所有路線
本線
浅 草~伊勢崎駅及び曳舟~押上駅 伊勢崎線 114.5km 単線区間 館林~伊勢崎駅 複線区間 浅草~館林駅(※このうち、とうきょうスカイツリー、押上~曳舟駅間及び北千住~北越谷駅間は複々線区間) 全線電化(直流1500V)
※浅草~東武動物公園駅及び押上~曳舟駅間は東武スカイツリーラインの愛称となっています。
亀 戸~曳 舟駅 亀戸線 3.4km 亀戸~曳舟駅手前までは複線。曳舟駅構内は単線 全線電化(直流1500V)
西新井~大師前駅 大師線 1.0km 全線単線 電線電化(直流1500V)
館 林~葛 生駅 佐野線 22.1km 全線単線 電線電化(直流1500V)
太 田~赤 城駅 桐生線 20.3km 全線単線 電線電化(直流1500V)
館 林~西小泉駅及び太田~東小泉駅 小泉線 18.4km 全線単線 電線電化(直流1500V)
東武動物公園~東武日光駅 94.5km 全線複線 電線電化(直流1500V)
新栃木~東武宇都宮駅 24.3km 全線単線 電線電化(直流1500V)
下今市~新藤原駅 16.2km 複線区間 鬼怒立岩信号場~鬼怒川温泉駅 0.8km 他は単線区間 全線電化(直流1500V)
大 宮~船 橋駅 野田線 62.7km 単線区間と複線区間が入り混じっています。春日部~運河駅間のうち18.0km、逆井~六実駅3.9kmが単線区間です。 全線電化(直流1500V)
東上線
池 袋~寄 居駅 東上本線 75.0km 単線区間 嵐山信号場~寄居駅 複線区間 池袋~嵐山信号場(※和光市~志木駅間は複々線) 電線電化(直流1500V)
坂 戸~越 生駅 越生線 10,9km 複線区間 武州長瀬~東毛呂駅 1.0kmで他は単線区間 電線電化(直流1500V)

 東京都、埼玉県、千葉県、栃木県、群馬県の1都4県に総営業キロ463.3kmの路線を持つ大手私鉄です。このキロ数はJRを除いて、日本の私鉄では近畿日本鉄道(582.2km)に次いで第2位で、関東地方では最長となります。記録の話では、東武鉄道発祥の路線である伊勢崎線のキロ数114.5kmは旧国鉄、JR(これらの路線を引き継いだ第三セクター鉄道を含む)を除いた一つの路線の営業キロとしては日本最長となります。
 東武鉄道の「東武」とは武蔵国の東部に由来し、創立は1897年(明治30年)で、大手私鉄の中では最も古い歴史を持ちます。トリビアとして、明治時代に発足した私鉄で、創立以来社名を変更していない会社は、この東武鉄道、近江鉄道(滋賀県)、島原鉄道(長崎県)の3社だけです。
 伊勢崎線北千住~久喜駅間が明治32年に開業しました。現在の路線である伊勢崎線、亀戸線、大師線、日光線、宇都宮線を除いた他の路線は合併によって誕生しました。旅客輸送のほか、貨物輸送も行われており、昭和26年には最長となる596.2kmまで成長しました。平成15年に貨物輸送は全廃となり、旅客輸送のみとなっています。
 東武鉄道と言えば、特急列車があります。昭和23年に近畿日本鉄道に次いで、特急「華厳」、「鬼怒」(現在の「けごん」、「きぬ」)が運転され始め、昭和35年にはデラックスロマンスカー1720系が登場し、当時の国鉄と日光観光で激しい闘いを繰り広げました。また、相互乗入れの歴史も古く、昭和37年に伊勢崎線と帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)日比谷線が最初になります。以降、様々な会社に相互乗入れを行っており、車輛が福島県や神奈川県でも活躍をしています。

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東武鉄道及び東武グループの象徴である東京スカイツリーを見ながら、浅草駅を発車し、隅田川を渡る6050系。

車輛の紹介

デハ1形(デハ5)

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大正13年の東武鉄道初の路線である伊勢崎線浅草~西新井駅間電化開業に伴い登場した電車です。ここから東武電車の歴史が始まりました。製造年から大正13年系という名前もあります。8両つくられ、両運転台構造の制御電動車です。16m級木造ダブルルーフ構造の車輛で、前面は緩やかな曲線を描いています。主要機器は国産メーカーの技術が未熟であったため、輸入品を主に使用しているのが特徴の一つにあります。
登場後、一部の車輛は制御車の代用として使用され、後に制御車に改造されています。戦後には上信電鉄へ2両、新潟交通へ1両が転出し、この時点で、電動車は2両、制御車3両となりました。昭和26年に改番が行われ、デハ1形はモハ1100形になり、制御車はクハ210形となります。制御車は越生線、熊谷線で活躍した後、矢板線で客車化され、同線の廃止まで活躍しました。
デハ1形で最後まで電車で残っていたのはモハ1101です。戦後は鬼怒川線で機関車代用で貨物列車を牽引、野田線に転属し配給車代用として使用。昭和31年からは西新井工場の入換用車輛に昭和56年まで活躍しました。西新井工場へ転属する際に、外板の老朽化が著しいため、鋼板を貼り付ける簡易鋼体化が実施されました。この他大きな改造は無く、車体構造や主要機器が原型を維持しており、東武鉄道初の電車という事で、廃車後は東武動物公園に保存、展示される事になりました。この際に、外観や車内の復元が行われ、合わせて表記を登場時のデハ5に戻し、往年の姿を再現しています。現在は、平成元年に開館した東武博物館に移設され、展示されています。

8000系

 昭和38年に登場した通勤形電車です。昭和58年までの約20年間製造が続き、国鉄(JR)を除いた私鉄電車では最も多い712両が製造されました。同時期に登場した国鉄103系になぞらえて、「私鉄の103系」とも呼ばれています。製造年次により、細部では様々な違いが見られます。
 車体構造は20m級、片側4扉の普通鋼製です。経済性を重んじ、徹底的な軽量化が図られると共に、車体強度を両立させる構造となっています。その1つとして、当時の首都圏の電車では珍しい、戸袋窓がない車輛となっています。運転台は踏切事故対策として高運転台構造となっています。車内はロングシートで、通勤形電車ではありますが伊勢崎線や日光線などの長距離運用を考えて、座席の奥行きを深くし、クッションを柔らかく仕上げた設計となっており、現在でもこの座席は人気が高いようです。主に寒冷地での長時間の停車を考えた設計も盛り込まれており、4扉あるうち中間の2扉を締め切る「中間扉締切機構」があり、車内ではこの扉の上にランプと説明書きがあります。冷房装置は当初は無く、途中の増備車より装備されています。
 走行機器、ブレーキ装置では、抵抗制御に見られる進段時の衝動を少なくする超多段式バーニア制御方式が採用され、130kwの大出力主電動機を組み合わせ、コストダウンと走行性能を両立させました。ブレーキ制御方式は当時、一般的であったHSC電磁直通空気ブレーキが採用されており、応荷重装置付です。空気ブレーキのみの簡素なもので、新しく開発した制輪子(レジンシュー)を用いて、必要な制動力を得られるように設計されました。なぜ、発電ブレーキを採用しなかった?という疑問が残りますが、高加減速を必ずしも必要としなかった、当時の路線条件に照らし合わせての合理的な発想から、発電ブレーキを装備させませんでした。これにより、抵抗容量を少なく出来、制御装置も簡素化できる事から、合わせて軽量化へともつながっています。ただし、踏面ブレーキのみであるため、停止後には独特の匂いが出るほか、滑走時のフラットが出来やすい欠点もあります。
 編成は2両、4両、6両、8両編成の4種類があり、組み合わせで最長10両編成まで組む事が出来ます。2両編成と4両編成で制御装置、主電動機の仕様が異なっており、1つの制御装置で1両分4個の主電動機を制御するものと、2両分8個の主電動機を制御するようになっており、常にM:T比を1:1にする経済的な設計となっています。6両編成では2両編成1組、4両編成1組と同じ機器配置となっています。
 非電化路線の熊谷線、貨物支線以外の全線で運用され、東武鉄道を代表する車輛となり活躍をしました。後継系列の登場により、徐々に運用範囲が狭まっていきました。途中、更新工事もあり、登場時とは異なる前面になるなど変化も見られます。現在は、支線系統を中心に活躍をしています。その多くの車輛はワンマン運転対応改造が行われています。
 ワンマン運転実施にあたり、本線で活躍していた8両編成のうち、中間に2両ある付随車を廃車とし、残ったクハ+モハ+モハ3両を1つの編成に改造した800系及び850系が派生系列として誕生しています。

