所有路線

南海線
南海本線 難波~和歌山市駅 64.2km 全線複線(難波~住ノ江駅間は複々線) 電化(直流1500V)
高師浜(たかしのはま)線 羽衣~高師浜駅 1.5km 全線単線 電化(直流1500V)
多奈川線 みさき公園~多奈川駅 2.6km 全線単線 電化(直流1500V)
加太線  紀ノ川~加太駅 9.6km 全線単線 電化(直流1500V)
和歌山港線 和歌山市~和歌山港駅 2.8km 全線単線 電化(直流1500V)
※和歌山市~県社分岐点(旧久保町駅)間0.8kmは南海電気鉄道(第一種鉄道事業者)、県社分岐点(旧久保町駅)~和歌山港駅間2.0kmは南海電気鉄道が第二種鉄道事業者、和歌山県が第三種鉄道事業者
空港線 泉佐野~関西空港駅 8.8km 全線複線 電化(直流1500V)
※泉佐野~りんくうタウン駅間1.9kmは南海電気鉄道(第一種鉄道事業者)、りんくうタウン~関西空港駅間6.9kmは南海電気鉄道が第二種鉄道事業者、新関西国際空港が第三種鉄道事業者
高野線
高野線 汐見橋~岸里玉出~極楽橋駅 64.5km 汐見橋~橋本駅間は複線、汐見橋線岸里玉出駅構内、橋本~極楽橋駅間は単線、全線電化(1500V)
※運行上の発着駅は難波駅
汐見橋線(通称) 汐見橋~岸里玉出駅
鋼索線 極楽橋~高野山駅 0.8km 単線2両交走式

大阪難波と和歌山、関西空港、高野山などを結ぶ路線を持つ大手私鉄で、「南海」、「南海電鉄」、「南海電車」と呼ばれています。純民間資本としては現存する最古の私鉄として知られています。社名の「南海」とは、紀伊国が属する律令制の南海道に由来し、後に淡路、四国航路との連絡を果たしました。
明治17年、大阪堺間鉄道として設立(同年に阪堺鉄道に社名変更)しました。難波~大和川駅(現在は廃止)間を開業します。日本初の私鉄は日本鉄道(現在のJR東日本東北本線や高崎線、常磐線などの路線を運営。)、東京馬車鉄道(現在の都電、日本初の馬車鉄道)に続いて3番目に設立されました。明治28年に南海鉄道が設立され、阪堺鉄道は南海鉄道に事業を譲渡します。その後、浪速電車軌道、阪堺電気軌道、大阪高野鉄道と合併していきます。昭和15年交通統制により競合会社の阪和電気鉄道、加太電気鉄道を合併します。昭和19年に元阪和電気鉄道の路線が戦時買収により運輸通信省に譲渡(現在の阪和線になる。)し、その後陸上交通事業調整法により、関西急行鉄道と合併し、社名を近畿日本鉄道とします。この合併はほとんど接点がなく、社風の違いが強いなど、当初から無理がある合併で、戦後になると分離運動が起こり、昭和22年高野下~高野山駅間を運営していた高野山電気鉄道へ旧南海鉄道の路線を譲渡する形で、南海電気鉄道が発足しました。その後、浪速電車軌道、初代の阪堺電気軌道の路線は昭和55年に南海の子会社である二代目阪堺電気軌道に譲渡されています。
南海鉄道の車輛には「ズームカー」という愛称が付けられている車輛があります。これは、高野線の橋本~極楽橋駅間の山岳区間を直通運転をするためにつくられた電車の通称です。また、難波から高野線へ直通運転をする事を「大運転」と言います。
高野線の高野下~極楽橋駅間は50‰の急勾配や半径100m級の急曲線が続き、乗り入れる車輛には大きな牽引力が要求されます。ズームカーは平坦線区間では100km/h以上の高速走行を行い、山岳区間では低速ながらも力強く走行できる性能を有しており、このような設計を行っている車輛はありません。この他特徴として、急勾配で力強く走れるように全電動車編成である事、車輛重量を軽減する目的から、また急曲線での車輛限界から車体長は17m旧乗降扉片側2扉とし、21m級大型車体を標準としている一般車輛とは規格が異なっています。
ズームカーと愛称が付けられましたが、一般的には「性格の異なる平坦区間から山岳区間まで広範囲に速度と牽引力を制御できる性能を、カメラの広角から望遠まで広範囲に画角を変えられる「ズームレンズ」に例えた。」という事が由来のようです。

