所有路線
名古屋本線 豊橋~名鉄岐阜駅 99.8km 豊橋~平井信号場間は単線(JR飯田線との供用区間)、全線電化(1500V)
豊川線    国府~豊川稲荷駅 7.2km 全線単線、電化(1500V)
西尾線    新安城~吉良吉田駅 24.7km 西尾口~西尾駅、桜井~南桜井駅間は複線 全線電化(1500V)
蒲郡線    吉良吉田~蒲郡駅 17.6km 全線単線、電化(1500V)
三河線    碧南~猿投駅 39.8km 梅坪~豊田市駅、知立~重原駅、刈谷~刈谷市駅間は複線 全線電化(1500V)
豊田線    梅坪~赤池駅 15.2km 全線複線、電化(1500V)
常滑線    神宮前~常滑駅 29.3km 全線複線、電化(1500V)
空港線    常滑~中部国際空港駅 4.2km 全線複線、電化(1500V)
築港線    大江~東名古屋港駅 1.5km 全線単線、電化(1500V)
河和線    太田川~河和駅 28.8km 河和口~河和駅は単線、全線電化(1500V)
知多新線   富貴(ふき)~内海駅 13.9km 全線単線、電化(1500V)
瀬戸線    栄町~尾張瀬戸駅 20.6km 全線複線、電化(1500V)
津島線    須ヶ口~津島駅 11.8km 全線複線、電化(1500V)
尾西線    弥富~玉ノ井駅 30.9km 佐屋~森上駅間は複線、全線電化(1500V)
犬山線    枇杷島分岐点~新鵜沼駅 26.8km 全線複線、電化(1500V)
各務原(かかみがはら)線 新鵜沼~名鉄岐阜駅 17.6km 全線複線、電化(1500V)
広見線    犬山~御嵩駅 22.3km 犬山~新可児駅間は複線、全線電化(1500V)
小牧線    上飯田~江吉良駅 20.6km 上飯田~小牧駅間は複線、全線電化(1500V)
竹鼻線    笠松~江吉良駅 10.3km 全線単線、電化(1500V)
羽島線    江吉良~新羽島駅 1.3km 全線単線、電化(1500V)

愛知県、岐阜県に多数の路線を持つ大手私鉄で、「名鉄」の通称があります。総営業キロは近鉄、東武に次ぐ日本の私鉄では第3位となる444.2km、駅数は275駅あります。名古屋鉄道は中京地区の多くの鉄道会社が合併してできた会社で、起源は明治27年に名古屋市内で馬車鉄道を始めた愛知馬車鉄道です。
愛知県の中心である名古屋市から四方へ路線が広がっており、岐阜、犬山、常滑、豊橋方面へと続いています。いずれの方面を始発とし、中心の名古屋市内へ向かいますが、多くの列車は進行方向を変えることなく反対方向の終点駅を目指す運行体系が特徴です。瀬戸線は他の名鉄路線と接続が無い独立した路線です。
幹線からローカル線まで様々な顔をもった路線を擁しています。列車種別も豊富にあります。各駅停車の普通、普通列車よりやや停車駅の少ない準急、中核駅を中心に停車する急行、急行列車の停車駅をさらに絞った快速急行、利用者の多い駅、支線の分岐駅などに停車駅を絞った特急、特急の派生となる快速特急、中部国際空港アクセス特急のミュースカイがあります。(平成28年現在)
この列車の種別のほかに「一般車」と「特別車」というものがあり、特急列車以上の列車に「特別車」があります。乗車には乗車券のほかに「ミューチケット」が必要となります。
車輛の特徴ですが、かつてはダークグリーンやマルーンと名古屋鉄道に統合される以前の会社が採用していた色を使用していましたが、昭和36年に登場した7000系パノラマカーで初めてスカーレット(赤色)一色塗りが採用され、それ以外の車輛もグレート(車内設備等)に応じた塗装に変更していきました。1970年代に入るとオイルショックもあって、新旧やグレートに関係なく多くの車輛がスカーレット一色になり、名鉄電車=赤い電車というイメージが定着し、名鉄のシンボルカラーとなっていきます。
近年になって、新製時より白色をベースとした特急形車輛が登場。帯色に赤色を採用して赤い電車の伝統を引き継いでいます。(2000系は除く。)
車体表記は名古屋鉄道独特のもので、アメリカンスタイルとも言われるボールド体のローマン書体を用いています。(写真)この書体は前身となる鉄道会社の一つである愛知電気鉄道が採用していたものです。

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通勤形電車(SR車)
SR車とは名鉄の所有する様々な系列において昭和30年に登場した5000系(初代)以降の系列に与えられる呼び名で、「Super Romanse Car:スーパーロマンスカー」の事をいいます。