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かつては本線系統の主力として活躍していましたが、現在は野田線と支線系統(亀戸線や越生線、東上本線小川町~寄居間など)を中心に活躍をしています。
更新車(車体修繕工事)
 昭和61年から平成19年の21年間にかけて実施されました。この工事は、103系や113系、115系を保有するJR各社や他の私鉄などの更新、延命工事のお手本になったそうです。また、後継車輛の更新工事にも引き継がれました。

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運転台形状を6050系に似たデザインとし、運転台を10030系に準じたタイプに変更しています。後年には前部標識灯のHID化(ディスチャージヘッドランプ:Discharge headlight(放電式ヘッドライトとも言う。))や行先表示器などのLED化が行われています。
ワンマン運転対応車

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越生線や小泉線などのワンマン運転を実施するため、車体修繕工事に加えて実施されたものです。自動放送、車外スピーカーなどの設置が行われたほか、バリアフリー対応の工事も実施されています。
野田線の車輛

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平成26年より、野田線に「東武アーバンパークライン」の愛称が付けられ、それに合わせて先頭車前面及び側面にロゴが入れられています。
インフレナンバー

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大量に増備された8000系電車。昭和54年に登場した編成で製造番号がいっぱいになってしまいました。4桁で構成され、千と百の位は形式に使用しているので番号を重ねる訳にいきません。そこで、100番代を表すために5桁で表す編成となりました。写真のクハ84119の場合、読み方は「クハ はっせんよんひゃくのひやくじゅうきゅうごう」と読みます。

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最大数となるインフレナンバー車は写真のサハ8900形で(写真はサハ8977)、サハ89117という、他の私鉄でも見られない、文字通り最大の数となっています。現在はサハ8900形式は形式消滅しています。
800系・850系

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東上本線などで使用されていた8両編成を更新工事する際に中間付随車2両を除いて、残った6両で3両編成を2本に改造した派生形式です。元の編成の連結されていた位置によって系列及び形式が異なっています。

●塗装の変化

8000系は現在はジャスミンホワイトをベースに前面にロイヤルブルーの帯、側面をロイヤルブルーの帯2本とフレッシュブルー1本の帯を巻いた塗装となっていますが、かつては異なるものでした。近年のリバイバルカラーブームで東武鉄道でも復刻塗装としてみる事が出来ます。

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写真の塗装は登場時のもので、ロイヤルベージュとインターナショナルオレンジの2色塗りでした。

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昭和49年より塗装工程の簡略化のため、セイジクリーム1色となり、この塗装は東武鉄道通勤形車輛の標準色となりました。しかし、下塗りのようだ。田畑の多い所では汚れが目立つなど評判はいま一つだったそうです。長らくこの塗装であり、8000系=セイジクリームというイメージがあり、テレビや映画でも8000系が出てくるとこの色だったような。写真左はその頃のもので、通過表示灯がある原型のスタイルです。

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これは東上線開業90周年を記念して施されたものです。かつて東上線にて運転されていた行楽列車「フライング東上号」(昭和24年から昭和42年まで運行)に使用されていた車輛と同じ塗装に復刻したものです。濃いブルーとイエローの帯が新鮮で、当時使用していたヘッドマークに似た形のヘッドマークを付けています。

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これは昭和30年代に通勤形電車の標準色を決めるために試験的に塗装されたものの一つをリバイバルカラーとしたもので、インターナショナルオレンジにミディアムイエローの帯を巻いています。亀戸線又は大師線で見る事が出来ます。

9000系・9050系

9000系
昭和56年に東武鉄道と帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)有楽町線相互乗入れ用に9000系が登場しました。東上線と有楽町線の直通運転は約6年ほど先になりますが、乗務員の教育訓練を中心とした乗入れに万全を期するために、先行試作車として10両編成1本(9101編成)が登場しました。

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8000系が登場して、18年ぶりの新系列であり、初めての10両固定編成となります。コンセプトとして、「シンプルかつ省エネルギーな高性能電車」となりました。車体には軽量化や長寿命化が図れる軽量ステンレス。客室窓は1段下降式、東武通勤形電車では初の自動式行先表示器を前面及び側面に採用しました。制御方式にも新機軸が導入され、AFE(自動界磁励磁)方式主回路チョッパ制御方式となりました。ブレーキ制御方式は回生ブレーキ付電気指令式空気ブレーキとなり、従来車と比較して空気配管が大幅に削減され、ブレーキ応答性が飛躍的に向上しました。保安装置では自社のATS(東武ATS)と地下鉄線用ATC装置の機能を1つの装置に集約した「ATC/S装置」を採用しています。この装置にはIC(集積回路)を用いてデジタル回路とし、高い信頼性を図っています。また、機器を集約する事で小型化を実現しました。
試用後、昭和62年に有楽町線に乗り入れるため、量産車に合わせた改造が行われました。1両あたりに2基搭載されていたパンタグラフを1基に削減、主回路チョッパ装置の改良が行われました。さらに時は流れて、平成17年には主回路装置は量産車と同じものに変更されています。

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昭和62年に有楽町線との相互乗入れが実施される事になり、量産車(9102~9107編成)6本が登場しました。量産車では車体構造が見直され、乗降扉幅や座席数の改善、機器類の見直しを中心に改善が行われました。このため、乗降扉の位置が試作車とは若干異なっています。

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平成3年に最後の増備車となる9108編成が登場します。この編成は、側面がビートプレス加工に変更され、全体の光沢を抑えたダルフィニッシュ(梨地)仕上げになって、印象が10030系に近いものとなっています。この他、補助電源装置のSIV化、電動空気圧縮機搭載車の変更、ラジオ受信装置を設置する改良が施されています。(写真は更新後の姿です。)

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平成18年頃より、平成20年に開業した東京メトロ副都心線への対応する改造工事が行われました。また、同時にリニューアル工事も実施され、車体の内外装が一新されました。外観では前部標識灯のHID化、スカートの装備、行先表示器のフルカラーLED化、パンタグラフのシングルアーム式に換装などが上げられます。保安装置などの面では副都心線に対応した機器を搭載したほか、ワンマン運転用に機器の更新も行われました。試作車となる9101編成は、量産車とドアの位置が異なり、ホームドアの関係から対象とはならず、有楽町線のみに使用するため「Y」の文字が入ったステッカーを貼付して使われましたが、有楽町線のホームドア化により、現在は東上線のみの運用となっています。
9050系