一般車輛(通勤形電車)
南海線系統の車輛
1000系(2代)

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平成4年に登場した一般車輛で、南海線用の一般車輛である9000系の後継として、大運転用2000系で採用された新技術を採り入れつつ、平成6年に開業する関西新空港を見据え新しいデザインを盛り込み、南海線、高野線で共通運用が出来るハイグレードな次世代車輛として設計されました。
編成は基本編成の6両編成と増結編成の2両編成を組み合わせて運用を行います。1~6次車があり、1次車、2~5次車、6次車の3つに大別されます。2両編成のモハ1001形(制御電動車)は30番代となっています。
車体は2000系で初採用された設計を用いた軽量ステンレス製車体で、車体幅は1次車(写真左)は従来車と同じ2744㎜、2次車以降(写真右)は2850㎜となり、ともに裾絞りがあります。塗装はライトグリーンとダークグリーンの伝統の色から、青色とオレンジ色の新しい塗装デザインとなっています。
車内はバケットシートを配したロングシート仕様ですが、車端部のみ固定式クロスシートが設置されています。

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平成13年に最終増備車となる6次車が登場します。在来車とは異なり、4両編成1本が登場しました。車体は1~5次車までは灰色で塗装していましたが無塗装となり、パンタグラフもシングルアーム式を採用。台車や主電動機も異なっています。制御方式では当時最も新しい2レベルIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式となっています。車内も僅かながら異なっています。このため、この6次車を「1050系」として呼ぶ場合もあります。

2000系

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平成2年に登場した一般車輛で、高野線山岳区間に乗入れ可能な17m級車体のズームカーです。21001系、22001系、同形式の更新車である2200系を置換える事を目的としています。2両編成又は4両編成の2種類があります。
南海では初めてとなるGTO素子を用いたVVVFインバータ制御方式を採用しています。車体は軽量ステンレス製で、正面部はFRP製となっています。車内はロングシート主体で、車端部にクロスシートが配されています。
17m級車体で2ドア車であることから、通勤形車輛としては不向きな面もあります。登場時は大運転などで使用されていましたが、平成17年に橋本駅での系統分離が行われ、運用が大幅に減ってしまい余剰気味となりました。ズームカーの特性を活かし、2両編成でワンマン運転を行えば良い。と考えますが、2000系は全電動車方式です。機器的には2両で一組の構成で、一部の機器は2両に1つしかありません。同社では故障時の冗長性確保を重視しているため、補助機器であっても複数搭載が原則となっており、山岳線区での2両編成ワンマン運転は2000系では出来ず、2300系を新しく用意しました。
平成19年に余剰車を南海線に転属させ、7000系の置換えを行いました。長さが異なる事と、乗降扉が少ないことから前面に「2扉車」と大きなステッカーが貼られています。普通列車のみの活躍となっています。

2200系

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2200系の登場は高野線の大運転に始まります。昭和33年に大運転用の高性能車として21001系ズームカー(通称丸ズーム)が登場しました。沿線の開発が進み利用者が急増。4両編成では混雑が激しいため、昭和44年に増結用の車輛として22000系(通称角ズーム)が2両編成で登場しました。
1990年代に入り、21001系の後継車として2000系が登場します。22000系は21001系又は2000系の増結用として活躍をするようになります。併結相手が異なっている時代に急行列車の利便性を高めようと、停車駅を増やしました。2000系はVVVFインバータ制御方式で22000系は抵抗制御方式、性能面の違いから遅延を生み出してしまう事態となりました。そこで、22000系の一部を旧型車輛が活躍する支線への転用が行われ、あわせて更新工事も実施しています。
2200系は大運転で継続使用をする目的で更新工事を実施した系列となります。2両編成3本が改造されました。本線でも使用が出来るように車椅子スペースの設置や前面貫通扉をそのまま残しています。

2230系

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この2230系も22000系の支線区への転用改造を行った系列で、2両編成3本が改造されました。冷房化をあわせて目的としており、導入後は各支線のリニューアルに大きく貢献しています。支線での単独運用としているため、2200系とは異なり、前面貫通扉の幌枠、貫通幌の撤去などの改造が行われました。
現在、汐見橋線、高師浜線、多奈川線といった視線を中心に活躍をしています。写真右は高師浜線のラッピング電車「走る!工場夜景」号です。

