所有路線
三岐線 富田~西藤原駅 26.5km 全線単線、電化(直流1500V)
近鉄連絡線 近鉄富田~三岐朝明信号場 1.1km 全線単線、電化(直流1500V)
北勢線 西桑名~阿下喜駅 20.4km 全線単線、電化(直流750V)

三重県北部に路線を有する鉄道会社で、昭和3年に会社が設立されました。社名の「三岐」は三重県と岐阜県(関ケ原)を結ぶ路線を目指して命名されたものです。貨物輸送(セメント輸送)が主力ですが、近年は地域住民の足として、また行楽の足として旅客輸送も担っています。
三重県では近畿日本鉄道(近鉄)の勢力がとても強く、一時期は三岐鉄道以外は全て近鉄という時代がありました。戦時中の交通統合の際も鉱業関係の鉄道という事で近鉄に合併をされる事はありませんでした。もともと、三岐線の1路線の経営でしたが、平成15年に近鉄より北勢線を譲り受け、経営を行っています。
三岐線は富田駅が起点ですが、現在は貨物営業のみです。JR関西本線富田駅から西へ300m程歩くと近鉄名古屋線近鉄富田駅があり、ここから旅客列車は運行されています。一方、北勢線は西桑名駅を起点にした路線で、大正元年に北勢鉄道として創立。その後、戦時統制により三重県内の鉄道、バス事業者が合併し、三重交通となります。昭和40年に近畿日本鉄道が三重電気鉄道(三重交通の鉄道事業部門)を合併。平成15年に三岐鉄道に譲渡され、現在に至ります。この路線は全国でも数少ないナローゲージ(軌間762㎜)で、大変貴重な路線でもあります。員弁(いなべ)川に沿って、のんびりと小型の車体を左右に揺さぶりながら走る様は、長閑なローカル線を存分に堪能できます。員弁川の対岸には三岐線がほぼ並行して走っています。終点の阿下喜駅から西南方向に三岐線の伊勢治田駅があり、徒歩での移動も可能です。(約2km)

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東藤原駅の近くには大きなセメント工場があります。三岐鉄道は私鉄では唯一となるセメント輸送が行われています。

三岐線の車輛

101系

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平成2年より西武鉄道401系を譲り受けた系列で、3編成が活躍をしています。転入にあたっては台車、車体塗装の変更、前部標識灯の変更、ワンマン運転対応工事と軽微な改造を行っています。

801系

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平成元年より3回にわたって西武鉄道701系を譲り受けた形式です。4両編成のうち、奇数番号の中間電動車(パンタグラフなし)に制御車の運転台部分を接合し、3両編成としています。

851系

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平成7年に801系と同じく、西武鉄道701系を譲り受け、先頭車化改造などを行った系列です。801系とほぼ同じですが、台車形式の違いにより別系列となっています。

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平成25年に脱線事故があり、この際クハ1851形が廃車となってしまいました。このため、751系(平成21年に西武鉄道新101系を転入させた系列。)の部品確保用としていた車輛を整備し、連結しています。このため前後で顔が異なっており、車体の形状も異なっている事が伺えます。

601系

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昭和56年より輸送力増強、車輛の大型化を目的に西武鉄道451系及び571系通勤形電車を譲り受け登場した系列です。当時、三岐鉄道には自社発注で製作したカルダン駆動方式を採用した電車がありましたが、これらを吊り掛け駆動方式の電車で置き換える珍しい事例として特筆されます。
塗装変更、前部標識灯を三岐鉄道標準の大型なものに改造した他は大きな改造は行っていません。写真は571系を改造した編成で、平成21年まで活躍しました。

北勢線の車輛

270系

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近畿日本鉄道が昭和52年に北勢線用の近代化を図る目的で製作した電車です。現在は三岐鉄道に引き継がれ、主力車輛として活躍をしています。
大きな特徴として、国内の762㎜軌間用の車輛は11m程が標準でしたが、車体や機器類の徹底した軽量化によって最長の15m級全金属製車体としている点です。この他として、客室窓に二段式ユニット窓を採用するなどがあり、北勢線の近代化に大きな役割を果たしました。
三岐鉄道に移管され、平成17年に高速運転対応工事が行われ形式がモ270形からクモハ270形に、ク170形はクハ170形、サ140形がサハ140形に形式変更されています。また、一部の編成は冷房化改造が行われています。

モ277形

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平成2年に1両が製作された車輛で、残っていた北勢鉄道の電化開業以来活躍してきた旧型車輛を置換えるために、内部線・八王子線(現:四日市あすなろう鉄道)向けに製作した260系をベースに設計した制御電動車です。運転台窓が大型一枚ガラスになっているほか、車内はクロスシート配置となっている点が特徴です。