5700系

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昭和61年に登場した急行用電車です。名鉄では本系列をNSR車(New Super Romance Car:ニュースーパーロマンスカー)と呼んでいます。豊橋と岐阜駅を結ぶ速達列車として特急、急行列車が運行されており、2扉クロスシート車を使用していました。昭和50年代後半は特急列車に冷房を装備した7000系が活躍していました。しかし、急行列車には2扉クロスシートでありながら非冷房の5500系などが使用されており、旧性能電車でありながら冷房車である7300系などの方が利用者にはサービスが良いと評判でした。また、通勤形となる6000系を急行列車に投入するのはサービスが不十分となります。一方、並行する国鉄東海道本線では快速列車の大増発を計画していました。そこで、新しい急行用車輛を設計する事となり、本系列が誕生しました。
車体は18m級で、転換クロスシートを中心とし、運転台反対側連結面はロングシートとなっています。制御方式は界磁チョッパ制御方式で、回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ方式となっています。

5300系

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5700系を大量に投入したかったのですが、財政上厳しいため5700系と同様の車体としつつも、台車や電装品を5000系や5200系の部品を流用したのがこの5300系です。制御方式が異なり界磁添加励磁制御方式となっています。台車は金属ばねのものが使用されていましたが、スピードアップにより新造した空気ばね台車に変更されています。

5700系5601編成

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名古屋本線の急行列車において6両編成での運用が増え、5700系でも平成元年に2編成が6両編成に増強されました。新しく中間車を2両ずつ組み込み活躍を始めました。一方、同じNSR車である5300系は老朽化が進み、徐々に廃車が進んでいました。6両編成化された編成が平成21年に、運用効率をよくするため再び4両編成に戻される事となって、新造した中間車を抜き取ってしまいました。この捻出した4両のうち、2両を先頭車化改造する事にしました。廃車となった5300系の運転台部分を付けたもので、平成22年に登場しました。違いは運転台直後の窓がない事と、車内でも運転台の直後に座席がないのが特徴となっています。

6000系

昭和51年に登場した系列で、戦後の名鉄では初めての本格的通勤形車輛となります。戦後、名鉄では2扉クロスシート車を導入し続けました。これは自家用車対策で、冷房付クロスシート車を導入するが適正と考えていたからです。1960年代後半からラッシュ時間帯の混雑が激しくなり、この対応においても旧型車輛を鋼体化する事が最適で、2扉クロスシート車で乗り切ろうとしていました。
1970年代前半オイルショックにより、鉄道を利用する乗客が急増しました。主要駅では積み残しが出るほどの混雑ぶりで、2扉クロスシート車の運用は限界となっていました。そこで、東急より3扉ロングシート車を購入し、運用を開始。収容力の高さを実証する事になりました。この様な事から、昭和50年に入って本格的な通勤形車輛の設計が決まりました。当初はロングシート仕様を計画していましたが、クロスシート仕様になっています。昭和26年に登場した3550系3扉車以来、約30年ぶりの3扉車として登場したのがこの6000系になります。
車体長は18m級、片側3扉構造のスカーレット一色の車体です。運転台は貫通構造の高運転台、パノラミックウィンドゥとしています。また、先頭車前面下部に標識灯がありますが、これは後部標識灯と通過表示灯を兼ねたものとなっています。車内は車端部をロングシート、乗降扉間をクロスシートとしています。
制御方式は抵抗制御方式となっています。特徴として、従来では全電動車方式でしたが、6000系では初めて電動車と付随車を1組とするMTユニット方式が採用されました。この方式を採用したため、主電動機は従来の2倍の出力を持っています。
昭和60年まで製作が行われ、様々なバリエーションが誕生しています。
○1次車(6001~6006編成:6001編成)

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4両編成6本が最初に登場しました。写真では少々わかりづらいので申し訳ないのですが、乗降扉窓は小窓で、高い位置にあります。これは子供の傷害事故防止を目的としているもので、車窓に夢中になって戸袋へ引き込まれるのを防ぐため、わざと外を見えにくくしています。
○2次車(6007・6008編成:6008編成)・3次車(6009~6014編成:6009編成)

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昭和52年に登場したグループで4両編成2本が増備されました。外観では先頭車前面貫通扉の固定位置が変更となり、同一平面となってすっきりしています。この他、行先表示器の細部改良が行われています。翌年の昭和53年に3次車が登場。このグループは2両編成としたもので、2次車と同じ改良が行われています。写真右の6009編成はワンマン運転対応工事を受けており、外観では乗降口表示器やスピーカーの設置が行われています。
○4次車(6015~6017編成:6015編成)