3000系

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この電車は昭和50年に相互乗入れ先である大阪府都市開発(現在の泉北高速鉄道)3000系として登場しました。南海6200系を基本に設計されていますが、製造コスト削減などの理由により、車体は同じ形ですが外板のみステンレス、内部構体は普通鋼製のセミステンレス構造です。(昭和60年に増備された車輛はオールステンレス製となっています。)
平成24年に4両編成3本と2両編成が1本余剰となり、南海へ移籍してきました。2両編成は4両編成1本に組み込まれ、6両編固定編成となり、残る4両編成2本も組み合わせて8両編成で運用されています。

7000系

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南海本線の輸送力増強、昭和48年に実施された架線電圧600Vから1500Vへの昇圧に伴い、600V専用であった旧型車輛が使用出来なる事から昭和38年に登場した20m級の一般電車です。抵抗制御方式ですが、超多段式バーニア制御器を採用しており、衝動の少ない加速を実現(弱め界磁制御の速度域までにノッチオフをすると大きな衝動が起こる。)し、空気ばね台車の採用により運転最高速度120km/hを出せます。
車体は高野線に登場した6000系と同一ですが、普通鋼製である事が大きな違いです。普通鋼が採用された理由として、オールステンレス車は当時は高価格であった事。また、当時の南海本線は踏切事故が多く、修繕を容易にする目的がありました。しかし、海沿いを走る路線であるため塩害による問題に長年に亘って悩まされる事になります。
乗降扉は片開き扉で、南海では最後の系列でもありました。1980年代に大規模な更新工事が行われ、平成27年まで活躍をしました。

7100系

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昭和44年に登場した一般車輛です。7000系のマイナーチェンジ車にあたり、乗降扉を両開き扉に、客室側面の窓を一段下降窓に変更した点が大きな違いです。この他にパンタグラフの位置や台車などの細部が変更されていますが、基本性能は同じです。昭和48年までに152両が製作され、南海の車輛の中では最も多い系列となっています。
編成構成は4両編成と2両編成の2種類があります。1次車は非冷房車で登場し、2次車以降では冷房装置が搭載されての登場となっています。登場から40年以上が経過しており、他の新しい車輛の投入や8300系などの新型車輛投入により少しずつ数を減らしています。また、2両編成の一部編成(写真右)ではワンマン運転対応工事が行われており、加太線や和歌山港線などの支線で活躍をしています。

8000系(2代)

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平成19年に登場した南海線用の通勤形電車です。同線で活躍する7000系を置換えるために4両編成13本がつくられました。
1000系をベースに設計されていますが、JR東日本のE231系の部品が一部採用されているのが特徴です。車体全体は無塗装ですが、青色と橙色の帯は塗装となっています。前面及び側面の種別・行先表示器は南海では初めてフルカラーLEDを採用しました。
車内は2000系(1~4次車)以来のオールロングシート仕様で、座席は片持ち式となっています。定員分の着席を促進するためスタンションポールなどが多く配置されています。また、床面高さを低くするなどバリアフリーの推進が図られています。
制御方式はIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式で、ブレーキ制御方式は回生ブレーキ、遅れ込め制御付き電気指令式空気ブレーキとなっています。1000系と同じもので、併結運転を可能としています。

8300系

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平成27年に登場した南海線向けの通勤形電車です。同線の7000系及び7100系の置換えを目的に登場しました。
南海の所有する車輛は長い間東急車輛製造(現:総合車両製作所)でつくられてきましたが、8300系は昭和48年の7100系以来となる近畿車輛でつくられました。
8000系をベースに設計されたステンレス製車輛ですが、近畿車輛製であり、従来のステンレス車とは異なる箇所も見る事が出来ます。外観では雨どいが屋根に内蔵されすっきりとした外観に仕上がっています。また、先頭部はFRP製であったものを鋼製に、貫通扉部の帯色がありません。また、車体中央の戸袋部分に接合している部分があり、この線を隠すため灰色のステッカーが貼られています。(2次車では省略されています。)
青色とオレンジ色の帯は塗装ではなく、カラーフィルムとしています。青色は1000系(2代)で退色が激しいことから、8300系では濃いめのものとなっています。
4両編成(1次車)(写真左)と50番代とも言われる2両編成(2次車)(写真右)が活躍をしています。

