所有路線
鉄道線 新浜松~西鹿島駅 17.8km 全線単線、電化(直流750V)

静岡県浜松市に路線を持つ鉄道会社です。「遠鉄(えんてつ)」という略称で呼ばれています。かつては奥山線、前身となる遠州電気鉄道時代には軌道線として中ノ町線、笠井線という路線もありましたが、昭和39年以降はこの鉄道線(通称西鹿島線)が残るのみとなっています。
地方の中小私鉄では、大手私鉄より譲り受けた車輛で車輛近代化を図る例が多くありますが、鉄道線の旅客車輛は電化時から現在まで自社発注の電車が使用されている点が大きな特徴となっています。スパニッシュレッドをベースに白色と灰色の帯が巻かれている塗装色が基本で、赤い車体から「赤電」とも呼ばれています。路線の特徴は18駅のうち16駅が交換可能の駅で、単線ながら毎時上下5本の高密度運行を行っている事です。新浜松~上島(かみじま)駅、遠州小林~遠州芝本駅は高架区間となっています。全線が平野部であるためトンネルはありません。比較的住宅街が多く、ローカル線というよりは都市近郊の路線といった感じです。

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高架区間を行く1000形ほか。朝夕の混雑時間帯には4両編成も見られます。

30形

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車輛の近代化、旧型車の代替を目的として昭和33年から昭和55年まで30両がつくられました。モハ30形制御電動車、クハ80形制御車の2形式で構成されます。
全車、片側2扉のロングシート仕様となっており、最終増備編成を除いて湘南顔の前面形状となっています。塗装は緑色とクリーム色の2色塗装でしたが、踏切事故対策として昭和36年から現在のスカーレットレッドをベースとした塗装となり、「赤電」という愛称の由来ともなりました。
製造時期が長いため、在来車の機器を流用して新製された車輛と全て新製された車輛の二種類があります。また、増備していった際に車輛番号がそれぞれの30番代、80番代に収まらなくなったため、モハ30形ではモハ39の次に作られた車輛をモハ30とし、以降モハ29・モハ28・・・と番号が若くなる付番になりました。クハ80形も同様にクハ89・クハ80・クハ79と続いたのち、最終番号は空いていたクハ85となっています。最終増備編成は何故かモハ51とクハ61となっています。
駆動方式は最終増備編成を除いて吊り掛け駆動方式が採用されており、写真左のモハ25+クハ85は昭和53年につくられ、日本国内の普通鉄道において、ノーズ・サスペンション方式の吊り掛け駆動車として最後に新製された車輛として有名です。
最終増備編成は写真右のモハ51+クハ61編成で、遠州鉄道では初めてとなるカルダン駆動方式を採用しています。
ブレーキ制御方式は自動空気ブレーキ方式で、指令線を共通化されており、駆動方式や制御装置の違いに関係なく併結をする事が出来ます。
現在は、モハ25+クハ85編成、モハ51+クハ61編成の2編成が残っており、定期運用は無く予備車として籍を置いています。(※イベントなどでの運用があります。)

1000形

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昭和58年に在来車の置換えを目的に登場した通勤形電車です。遠州鉄道では初めての片側3扉構造を採用したロングシート構成の電車です。
30形とはデザインが一新され、直線基調のデザインとなりました。前面は中央部を大きく取った折妻形状で、運転台窓上部には大型の行先表示器が設けられています。
主要機器は30形の最終編成であるモハ51+クハ61のものをベースとしていますが、ブレーキ制御方式が電気指令式に変更されました。これにより、在来車との併結は出来なくなっています。台車は初期編成がボルスタ台車、後期編成がボルスタレス台車になっており、外観の違いともなっています。

2000形

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平成11年に登場した新しい系列です。形式の2000には21世紀に向けての新型高性能電車の意味が込められています。
車体構造は1000形とほぼ同じですが、制御方式は初めてIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式となりました。あわせてブレーキ制御方式にも回生ブレーキが採用されて、省エネルギー、メンテナンスフリー化を実現しました。パンタグラフもシングルアーム式になっています。
車内は1000形に準じているものの、車椅子スペースが設けられており、定員数が少し異なります。主幹制御器の操縦方法などの変更が行われつつ6編成12両が活躍をしています。
2002編成は地元企業のラッピング編成となりました。車体を「青色」として話題になり、「青電」とも呼ばれています。車輛の全面ラッピングは遠鉄では初めてとなります。

ED28形

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この電気機関車は飯田線の前身になる豊川鉄道、鳳来寺鉄道が大正14年に新製した電気機関車になります。英国のイングリッシュ・エレクトリック社(E.E社)より輸入したもので、各社1両ずつの2両が輸入されました。豊川鉄道では電機50形、鳳来寺鉄道では電機51形という形式が与えられました。その後、豊川鉄道電気50形はデキ50形、鳳来寺鉄道電機51形はデキ100形となりました。程なくして、デキ100形はデキ50形に形式が変更され、デキ50と改番をしています。豊川鉄道のデキ50はデキ51に改番をしました。
E.E社ときてピンときた方、正解です。この機関車はデッカーと呼ばれた機関車の一つで、一般的には箱型が有名ですが、凸型のデッカーは両形式のみとなっています。
戦時買収により国鉄化され、戦後にED28形式(初代)に形式変更。デキ50はED28 1に、デキ51はED28 2へと形式と番号が変更となっています。
ED28 2は昭和34年に廃車され、国鉄時代の形式番号のままやってきました。工事列車に使用されています。検査期限を延ばすために使用しない時は休車扱いとなっています。

ホキ800形

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JR東海から譲り受けたもので、形式をそのままにホキ801~803という新しい番号を付けています。