所有路線
ブルーライン 湘南台~あざみ野駅 40.4km 全線複線 電化(直流750V・第三軌条方式)
グリーンライン 中山~日吉駅 13.0km 全線複線 電化(直流1500V)

横浜市交通局が運営する地下鉄路線で、「横浜市営地下鉄」と言います。(市の条例では横浜市高速鉄道と言います。)地下鉄路線は1号線、3号線、4号線の3路線あり、1号線と3号線は「ブルーライン」と呼ばれ、営業キロ40.4kmは都営地下鉄(東京都交通局)大江戸線の40.7kmに次いで2番目の長さです。正式には湘南台から関内駅までが1号線、関内駅からあざみ野駅までが3号線となっています。しかし、関内駅を始発着とした列車は運行されておらず、一体化したものとして扱われています。
4号線は平成20年に開業した路線で、「グリーンライン」と呼ばれています。この路線は横浜環状鉄道の路線の一部であり、鶴見駅→日吉駅→中山駅→二俣川駅→東戸塚駅→上大岡駅→根岸駅を経由し、元町・中華街駅を通り、横浜駅までを結ぶ計画があります。
2号線は神奈川新町駅から屏風浦駅まで計画された路線で、京浜急行線の混雑緩和を目的としていました。しかし、京急の輸送力増強を行ったため建設する必要がなくなり、廃止されしまいました。代わりに建設されたのが「横浜高速鉄道みなとみらい線(横浜~元町・中華街駅)です。

hamarin.jpg


平成10年に横浜市交通局の公式マスコットキャラクター「はまりん」が生まれました。「横浜」・「はまっこ」の『はま』と市バス、地下鉄の車輪の『りん』、海を意味する『マリン』を組み合わせたもので、ブルーラインの車輛の前面にも貼られています。

3000形
平成4年にブルーライン(1号及び3号線)に登場した通勤形電車です。製造時期によりマイナーチェンジなどが行われており、1~4次車の区分に分けられます。
●1次車(3000A形)

3000agata.jpg


新横浜~あざみ野駅間延伸開業に伴い増備されたグループです。6両編成8本(第24~31編成(編成番号は4桁のうち百と十の位を使う。写真は3256とあり、25という数字が編成番号。6は号車、この場合は6号車。)があります。
車体は軽量ステンレス製で、青色と水色の帯を配しています。車内は先頭車運転台後部のみボックスシートで、その他はロングシートで構成されています。制御方式はGTOサイリスタ素子を用いたVVVFインバータ制御方式です。
平成19年より、ワンマン運転の準備工事としてATO(自動列車運転装置)対応工事が行われ、これ以降3000A形と呼ぶようになりました。
●2次車(3000N形)

3000ngata.jpg


戸塚~湘南台延伸開業により、平成11年に増備されたグループです。6両編成7本(第32~38編成)がつくられました。「N」はNew(英語で新しいという意味。)の略称です。
帯の配色が変更されたほか、ボックスシートの廃止などが行われています。インバータ制御の素子がIGBT素子に変更されているのも特徴です。
●3次車(3000R形)

3000rgata.jpg


昭和47年より活躍してきた1000形の置換え用として平成16年に登場したグループで、1000形と同じ6両編成14本(第39~52編成)がつくられました。置換え用ということで、Repiace(リプレイス:英語で置き換えるという意味。)の略称が付けられ、3000R形となりました。
大きな特徴として、従来車と同じ軽量ステンレス製ですが、日本車輌製造のブロック工法が採用されており、側面の凹凸がなくなっています。車内も変化があり、バケットシートの採用、火災対策強化のためラインデリア整風板の材質をFRPからアルミ合金製に変更(途中の編成より。)などがあります。
第46編成まではワンマン運転に対応しておらず、この編成以前の車輛は対応工事を行っています。
●4次車(3000S形)

