昭和の懐かしいもの(平成もありますが。)ジャンルごとに区分けしましたので、下記のイラストをクリックして下さい。
街中の風景はそのまま下にお進み下さい。
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          懐かしい企業            家にあったあれこれ        自動販売機・食べ物

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       家電製品など         たばこ・塩・電話に関係するもの      地名や不思議な場所

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        省庁など               自動車など乗り物           鉄道に関するもの

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おもしろいもの         ポスト・白ポスト

街中の風景
 気付くと街並みも徐々に変化をしています。いつの間にか数を減らしているものや消えてしまったものが数多くあります。どんなものがあったのでしょう。街にあった懐かしいあれこれを見てみましょう。

お店に関するもの(電気屋さんは企業のお部屋をご覧下さい→昭和の思い出 企業篇に進む

純喫茶(じゅんきっさ)

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待ち合わせや物書き、デートなど大衆に広く利用されるお店。コーヒーや紅茶、軽食などを提供してくれるお店で「喫茶店」や「茶店(さてん)」として親しまれています。喫茶店の歴史は明治末期に始まり、大正時代に大衆化しました。この際、多くのお店が女給(今のホステス)による接客を主とするようになります。喫茶店の一部は夜になると酒類を提供し、女給にチップを払う形態が生まれ、現在のバーやクラブへと発展していきました。
この様な形態とは一線を画すため、酒類を扱わない純粋な喫茶店を意味する言葉として『純喫茶』という言葉が生まれたそうです。現在も全国各地に僅かながら見ることの出来るお店です。
純喫茶にあったかは判然としませんが、インベーダーゲームがあったお店もあったような。また、お色気ではノーパン喫茶という怪しげな喫茶店もありましたね。
キャバレー(cabaret)

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もともとはフランスで発展したダンスホールや舞台のある酒場を言い、歌や踊り、コメディショーなどを楽しめる飲食店をいいます。日本では第二次大戦後に生まれ、1960年代から1970年代にかけて流行った、ホステスが接客する飲食店です。料金は時間制で「明朗会計」を入口に大きく表示したキャバレーや生バンドなどのショーを行うキャバレーが誕生しました。大衆化が進んだ1970年代以降になると、おさわりサービスなどお色気サービスを供するお店が現れ、「ピンクキャバレー」などといった性行為をサービスするお店が出てきました。お店はネオンサインで彩られ、華やかなものでしたが、ディスコの登場や1980年代に登場したキャバクラなど新しいものに押され、その姿は少なくなっています。はっぴ衣装の呼び込みさんが懐かしいですね。
雑貨屋、文房具屋さんなど

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現在のように大きなショッピングセンターの無い時代。多くは個人で経営するお店。そのお店は木造で、その業種の琺瑯看板などが壁に付けられていました。特に雑貨屋さんは数多くの品物を扱うため、電球を扱えば電機メーカー、近隣の学校の学生服や体操着を扱えばそのメーカーの琺瑯看板を見る事が出来ました。地方の集落では1軒で賄うので、壁一面にびっしり貼られている事も懐かしい思い出です。写真中央はかつてあった学生服メーカーの一つ、幸福学生服の琺瑯看板です。「國家が保証する」とは何とも頼もしいとともに、すごい表現だなぁ。右は東洋レーヨン(現在の東レ株式会社)のナイロン学生服の琺瑯看板です。
八百屋さん(フルーツを扱うお店)、不動産屋さん、質屋さん

