所有路線

京阪線
京阪本線 淀屋橋~三条駅 49.3km 天満橋~寝屋川信号所間12.5kmは複々線、この他複線 全線電化(直流1500V)
鴨東(おうとう)線 三条~出町柳駅 2.3km 全線複線、電化(1500V)
中之島線 中野島~天満橋駅 3.0km 全線複線、電化(1500V)
※京阪電気鉄道が第二種鉄道事業者(旅客輸送)、中之島高速鉄道が第三鉄道事業者(施設保有)
交野(かたの)線 枚方(ひらかた)市~私市(きさいち)駅 6.9km 全線複線、電化(1500V)
宇治線 中書島~宇治駅 7.6km 全線複線、電化(1500V)
大津線
京津(けいしん)線 御陵~浜大津駅 7.5km 全線複線、電化(1500V)
石山坂本線 石山寺~坂本駅 14.1km 全線複線、電化(1500V)
鋼索線
鋼索線 八幡市~男山山上駅 0.4km 単線2両交走式

大阪府、京都府、滋賀県に路線を持つ大手私鉄。「京阪電鉄」や「京阪電車」の愛称で親しまれています。
明治9年に琵琶湖から大阪湾に流れる淀川の西側に官営鉄道(現:東海道本線(JR京都線))が完成し、京都と大阪が鉄道で結ばれました。しかし運賃が高いため、淀川の蒸気船が主力となっていました。そこで、東側の京街道沿いに京都と大阪を結ぶ鉄道を建設する計画が出来ました。私設鉄道法の「京阪鉄道」と軌道法による「畿内電気鉄道」の建設計画が同時期に立てられ、協議の結果、一本化した畿内電気鉄道が設立され、明治38年に京都と大阪を結ぶ鉄道という意味の「京阪電気鉄道」が名称変更の上誕生しました。
建設には大阪市の市営モンロー主義(大阪市内の交通サービスは市営に限り、民間資本の参入を認めない都市計画)や用地買収、淀川沿いの軟弱地盤など問題や困難があり、明治43年に天満橋(大阪)~五条(現:清水五条駅)が最初の路線として開業しました。軌道線であり、併用軌道区間や急曲線が至る所にありました。
その後、路線を拡大していきます。太平洋戦争中は陸上交通事業調整法により阪神急行電鉄と合併、京阪神急行電鉄(後の阪急電鉄、現在の阪急阪神ホールディングス)になります。戦後になると再び分離し、京阪電気鉄道として再発足しています。
車輛や路線での特徴ですが、京阪線では登場から35年以上経過した車輛が全体の約半数ありますが、大きなトラブルがほとんどありません。メンテナンス技術が優秀であるという証でしょう。車種では日本では数少ないダブルデッカー車を連結した京阪特急、日本で初めての多扉車である5000系、ホームドア付地下鉄線から急勾配、急曲線が連続する山岳路線、併用軌道と性格が全く異なる京津線で活躍する800系(2代)など個性的な車輛が多くあります。かつては、特急列車に設置された「テレビカー」という斬新なサービスを展開している鉄道会社でもあります。

京阪線の車輛
1000系(3代)

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京阪線の架線電圧を1500Vに昇圧する事が決定した昭和49年以降(昭和58年に昇圧が行われました。)、所有する各形式に昇圧対応改造が行われました。釣り掛け駆動方式を採用する車輛はこれを機に廃車が計画されていました。
その廃車対象に700系(2代)がありました。この車輛は在来車の機器を流用したもので、車体は新製で経年が浅く状態は良好でした。また、冷房改造に対しても強度など問題がないことから、この車体に冷房化改造を行い、新製した機器を組み合わせる事としました。それが1000系(3代)で昭和52年に登場しました。7両編成6本が改造で誕生しました。
車体に冷房改造以外大きな手は加えておらず、前面貫通扉に行先表示器の設置やシールドビーム化などに留まっています。平成3年に更新工事が行われ、制御方式を界磁添加励磁制御方式に変更し、回生ブレーキの装備、前面デザイン変更、客室のアコモ改良などが行われました。最も大きな改造は形式変更を伴う、各車輌の電装解除や電動車化、編成位置変更です。更新前はMc+M+T+T+M+T+McであったものをTc+M1+M2+T+M3+M4+Tcと大きく内容が変更となりました。