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平成6年に開業した有楽町線新線新線池袋駅(現:副都心線池袋駅)に伴い、輸送力増強を図るために登場した系列で、10両編成2本が登場しました。
9000系のマイナーチェンジ車になる新系列で、外観は9000系の最終編成である9108編成に似ていますが、行先表示器のLED化や屋根上の通風器が廃止されています。
制御装置では日比谷線直通用に使用される20050系と同一のGTOサイリスタ素子を用いたVVVF制御方式として、機器の共通化を図り、コスト低減を図っています。この他、メンテナンス面での改良が施されています。サービス面では自動放送装置や乗降促進ブザーが採用されています。
この系列も副都心線対応工事が実施されていますが、車内については軽微な程度となっています。

10000系・10030系・10080系

10000系
 8000系通勤形電車の後継車及び老朽化した7300系の置換用として昭和58年に登場した通勤形電車で、同年に登場した地下鉄相互乗入用9000系をベースに設計された地上用の車輛です。軽量ステンレス製車体に優等列車用車輛に用いられていたロイヤルマルーンの帯を巻いた姿は9000系と同じですが、先頭車の貫通扉が中央に位置し左右対称のデザインとなっています。編成は2両、6両、8両編成が用意され、2両及び6両編成は伊勢崎線や日光線で、8両編成は東上線で活躍をしています。平成元年には8両編成に別の中間車を組み入れた10両編成も登場しています。

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10030系
 伊勢崎線館林駅以北、日光線新栃木駅以北で活躍していた3000系列電車の置換えを目的に昭和63年に登場した系列です。10000系のマイナーチェンジ車ともいえる存在です。前面は8000系の更新車に似たデザインに変更され、コルゲート車体からビートプレス車体となり、ステンレスの光沢を抑えたダルフィニッシュ(梨地)仕上げとなって外観が変わりました。この他、台車はボルスタレス台車へ、補助電源装置のSIV化など変化が見られます。2、4、6、10両の各編成が用意され、伊勢崎線、日光線、東上線で活躍をしています。

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10050番代
 平成4年以降に登場した車輛では、車椅子スペース、補助送風機(スイープファン)の設置が行われたほか、外観では冷房装置のキセが連続式なる変化が見られ、車輛番号の下2桁を51番以降とした車輛を10050系とも呼んでいます。

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平成7年に登場した11267編成(2両編成)には東武鉄道では初となるシングルアーム式パンタグラフが搭載されました。試験的に搭載したもので、後に登場する20070系や30000系などの後継車輛に反映されています。

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平成25年より、野田線用のグループが登場します。同社のコーポレートカラーである青色(フューチャーブルー)と黄緑色(ブライトグリーン)に帯色が変更されたほか、先頭車の電気連結器及び前面貫通扉の渡り板が撤去されています。

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10080系
 昭和63年に10030系と共に登場した系列で、4両編成1本のみがつくられました。東武鉄道では初めてとなる、GTOサイリスタ素子を用いたVVVFインバータ制御方式を採用したもので、試験車的な意味合いがあります。この結果は、平成2年に登場した100系特急形電車を誕生させるきっかけとなっています。10000系や10030系とも連結が出来るように、走行性能を揃えています。現在はIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式に変更しています。

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リニューアル工事
 10000系登場後、20年以上が経過し車体の陳腐化が進んでおり、平成19年より内装を中心としたリニューアル工事が始まりました。外観では、一部電動車のパンタグラフ撤去。シングルアーム式パンタグラフへの換装、前部標識灯のHID化、先頭車前面に排障器の設置などが行われています。サービス面では種別、行先表示器のフルカラーLED化、自動放送装置、車外スピーカー、非常通報装置の対話式に変更、車内案内表示装置の設置などが行われました。

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 10030系では前部標識灯を内側に、後部標識灯を外側に従来とは逆にする入れ替えも行われています。東上線用では6両編成+4両編成で10両編成としていた編成で、中間に位置する制御車の運転台を撤去し、クハからサハへ形式変更して固定10両編成としています。(写真右はサハ16630形式(サハ16641))

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さらに、一部編成では界磁チョッパ制御方式から、VVVFインバータ制御方式に変更した編成もあります。(写真は11032編成です。)

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20000系・20050系・20070系・20400系

20000系
 昭和63年に登場した通勤形電車で、伊勢崎線と帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)日比谷線の相互乗入用車輛です。車体は日比谷線の規格に合わせて18m級となっています。非冷房車で活躍していた同じ日比谷線乗入れ用の2000系を置換える目的で設計されました。
 車体は同時期に登場した10030系に準じたもので、軽量ステンレス車体に軽量ボルスタレス台車となっており、乗降扉は片側に3か所となっています。主回路装置は有楽町線乗入れ用9000系と同じく、AFE(自動界磁励磁)制御方式主回路チョッパ制御方式を採用しています。日比谷線の冷房化車輛はこの20000系が最初であり、続いて営団03系、東急1000系と続いて投入されました。

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20050系
 平成4年に登場した系列で、20000系のマイナーチェンジ車になります。最大の特徴は8両編成のうち、前後2両ずつに5扉車を組み入れています。混雑緩和策として投入されたもので、先頭車には「5DOORS」のステッカーが付けられています。制御装置も変更となり、GTOサイリスタ素子を用いたVVVFインバーター制御方式となっています。車内では自動放送装置が設置され、英語放送にも対応しています。行先表示器がLED化されている点も変化の一つです。

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20070系
 平成9年に登場した系列で、5扉車の連結をやめ、3扉車に戻した点が特徴の一つにあります。パンタグラフはシングルアーム式に変更され、30000系に似たLEDスクロール式車内案内表示器が設置されています。20070系は置換用ではなく、列車増発用として登場しており、3編成のみとなっています。

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20400系
 伊勢崎線(東武スカイツリーライン)と日比谷線の直通運転用に活躍してきましたが、新型車輛として70000系が投入されるのに伴い、上述の各系列を改造し、平成30年に登場した系列です。日光線の南栗橋駅以北及び宇都宮線で使用する車輛で、車体色を「SL大樹」をイメージした濃紺色の帯に、乗降扉を解り易くするためドア横に黄色の縞を配したものとしています。前面は前面窓下に警戒色の黄色とイメージカラーの濃紺色の帯が配されています。
車内は70000系をベースに座席や床材などがリニューアルされ、乗降扉上部に車内案内装置を千鳥状に3ヶ所配しています。走行線区が寒冷地である事から、東武鉄道では初めての半自動対応車(ボタン操作によるもの。)となっています。運転台はワンマン運転対応の機器配置に変更され、モニタ装置、自動案内放送装置が新設されています。
前部標識灯及び後部標識灯はLED化されると共に配置を反転させています。また、行先表示器はフルカラーLEDに変更されています。
種車などの理由から、10~40番代に区分されているのが特徴で、それぞれの番代は下記の通りとなります。
10番代・・・先頭車、中間車ともに種車が20070系の編成。
20番代・・・先頭車は20000系、中間車は20070系が種車の編成。
30番代・・・先頭車、中間車共に20050系が種車の編成。パンタグラフはシングルアーム式に変更。
40番代・・・先頭車は20000系、中間車は20050系が種車の編成。パンタグラフはシングルアーム式に変更。

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写真左は20400系10番代、右が20400系20番代。

