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昭和18年に登場した貨物用テンダー式蒸気機関車です。第二次世界大戦中、国内の貨物輸送は、貨物船を軍に供出するなど船の輸送力が不足し、鉄道貨物輸送の需要が高まり、ひっ迫した状態となっていました。このような状況の中、1200t貨物列車を牽引でき、東海道、山陽、函館、室蘭本線で運用するため、D51形式を改良した機関車としてこのD52形式が登場しました。
ボイラーを可能な限り大型化し、粘着重量を高め高出力としました。これにより1660PSと日本の蒸気機関車としては最高出力を誇る機関車となりました。
実際は戦時中であったため、物資が不足しており、戦時設計の発想によって材料の節約や代用材が多数使用され、造りは非常に粗末で質の悪い物でした。このため、本来の力を発揮する事が出来ない車輛が多くありました。
国鉄工場、民間工場で製作され、細部の設計変更は鉄道省の承認を得ることなく、現場の工場長や監督官の一存に任されました。これにより、いくつかの種類があります。戦争中の中にあって、ボイラーの溶接により(それまではリベット止め)量産する方法の確立やボイラー限界設計により、安全基準や工作技術を向上させるなど、技術革新が行われた事がこの形式の特徴でもあります。
当初は492両の製作を計画していましたが、終戦を迎え285両の製作で打ち切られました。このため多数の欠番があります。
登場後、重貨物列車輸送に活躍が期待されましたが、定時運転が出来ないなどの理由により、この時期に1200t貨物列車を牽引していたのはEF12形式のみでした。また、戦時設計であったため、登場後にボイラーの爆発事故が立て続けに発生し、検査を行い、事故車や戦災車を含めて状態の悪い車輛は廃車されました。戦後、旅客輸送需要が高まった事により、本形式のボイラーと旅客用蒸気機関車の足廻りを組み合わせたC62形式へ一部が改造されました。戦後になり、多くの車輛が質的改善を行っています。
この他に地方線区への入線が出来るように軸重軽減改造を行ったD62形式が派生形式として昭和35年に登場しています。
D52形式の1200t貨物列車牽引が見られるようになったのは戦後です。この他に東海道、山陽本線の他に御殿場線、岩徳線、鹿児島本線で活躍。一部は山陽本線の瀬野八越えの補機としても活躍しました。
昭和47年まで活躍。SLブームであった時期ですが、貨物用であったためひっそりと引退しました。