2200系

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1960年代高度成長期の日本、京阪沿線でも人口が増加しつつありました。当時の京阪では特急用車輛で古くなった車輛を通勤用へ転用する方針でした。このため乗降時間の短縮に有効とされる3扉車がほとんどなく、元特急車の2扉車が主力であったため遅延が発生していたため、この改善として昭和34年に全電動車方式の通勤形電車2000系を登場させました。この2000系は高加減速性能をもち「スーパーカー」の愛称が付けられました。
2000系は普通列車や区間急行列車用に用いられました。急行列車、準急列車は元特急用車輛の2扉車が使われていたため、混雑や遅延が見られました。そこで、乗降が少ない運用に長編成化した2扉車を運用させたり、戦前製の車輛を3扉車の通勤形車体に更新するなど対応を行いましたが、沿線人口の急激な増大により限界に達しつつありました。また、天満橋~淀屋橋駅の延伸も控え、利用者の増加に対応しなければなりません。3扉車であり、急行列車や準急列車の運用で求められる性能を有し、かつ経済性にも優れた車輛が計画され、昭和39年に登場したのがこの2200系です。2000系では全電動車編成でしたが、付随車を組み込んだ編成となっています。
編成は登場時は6両編成、5両編成、4両編成が用意され、増備の都度編成の組み換えを行い必要な編成を用意していきました。7両編成をつくる際には余剰となった制御車が2000系に形式変更されています。
更新工事は全車に実施されており、初期の更新工事車(写真左)と後期の更新工事車(写真右)では、後部標識灯の形状が異なる違いなどが見られます。
登場から50年近く経過しており、さらに最後の更新工事から20年以上という事もあり、置換えが進められています。

2400系

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2200系の増備、1000系(2代)の置換え用として昭和44年に登場しました。最大の特徴は冷房装置で、昭和43年に通勤形車輛では初となる京王帝都電鉄(現:京王電鉄)5000系に続いて2番目となることで、関西地方では初めてとなります。
2200系を基本に冷房装置を設置した車輛で、前面の灯具類に違いがあります。冷房装置は分散式で1両あたり8台搭載しています。この他の特徴として、京阪では初めての下枠交差式パンタグラフの採用、収容力を増やすため、中間に運転台をもたない7両固定編成となっており、両端を制御車(Tc)として電動車は中間のみとしました。この先頭車が制御車である事も京阪では初めてとなります。
昭和63年に更新工事が実施され、制御方式を界磁添加励磁制御方式とし、補助電源装置を静止型インバータ(SIV)を採用しました。

2600系

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昭和34年に登場した高性能電車である2000系は「スーパーカー」の愛称で親しまれていました。しかし、冷房化や600Vから1500Vへの昇圧が困難でした。
2000系の代替えとなる車輛を用意するにあたり、この2000系の車体、台車、一部の機器を流用し、複電圧使用の回生ブレーキ付制御装置への換装、冷房化を施す改造が行われました。こうして昭和53年に登場したのがこの2600系です。(写真左、中央)昭和55年に0番代と同じ設計ながら、車体や台車など全てを新規に製作した30番代(写真右)が1800系の置換え、増備用として製作されています。
改造では前面に行先表示器、スカートの装備、前部標識灯のシールドビーム化が行われました。また、正面窓は改造時期の違いにより二段窓と固定一枚窓の2種類(写真左、中央)があります。性能面は大幅に向上しており、高速向きにしたため2200系とほぼ同じ性能となっています。この他では2600系の特徴の一つともなりますが、台車形式がたくさんあります。最大17種類にもなっていた時期があり、台車の交換や振替え、廃車となった車輛からの供出があります。

