所有路線

嵐山本線 四条大宮~嵐山駅 7.2km 全線複線 電化(直流600V)
北野線 北野白梅町~帷子ノ辻(からびらのつじ)駅 3.8km 鳴滝~常盤駅間は複線、電化(直流600V)
鋼索線(叡山ケーブル) ケーブル八瀬~ケーブル比叡駅 1.3km 単線2両交走式
叡山ロープウェイ ロープ比叡~比叡山頂駅 486m 交走式

京都府京都市内で軌道(路面電車)、ケーブルカー及びロープウェイの路線を持つ鉄道会社です。戦時の配電統制令により京都電燈が解散するのを受けて、同社の鉄軌道事業を引き継ぐ形で昭和17年に設立されました。
社名の「京福」は京都と福井の頭文字をそれぞれ採ったものですが、京都と福井に鉄道計画があった訳ではなく、京都は夜間の電力需要(祇園など)が多く、福井は織物工場で昼間の電力需要が多いことから、お互いの電力を融通するため、京都電燈が建設した「京福送電線」が語源となっています。
現在所有する嵐山本線、北野線は「嵐電(らんでん)」という呼び名で親しまれており、京都市内の観光には欠かせない存在となっています。かつては福井県では越前本線、三国芦原線を有していました。しかし、平成12年、平成13年と半年足らずの間に2度の電車同士の正面衝突事故を起こし、国土交通省より福井地区の列車運行停止命令が命ぜられ、事業継続が困難になったとして福井地区からは撤退(現在はえちぜん鉄道)しています。京都地区でも叡山本線、鞍馬線がありましたが、こちらも合理化により叡山電鉄となり、京阪電気鉄道の子会社となっています。
車輛は車体上部が薄茶色、下部が緑色が標準色でしたが、開業100周年を迎えた平成22年以降、「京紫」に変更されています。

モボ101形

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昭和4年、嵐山本線四条大宮~嵐山駅全線複線化に伴う輸送力増強、新京阪鉄道桂~嵐山駅間開業(現:阪急嵐山線)に対抗するために登場した車輛(路面電車)です。
モボ101形は6両が製作されました。このモボ101形の他に、同様の車体形状を有するモボ111形(昭和7年登場、制御器の変更、連結運転が可能なように連結器を備えた車輛。平成4年形式消滅。)、モボ121形(昭和12年登場、モボ101形、モボ111形とは異なる台車を履いている車輛。平成8年形式消滅。)、ク201形(昭和25年登場。路面電車としては珍しい制御車。片運転台構造。平成8年形式消滅。)
モボ101形は昭和50年にポール集電廃止に伴い、パンタグラフをZ型パンタグラフに換装。同時に車体更新を行いました。他の形式はそのような事は行われていないため、老朽化が目立ち始め、引退をしています。
モボ101形は平成2年に冷房化改造も行われ、現在も全車健在となっています。

モボ301形

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昭和46年に登場した車輛(路面電車)です。京福電気鉄道(叡山線(現:叡山電鉄)、福井支社(現:えちぜん鉄道)を含む。)の車輛設計の元となった嵐電スタイルの車輛として知られています。2両がつくられました。
車体は15m級片側2扉の普通鋼製で、新製された当時は集電装置がポール式集電装置でした。当時は日本の営業路線からポール集電はトロリーバスを除いてほとんど姿を消していましたが、京都地区の各路線では使用されており、モボ301形はトロリーポールを装備した日本では最後の形式となっています。昭和50年に集電装置をZ型パンタグラフに変更、平成2年には冷房化改造が行われました。
平成19年に老朽化により2両とも廃車をする予定でしたが、京都市営地下鉄延伸により利用者が増える事が見込まれる事から、301番のみ復帰して活躍をしています。

モボ621形

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平成2年に登場した車輛(路面電車)で、5両が製作されました。主要機器をモボ121形から流用しています。

モボ21形

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平成6年に平安京遷都1200周年を記念して登場した車輛(路面電車)で、2両がつくられました。モボ621形を基本に設計されたレトロ調の車輛です。
車体は前部標識灯を運転台上部、戸袋窓を楕円、屋根はダミーのダブルルーフ(冷房装置の目隠しを兼ねています。)と全体的にレトロなデザインとし、車体色も茶色となっています。車内も木目調の化粧板が使われており、室内灯も白熱灯を模したものとなっています。