30000系

 平成8年に登場した通勤形電車で、帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)半蔵門線への乗入れに対応した設計をもつ系列です。昭和58年に登場した10000系の後継車でもあり、車輛製造ではアルナ工機、東急車輛製造、富士重工業の3社が担当しました。このうち、アルナ工機と富士重工業はこの30000系の製造をもって、鉄道車輛製造から撤退をしたことでも知られています。
 乗り入れ先の仕様に合わせており、主幹制御器に両手で操作するT字型ワンハンドル式マスコン、IGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式を東武鉄道の車輛として初採用しました。ワンハンドルマスコンに慣れるため、相互乗入れ開始の7年前から登場した事もこの系列の特徴でもあります。
 編成は10両編成ですが、4両編成と6両編成の2種類があり、それぞれを組み合わせて10両編成としています。これは、伊勢崎線浅草~曳舟駅間など10両編成が入線出来ない区間がある事と、検査入場する工場が10両固定編成では入線出来ない問題があったためです。
 車体は軽量ステンレス製で、従来のステンレス車と同じくロイヤルマルーンの帯を巻いています。前面はFRP製となっており、貫通式構造となっています。前部標識灯に初めてHID灯を採用しました。車体側面は10030系に準じたもので、側面窓が2連ユニット窓となっています。また、車体連結面に転落防止幌が設置されました。行先表示器はLED式で、側面は従来のものよりも2倍近く大きい物が使われており、表示が見易くなっています。
 この他、乗入れ先の東急田園都市線での使用に備えて、前面上部に急行灯(通過標識灯)が設置されていましたが、使用停止となり平成14年以降の車輛は省略されています。

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通過表示灯の残る31609編成と最初からない31615編成

 乗務員室では従来はグリーンの配色でしたが、ダークグレーに変更しています。特筆されるのは車輛情報制御装置のモニターが設置された事です。10000系で採用したモニター表示器を発展させたもので、多機能型のモニター装置は同社では初めての採用となります。
平成15年に伊勢崎線曳舟~押上駅開業と、半蔵門線押上~水天宮前駅開業により、半蔵門線と東急田園都市線の相互乗入れ運転が始まりました。埼玉県北部にある南栗橋駅から神奈川県大和市にある田園都市線中央林間駅まで98.5kmにもあるロングラン運転が始まりました。しかし、30000系に問題が起きました。
 30000系編成です。4両と6両編成の組み合わせでしたが、この中間に位置する先頭車の車輛がとても混雑をする位置であったため、運転台のスペースが問題となり、平成17年に後継の50050系に仕事の大半を譲る事になりました。
 乗入れ用から地上線への転用となり、多くが東上線へ転用されました。その際、直通運転に対応する機器を50050系に移設しています。現在2編成が残っており、10両編成が入線出来ない、南栗橋駅、館林駅以北の直通臨時列車用として活躍をしています。(通常の営業運転も行っています。)

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 東上線で活躍する30000系ですが、転属に際して先頭車の電気連結器の撤去、運転台計器類のグラスコックピット化などの改造が行われました。また、中間に位置する先頭車は中間付随車化(クハからサハへ形式変更)され、10両固定編成となっています。

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中間付随車となった制御車で、左はサハ31400形式(サハ31411)、右はサハ36600形式(サハ36611)です。

50000系・50050系・50070系・50090系

 平成17年に東上線に登場した50000系から始まる通勤形電車です。「人と環境にやさしい次世代車両」をコンセプトに、従来車よりもバリアフリー、省エネルギー、メンテナンスフリー化を目指し、通勤・近郊電車の標準仕様ガイドライン仕様を考えて設計されています。
 日立製作所の鉄道車輛製作システム「A-train」を採用しており、製作にあたってはモジュール工法(主要部品ごとにある程度設計、組み立てしたものを組み合わせていく方法。)が用いられ、車体はアルミニウム合金を用いたダブルスキン構造としています。また、溶接には摩擦攪拌接合(まさつかくはんせつごう)(FSW)を採用し、精度の高い仕上がりを図っています。このアルミニウム合金の採用は通勤形電車では初めての採用となります。前頭部は普通鋼製のもので、ボルトで鋼体と固定をしています。
 車輛の色は従来車に用いられていた青色や茶色ではなく、「輝く」を意味するシャイニーオレンジを前面ガラス下は塗装、側面は戸袋部分にシールによって貼り付けています。また、廃車時のリサイクル性を考えて、車体各部のアルミ材質の統一も図っています。
 車内も同様にモジュール工法で組み立てられており、部材もアルミニウムを多用してリサイクル性を高めています。車内はアルミ基盤の高硬度アートテック(艶消し白色無地)を使用し、清潔感のあるデザインとしています。
 走行機器は各系列ほぼ同一となっており、制御方式はIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式を採用し、ブレーキ制御方式は回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ及び全電気ブレーキ方式を採用しています。保安ブレーキ、抑圧ブレーキ(耐雪ブレーキ)、遅れ込め制御機能があるほか、各車に滑走防止装置を設置しています。
 30000系に続いて、車輛情報制御装置を採用しており、システムに日立製作所が開発した「ATI装置:Autonomous decentralized Train Integrated system」を搭載しています。車輛に搭載された主要機器はATI装置を経由しており、常に監視されています。運転台モニターで車上検知機能や故障時に乗務員に知らせます。力行や常用ブレーキの指令も同様で、引き通し線の大幅な削減を行う事で、軽量化、メンテナンスフリーを実現しています。
50000系

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 平成17年に登場した東上線向けの系列です。1次車となる51001編成(写真左)は正面が非貫通となって登場しました。前面窓は1枚窓としています。2次車となる51002編成は前面スタイルが変わり、非常用貫通扉が設置されており、乗務員室内に非常用はしごが設置されています。貫通扉が設けられたことにより、前部標識灯及び後部標識灯のライトケースが床面高さに変更されてました。このスタイルが以降の標準となります。

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 4年ぶりとなる平成21年に3次車及び4次車が登場しました。51003編成以降の50000系です。このグループでは、その間に登場した50050系(51061編成以降)や50090系の仕様が採り入れられており、バリアフリー設備の向上が図られました。外観では、乗降扉間の客室窓が大型1枚窓から、2分割とし、開閉可能とした下降窓に変更し、車端部を固定窓としました。このため、1次車及び2次車で屋根上に設置されていた非常換気装置が廃止されています。(客室窓についても、後に分割窓に変更しています。)

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1、2次車(左)と3次車以降(右)の違い。非常換気装置は屋根上の空調装置の後ろにあります。

50050系

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 平成18年に伊勢崎線、日光線用及び東京メトロ半蔵門線、東急田園都市線直通用車輛として登場した系列です。50000系の2次車に準じた設計としていますが、相互乗入れ車輛の規格となるため、車体幅2770㎜としています。また、乗入れ先の保安装置等を搭載しています。一部の編成では保安装置等の機器を30000系より移設して使用しています。

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 平成20年以降に登場した51061編成以降は、一部に50090系の仕様が採り入れられています。外観では客室窓の分割、下降窓への変更、非常換気装置の省略などが行われています。機器では電動空気圧縮機を除湿装置一体型のパッケージコンプレッサー(ユニットCP)に変更しています。
50070系

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平成19年に登場した系列で、東京メトロ有楽町線、副都心線、東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線への直通用車輛として登場しました。50050系に準じた設計となっていますが、副都心線内でのホームドアの関係から先頭車の車長が延長されています。サービス面では車端部の側面窓は車椅子スペース部分を除いて、全て開閉可能としました。また、行先表示器は3色LEDからフルカラーLEDに変更されました。
運転台は地下鉄線への対応のため、レイアウトが大幅に変更されており、車上CCTV(ホーム監視用モニター画面)の設置などが行われています。