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※写真中央はTuboフォトオフィス様撮影

昭和のお店には現在ではあまり見かけられなくなった表現が使われていました。写真左は八百屋さんでしょうか。内外果実、国産と輸入してきた果実=果物を扱っているという事です。現在のように数は多くなく、輸入果物の代表は「バナナ」です。台湾バナナとかいったかな。この頃は高価な果物で、怪我や病気で入院をすると食べられるもの。というイメージがありました。野菜や果物を買うと、紙袋に詰めてもらったやりとりが懐かしい。
写真中央は不動産屋さんのもの。昭和の不動産屋の代表は花沢さんという話も…。最近ではあまり目にしなくなった「斡旋」の文字が昭和ですねぇ。今では仲介という言葉になります。写真右は質屋さんの看板。1960年代頃までは庶民金融の主力だったそうですが、現在では貸付よりも宝飾品や貴金属の買い取りや販売などが主になっているそうです。物品を質(担保)にしてお金を貸し、期限までに返金しないと質を流す(質流れ)というシステム。看板を見ると「石」という文字が。これは昭和の表現で、宝石を意味します。そこらへんの石を持って行ってもお金は貸してくれません。
酒屋さん

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酒屋さんと言えば、何故か三河屋という言葉が出てくる古くからのお店。お酒の他に、みそやしょうゆなどの調味料も扱っていましたね。メインであるお酒は今のように焼酎や洋酒といったものはごくわずかで、ビールは少数派。日本酒が一般的だったようです。その日本酒は一升瓶。これを入れるケースは木枠で組んだものでした。
右の写真は酒屋さんでよく見られた看板の一つ。現在の主要ビールメーカーである「サントリー」。≪純生≫というのは商品名で、昭和42年に熱処理をせず、酵母菌を除去した画期的なビールです。熱処理をしないビールとは「生ビール」の事。この「純生」が生ビール第1号なのだ。この商品登場以降、サントリーは生ビールのみ製造が行われ、現在は天然水を使用している事が特徴の生ビール「モルツ(平成27年以降はザ・モルツ)」として受け継がれています。

床屋(とこや)

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誰しもが一度は訪れた事があるであろうお店の一つ。江戸時代にあった「髪結い床(かみゆどこ)」に由来する呼び方が床屋です。一方で、「散髪屋」や「理髪店」という呼び方もしますね。これは明治維新の文明化開化で生まれた言葉だそうです。この他に「美容院」や「理容院」という言葉もあります。美容とは容姿を美しくする事。理容とは容姿を整える。という事で、似た感じですが、法律できちんと区別されているんです。理容は頭髪の刈り込み、顔そりなどの方法で容姿を整える事。美容はパーマや結髪、化粧などの方法で容姿を美しくする事。となっています。
その床屋さんで見なくなったのが、写真の殺菌灯です。(東芝製)店の隅の方にあって青い光(紫外線)を放った異様な箱。という記憶があります。タオルやカミソリ、はさみなどが入っていたと思います。下段は殺菌済みのものを入れておく収納庫になっています。
写真右はその殺菌灯を設置しているお店を表した琺瑯看板。よく見ると「マツダ」のロゴが。マツダは米国の白熱電球などを製造するメーカーで、後に東芝の母体の一つとなる東京電気がライセンス生産でマツダの電球「マツダランプ」を発売していました。電球以外に真空管などを製造しており、殺菌灯はその一つという事でしょうか。昭和37年に電球以外は東芝の傘マークに変更しました。殺菌灯及び琺瑯看板はそれ以前のものと推定されます。

電器屋(でんきや)

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だいたい町には1件ある家電製品を販売するお店。「電器屋」は個人経営の商店で、大手企業による量販店を「家電量販店」と言うようです。古くは電球など電機関連の照明器具を中心に販売していた事から「電器」となっているようですが、「電機」、「電気」でも間違いではありません。(ここでは電器屋としています。)
「電器屋」として広く普及し始めたのは、戦後高度成長期の頃で、「三種の神器」と呼ばれた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫を中心に一般家庭に家電製品が普及し始めました。これらが登場する以前の当時の電器屋さんはラジオが主な商品で「ラジオ商」と呼ばれていました。
電器屋さんで見かけたのは、売れると「売約済」などと書かれたリボンが電化製品に付けられていました。他にも自動車販売などでも見たような気がします。また、電化製品になぞらえて、「あの子?ああ、あの子は売約済だよ。」なんて、ブラックジョークもありました。