5000系

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昭和45年に登場した通勤形電車です。この5000系は日本の鉄道車輛では初めて片側5扉の多扉通勤形電車として知られています。
5000系が登場した当時の京阪は、大阪、京都市内で路面電車との平面交差があり、このため架線電圧が600Vのままでした。電力関係の制約があったため編成両数が7両編成に抑えられ、8両編成は不可能でした。一方、複々線区間は天満橋~守口市駅のみで沿線人口が急増し、混雑解消のための対策は追いつくことが出来ず、京阪線の混雑は200%近くに達する状況となりました。このためダイヤ乱れが常態化するようになってきました。
昭和44年に登場した2400系では立席スペースを拡大しましたが「焼け石に水」といったありさま。抜本的な対策が急務とされました。この様な中、架線電圧の昇圧や複々線区間の延伸が決定されました。しかし、いずれも巨額の費用が必要なため、10年前後経という時間が必要でした。そこで、ダイヤ乱れを起こしやすい普通列車の乗降時間を短縮し、7両編成という限られた中で輸送力を確保する車輛の開発が行われ5000系が登場しました。
5000系は後に登場する5扉車(JR東日本サハ204形式など)、6扉車(東急5000系)とは大きな違いが2つあります。一つは編成全てが多扉車である事。もう一つは閑散時間帯の着席サービスのため、一部の乗降扉を締切扱いとし、扉上部に収納している座席を設置している(座席昇降機能)点があります。
このような機構は重量増大という問題を抱えます。そこで、京阪では初めてとなるアルミ合金軽量車体が採用されました。当時は国鉄301系など採用例は少なく、高額でしたが軽量化での効果は絶大で、在来車よりも軽量化が図られています。一方、車体デザインは2000系以降の通勤形車輛では普通鋼を用いて軽量化を図るため準張殻構造(セミ・モノコック)が採用され卵形のような断面となりましたが、5000系では製作を容易とするために裾絞りもないシンプルな箱形となっています。前面にはアクセントとしてひさしが設けられました。製造コストが高いこと、複々線区間完成まで混雑時間帯の列車遅延が多い普通列車の混雑緩和、定時性確保を目的としたため7編成がつくられたに留まりました。

6000系

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架線電圧を1500Vに昇圧する昭和58年、昇圧に非対応の旧型車輛を置換える目的で登場した系列です。登場にあたり、省エネルギー、快適性向上を図ることも目指して設計されました。
次世代の車輛を目指すため、既存の車輛設計にとらわれないものとしており、アルミ大型押出し材を初めて採用。一段下降式のユニット窓を採用して車体をすっきりと仕上げています。前面は他の編成と併結を行わない事から非貫通構造とし、前面を二分割する大型の非常用扉を大胆に配した斬新なデザインとなっています。
登場時は4両編成で登場し、7両編成を経て現在は8両編成としています。総数は8両編成14本が活躍をしています。

7000系

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平成元年鴨東(おうとう)線の開業に伴い、増備する車輛として登場しました。6000系でVVVFインバータ制御方式の試験が行われており、7000系ではVVVFインバータ制御方式を本格的に導入した車輛になります。
登場時には6両編成2本、4両編成が1本製作され、現在は全て7両編成となっています。また、VVVFインバータ試験車であった6000系のうち3両を制御方式が同じである事から改番を行い、新しく製作した4両と組み合わせた編成が1本あり、合計4編成が活躍しています。
車体は6000系に似た形状ですが、前面では前面ガラス部の傾斜がないのが特徴となっています。制御方式はGTO素子を用いたVVVFインバータ制御方式となっています。

7200系

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平成7年に登場した系列です。輸送力増強を目的に投入されたもので、7000系を改良した形式になります。8両編成2本、7両編成1本がつくられました。
車体はアルミニウム合金製大型押出し材で、7000系よりも丸みを帯びたデザインとなっています。先頭車の客室部分、中間車はほぼ同じです。制御方式は同じGTO素子を用いたVVVFインバータ制御方式。ブレーキ方式は改良され、回生ブレーキ優先全電気指令式電磁直通空気ブレーキを採用し、省エネルギー化を図っています。
8両編成だった1編成は7両編成化され、編成変更(連結位置変更)が行われています。捻出された1両は10000系へ改番、編入されています。

9000系

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平成9年に登場した系列で、混雑時間帯の混雑緩和、輸送力増強、遠距離利用者に対する着席サービス向上を目的として8両編成5本がつくられました。乗降扉は片側3扉、車内はセミクロスシートの配置となっていました。クロスシートは固定式で、車体中央から連結面側にそれぞれ向く集団離反式が配されていました。
固定式であるため居住性の問題、混雑時には乗降に時間がかかり遅延が発生する問題が発生したため、平成14年に中間車をロングシート化し、平成20年に中之島線開業に伴い、セミクロス仕様とした3000系(2代)が登場し、9000系は全てロングシート化しました。このオールロングシート化にあわせて車体色も一般形車輛と同じになっています。