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51076編成及び51077編成では、車内に変化があり車内案内表示機をLED式から、9050系や20050系以来となる液晶ディスプレイ(LCD)方式に変更しました。日本語、英語のほか、中国語、韓国語も表示できます。客室窓は大型1枚窓から、2分割下降窓に変更し、車端部を固定窓として非常換気装置を省略しています。
50090系

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平成20年に登場した系列で、東上線にて運転を開始した座席定員制列車「TJライナー」号用に投入された系列です。基本はこれまで登場した50000系列に準じていますが、シャイニーオレンジに加えて、東上線のイメージカラーであるロイヤルブルーⅡの帯が加えられ、一般車との識別やスピード感を表しています。車内の妻面及び側面の内張りを高硬度アートテックからメラニン化粧板に変更するなどの変化があります。
側面客室窓は乗降扉間を2分割下降窓に変更し、車端部を固定窓としました。これにより、非常換気装置は省略されています。最大の特徴は関東地方の鉄道事業者では初めてとなるクロスシートとロングシートのどちらかに転換できるマルチシートの装備です。関西地方では近鉄のL/Cカーが有名です。運転台に設置されたATIモニターより、操作をします。51095編成及び51096編成では乗降扉周りの改良が行われています。

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50092編成(第2編成)は東上線全線開業90周年を記念し、かつて走っていた「フライング東上号」のラッピングが施されています。

60000系

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 平成25年に登場した野田線用の通勤形電車です。50000系のコンセプトである「人と環境にやさしい次世代車両」を引き継いで設計されています。このコンセプトに基づいて設計されており、50000系に続いて、日立製作所の「A-train」を採用したアルミニウム合金軽量車体、FSW溶接オールアルミダブルスキン鋼体となっています。塗装はアルミの銀色が主体ですが、先頭車前面下部と各車輛側面上部に、東武グループのコーポレートカラーであるフューチャーブルー、乗降扉脇に視認性のあるブライトグリーンを配しており、野田線沿線の自然と調和したデザインとしています。翌、平成26年より野田線に「東武アーバンパークライン」の愛称が付けられ、先頭車にロゴが入っています。
 車内は片持ち式座席を用いたロングシート仕様で50000系に準じた内装となっています。車内の照明にはLEDが用いられており、設定により通常の50%又は25%の明るさの切換が出来る機能が加わっています。車内案内表示装置は各乗降扉上に設置されています。また、ラジオ受信装置を廃止し、東武鉄道の車輛では初めての公衆無線LANサービスを始めた事が特徴の一つにあります。
 主制御装置はPWM方式2レベルVVVFインバータ制御方式。ブレーキ制御方式は回生ブレーキ併用全電気指令式空気ブレーキ方式となっています。
 野田線の主力車両として、増備が進んでいます。

70000系

 東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)と東京メトロ日比谷線の相互乗入れ用として20000系、20050系、20070系が長らく活躍してきましたが、全車片側3扉編成と混雑緩和策として一部の車輛が片側5扉となる編成が混在しており、これを統一する目的で平成29年に登場しました。
これまで日比谷線との乗入れ車輛は、日比谷線内に急曲線が多数あるため18m級車輛とされてきましたが、20m級車輛を導入しても問題ない事が確認されたため、70000系及び東京メトロ13000系は20m級となっています。編成は18m級8両編成に対し、70000系及び13000系は7両編成となっています。
 機器や性能面など多くの仕様が13000系と共通となっているのが特徴の一つ。車体はアルミ合金製のダブルスキン構造。レーザーMIGハイブリット溶接という手法でつくられています。車体色は20000系列の帯色であるマルーンを2つの原色に分け、「イノベーションレッド」と「ピュアブラック」の2色帯となっています。前面のデザインは直線的な13000系に対し、前面をくの字にした丸みを感じるデザイン。灯具類のデザインも異なっています。制御方式等は13000系と同じ、IGBT素子を用いたVVVFインバーター制御方式、永久磁石同期電動機(PMSM)を用いて消費電力の削減が図られています。ブレーキ制御方式は回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキです。
台車も13000系と同じで、車輛の車端側を電動軸、内側を付随軸とし、付随軸は曲線走行時に向きを変えることの出来る自己操舵軸とし、レールと車輪から発する騒音を低減させています。
大きな違いは車内で、「室内のどこにいても明るく快適な車内」をコンセプトに設計され、間接照明の13000系に対し、直接照明としています。この他、モケット地、貫通路の引き戸など異なる点があります。ドアエンジンは13000系が空気式を採用したのに対し、70000系では電気式となっています。

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6050系・634型「スカイツリートレイン」

6050系

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 かつて、同社に在籍していた6000系(日光線系統の快速、準快速列車に使用していた旧型車輛を置換えるために昭和39年に登場した、2ドアセミクロスシート仕様の電車。8000系をベースとした優等列車向け仕様)を昭和60年に車体更新した系列です。
 全長20m級の車体に両開き乗降扉を片側、前後に2ヶ所備えたセミクロスシート仕様です。前面は大型ガラスを使用した折妻構造で、貫通式となっています。貫通扉上にある灯具は急行灯(通過表示灯)です。車体色はジャスミンホワイトをベースに、前面はパープルルビーレッド、側面はパープルルビーレッド2本にサニーコーラルオレンジを巻いた爽やかな塗装となりました。この塗装は塗り分けは異なりますが、100系特急形電車、300系及び350系に採用され、日光方面の優等列車のイメージカラーとなりました。
 主要機器は6000系より台車や抵抗器、電動空気圧縮機などを流用していますが、制御器など一部は新製されています。また、増解結時の省力化を目的に電気連結器が追加で装備されています。また、一部のモハ6150形には霜取り用パンタグラフが装備されています。

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 6000系からの改造車ではなく、新造車も登場しました。昭和60年に100番代(61101編成)が登場した事に始まります。その後、もう1編成登場し、この2編成は野岩鉄道の開業に合わせて譲渡されました。野岩鉄道が開業し、尾瀬や会津地方への人気は予想を上回り、新製車が7編成登場しています。平成2年に6050系最後の編成となる200番代(61201編成)が1編成つくられ、会津田島電化開業用として会津鉄道に譲渡されました。野岩鉄道、会津鉄道に配置される6050系は東武鉄道からの譲受車という形になっています。これは、各車の新製車とすると同一図面であっても許認可手続きの費用等が発生するため、東武車という形で籍を発生させ、その後に譲受した形にする事で、手続きが簡略化できコストダウンが図れるというメリットがあるためです。
634型「スカイツリートレイン」

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 平成24年に6050系を改造した観光用車輛です。形式名の「634」は東京スカイツリーの高さ634mに因んでいます。2両編成2本がつくられ、通常は4両編成で活躍をしています。
 車体構造は6050系と同じですが、塗装は白をベースに634-11編成が「青空」をイメージした青系、634-12編成が「朝焼け」をイメージした赤系の水玉模様と東京スカイツリーのデザインが施されています。この水玉模様は、地上で放たれた風船が、スカイツリーを沿うように舞い上がる様子をイメージしています。客室の側面はスカイツリーなどの眺望を考え、客室窓上部に曲面ガラスを用いた天井窓が追加されています。
 車内は座席部分の床面を通路に対して150㎜高くした高床式に改造しています。座席はフリースペースを除いてリクライニングシートに変更、モハ634-01形では片方を窓側に向けたペアスイート席、もう一方を1列配置のシングル席に、クハ634-02形は1列配置のシングル席と2列配置のツイン席の組み合わせとし、ペアスイート席以外は回転が可能で、1人旅から2~4人の組み合わせに対応しています。
 座席のモケットは青系、赤系で区別され、東京スカイツリーのマスコットキャラクターであるソラカラちゃん、テッペンペン、スコブルブルのシルエット柄が採用されています。
 運転台背後はサロン席、荷物棚が設置されています。このため、運転台寄りの乗降扉は廃止され、乗降扉は片側1箇所となっています。トイレは車椅子対応の大型のものとなり、これにより近くにある乗降扉は移設されています。