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昭和54年に増備されたグループです。外観では前面の行先表示器が大型化されたほか、乗降扉窓も大型化されています。
○5次車(6018~6027編成:6018編成)

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昭和55年に4両編成、2両編成それぞれ5本ずつ増備されました。省エネという言葉が流行ったこの時期、6000系も仕様の見直しが行われ、客室側面窓が開閉式に変更され、小窓が並ぶスタイルに変化しました。冷房装置も個数を減らし、熱交換型換気装置が設置され省エネルギー化が図られています。
○6次車(6028~6032編成:6029編成(左))、7次車(6033~6037編成)、8次車(6038~6044編成:6039編成(右))

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昭和56年に6次車が登場。4両編成3本、2両編成2本が増備されました。車体各部の軽量化が図られています。その後、昭和57年に7次車4両編成3本、2両編成2本、昭和58年に8次車4両編成4本、2両編成3本が増備されました。
○9次車(6045~6048:6045編成)

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昭和59年より、4両編成は後述の6500系として増備される事となり、6000系は2両編成のみ増備となります。外観は一変し、6500系1次車と同じ車体や台車が採用されています。
○10次車(6049~6052編成:6052編成)

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昭和60年に登場した最終増備車グループで、2両編成4本が増備されました。車体は6500系2次車と同じスタイルとなっています。

6500系

6000系の増備が続けられる中、他の鉄道会社ではチョッパ制御方式を用いた回生ブレーキ方式が使用されており実績を上げていました。名鉄でも導入しようという気運が高まり、昭和59年に名鉄では初めての回生ブレーキを装備した6500系が登場しました。正面は非貫通構造となり、前面窓下部にステンレスの飾り帯が設置されています。車体構造が見直され前面の印象は大きく変わりました。車内の居住性改善も図られており、シートピッチや背もたれの寸法を拡大しています。
6000系では4両編成のほかに、増結用や閑散線区向けの2両編成がありますが、必要な数に達していない事、閑散線区では回生ブレーキが有効ではない事から、車体を6500系とした6000系を増備する事になりました。

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昭和59年に登場した1次車は登場当初は6000系9次車と同じく、後部標識灯と通過表示灯が一つのケースに収められていました。平成15年頃に2次車と同じものに変更しています。昭和60年に登場した2次車では、同じ場所になりますが、別々であった後部標識灯と通過表示灯を発光ダイオード(LED)化し、一つに変更しています。(写真左)その後細部を変更しつつ増備が行われ、平成元年に登場した6次車(写真右:写真は8次車の6523)では再びマイナーチェンジが行われました。車体構造を大幅に変更し、車体幅の拡大を行い、先頭車前面窓は曲面ガラスを使用。客室窓も連続窓風のすっきりしたものとなっています。
車端部ロングシート、扉間はクロスシートの配置である6000系、6500系ですが、混雑緩和を目的に6000系では1~8次車がロングシート化改造、6500系では最終増備となる8次車がオールロングシート仕様になっています。

6800系

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省エネルギーの回生ブレーキを装備した6500系が昭和59年に登場しましたが、この系列の編成は4両編成で、2両編成は6000系によって増備が行われていました。メンテナンス、省エネルギーを図るために昭和62年に6500系の2両編成系列としてこの6800系が登場しました。大きな違いは、6500系と同じく回生ブレーキを装備していますが、制御方式をGTOチョッパ制御方式から界磁添加励磁制御方式としています。
6800系も1次車、2次車は6500系と同じデザイン(写真左)でしたが、平成元年に登場した3次車より大幅な車体のマイナーチェンジが行われています。(写真右)また、通勤車輛として特化したものとするため、平成3年以降の5次車からはオールロングシート仕様になっています。

5000系(二代)

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名古屋鉄道では特急列車の運行体系を見直し、中部国際空港のアクセス特急「ミュースカイ」以外の特急列車は一般車と特別車を組み合わせた編成に変更する事になりました。このため、特急列車用1000系が編成の変更を行い、余剰車が発生する事になりました。この余剰車を活用すべく、主要機器を流用し、新造した車体を組み合わせて登場したのがこの5000系で、平成20年に登場しました。なお、昭和30年から昭和61年まで5000系(初代)が在籍しており、二代目となる5000系は新5000系とも言われています。
3300系、3150系と同じ、日車式ブロック工法の19m級車体で、先頭車前面は普通鋼となっています。1000系の機器を流用しているため、前面は非貫通構造です。ただし、将来を見据えて、貫通扉の設置が可能な設計としています。
制御方式は1000系の機器を流用しているためGTO界磁チョッパ制御方式となっています。同様にブレーキ制御方式も、ステンレス車というと電気指令式空気ブレーキ方式というイメージがありますが、回生ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ方式となっています。と、見た目は新しく、中は古い。といった感じになってしまいますが、走行性能は120km/h運転が可能な高性能車輛となっています。