3000sgata.jpg


昭和59年に登場した2000形(1000形の制御方式を抵抗制御から電機子チョッパ制御に変更した形式。)は登場から20年が経過し、更新時期を迎えていました。平成19年から予定されているワンマン運転に対応するため、この2000形を廃車し、台車、ブレーキ装置などを流用し、車体、制御装置、主電動機を3000R形と同様のものを新しくつくって組み合わせ、同時にワンマン運転に対応させたグループで、平成17年に登場しました。満足を意味するSatisfacyionの略称を用いた3000S形が付けられました。6両編成8本(第53編成~60編成)が登場しています。
車体の帯色が変更されているほかは、3000R形とほぼ同じです。

10000形

10000kei.jpg


平成20年に開業した横浜市営地下鉄グリーンライン(4号線)用に登場した通勤形電車です。
車体はオールアルミニウム合金製の無塗装車体。16m級片側3扉構造の小型車輛で、側面戸袋部にグリーンラインを表した緑色のグラデーションカラーフィルムが特徴です。
この車輛の仕様は社団法人日本地下鉄教会の制定した「リニアメトロ電車新標準仕様」に基づいて設計されており、リニアモーター地下鉄の基本となりました。
小型車にもかかわらず、高性能で運転最高速度80km/hは鉄輪式リニアモーター車輛として国内最速となっています。つまり、グリーンラインは国内最速の鉄輪式リニア路線となっています。外観、内装のデザインは「近未来都市横浜にふさわしいデザイン」をコンセプトに設計されています。
編成は6両編成を考えていましたが、需要の見直しにより4両編成となりました。将来、輸送力増強が必要な場合に備えて、6両編成化を考えた設計となっています。
車内はロングシートで構成されており、車椅子スペースも全車輛に設置されています。運転台は各駅を島式ホームで統一している事から、右側に配置されています。
制御方式はIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御方式。ブレーキ制御方式は回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ方式となっています。
保安装置ではリニア地下鉄では初めてデジタルATC(HD-ATC:yokoHama Digital ATC)が採用されており、入換運転時も車内信号を用いて行われています。
平成18年に先行量産車がつくられました。様々な試験や確認を行い、量産車が登場しています。現在4両編成15本が活躍しています。

1000形

1000gata.jpg


昭和47年に横浜市営地下鉄1号線上大岡~伊勢佐木長者町駅間開業に合わせて登場しました。1号線の専用車輛である事から1000形と命名されています。
開業当初は3両編成で、昭和52年に5両、昭和60年に6両編成となりました。車体は18m級片側3扉構造の通勤形電車で、内部構体を普通鋼、外板をステンレス鋼としたセミステンレス構造で、乗降扉が青色で塗装されていました。
抵抗制御車という事と、30年を経過し老朽化が目立ち始めた事から平成18年に引退しました。横浜市営地下鉄の記念すべき車輛という事で第1編成は開業時の3両編成として動態保存されています。(写真)

横浜市電

横浜市交通局でかつて運営をしていた路面電車があります。それが「横浜市電」です。
昭和2年以前の横浜市中心部をに幾つもの路線をもっていました。明治37年に前身となる横浜電気鉄道によって神奈川~大江橋間が開業したのが始まり。路線を増やしつつ拡大していきましたが、大正10年に横浜市が横浜電気鉄道を買収し、同時に電気局を発足させ、横浜市電として走り始めます。
発足後の大正12年に関東大震災が発生。多くの車輛が被災(焼失)し、焼け残った車輛を使い、屋根がない「バラック電車」を運行しました。市民の足として路線は市内に縦横無尽に敷かれ、昭和31年に開業した井土ヶ谷線で最盛期を迎えます。
この拡大には戦後の市街地の急速な拡大がありました。しかし、街が栄えると同時に人も増え、自動車の交通量も増加の一途をたどる事になります。路線に対する輸送力が追いつかず、道路渋滞の一因ともなってしまった横浜市電。さらに国鉄根岸線の開業。この時期には交通局の財政悪化もあり、廃止へと進んでしまうのでありました。こうして、昭和47年4月1日に市電及び昭和34年から運行されていたトロリーバスと共に全廃されてしまいました。

yokohamashiden-hozonkan.jpg


市電廃止後の翌年、昭和48年にかつて市電の要所であった滝頭車両工場跡地に横浜市電保存館が開館しました。市電で活躍した7両の車輛と部品や備品などを保存しています。詳しくはホームページをご確認下さい。場所は横浜市営バス滝頭営業所に隣接しています。JRでは根岸線根岸駅から歩いて約20分(1.6km)の場所です。