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形式の由来となった東京スカイツリーをバックに走行する634型。

1800系

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 昭和44年に登場した急行形電車で、急行「りょうもう」用の車輛として活躍をしました。車体色は日光線系統の落ち着いた配色に対して、当時の東武車輛としてはインパクトのあるローズレッドを基調に白色の帯を巻いたスタイルものとなっています。
 観光列車の1720系とは異なり、ビジネス向けの仕様としているため、特別な設備はありません。1つ、日本の鉄道車輛では初めてとなる清涼飲料水の自動販売機が設置された事が特徴にあります。
 車内は回転クロスシート仕様で、乗降扉は停車駅も多いため、特急形車輛よりも幅が広い900㎜ドアを採用しました。
 走行機器は同時期に登場した8000系に準じており、急行用仕様としたものです。当初は4両編成でしたが、のちに6両編成になっています。

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急行「りょうもう」号で活躍していた頃の1800系

 平成10年まで急行「りょうもう」号として活躍し、その後は廃車を待っていましたが、館林地区で使われていた吊り掛け電車である5000系列の老朽化により、置換え用として1800系を普通列車用に格下げ改造する工事が行われました。編成は登場時の4両で、塗装変更や車内の改造が行われて活躍をしました。(現在は廃車。)現在は、最後の編成となるマイナーチェンジ車の1819編成で、予備車という扱いながらも、臨時列車などを中心に使用されています。

300系・350系

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 急行「きりふり」、「ゆのさと」(現在はどちらも特急列車に格上げ)用の車輛として平成3年に登場した急行形電車(現在は特急形電車)です。
 伊勢崎線~日光線系統には、優等列車として特急列車があり、この他に快速急行がありました。この快速急行には6050系が使用されており、特急形電車と比べるとグレードやサービス面での改善が必要でした。
 その頃、急行「りょうもう」号で活躍した1800系が200系によって置換えられ、運用を離れ廃車待ちとなっていました。先程の6050系使用によるサービス面での格差を小さくするために、1800系を改造し、4両編成を350系(写真)、6両編成を300系に変更としています。
 前面は1800系の最終編成である1819編成と同じ、灯具類を角形に変更、塗装を日光線系統優等列車のイメージカラーであるジャスミンホワイトをベースにパープルルビーレッド、サニーコーラルオレンジの帯を巻いたものに変更しています。
 機器類は1800系で使用されたものを流用していますが、日光線の勾配に対応するため発電ブレーキ及び抑速ブレーキを追加装備しています。
 300系、350系の登場により、快速急行は急行に変更されています。運用に余裕があるため、団体列車などにも使用されています。300系は平成29年に引退しました。

100系

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 平成2年に登場した日光線専用特急形電車です。「スペーシア(SPACIA)」の愛称が付けられました。1720系特急形電車の置換用として登場したもので、様々な新機軸が盛り込まれています。
 車体は同社では初めてのオールアルミ合金製で、軽量化及び低重心化を図っています。乗降扉はプラグドアを採用し、側面は滑らかになっており、凹凸を減らしています。先頭車は非貫通の流線形で、丸みのあるソフトな感じながら、スピード感あるデザインとしています。車体塗装は日光線優等列車のイメージカラーであるジャスミンホワイトをベースにパープルルビーレッド、サニーコーラルオレンジの帯を巻き、窓周りを黒色(写真)としていましたが、現在は見られません。
 車内は銀座東武ホテルをデザインしたデザイナー、ロバート・マーチャント氏によってデザインされました。1~5号車は2列+2列のフットレスト付回転式リクライニングシートを配置した普通席ですが、シートピッチはJRのグリー車並みの幅があります。
 6号車は4人用個室を設けた車輛で、JR線内ではグリーン車の扱いを受けています。ホテルの客室を意識したデザインが施され、床面全体はカーペット敷き、テーブルは大理石で作られています。

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 3号車(写真)はビュッフェ、自動販売機のサービスがあり、飲み物や軽食を購入する事が出来ます。
 制御システムは、日本の有料特急電車としては初めてとなるGTOサイリスタ素子を用いたVVVFインバータ制御方式を採用しました。全車電動車で、運転最高速度は130km/hとなっています。乗心地を改善するため、ジャークコントロール(加速度制御)機能があります。これは、すぐに設定された加速度にせず、徐々に加速度を高めていくもので、ノッチオフ(力行をやめる:車で言うとアクセルを離すこと。)の際も、徐々に電流を下げる絞込み遮断を行うため、衝動が格段に少ない特徴があります。60km/h以上では定速走行装置があり、任意の速度を維持して運転することも出来ます。ブレーキシステムは回生、発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキを装備しています。高速運転であるため、滑走再粘着制御及び粘着パターン制御機能が付いています。
 平成24年より、リニューアル工事が実施される事になり、車内のリニューアルなどが行われました。この際に塗装変更が併せて実施される事になりました。

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塗り分けについては従来と変わませんが、パープルルビーレッドの細帯は、東武グループのコーポレートカラーであるフューチャーブルーとし、サニーコーラルオレンジの太い帯と側面客室窓周りの黒色は、東京スカイツリーのライトアップデザイン「粋」をイメージした「隅田川の水をモチーフとした淡い青色」(写真左)、同じくライトアップデザインの「雅」をイメージした「江戸紫」(写真中央)、日光・鬼怒川線優等列車のイメージカラーである「サニーコーラルオレンジ」とした3種類に変更しました。

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写真は平成29年に登場した「日光詣スペーシア」という特別塗装です。平成29年に日光東照宮四百年式年大祭が行われた事を記念して、車体色、窓枠帯、路線カラーに日光二社一寺の建造物に使われている荘厳な金色、重厚な黒色、艶やかな朱色を配し、世界遺産である建造物をイメージしたデザインにしたものです。車内の座席のヘッドカバーも金色にするなど特別感あるものとしています。また、専用のロゴマークもあつらえられています。平成31年現在3編成が指定され、1編成はサニーコーラルオレンジの塗装となっています。