通勤形電車(VVVF車)

3500系(二代)

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6000系列の後継、発展系列としてVVVFインバータ制御方式、電気指令式空気ブレーキ方式などの新機軸を盛り込んだ新しい系列として平成5年に登場しました。
車体は6500系6次車をベースとしていますが、先頭車の前面には電気指令式ブレーキを示す「ECB:Electric Command Brake」のプレートが貼られています。(写真右)また、排障器の装備も外観の違いとなっています。
車内では、特急車輛以外では初めて号車番号表示器とLED式案内表示器が設置されました。座席は6500系8次車、6800系6次車と同じオールロングシート仕様となっています。ただし、座面の改良などが行われています。
性能面では、GTOサイリスタ素子を用いたVVVFインバータ制御方式で、使用される主電動機はかご型三相誘導電動機です。この電動機は構造が単純で、短時間ならば過負荷をかけても温度上昇に強い特徴があり、この特徴を活かして通勤形電車ながらも名古屋本線の優等列車では120km/h運転を行っています。
この他、小さな違いでは1次車の列車無線アンテナは6000系と同じもの(写真左)で、2次車以降は逆L字のアンテナとなっています。(写真中央)

3700系(三代)

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平成9年に登場した通勤形電車です。名古屋鉄道では3700系という系列は3代目となります。3500系の改良型にあたる系列で、制御方式や車内などは3500系に準じた設計となっています。外観では車体が卵形の丸みあるデザインから、角ばった形状に変化し、屋根高さがやや高くなりました。また、パンタグラフをシングルアーム式に変更しています。車内では車体断面形状が変化した事により、天井がやや高くなり、冷房吹出し口がラインフロー式になるなどの変化が見られます。

3100系

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3700系の2両編成仕様となる系列で平成9年に登場しました。制御方式が変更され、GTO素子からIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式に変更されています。この他に、2両編成では補助電源装置を制御車に搭載していましたが、本系列より制御電動車に搭載されるようになりました。
平成12年に登場した最終グループである3次車(写真右)は、平成11年に登場した1600系に準じた仕様の変更が行われており、運転台モニタ装置の設置、主幹制御器の操作方法変更、車外スピーカーの設置など変更点があります。

3300系(三代)

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平成16年に登場した4両固定編成の通勤形電車で、地上用の電車では初めてのステンレス製車輛になります。小牧線で活躍する300系を基本としており、日車ブロック工法によるステンレス車体です。3300系は地上線用の電車のため19m級片側3扉構造となている点が大きな違いです。先頭車の前面は普通鋼で、これは踏切事故などの衝突事故の際に乗務員の保護と修繕をし易いようにするステンレス車の特徴の一つともなっています。シルバーメタリックのボディに名鉄伝統のスカーレットの帯を配しています。(現在は塗装変更が行われ、写真のようなデザインではありません。)
車内は1次、2次車がロングシートとクロスシートの構成、3次車以降はオールロングシートとなっています。バリアフリー対応として、ドアチャイムや乗降扉付近に黄色のカラーステップを配しているほか、車椅子スペースも設置されています。
制御方式はIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式で、故障時を考えて補助電源装置(CVCFインバータ)と一体とし、故障時はVVVFインバータ装置をCVCFインバータ装置として使用するデュアルモード方式が採用されています。冷房装置は名鉄では初めての集中式が採用されました。

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現在の様子。前面の塗装デザインが変更され、前面下部がスカーレット、灯具周りが黒色となっています。

3150系(二代)

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3300系の2両編成仕様として同時に登場した形式です。4両編成の3300系の先頭車と同じ設計となっています。2次車以降(3155編成以降)は座席がオールロングシート化されたほか、配色などの改良が行われています。

4000系

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平成20年に登場した瀬戸線用の通勤形電車です。折しもこの年は瀬戸線が栄町駅乗入れ30周年になることから、在来車輛の全面置換え用としてつくられました。4両編成18本が活躍をしています。
車体は日車ブロック工法によるステンレス製で、ドア周りの溶接がレーザー溶接である点が3300系などとは異なっています。角ばったデザインで、運転台横の三角窓がお洒落な電車です。客室窓はコストダウンを図るため、3300系などと同じタイプが使用されています。客室は同年に登場した5000系などと同じく、片持ち式ロングシート仕様です。このほか、名鉄の通勤形電車では初めて乗降扉上部にLCD画面を用いた車内案内表示装置が設置されています。
制御方式はIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式を採用しています。このほか特徴として、曲線が多くある瀬戸線の事情にあわせて台車はボルスタ台車となっています。