500型

500gata.jpg


昭和3年に登場した横浜市電を代表する単車(単台車車輛)です。60両がつくられました。屋根を曲面にする事で、車内をアーチ型としています。スタンションポールの木座などを手掘り模様にするなど、震災復興の完成した電車となりました。写真は登場した当時の色にしたものです。昭和44年に廃車となっています。
1000型

1000gata.jpg


昭和3年に登場した横浜市電では初めてとなるボギー車です。20両がつくられました。中央部に入口が設けられ、その後数度の改造が行われており、1枚扉の時代と2枚扉の時代があります。出力が小さく、比較的なだらかな線区で活躍しました。
1100型

1100gata.jpg


昭和11年に新しい中型ボギー車として5両がつくられました。車内にクロスシートが配置され、「ロマンスカー」の愛称で親しまれました。昭和47年の市電全廃まで活躍しました。

1300型

1300gata-1.jpg     1300gata-2.jpg


戦後の復興、輸送力増強を目的に昭和22年に30両がつくられました。登場時は3000型でしたが、1300型に改称されています。手動ドアと自動ドアなど差異がいくつかありました。また、車掌が乗務していた最後の型式でもあります。当初は全路線で使用されていましたが、高出力である事から勾配の多い3系統(生麦~横浜駅前~山元町)と7系統(中央市場~横浜駅前~久保山~八幡橋)で使用されるようになり、本牧線が廃止された以降は3系統の専用車輛となりました。全廃の1年前、3系統廃止に伴い廃車となりました。
1500型

1500gata.jpg


昭和26年に300型の置換えを目的に登場した型式です。戦後、各都市でつくられた和製PPCカーの一つ。ただし、駆動装置は吊り掛け駆動方式となっています。前面下部を流線型とし、台車に防震ゴムを使用し、振動や騒音を軽減し乗心地を向上させています。昭和42年にワンマン化改造を行いました。
1600型

1600gata.jpg


戦後になってつくられた単車の800型を置換えるため、交通局滝頭工場で内製した最後の新型車輛。6両が昭和32年につくられました。後部の乗降口を中央に配置したバス型配置が特徴で、乗降時間を短くするため4枚折戸が採用されています。ワンマン化改造される事なく、本牧線が廃止された昭和45年に廃車となりました。
無蓋貨車10

mugaikasya10-1.jpg     mugaikasya10-2.jpg


保存されている無蓋貨車10は市電全廃時に花電車として使われた電動貨車です。大きな特徴は空気式ブレーキではなく、手動式ブレーキ(写真右)で、ハンドルを回して制動する方式となっています。
無蓋貨車の誕生は道路事情が未発達の時代、レールや砂利、枕木といった資材を運ぶ目的でつくられました。横浜市電においては、前身となる横浜電気鉄道時代の大正2年、北方町にあったキリンビール山手工場の製品輸送を輸送する目的で有蓋貨車を2両製作した事に始まりです。その後、無蓋貨車を4両製作しました。
大正12年9月に起きた関東大震災で、ビール工場も被災。復興のため生麦へ移転してしまい、ビール輸送は終了しました。震災後、復興に活躍しましたが、自動車輸送に替えられていきました。
昭和23年、戦後復興で新しく300型を改造し、有蓋貨車21~23、無蓋貨車8~10が横浜車輌で製作されました。この無蓋貨車10はその1両です。