200系・250系

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左から200系前期車、200系後期車、250系

 平成3年に登場した急行「りょうもう」号用の急行形電車です。後に特急へ格上げとなり、特急形電車となっています。
 急行「りょうもう」号は浅草(都市部)と赤木、伊勢崎方面を直結する通勤、観光列車として設定され、年々需要が増え、スピードアップなどが図られてきました。1800系で運用してきましたが、性能上これ以上のスピードアップは困難である事、また特急列車の格上げも予定されていた事から、接客設備及び性能面で新型車輛が必要となり、登場したのがこの200系です。
 この200系、構体は台枠より新製しましたが、台車や主電動機などの主要機器は、当時100系特急形電車「スペーシア」の増備により、置換えが進んでいた1700系、1720系「DRC」からの発生品を流用しており、1700系、1720系の車体更新車ともいえる存在なのです。こうして6両編成9本が製作されました。平成10年にさらに1本増備を行うのですが、すでに種車は全部使ってしまいました。この増備編成のみ完全新製する事となり、この編成を250系として区別しました。
 車体は全鋼製車体で、前頭部形状は100系同様に流線形としましたが、ソフトなデザインの100系に対し、シャープな仕上がりとしています。塗装は1800系のような派手さはなく、ジャスミンホワイトをベースに「りょうもう」号のシンボルカラーであるローズレッドの帯を巻いたものとし、客室側面窓周りを黒色としています。
 200系、250系の特徴では乗降扉があります。1800系と同じく、900㎜幅の乗降扉を備えていますが、4号車に相当する中間車モハ200-3形及びモハ250-3形には1800系と同じ編成定員を確保するため、乗降扉が省略されました。業務用扉を含めて、側面に扉のない旅客用電車の誕生は、日本初の事です。車内はリクライニング機構付回転式クロスシートで1700系・1720系の発生品を使用している編成もあります。
 200系の207編成以降ではバリアフリー対策が盛り込まれており、3号車(モハ200-4形)の座席を配列を変更し、車椅子スペースとしたほか、デッキ部扉及び乗降扉幅の拡大、車椅子対応洋式トイレの変更が行われています。201~206編成も後に改造を行っています。
 主要機器は200系では1700系・1720系の発生品を250系では30000系で実績のある新製品を搭載しているため、機器が異なります。M:T比では200系は全電動車の6Mに対し、250系は3:3の比率となっています。
 制御方式では、200系が界磁添加励磁制御方式、250系はIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式となっています。ブレーキ制御方式では200系は応荷重装置付電磁直通空気ブレーキ、250系は電気指令式空気ブレーキ(T車遅れ込め制御機能付き)となっています。台車では、200系は発生品の流用で、古典的な設計の空気ばね台車FS-370A形式、250系は軽量ボルスタレス台車SS-151(電動車)、SS-051(付随車)を履いています。
パンタグラフは201~206編成は下枠交差式パンタグラフを装備し、3両に1つずつ搭載しています。207~209編成はシングルアーム式のパンタグラフに変更されています。(配置は同じ)250系は、200系の後期形と同じシングルアーム式パンタグラフですが、編成が異なるためモハ250-2形に2基、モハ250-5形に1基の搭載となっています。

500系

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平成29年に登場した特急形車輛で、日光線、鬼怒川線、伊勢崎線、野田線及び野岩鉄道会津鬼怒川線、会津鉄道会津線へ相互に直通する特急列車に使用されます。
特徴として、3両編成を基本とし、分割・併合機能を活かして多線区で活躍できる。というものです。この特徴が愛称の由来で、多線区での運行を意味する「Variety」と路線を縦横無尽に走り回る自由度の高さを意味する「Liberty」を組み合わせ、「Revaty(リバティ)」と命名されています。
全体のコンセプトは「様々な運行形態で運用可能な速達性と快適性を持った特急列車」としており、車体は軽量化を図ったアルミ合金製ダブルスキン構造、100系よりも床面高さを低くし、ホームでの段差解消を考えています。前面は貫通型構造で、左右に開くプラグドアを備えています。スピード感を表現するため前面は傾斜が屋根部まで続く流線形で、貫通扉の上部にLEDの前部標識灯、下部左右に同じくLEDの前部標識灯及び後部標識灯が配置されています。また、先頭部形状は踏切事故等を考え、強度を十分に備えた安全性を向上させた設計も特徴の一つにあります。全体のデザインは東京スカイツリーに代表される先進性、豊かな自然や時の流れのおおらかさを持った格式あるものとし、シャンパンベージュ地に側面窓周りにフォレストグリーンと東武グループのイメージカラーであるフューチャーブルーを配したものとしています。
車内は東京スカイツリーをイメージとする白をベースに、雄大な大地や樹木をイメージした木目調のデザインが随所に配置されています。天井は隅田川、鬼怒川などをイメージした波型のデザインになっています。座席は江戸の伝統色「江戸紫」とし、袖の一部に伝統工芸の「印伝」をモチーフにした柄が配されています。また、窓間には江戸小紋のデザインが採り入れられ、縁起物とされている「トンボ」があります。座席には背面テーブル、腰掛テーブル、コンセントの設備があります。
空調装置は集中形で、各座席に分岐させる構造です。各車に6又は7台の空気洗浄装置も搭載されています。配置は2+2列の普通席のみ。回転式リクライニングシートで、背ずりを倒すと座面の後ろが沈むチルト機構となっています。
トイレは2号車にあり、洋式、男性用、車椅子及びオストメイト対応の多機能トイレがあります。この他、各車にはWi-Fiルーターが設置され、公衆無線サービスを提供しています。
500系は様々な線区での広範囲での運用であるため、安定運行の確保が必須で、加えて快適性の提供、環境負荷の低減を考えて設計されています。安定運行の確保のため、主要な機器であるSIV、ATS、T-TICS(車輛情報制御装置)は並列二重系又は待機二重系の設計となっています。また、VVVFインバータ装置、電動空気圧縮機は2台搭載しています。
制御方式はIGBT素子を用いた2レベル電圧形VVVFインバータ制御方式で、全閉式永久磁石同期電動機(PMSM)を採用しているため、1つの制御装置で1つの電動機を制御する1C1M方式で、これを4群搭載しています。空転時において、粘着率の低下した場合、空転していない電動機を駆動させ、粘着率を向上させるなど運行に支障が出ないように工夫が図られています。
ブレーキ制御方式は回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ方式で、各車に1台ブレーキ制御装置を搭載し、特徴として電動空気圧縮機を制御する調圧器を持っている事。T-TICSを介して信号を送るため、調圧同期信号線(2個以上ある場合、空気圧が減少した際にそれを感知して、正常な状態に素早く戻すために一斉に動作させる指令線)を不要としました。
台車はヨーダンパを備えたボルスタレス台車で、東武鉄道では初めてとなるフルアクティブ式車体動揺防止制御装置を搭載し、乗心地の向上を図っています。
中間付随車となるサハ500-2形には静止型インバータ(SIV)、電動空気圧縮機が搭載されるほか、車輛起動用、列車無線用、列車無線非常防護発報用の各種蓄電池が搭載されています。

SL大樹

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平成29年8月、下今市駅と鬼怒川温泉駅間にSL列車「大樹(たいじゅ)」が土休日を中心に運行を始めました。「大樹」の由来は世界遺産「日光の社寺」の一つとして有名な日光東照宮から連想される将軍の別称、尊称と言われています。また同社のグループである世界一の自立式電波塔である「東京スカイツリー」を連想させ、沿線地域と共に育ってほしい。という思いを込めて命名されました。ヘッドマークのデザインは徳川家の家紋である「三つ葉葵」をもとに、葵の紋をC11形式の動輪で表現しています。また、「葵」とはつながっていくという意味もあり、日光、鬼怒川温泉、下今市の3つのエリアが連動し、回遊性が向上するように。という思いも込められています。
蒸気機関車の運転は昭和41年の佐野線を最後に廃止されてから、半世紀以上ぶりの再開となります。蒸気機関車はJR北海道に籍を置くC11 207号機で、借り受けての運転となります。東武鉄道に籍を置く(所有は東武博物館)のは、14系客車(0番代はJR四国より譲渡、500番代はJR北海道より譲渡)、12系(JR四国よりオロ12形式2両を譲渡)、ヨ8000形式車掌車(JR貨物、JR西日本より譲渡)、DE10形式1099号機(JR東日本から譲渡)があります。形式については変更されていません。
編成はC11+ヨ8000+客車+DE10形式となり、DE10は先頭ではなく、後部補機で上り勾配での速度低下や不意の不調に対応するために連結されています。また、蒸気機関車が運転しない場合もあり、その時は「DL大樹」号として、DE10形式+客車の編成となっています。