通勤形電車(地下鉄乗入れ用)

100系

名鉄豊田線は、名鉄の前身となった新三河鉄道が挙母(ころも)~大曽根間を建設する計画に始まったもので、途中三河鉄道に継承され、昭和15年に名古屋鉄道に合併され利も本格的な工事は行われませんでした。
1950年代に入り高度成長期を迎えると、豊田市では自動車産業の隆盛によって人口が急増。この頃、名古屋市から豊田市方面までを結ぶ鉄道は無く、自動車が主体であったため混雑などの問題が深刻なものとなっていました。そこで、新三河鉄道が計画していた路線のうち八事~赤池駅を名古屋市営地下鉄が建設(舞鶴線)し、赤池~豊田市駅を名鉄が建設して相互乗入れ運転を行う事になりました。相互乗入れをするにあたっては車輛の規格を統一する事が必要で、その条件の一つに20m級車輛である事があり、名鉄初の20m級片側4扉車として昭和54年にこの100系が登場しました。(※かつて終戦直後に車輛不足を補うため、運輸省より国鉄モハ63系が割り当てられ設計した、3700系(初代)がありました。)当初は4両編成でしたが、現在は6両編成となっています。

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先頭車前面は6000系と5500系を組み合わせた近代的なスタイルとし、高運転台構造、パノラミックウインドゥと窓下の飾り帯など都会感覚の仕上がりとなっています。前面行先表示器は6000系よりも拡大されたほか、名鉄では初めて側面にも行先表示器が設置されています。車内はロングシート仕様となっており、客室窓には横引きのカーテンが設置されています。このロングシート車輛に横引きカーテンの組み合わせは初めての事です。
100系の制御方式は特徴があり、最初の1次車、2次車では安定した性能やメンテナンス面を考えて6000系と同じものを使用しています。(写真左:112編成、右2次車:115編成)登場後、三河線で足慣らしを行い、直通運転が開始されると豊田線、名古屋市営地下鉄舞鶴線で活躍を始めました。

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平成元年に3次車が登場。走行関係などに大きな変化が見られ、制御方式が界磁添加励磁制御方式となり、回生ブレーキを装備しました。また、補助電源装置(GTOインバータ装置)も変更されています。車内も冷房装置の変更により、屋根形状に変化が出ています。
一方、3次車が登場した頃の犬山線では朝ラッシュ時の混雑が激しさを増しており、打開策として犬山線と舞鶴線の相互乗入れの準備が進められていました。その際に100系を増備する計画でしたが、地上線の18m級よりも収容力の大きい100系を前倒しで増備し、犬山線で4次車が投入されました。(写真:212編成)4両編成4本が製作され、犬山線では2本連結した8両編成で使用するため、形式は同じとしつつも200番代となりました。併結運転が行えるように装備を施しています。
その後、犬山線と舞鶴線の相互乗入れが行われ、輸送力増強に4両編成から6両編成へ強化される事となり、中間車のみとなる5次車が2両ずつ組み込まれました。この5次車は名鉄では初めてVVVFインバータ制御方式となり、他の制御方式と合わせられるように設計されています。

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平成6年に最終増備として6両編成が1本投入されました。この編成は完全にVVVFインバータ制御方式を採用し、全ての車輛が200番代を名乗ることから『200系』とも言われています。名鉄では100系6次車として扱われています。
現在は、抵抗制御車についてはIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式に改造されています。

300系

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名鉄小牧線と名古屋市営地下鉄上飯田線の相互乗入れ用車輛として平成14年に登場した通勤形電車です。
混雑時の乗り降りのし易さ、クロスシートを使用した快適な乗車を両立させるために、乗降扉間毎にロングシートと転換式クロスシートを交互に配置した特徴ある車内となっています。
車体は20m級片側4扉構造の4両編成。名鉄では初めて採用(日車式ブロック工法によるステンレス車体、車輛情報管理装置(TICS(ティクス):Train Information Control System)、純電気ブレーキ制御方式など)された系列となっています。
制御方式はIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式ですが、3100系を基本とし、改良を加えたものとなっています。

特急形車輛(SR車)

