後継のディーゼル機関車などの投入後も予備機として残り、時折優等列車を牽引することもありました。
昭和50年に公営放送の特別番組でロケが行われ、C57 135号機が室蘭本線室蘭~岩見沢間で国鉄最後の蒸気機関車牽引による最終旅客列車第225列車を牽引し、有終の美を飾りました。(この列車は本来D51形式が牽引しており、最終日は特別にC57形式が牽引しました。)