2000系

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昭和36年に登場した帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)日比谷線乗入れ用の通勤形電車です。この2000系は東武鉄道の通勤形電車では初めての高性能車輛となっています。車体は18m級片側3扉の車体で、同社では初となる両開き戸を採用しました。日比谷線では営団車や乗入れてくる東急車はステンレス製車体に対し、全鋼製車体の塗装車体は目立つ存在でした。地下鉄線を走行するため、A-A基準に準拠した設計となっています。
主要機器は通勤形車輛では初となる、ユニット方式による全電動車仕様、カルダン駆動方式の2000系ですが、この元になったのは昭和31年に登場した1700系特急形電車のもので、通勤形電車向けに仕様を変更したものです。
当初は4両編成でしたが、のちに8両編成化されました。平成5年まで活躍し、後継の20000系に任務を引き継ぎます。この世代交代で、運用から外れた2000系を再活用して、野田線の旧型電車の置換を行う事になりました。昭和63年に2080系として登場した通勤形電車です。8両編成であった2000系を6両編成に改造の上、前面や一部電動車の付随車化改造などが行われました。
しかし、全電動車編成の一部を付随車にしたため故障が多く発生したほか、当時は冷房車が一般的な時期にもかかわらず、非冷房車であった事が災いして、平成4年には廃系列となってしまいました。(車体強度の関係で冷房化が出来なかったそうです。)

3000系

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この3000系は昭和39年に登場した通勤形電車です。この3000系が登場した頃の東武鉄道は旧型車輛が主力として活躍しており、これらの車輛は1920年代から50年代に新製されたもので、性能は一部を除いて統一はされていましたが、車体の仕様はまちまちでした。また、老朽化や設備の陳腐化が進んでいるのと同時に長距離用車輛を通勤用に転用し、輸送需要に追いつけない問題が浮き彫りになってきました。そこで、仕様の統一や通勤化による輸送力を図る目的で登場したのが、3000系です。
旧型車輛の更新というのが目的であり、主制御器、主電動機、台車、ブレーキ装置など主要機器の多くを流用しています。この機器の出所、つまり種車により3000系、3050系3070系の3系列が登場しました。
車体は新製されており、8000系に似た全金属鋼製軽量車体です。車体長が18m級であるため、片側に両開き扉が3か所となっています。
野田線、群馬地区各ローカル線、栃木地区各ローカル線で活躍をしました。写真は3050系です。

5700系

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この5700系は昭和26年に登場した特急形電車で、平成3年まで40年に亘って活躍をしました。戦後、東武鉄道での特急列車の復活は国鉄から借り受けた二等客車2両から始まりました。この2両の前後に電車を挟んで4両編成により、日光・鬼怒川温泉行特急列車が復活、愛称は「華厳」、「鬼怒」でした。この列車は連合軍専用の列車で、電車に日本人の一般客が乗車する事が認められました。
その後、一般向け特急列車が運転される事になりましたが、優等用車輛を一般車に格下げした車輛を整備したもので、特急車輛の設備面では見劣りするものでした。
昭和25年に国鉄が上野~日光間に快速「にっこう」を運転。同社との競合が激しくなってきました。そこで、本格的な特急形車輛を導入する事になり、この5700系が登場しました。A~C編成の2両編成3本が製作され、A編成は非貫通構造の先頭車をもち、B編成は前面貫通構造の編成、C編成は最新鋭の駆動装置を搭載したものです。このうち、A編成の制御電動車モハ5700形は非貫通構造で、国鉄80系電車から始まった、湘南顔を採用しており、車体の配色と丸いヘッドマーク、その左右に銀色の飾り帯が3本ずつ付けられ、「猫ひげ」の愛称が自然に付けられました。
昭和31年に後継の1700系特急形電車が登場すると急行列車へと用途が変更されました。非貫通構造の車輛を持つA編成は運用上の制約が多いため、貫通構造に改造されています。
平成3年にさよなら運転を行い、営業運転を終了しました。廃車となった5700系のうち、モハ5701は東武博物館に保存展示される事になり、その際に非貫通構造に復元されました。

1720系

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昭和35年から平成3年まで活躍した特急形電車です。通称はデラックスロマンスカー(Deluxe Romance Car:DRC)で、「デラ」の愛称で親しまれていました。
東武鉄道と国鉄の東京~日光の熾烈な争いは昭和31年に登場した1700系特急形電車(5700系の特急形版)により、東武鉄道が優勢でした。しかし、国鉄は日光線の電化、それに伴う新型列車の投入を決定したため、これに危機感を抱いた東武鉄道では新型特急電車の開発を始めました。それがこの1720系です。
当時の国鉄の最新型特急形電車は151系(こだま級)で、これに対抗するため、速度面、国際的な観光地である日光方面の外国人旅行者にも対応する車内設備を備える事にしました。
①座席は当時の国鉄特急形電車一等車(現在のグリーン車に相当。)と同じシートピッチとし、フットレスト付リクライニングシートを全車に配置しました。
②サロンルームは回転いすとジュークボックスを備えたフリースペース。晩年はレコードの入手難により、座席化されています。
③ビュッフェは1編成あたりに2ヶ所あります。
④トイレ 外国人利用者を考え、和式と様式の2種類を用意しました。
⑤マジックドア 手を触れないのに自動でドアが開閉するもので、日本の鉄道車輛では初めての導入です。
東武日光方面特急列車の象徴として長らく活躍し、平成3年に引退。引退後はその主要機器を200系に譲り、現在も活躍をしています。

キハ2000形

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昭和29年に登場した液体式気動車で、熊谷線の専用車として導入した車輛で、東武鉄道が最後に導入した気動車でもあります。
この熊谷線とは戦時中、航空機産業で栄えていた太田地区と熊谷を結ぶために建設された路線で、昭和18年に熊谷~妻沼駅間(10.1km)が開業したのみで、それ以北の延伸はされませんでした。閑散とした支線となった熊谷線は、矢板線と共に非電化で、蒸気機関車が客車列車を牽引する、同社の中で近代化が遅れていた路線となっていました。熊谷線の経営を改善するために、列車の気動車化が行われる事になり、登場したのがキハ2000形です。
16m級片側2扉の小型気動車で、国鉄中型気動車向けDMF13(120PS/1500rpm)を1基搭載していました。車体重量は22.5tあり、強力なエンジンではありませんが、熊谷線は平坦であったため、特に問題にはなりませんでした。車内はセミクロスシート配置となっています。
熊谷線で蒸気機関車が運行されていた当時、10.1kmの区間を24分かかって運転していたため、利用者からはその鈍足ぶりから「カメ号」と呼んでいました。キハ2000形はこの時間を大幅に短縮する17分で走破しました。でも、利用者からはそのずんぐりむっくりした車輛を見て、「特急カメ号」と呼ぶようになり、その後は「カメ号」に戻ってしまいました。この愛称のほかに「プッチ」とも呼ばれていたそうです。
昭和58年に同線の廃止に伴い、キハ2000形も廃車となりました。3両つくられたうちの1両であるキハ2002が、妻沼駅跡の近くにある熊谷市立妻沼展示館に保存されています。

ED5010形(ED5015)

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東武鉄道では貨物輸送に蒸気機関車を長らく使用していましたが、昭和30年に近代化のため、自社発注の電気機関車を製作し、増備していきました。このED5010形もその一つで、昭和37年に登場しました。
このED5010形は東上線の貨物輸送に活躍しました。貨物輸送が廃止となった昭和59年に廃車となりました。写真のED5015は東武博物館に保存されています。