9000系

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昭和60年に登場した南海線向けの一般車輛です。特急列車や急行列車といった優等列車に活躍してきた1000系(初代)の老朽化が目立ち始めた事から、置換えを目的に登場しました。
高野線向けに設計された8200系を基本にしており、南海線では初めてのオールステンレス構造を採用した車輛になります。前面はFRP製で、周囲に縁のある額縁スタイルとなっています。また、踏切事故対策でスカートが装備されています。
制御方式は界磁チョッパ制御方式で8200系と同じですが、9000系では日立製作所のもので、バーニア制御器をもとに界磁制御器をチョッパ制御器に置換えた独特のものを使用しており、機能や特性が異なっています。また、ブレーキ制御方式も電磁直通空気ブレーキから回生ブレーキ併用電気指令式に変更されています。回生ブレーキ付の車輛はこの9000系が初めてとなります。電気指令式に変更した事により、メンテナンス面では大幅な簡素化が図られました。
4両編成と6両編成の2種類があり、4両編成は2編成を併結した8両編成や特急列車に併結して運用されています。6両編成は種別を問わず、様々な列車に活躍をしています。

高野線系統の車輛
6000系

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高野線の平坦区間(難波~橋本駅間)用の一般車輛です。高野線の大運転では15m級又は17m級の車輛が使用されていました。1960年代に入ると沿線の宅地開発が進み、通勤客が急増。小型のこれら車輛では輸送力不足になってしまい、平坦区間向けの20m級車輛として開発されたのが、この6000系になり昭和37年に登場しました。
6000系は乗降扉4か所の一般車輛(通勤形車輛)としては初めての高性能車であると共に、東急車輛製造がバッド社(米)とのライセンス供与で、日本初となるオールステンレス車体を採用した事が特筆されます。東急車輛製造では東京急行電鉄7000系を嚆矢とし、京王帝都電鉄(現:京王電鉄)3000系、そして3作目としてこの南海6000系が登場しました。前2作は18m級片側3扉車であり、この6000系は初めての20m級車体の製作という事で、ステンレス車の歴史に残る名車と言っても良いでしょう。
この6000系をベースに南海線向けの7000系が製作されており、こちらは普通鋼製となっています。踏切事故対策として普通鋼が採用されましたが、塩害に苦しみながらも長らく活躍を続けてきましたが、現在は廃系列となっている事から、材質の違いが運命を分けた。といっても過言ではないようです。
制御方式は抵抗制御方式ですが、超多段制御(バーニア)制御器を採用して快適な加速性能を有しています。主電動機は600V時代が115kw、1500V昇圧後は145kwと、昭和37年当時の狭軌電車用主電動機としては最強クラスでした。
登場時の架線電圧は600Vであり、昭和40年以降に登場した車輛は昇圧が決定しており、600Vと1500Vに対応した複電圧車として設計されています。また、昭和41年以降に登場した車輛は輸送需要の高まりもあり、3両編成から4両編成に変更され登場しました。昭和44年までに72両がつくられ、平成28年現在も全車在籍しています。車齢が50年を超えて活躍する鉄道車輛は少なくありませんが、同世代の車輛の多くが廃車や譲渡などされる中において、かつ大手私鉄において1両の廃車も転属も無く、高野線という1つの線区を動かないという例は非常に珍しい、貴重な例と言えます。老朽化が目立たず、代替車輛の計画もないため、暫く現役を続けるそうです。これは南海の保守メンテナンス部門の技術力が高いという事もあるのでしょう。100年を目指して頑張ってもらいたいものです。
車内はオールロングシート構造で、乗降扉は片開きと最近の通勤形車輛では珍しいものになりつつあります。開口部は他の両開き車とほぼ同じで、開閉速度を早くする事で両開きとあまり差がない開閉時間を確保しています。昭和60年に冷房化改造工事を含む更新工事を行いました。冷房装置搭載による自重増があり、台車も変更をしました。

6200系

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架線電圧1500V昇圧後の昭和49年に登場した一般車輛です。車体構造、電装品のコスト見直しと、省エネ向上を図っています。
6000系と同じオールステンレス車輛で、6000系と異なり切妻形状として軽量化を図っています。前面貫通扉上部に行先表示器を配し、灯具類を窓下左右に配したそのスタイルは東急8000系に似ています。この他、冷房装置が搭載されている関係で台車の変更(パイオニア台車からS型ミンデン台車)になるなど、機器類の変更が見られます。
4両編成と6両編成の2種類からなります。
平成13年に電機子チョッパ制御方式の試作車である8000系(初代)が編入され、続番となり6521編成となっています。(写真右)もともと6200系を同じ設計で、違いはほとんどなく、床下機器や車内の化粧板などわずかな違いとなっています。編入時に更新工事が実施され、前面にスカートが装備されています。
平成21年にIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式に変更を兼ねた車体更新工事が実施されました。

