オハ50 1~(オハ50 2231)

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335両製作された本州向けの普通車です。車内は客室のみの構成です。東北地方などでは電気暖房化が行われ、原番号に2000番を加えています。ユニット窓は12系と同じ幅のものです。

オハフ50 1~(オハフ50 2293)

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488両製作された本州向けの緩急普通車です。トイレ、車掌室が前位側(写真左側)、業務用室が後位側(写真右側)にあります。オハ50形式よりも多く作られた理由は、車掌が効率よく車内を巡回でき、無人駅などで切符を集めるなど出来るように編成中に数両連結する必要があったためです。

オハ51 1~(オハ51 4)

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昭和53年に登場した北海道向けの酷寒冷地仕様車です。客室窓は上昇式の二重窓で、本州向け車輛と比べると一回り小さいのが特徴です。暖房方式はSGのみとなっています。

オハフ51 1~(オハフ51 59)

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オハ51形式と共に登場した北海道向けのグループです。車軸発電機はベルト式ではなく、歯車式を採用しています。

オハ50 5001~(オハ50 5005)

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津軽海峡線快速「海峡」号用の客車として昭和61年よりオハ50 1~を改造したグループです。客室窓の固定化、冷房装置搭載、運転最高速度向上などの改造を施しました。

オハフ50 5001~(オハフ50 5011)

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オハ50形式5000番代と同じく、快速「海峡」用として、オハフ50 1~を改造したグループです。トイレには汚物処理装置を装備しました。

オハフ51 5001~(オハフ51 5003)

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オハフ51形式を改造したグループで、快速「海峡」号の増備車として平成元年に登場しました。

マニ50 2101~(マニ50 2241)

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荷重13tの荷物車で、基本設計を50系と同じものとしています。旧型荷物車の置換え用として登場しました。このグループは昭和54年より増備されたグループで、在来車と同じ外観ですが、ブレーキ装置などの設計変更をおこなっています。荷物輸送廃止後は、車輛基地の救援車など事業用車として残っています。

マニ50 MOTOトレイン改造車(マニ50 2157)

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昭和61年に北海道にツーリングをする旅客と共に愛車であるオートバイを輸送するために改造したもので9両を改造しました。車掌室、貴重品室、トイレなど撤去し、オートバイ緊締装置を設置し、20台積みにしました。(一部は車掌室などを残したため10台積み)
上野~青森間は急行「八甲田」、青森~函館間は快速「海峡」に併結(開業以前は青函連絡船に乗換え)され、昭和61年から平成10年までの間、毎年夏に運行しました。

マニ50 5001・5002(マニ50 ?)

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昭和63年、大阪と函館間を結ぶ寝台特急「日本海」号に北海道へツーリングを楽しむ旅客のオートバイを輸送するためにマニ50形式を改造したグループです。MOTOトレイン改造車と同じ改造を行ったほか、高速化対応工事(110km/h走行対応)、電照式愛称表示器の設置が行われました。愛称は当初「日本海モトトレイン」でしたが、「元取れん(元が取れない)」という風に聞こえるのか、「モトトレール」(こうすると元取れる)に変更して平成10年まで活躍しました。写真は大阪駅に到着し、オートバイを降ろすところ。

スユニ50 501~(スユニ50 501)

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スユニ60形式などの旧型郵便・荷物合造車を置換えるために昭和53年に登場しました。車体は50系客車の構造で設計され、台車はスハネ16形式などに使われていたTR47形式を流用しており、改造車として扱われています。本州用は0番代(電気暖房化で2000番代)、北海道用は500番代に区分されていました。

マニ30 2007~(マニ30 2012)

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この車輛はオハ50系とは関係のない荷物車です。50系客車の車体構造を採用している事からこのページに載せさせて頂きます。さて、この荷物車、窓が少なく、貫通扉もありませんねぇ。どんな荷物車かわかりますか?
この荷物車は日本銀行が保有していた荷物車で、紙幣(日本銀行券)を全国の支店へ輸送するのが目的なのです。そう、現金輸送車なのです。紙幣を輸送するため、運用や存在が秘密扱いとされ、当時の在籍車一覧表にも載っていませんでした。このため、幻の荷物車とも言われたそうです。客車列車や荷物列車、貨物列車にコソッと連結されて平成15年まで活躍しました。
昭和28年マニ34形式として登場。その後、マニ30形式となり電気暖房化で2000番代となり、2001~2006番となりました。このグループは旧型客車であり、次第に老朽化が進むと、50系客車をベースとした新製車が作られ、写真の2007~2012番が登場しました。現金輸送車だけに窓は少なく、貫通扉も設けていません。車内は新旧ともにほぼ同じ設計で、荷重は13~14t。警備室を中央に設け、前後に荷物室、車端部に車掌室がある配置となっています。保安上の理由から、車掌室と荷物室の往来及び他車への往来も仕切られ、孤立した状態となります。警備室には各種警備装置、長距離も対応できるよう寝台、トイレ、洗面所があります。

アメリカントレイン

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昭和63年、日米親善友好活動の一つとして7月4日(独立記念日)から1年間にわたって運行された「アメリカントレイン」用の車輛です。
オハ50形式10両とオハフ50形式2両を改造したもので、車内はアメリカ合衆国の案内や同国製品の紹介が行われました。積載目的は無いのですが、荷物車扱いとされ、種車の番号はそのままとし、形式をオハ50形式からオニ50形式、オハフ50形式をオニフ50形式にしました。車体色をアメリカ合衆国のイメージである星条旗風に仕立て、夏季も対応できるよう冷房化改造も行われました。専用機も用意されておりEF60 19が先頭に立ちました。非電化区間や交流区間へは機関車ごと連れて行ったそうです。移動する際はお客は乗せず、駅で展示をしていました。時には海を越えて、沖縄県にも行ったそうです。
運転終了後は、一部の車輛が品川駅に開設されたビヤホール「モルツステーション」に改装、電気会社のイベント用車に一時的な改造。ノスタルジックビュートレインに転用されました。

ノスタルジックビュートレイン(オハフ50 2501・オハフ50 2157・オハ50 2310)

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JR東日本五能線の活性化を目的に平成2年に登場したジョイフルトレインです。オハフ50 2501・2502(2500番代)は展望室の付いた車輛で、大型固定窓に改造され。車内は2人用、4人用のボックスシートが配され、展望室とボックスシートの間には談話室が設けられました。テーブルなどに天然木を使用し、照明は白熱灯を用いてレトロ調に仕上げています。その他の車輛は軽微なアコモ改良を施しています。編成はオハフ+オハ+オハフの3両編成です。気動車に置き換えられた後は、小海線などで使われていました。

あそBOY(オハフ50 701・オハ50 701)

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JR九州が平成元年より豊肥本線熊本~宮地間で始めた8620形蒸気機関車牽引による客車列車「あそBOY」用に改造されたジョイフルトレインです。
アメリカンスタイル調のダブルルーフ客車風に改造されました。全車冷房改造が施され、オハフ50形式にはガラス張りの展望室が設けられました。車内は2人用、4人用の固定座席が配置され、中間となるオハ50 701にはギャレー付カウンターが設けられています。