1000系

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1960年代に名鉄特急として誕生した7000系、通称「パノラマカー」は後に名鉄を代表とする特急形電車になりましたが、当時の特急列車は基本的に特急料金が不要であった事と特急列車以外に急行列車や普通列車などにも使用されていたため、本格的な有料特急列車ではありませんでした。
名古屋本線東西直通40周年の節目の年となる昭和63年に本格的特急形車輛として1000系が誕生しました。デッキ付の全席リクライニングシートを採用した本格的特急形車輛となっています。4両編成21本がつくられました。愛称はパノラマカーの後継でもあることから、「パノラマSuper」と名付けられています。
昭和61年から平成17年まで、7000系をハイグレート化した8800系(パノラマDX)(日本初となる最前部の展望席ををハイデッカー(高床式)構造した特急形車輛。)をお手本としており、先頭部は1階部分を乗務員室とし、中2階に展望席(パノラマシート)が設置されたハイデッカー構造となっています。前面や側面に曲面ガラスを多用しているのが特徴となっています。車内は回転式リクライニングシートが配置され(展望室は除く)、デッキと客室の仕切りにはLEDを用いた旅客案内装置があり、停車駅やニュース、お知らせのほかに走行中の速度も流れています。乗降扉は車内側に折れる2枚折戸となっています。
GTO素子を用いた界磁チョッパ制御方式を採用しており、ブレーキ力を強化して運転最高速度は120km/hとしました。なお、平成6年製以降の車輛は台車がボルスタレス台車となり、ユニットブレーキ方式となっています。

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4両編成全てが特別車の編成だった1000系ですが、平成3年に4両編成6本(24両)を2両ずつに分割し、岐阜方の2両は豊橋方に方向転換を行い、新しく登場した1200系4両と連結した、特別車と普通車の6両編成となりました。4両編成が全て特別車だった頃に一部の車輛にトイレが設置されており、そのトイレの有無によりA編成(写真左:1014編成)とB編成(トイレ付)(写真右:1115編成)の2種類があります。
残った特別車編成は平成19年より廃車が始まり、発生した機器類などを5000系へ流用しました。平成20年に特別車編成が全て廃車となっています。この廃車により、岐阜方の展望室を持つ車輛はなくなっています。

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現在活躍している編成は平成27年より更新工事が実施されており、塗装パターンの変更が行われたほか、前面にある「パノラマSuper」の愛称表示器が、行先表示器に変更されました。また、この更新工事を機に編成全体の総称を「1200系」と変更しています。

1200系

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1000系は登場当初は単独の4両編成で運用されていましたが、平成2年以降は一般車と連結をして運用され始めました。ところが、特別車へ誤って乗車する(特別車の乗車には座席指定券(現在のミューチケット)が必要。)事が絶えず、車輛間の通り抜けが出来ない問題があったほか、性能面で他系列と編成を組むと最高速度が低くなってしまい、所要時間が長くなってしまいました。こうした事から、新しい一般車をつくる事となり、登場したのがこの1200系です。
1000系とは異なり、一般車であるため通勤、通学輸送を考えた設計となっています。展望室、デッキの省略が行われ、両開きドアを片側に3扉設けています。先頭車前面は1000系に似たものとし、側面窓は1000系と共通のデザインが施されています。18m級の車体ですが、車掌室又はトイレのある車輛のみ19m級となっています。
車内は転換式クロスシートと乗降扉付近に収納式の補助座席が装備されたものとなっています。
性能面は1000系に準じたものとしています。編成は1000系を分割した際に、トイレや車掌室の有無があるため、それに合わせる形となっています。車掌室を設けた編成をA編成と言い、形式では1200番代。(写真左:1415編成)トイレを設けた編成をB編成と言い、形式を1300番代(写真右:1512編成)としています。

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平成27年より更新工事が行われ、外観では塗装変更のほかに愛称表示器の廃止などがあり、内装も大幅に変更されています。

1800系・1850系

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この2つの系列は、名古屋本線の一部特別車特急列車の混雑時においての増結用車輛として登場したもので、1800系は平成3年に登場。(写真左)1850系は翌平成4年に登場しました。(写真右)1850系は廃車となった7500系の機器を流用した形式で2両編成3本が登場しています。
ぱっと見た感じは1200系に見えますが、2両編成である事、先頭部の愛称表示器(パノラマSuper)がない。また、ミュージックホーンも装備されていません。制御方式は界磁添加励磁制御方式を採用しています。
1850系は平成27年にオーバーラン事故を起こし、原因が車輛の不具合であったことから事故を起こした当該車輛は廃車。その後もう1編成も廃車となって、平成28年現在1編成のみが在籍しています。