10000系

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平成14年に登場した通勤形電車で、老朽化の進む1900系や2600系0番代の置換え、支線である宇治線、交野線でのワンマン運転を行う事を目的に製作されました。
車体は7200系を基本としたアルミニウム合金製で、床面がさらに低くなっており、バリアフリー化が図られています。登場時は従来の緑色の濃淡による二色塗りから青緑色(ターコイズグリーン)一色塗りとなり大きなイメージチェンジとなりましたが、僅か8年ほどで現在の新通勤車輛色に変更されています。
制御方式はIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式で、京阪線向けの車輛では初めての採用となります。この他特徴として、電源方式の異なる電動空気圧縮機が搭載されています。編成中に2基搭載されているのですが、両者とも三相交流式とすると補助電源装置(SIV)が故障した際に動作しなくなってしまうため、1基を直流式としています。
10001編成は平成28年に7200系及び9000系の中間車輛を改番し編入して7両編成となっています。

13000系

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平成24年に登場した通勤形電車で、2200系、2600系の置換えを行う目的で製作されました。宇治線を中心として運用する4両編成、0番代(写真左)と京阪本線、鴨東線、中之島線で運用する7両編成、20番代(写真右)の2タイプがあります。
車体は大型中空押出し材によるセミダブルスキン構造を採用したアルミニウム合金製で、踏切事故やオフセット衝突に対する対策も講じられ、車体強度向上が図られています。外観デザインは3000系(2代目)で採用された「風流の今様」を継承しています。軽快感を演じるため、「風流の今様」を具体化した「スラッシュ・ムーン」という円弧形状、コーナーにエッジを持たせた「ウェッジシェイプ」というテーマが導入されています。
車内デザインは外観との調和を考えつつ、京都らしさをイメージしたつくりとなっており、床面は石畳をイメージ、座席は京阪初となる片持ち支持方式の座席(ロングシート)が採用。背ずり、袖仕切りを墨色、座布団を萌黄色とし、背ずりには円弧模様や袖仕切りの縁に橙色を配してアクセントとしています。

3000系(2代)

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平成20年中之島線開業に合わせて直通する快速急行列車に使用する車輛として登場しました。「コンフォート・サルーン」の愛称が付けられています。
デザインコンセプトは文化、風情の香りに現代感覚を融合させた「風流の今様」。先頭車の前面は「花鳥風月」をイメージした円弧状のデザインで、車内にも円弧上のデザインが採り入れられています。
車体は6000系以降、京阪の標準となったアルミニウム合金製中空大形押し型材のダブルスキン構造で、川崎重工業のefACE(※)構体を初めて採用しました。車体色は上部をエレガント・ブルー(紺色)、下部をアーバン・ホワイト(白色)とし、境界にスマート・シルバー(銀色)の帯を配しています。水の都大阪と共に京の暖簾や伝統、格式をイメージさせる紺色に白色と銀色を加え、都市のきらめき、石庭における川の流れを表現しています。
車内は混雑時の立席スペース確保と閑散時の着席サービスを両立させるため、乗降扉間は2+1列の転換式クロスシート、車端部はロングシート、乗務員室後部は2+2列転換式クロスシートを配しています。サービス機器として京阪では初めての液晶ディスプレイ(LCD)が乗降扉上部に設置されています。
快速急行列車の運用でしたが、現在では特急列車の運用も行っています。
※efACE(イーフェイス)・・・川崎重工業が開発した標準型通勤車輛の製造技術の名称です。efACEとは、Environmentally Friendly Advanced Commuter & Express trainという意味です。従来、鉄道会社ごとの制約条件、要求により、車輛の仕様が異なり、それに応じた製作を行うため、コストや時間がかかっていました。そこで、車輛の各構体の寸法や内装、機器類など位置を変更する事が可能な構造の標準型車輛から、鉄道会社の要求に対応して、車輛を改造していく事により先頭形状、内装、寸法が異なる車輛でも、製作方法を同一化する事が可能となり、コスト、作業時間の低減が図れ、きめ細やかな要求にも対応が出来る利点があります。車輛の構体が完成した後に行われる艤装工程ではモジュール部品をそのまま車体に設置していきます。部品構成は種類や数量を減らしたものとし、作業の合理化を図っています。