クハ130形・サハ130形(クハ134・サハ138)

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この車輛は昭和29年、三重交通の762㎜軌間で使用されていた木造客車を淘汰するために製作されたサ360形付随車が始まりとなります。車体はナニワ工機(現:アルナ車両)が開発をしていた各部に強い丸みのある準張殻構造(セミ・モノコック構造)の軽量車体です。特徴として、将来を見越し、既存の電動車の制御器改造を考え、乗務員室が設置され、標識灯も設置されていました。
三重交通が近畿日本鉄道へ合併された昭和40年に、サ130形に形式が変更されました。昭和52年より北勢線近代化が始まり、編成を固定編成とする事になりました。この際、2両は当初の予定通り制御車として改造され、先頭車として必要な装備を施したほか、貫通路の設置が行われました。この他の車輛は付随車のままとし、貫通路を設置の上、増結用や270系の編成に組み込まれました。この他に台車の交換が行われています。
制御車となった2両のうち、1両は運転台を他の車輛と共通とするため、切妻構造の運転台ユニットに交換。反対側(連結面)はそのまま丸みの強い、張殻構造をそのまま残す特徴のある車輛となりました。(写真左のクハ134)もう1両は、再び付随車に再改造されています。現在、北勢線の最も古い車輛として活躍をしています。

200系

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三重交通時代の昭和34年にモ4400形として1編成がつくられました。主に湯の山線の観光客輸送を目的としたもので、3車体連接車となっています。普通鋼製の準張殻構造の10m級車体です。前面は当時の流行であった湘南顔としています。762㎜軌間である湯の山線、内部線、八王子線(3線をあわせて、通称三重線という。)系統では初めてのドアエンジンを用いた自動扉が採用されています。
機器類でも特徴があり、垂直カルダン方式を採用しています。両端制御電動車の運転台寄り台車に軌道面に垂直に主電動機を設置しています。軽便鉄道の車輛であるため、床面高さが低く、その空間に納まりきれないため、運転台直後の床面が高くなっています。特徴のある駆動システムでしたが、狭い空間に無理矢理納めたので、整備時に分解を必要とするなどデメリットが多くありました。
収容力が大きく、三重線の看板列車として活躍を始めました。車輛の増結の計画もありましたが、垂直カルダンの問題もあったため実現しませんでした。昭和39年に湯の山線が改軌され、モ4400形は失職。内部・八王子線では輸送力が過大であるため、北勢線へ転用され活躍をします。翌、昭和40年に近畿日本鉄道と合併。この際に200系になり、モ4400形はモ200形201・202、サ4400形はサ100形101となり、塗装も近鉄一般車の標準色であるマルーン色になりました。一方、垂直カルダンの保守面での問題が解決されず、昭和46年に電装解除。モ200形は運転台が撤去され、サ200形201・202となりました。モニ220形に牽引される形で使用される事に。昭和52年の北勢線近代化により、新造されたモ270形と固定編成を組むことになりました。この際にサ202の運転台を復活。ク200形202に変更しています。
平成15年に近鉄から三岐鉄道へ移管され、ワンマン運転化対応工事などが行われました。塗装は黄色をベースとしたものに変更。現在はリバイバルカラーとして三重交通時代の緑色とクリーム色のものとなっています。

モニ220形

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この電車は北勢線の前身となる北勢鉄道が昭和6年の全線電化開業に合わせて製作した旅客、荷物合造電車です。11m級の半鋼製車体で、車内は木製でした。一方、制御面では路面電車と同じ直接制御方式です。この方式とした背景には、電化以前と同じ複数の客車を牽引し、始終端駅で編成を入れ替えるもので、総括制御という電車化においてのメリットが活かされてはいませんでした。
新製時はモハニ50形で、6両がつくられました。昭和19年に三重交通へ統合され、モニ221形に形式変更されました。昭和24年に3両が増備され、松坂線を除いた三重交通の代表形式となりました。その後、昭和39年に三重電鉄、昭和40年近畿日本鉄道と社名が変更されるも、北勢線を離れることなく活躍しました。
昭和40年の近畿日本鉄道に合併された後は、近鉄マルーン1色に塗装変更され、モニ220形に形式変更されました。大きな転機は昭和52年です。近代化のため270系が投入され、電動車の数が多くなってしまいました。そこで、3両を内部・八王子線へ転属させ、残った4両のうち、半分の2両を電装解除、荷物室を廃止し片運転台化して形式をク220形に、もう2両も荷物室を廃止し、方向転換を行って片運転台化の制御電動車モ220形として、両形式を2両固定編成としました。60年以上活躍し続け、平成4年に引退しました。