1030系・1230系

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一部特別車特急列車の編成不足を補うため、廃車となった7500系の走行用機器を再利用してつくられた系列です。6両編成4編成がつくられました。特別車は1030系、一般車は1230系となっています。
外観は1000系、1200系によく似ていますが、パンタグラフの設置車輛(写真では最後部車輛にパンタグラフが設置されており、見分けるポイントの一つです。)やラジオアンテナの位置などが異なっています。内装は1000系、1200系に準じており、トイレや車掌室の配置はB編成に準じています。このため、車輛番号は1100番代及び1300番代となっています。
走行関係の機器も異なっており、1000系、1200系では4M6T編成ですが、本系列は全ての車輛が電動車となっています。制御方式は1030系は界磁チョッパ制御方式、1230系は他励界磁制御方式となっています。
4編成のうち、1編成は事故廃車及び他系列に改造。残った編成も廃車が進み、1編成のみとなっています。

1380系

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1380系は平成5年に7500系の機器を流用して、1030系、1230系の1134編成として登場しました。平成14年に名古屋本線で運用中に踏切衝突事故に遭いました。この事故で特別車の1030系2両は大破し、そのまま廃車。残った4両(1230系)はそのまま使用する事になりました。
特急車輛からの格下げ改造になるため、運転台のある1530番(写真左)は愛称表示器やミュージックホーンの撤去が行われました。そして、反対側となるモ1384番には運転台の設置、先頭車化改造を行いました。この車輛は19m級の長さがあり、車掌室があった部分に運転台を設置した事から、運転台から乗降扉までの間隔が長くなっています。写真右がモ1384番で、左のモ1534番と比べると違いが判ります。
普通列車用に格下げとなり、塗装はスカーレット1色塗りとなりました。なお、名鉄の象徴であった「赤い電車」ですが、特急車輛以外ではこの1380系が最後で、以降はオールステンレス製に移行しています。平成27年に廃車となって、系列消滅しています。

特急形車輛(VVVF車)

2000系

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中部国際空港へのアクセス特急用車輛として平成16年に登場しました。愛称は「ミュースカイ」と名付けられました。愛称は一般公募で、名古屋鉄道の略称である名鉄(Meitetsu)の頭文字、名鉄特急特別車の愛称「μ(ミュー)」と空を意味するスカイ(sky)を組み合わせたものです。
車体は19m級鋼製車体。車体傾斜装置を搭載しており、車体幅は2700㎜としています。先頭部には貫通扉が設置されており、凹凸を極力減らし、車体との一体感を出すように工夫されています。貫通扉には中部国際空港の愛称「Centrair(セントレア)」のロゴマークが貼られています。
塗装は従来の名鉄車輛とは一変し、白色をベースに青色のアクセントが入るものとなりました。これは、中部国際空港が伊勢湾の海上にあり、空と海の爽快なイメージから連想される「青と白と水の透明感」をコンセプトとしています。
1両あたり片側に1000㎜幅の両開き乗降扉2扉を備えており、大きな手荷物を持った旅客が利用し易いようになっており、デッキと客室を仕切る扉も同様の両開き構造となっています。車内は平成11年に登場した1600系パノラマSuper(平成11年から平成20年にかけて活躍した特急形車輛で、現在は1700系に改造編入。)を基準としており、折り畳みテーブルを備える回転式リクライニングシートが2+2列で配されています。照明は間接照明で、補助灯も備えています。この他に、車椅子スペース、トイレの設備もあります。
展望室は併結時に貫通できるようにするため、またバリアフリーを優先させる事から設置されていません。その代わりに乗務員室にCCDカメラが設置されており、デッキと仕切り扉上部に設置された旅客案内表示も兼ねる液晶ディスプレイに前方風景がライブ中継されます。
制御方式はIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式で、1600系では3両編成中1両のみ動力車とした事から空転が多く発生したため、3両編成中2両を動力車としています。ただし、1両は全てを動軸とすると出力が過剰となることから1軸は付随軸とした3/4動力車となっています。高速性能は1分ほどで120km/hに達する能力となっています。
2000系の大きな特徴に空気ばねを用いた車体傾斜装置が搭載されています。曲線の多い常滑線を走行するため、スピードアップには欠かせない装置で、曲線通過速度を5~15km/h向上させています。
運用開始直後より人気の高い列車となり、常に満席となる列車が多くでました。編成を2編成つなげた6両編成でも同様で、平成18年には中間車を1両増結し、基本編成を4両としました。混雑時には8両編成で活躍する姿が見られます。