8000系

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平成元年に登場した特急形車輛です。「エレガント・サルーン」の愛称が付けられています。鴨東線開業時の特急形車輛の増備車として登場し、後に3000系(初代)を置換えていきました。この3000系も平成20年に8000系に編入され30番代となっていましたが、すでに廃車となっており存在していません。
8000系は7両編成1本のほかに、3000系6両編成を7両編成とするために中間車が製作されました。置換えが進むとそれらの中間車は新しくつくられた8000系の編成に組み込まれ、3000系で試験的に連結していた2階建て車輛(写真右8800形)を本系列でも採用。平成9年より組み込まれ、8両編成となりました。
車体はアルミニウム合金製大型押出し材を採用。ただし、2階建て車輛は普通鋼製となっています。制御方式は界磁位相制御、回生ブレーキ及び定速制御機能を有しています。この定速制御の操作を容易にするため、京阪では初めての主幹制御器(マスコン)をワンハンドルとしています。
車内は3000系(初代)のイメージを残しつつ、近代的にアレンジしたものとなっています。京阪特急列車伝統の「テレビカー」。車内にテレビを設置したサービスも継承されました。このサービスは平成24年まで行われました。
車体色は登場時は車体上部が黄色、下部が赤色の2色でしたが、現在は逆転しており、境界部分に金色の帯が入っています。

大津線の車輛
600形(3代)

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昭和59年に登場した石山坂本線の路面電車です。大津線(石山坂本線と京津線の総称)では初めての冷房車です。
車体は300型・260形の車体を流用しています。1~4次車まであり、1次車(写真左)は300型、2~4次車は260形の車体で、1次車は平面ガラス、2次車以降はパノラミックウインドゥとなっており、外観の違いともなっています。
京津線が京都市営地下鉄との相互乗入れを開始したのに伴い、現在は石山坂本線の運用となっています。

700形(3代)

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平成4年に登場した石山坂本線用の路面電車です。この車輛も350形、500形の車体を流用しており、701~704までの2編成は350形、705~710の3編成は500形の車体となっています。大津線の1500V昇圧に対応する形式として設計されており、機器類は複電圧仕様となっています。
600形(3代)と同じく、石山坂本線で活躍をしています。

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写真は80形の登場55周年を記念して施されたリバイバルカラーです。

800系(2代)

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平成9年に登場した京津線用の通勤形電車です。京都市営地下鉄東西線の直通運転開始に合わせて、またこれに伴う架線電圧1500Vへの昇圧を実施するため、これらに対応する車輛として設計され、在来車の置換えも行いました。京都市営地下鉄東西線は御陵駅から太秦天神川駅まで乗り入れています。
京津線は一部区間に併用軌道、つまり路面電車の区間があり、日本で唯一の地下鉄と併用軌道区間を直通する車輛として知られています。また京津線には登山鉄道のような急勾配(最大61‰)や急カーブ(最小曲線半径40m)があり、区間ごとに極端に異なる性格に対応した様々な機能を備えています。これらの装備に加え、上質な客室設備などがあり、「1mあたりの値段は日本一ではないか。」(1両あたり約2億円)と担当者が言うほどの高価な車輛となっています。
車体は長さ16.5mで、片側3扉構造です。軌道区間で自動車などの接触事故を考え、修復を容易とするため普通鋼製としています。車体色は琵琶湖をイメージしたパステルブルーと灰色をベースとし、新しい時代の京津線を象徴した「刈安色(黄色)」の帯を配しています。制御方式はIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式です。ブレーキ関係では制輪子(ブレーキシュー)に古い車輛に見られた鋳鉄を使用しています。これは安価で高速域から安定した減速力を得られるレジン(合成樹脂)製よりも、鋳鉄製は連続する急勾配や天候変化に強く、併用軌道区間内での定速運転時に急減速性能が優れているためです。
車内は先頭車が1+2列の固定セミクロスシート、中間車がロングシートとなっています。