6200系50番代

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昭和57年に登場した高野線用の一般車輛です。三日市町~橋本駅間の複線化工事が進み、運用数が増えたため8200系として登場しました。当時、電機子チョッパ制御方式の試作車である8000系(初代)の試用結果をもとに、電機子チョッパ制御方式か界磁チョッパ制御方式のどちらかの制御方式を採用した新型車輛の導入を考えていました。結果、様々な検討を重ね、界磁チョッパ制御方式が採用され、8200系に搭載されました。計画段階では4両編成と6両編成を用意する予定でしたが、6両編成3本のみとなっています。
平成25年に更新工事が実施され、この際に6200系50番代に改番が行われました。更新工事ではパンタグラフの一部撤去や機器配置の変更、他形式と併結を可能とするためスカートや電気連結器が装備されました。
6200系と同じ軽量ステンレス製ですが、前面は額縁スタイルなので見分けは容易となっています。

6300系

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昭和45年に6100系として登場した一般車輛です。6000系のマイナーチェンジ車にあたり、同じオールステンレス車輛ですが、乗降扉が両開きに変更、客室窓の一段下降窓化など変化があります。電装品は6000系とほぼ同じで、台車もパイオニア台車を履いていました。冷房装置に関しては準備工事に留まっています。当初は4両編成のみの陣容で、後に2両編成が登場しました。
平成8年に更新工事が実施されました。この際、パイオニア台車は高速での乗心地が悪い上に、S型ミンデン台車を履く車輛との併結が出来ない(お互いの相性が悪く、低速域での脱線事故が他車で相次いだため、南海では併結を禁止しています。)ため、台車をS型ミンデン台車に履き替えています。この更新工事を受けた車輛を6300系としました。全車が工事の対象となっており、6100系は形式消滅しています。

特急形車輛
南海線系統の車輛
10000系

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昭和60年に登場した特急形車輛です。1000系(初代)による特急「四国」号が運転されてきましたが、登場から25年以上経ち老朽化が目立ち始めていました。また、指定席車輛では座席が転換式クロスシート、ロングシートでした。昭和58年に高野線特急「こうや」号用の新型車輛30000系が登場。全席リクライニングシート仕様であり、比べてしまうと明らかな見劣りするものとなってしまいました。
そこで、7000系又は7100系を自由席として使用し、指定席車輛は1000系(初代)の機器を流用した30000系と同じ設備を有する指定席車輛を使用した新しい特急列車を運行する事になり、その指定席車輛としてこの10000系が登場しました。特急列車の愛称も変更され、「サザン」と命名されました。
登場時は2両固定編成でしたが、平成4年に中間電動車及び中間付随車を加え、4両編成になりました。この中間電動車及び中間付随車は新製と既存編成を改造した車輛の2種類があります。また、塗装は登場時は南海電車の標準色であったオーシャングリーンにダークグリーンの帯が入ったものでしたが、現在はメタリックシルバー地に青色とオレンジ色の帯が入ったものとなっています。
下廻りは台車を除いて、おおむね1000系からの流用で、抵抗制御方式、電磁直通空気ブレーキ方式となっています。7000系、7100系と機器が同じであるため、9000系との併結運転は出来ません。
車内はフリーストップ式リクライニングシート仕様で、製造年により座席の設備が少し異なっています。
現在は後継の12000系に置き換えられつつあり、数編成が廃車となっています。

12000系

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平成23年に登場した特急形車輛です。10000系の置換え用として登場し、特急「サザン」専用車輛でもあります。グレードアップした設備などにより愛称を「サザン・プレミアム」としています。
8000系をベースに設計された軽量ステンレス車体で、前面部はFRP製となっています。各車輌の乗降扉は片側に1ヶ所ずつ配置しており、南海特急形車輛では初めての引き戸が採用されました。中間車の2両は乗降扉の増設が可能な設計となっています。
車内は2+2列回転式リクライニングシートの配置で、座席の近くにはコンセントがありビジネス客の利用も考えられています。この他、トイレは車椅子対応大型トイレ、男子用小便器、女性専用トイレが設置、多目的室、自動販売機の設備があります。また、防犯カメラがあります。鉄道車輛では初めてのプラズマクラスター発生器を客室に設置しているのも特徴の一つとなっています。