2200系

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平成17年に中部国際空港が開港するのに先立ち、新しく営業を開始する空港線向けに登場した特急形車輛です。
全体的に2000系ミュースカイによく似た19m級鋼製車体を持っていますが、白色を基本とし、名鉄のブランドカラーであるスカーレットを配しています。また、車輛前面は貫通形に見えますが、実は非貫通構造で扉のように見えますが、開く事は出来ません。ただし、一部分がマジックミラーとなっており、車内から前方や後方風景を見る事が出来ます。
車輛構造は6両編成中、豊橋・中部国際空港方の2両(写真左)が特別車で、2000系に準じた片側2扉構造、残りの岐阜・新鵜沼方の4両(写真右)は一般車で3300系に準じた片側3扉構造となっており、乗降扉は特別車が1000㎜、一般車は1300㎜となっています。
特別車の車内は2000系に似たもので、座席のモケット色が2000系では青色でしたが、青緑色になっています。トイレは洋式に加え、名鉄では初めて男性用小便器が設置されています。この他におむつ交換台も設置されました。
一般車は3300系通勤形電車を基本として、乗降扉間でロングシートとクロスシートを交互に配置しています。客室窓にはUVカットガラスが使用され、カーテンが廃されています。
制御方式はIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式、ブレーキ制御方式は回生ブレーキ付電気指令式空気ブレーキとなっており、制輪子の摩耗を減らすため停止直前まで回生ブレーキが動作する純電気ブレーキが採用されています。
3次車、4次車ではデザインなど一部が変更されています。

1700系

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平成20年より2000系ミュースカイを除く、全車特別車の特急列車が廃止される事になりました。全車特別車で構成されていた1600系(閑散線区向け特急用車輛)も対象で、3両編成のうち2両を改造の上改番する事となりました。余剰となるク1600形式は転用などが決まらず、登場からわずか9年という短い生涯となりました。しかし、台車や電動空気圧縮機などの一部機器は2300系に転用されています。
改造と申しましたが、大掛かりなものではなく、編成の方向転換(岐阜方から豊橋・中部国際空港方に変更)と座席の一部を荷物置き場に変更するなどの改造のほか、先頭車の愛称表示器や自動幌装置、M式自動解結装置の撤去などが行われています。

2300系

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平成20年に登場した新系列で、同年に廃車された1600系のク1600形式制御車の部品を再利用して、1700系との組み合わせにつくられた特急列車用一般車です。4両編成4本がつくられました。2200系2次車と同一仕様としていますが、連番ではなく30番代からの付与となっており、2330系とも言われています。
IGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式で、ブレーキ制御方式は回生ブレーキ併用電気指令式電磁空気直通ブレーキ方式です。
車内は2200系に準じており、ロングシートの比率が高い、クロスシートを組み合わせたものとなっています。異なる点は豊橋・中部国際空港方のロングシートが全て優先席になっています。

機関車・貨車

チキ10形(チキ11)

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平成5年に登場したレール輸送用の長物車です。JR貨物に在籍していた海上コンテナ輸送用のチキ1000形式を譲り受け、改造しました。4両が籍を置いています。車体は青色(名鉄ブルー)が採用されています。

懐かしの名車

7000系パノラマカー

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※写真右はマワ車所蔵

昭和36年から平成21年まで活躍した特急形電車です。日本では初めてとなる運転台を2階に設置し、最前部に展望室を設けた車輛で「パノラマカー」という愛称が付けられました。昭和50年まで増備され、116両が活躍しました。長きにわたって名鉄のシンボルともいえる車輛で、鉄道ファンから「永遠の名車」などと言われています。
普通列車から特急列車まで活躍し、一部特急列車専用の車輛には白帯が加えられていました。(写真右)

5000系(初代)

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昭和30年から昭和61年まで活躍した電車です。第二次世界大戦が終わった直後、日本の電車技術はアメリカと比べると大きく遅れており、各鉄道事業者では高性能車輛の開発が盛んに行われました。車体や台車の軽量化、駆動装置や主電動機などが主なもので、昭和26年に小田急電鉄が日本初のカルダン駆動方式の試験を行いました。名鉄でも高性能電車の開発が行われており、小田急電鉄の試験結果をもとに様々な試験が行われ、少しずつ実用化へ進んでいました。
名鉄の並行する東海道本線では80系電車が運行されており、これに対抗するべく試験で確立された技術、さらに航空機技術を応用して車体を軽量化した新型電車の開発が行われ、この5000系が名古屋鉄道初の高性能電車として登場しました。
登場時は4両編成で登場し、一旦は中間車を組込み6両編成となりましたが、後に4両編成に戻しています。昭和32年には中間車を先頭車とした構造の5200系が派生系列で登場し、昭和34年には5200系に冷房装置を搭載した5500系(下の写真)が登場しています。

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※マワ車所蔵