50000系

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平成6年に開港した関西国際空港。この空港を結ぶ空港線が開業。同時にアクセス特急「ラピート」が運行を開始しました。この専用車輛として登場したのがこの50000系です。
車輛を単なる移動空間とせず、おもてなしの心に満ちた空間ではなくてはならない。という発想から、「アクセスロビー」というテーマを設け、車輛全体を「ダンディ&エレガンス」というコンセプトが設定されました。
車体は普通鋼製で、まず目に付くのが先頭車の形状です。斬新でダイナミックなデザインが特徴で、スピード感と力強さを表現しており、鉄道車輛本来の重量感に重きを置き、海外へ旅立つ躍動感を表現すると共に、航空機の流線形のイメージが重なり合う事で、見る人に感動を与えるフォルムとしています。側面、客室窓は列車と航空機のイメージを融合し。空港アクセス特急としてのシンボル性を強調するため、全て楕円形となっています。かつては一部の窓に楕円形を使用した車輛はありましたが、ほぼ全てを楕円形としている車輛は、わが国ではこの50000系が初めてとなります。この楕円形は窓ならず、内外の各所に見る事が出来ます。車体色は関西国際空港の特徴である海上から空へ飛び立つ、海と空のきらめき感を表現したラピートブルー(濃紺色)を採用しています。
車内ですが、乗降扉は大型手荷物や車椅子の利用を考えて、1000㎜幅のプラグドアを採用。デッキ部と客室の間に荷物置き場が設置されています。登場時は南海難波駅構内に航空機の搭乗手続きや手荷物を扱うサービス(なんばOCAT)があり、荷物室の設置もありました。現在は廃止され、荷物室はそのまま残されています。
客室はレギュラーシート車とスーパーシート車の2種類があり、回転式リクライニングシートは共通。座席配置とシートピッチはレギュラーシートが2+2列の1030㎜、スーパーシートが1+2列の1200㎜としています。手荷物を置きやすくする事を考え、フットレストは設置されていません。荷棚は航空機と同じハットラック式です。その他の設備は3号室に車椅子スペース、6号車にサービスカウンターが設置されています。
制御方式ですが、登場時は1000系(2代)、2000系で採用されたGTO素子を用いたPWM形VVVFインバータ制御方式を採用しました。現在はリニューアル工事を受けた際にIGBT素子に変更しています。

高野線系統の車輛
30000系

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昭和58年に登場した高野線の特急形車輛で、ズームカーでもあります。高野線の特急「こうや」に使用されてきた20000系が登場より20年以上が経過し、老朽化や陳腐化が目立ってきたことから置換え用として4両編成2本が登場しました。
スラントノーズ風の非貫通形で、ズームカーの規格に合わせた17m級の車体を持ち、乗降扉は各車輌片側1ヶ所に設置されています。塗装はアイボリーホワイトとワインレッドを組み合わせたものです。写真は平成27年から平成28年にかけて高野山開創1200周年記念の特別ラッピングです。
制御方式は抵抗制御方式ですが、ブレーキ制御方式に電気指令式空気ブレーキを初めて採用しています。車内は回転式リクライニングシート仕様でとなっています。
4両編成2本が製作され、難波~極楽橋駅を結ぶ特急「こうや」、難波~橋本駅を結ぶ特急「りんかん」号で活躍をしています。

31000系

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平成11年に登場した特急形車輛です。この31000系もズームカーの1系列で、特急「こうや」号の冬期運休を解消するためと特急「りんかん」号を8両編成化するための増備車という形で4両編成1本が製作されました。
30000系とは異なり、貫通形となっているのが特徴です。塗装色は30000系と同じ、高野線の特急色であるアイボリーホワイトとワインレッドの組み合わせです。写真はイベントによりラッピングが施されていたもので、「黒こうや」と呼ばれていました。
30000系、11000系との併結を可能とするため、廃車となった21000系の制御装置と7100系の主電動機を転用して使用しています。このため制御方式は抵抗制御方式となっています。ブレーキ制御方式は発電ブレーキ併用全電気指令式電磁直通空気ブレーキ方式です。
車内は展望が楽しめるよう運転台の仕切り窓は大きめに設計されています。客室はほぼ30000系と同じ、回転式リクライニングシートが配置されています。

11000系

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平成4年に登場した特急形車輛で、特急「りんかん」用の車輛となります。4両編成1本が製作されました。
31000系に似ていますが、ズームカーではないため11000系を基本に設計されており21m級の大型車体となっています。制御方式は抵抗制御方式で全車電動車となっています。
客室はリクライニングシートが配置されており、跳ね上げ式フットレスト付です。車椅子スペース、トイレの設備もあります。