パチンコ屋(ぱちんこや)

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パチンコの語源は「パチン」という擬音に接尾語の「コ」を付けた事が由来だそうです。お店の中には自動球遊器と言われるパチンコ台がずらり。大衆娯楽の一つとして人気があるようです。そのお店は目がちかちかするような電飾やネオンで飾り付けられ、店内には軍艦マーチが大音量で流されていました。この電飾で「パ」の文字が消えてしまい、夜になると大人も子供も何故かはしゃぐのは今も変わらないようです。
写真右はスマートボールと呼ばれる、パチンコやピンボールの変化したもので、「横モノ」と呼ばれているそうです。パチスロ(パチンコ型スロットマシーン)登場以前の遊技機として流行りました。写真はとある温泉街の子どもでも遊べるタイプのものです。
本屋(ほんや)

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昭和の本屋さんには入口に何かしらの本のタイトルが書かれている大きな看板がありました。写真左は現役の本屋さん。看板にある「主婦の友」は大正6年に創刊された主婦の友社発行の女性向け月刊誌。主婦向けのベストセラーで婦人誌の付録に「家計簿」を初めて付けた雑誌で有名。お母さんの愛読書である。平成20年に休刊となっています。
写真右は小学館の学習雑誌。「小学○年生」と呼ばれる小学生を対象とした雑誌を主に言います。その文字の横にある女の子が懐かしいですね。昭和48年に誕生した川崎のぼる氏原作の「てんとう虫の歌」というアニメに登場した「ひよこちゃん」です。その後ろにいる犬はカラ兵衛です。両親を飛行機事故で失い、きょうだい7人で助けい合いながら生きていく一周きょうだいの心温まる物語。7人きょうだいである事からナナホシテントウになぞらえたアニメタイトルとなっています。テレビ放映では両親は過労死で故人となる所から始まりました。バラックに住み、アルバイトで生計を立て、親代わりとなりたくましく生きるきょうだいの姿は今では想像が出来ないでしょう。「ひよこちゃん」は次女で5歳。父親譲りの下駄がトレードマークでしたね。
昭和の本屋さんの店主は暇があるとはたきで本の埃取りをしているイメージ。邪魔な立ち読み客のそばで本をはたく姿は忘れられません。
ラーメン屋(らーめんや)

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江戸時代末期に開港した横浜、神戸、長崎などの港町。明治時代になり中華街(当時は南京街)が誕生。そこで食べられていた中国の麺料理がラーメンのルーツです。
明治43年に日本人向け中華料理店「来々軒」が開店し、南京そば、支那そば、中華そばと名前を変えながら、昭和33年に日清食品が発売した世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」で「ラーメン」という名前が世に広まったそうです。国民食の代表とも言われ、具材にこだわったものから風変わりなものまで様々ありますね。
昭和のラーメン屋さんは「支那そば」や「中華そば」と書かれており、共通して提灯(ラーメンと書かれている場合もある。)と暖簾の組み合わせ。ラーメンは写真中央のようにしょうゆベースのシンプルなもの。叉焼、海苔、メンマ、ねぎの具材で構成され、叉焼麺やねぎラーメン、メンマ麺といった派生メニューがありました。
ラーメンと並んで用意されたのがチャーハン(焼きめし)。こちらも具材の構成は叉焼、ねぎ、なるととシンプルなもの。ホール缶に用意された謎の調味料が癖になるのか、シンプルながら飽きのこない味になるのだ。今のチャーハンとは味が全く異なる。
そんな昭和の味を提供してくれるお店が写真左の「ごんべい」さん。東京都西部某所にあるお店。店構えから昭和の空気を醸し出す。店内もシンプルな感じで昭和のラーメン屋さんといった感じで、ラーメンとチャーハンは絶品でした。
屋台(やたい)

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屋台とは屋根があり、移動が出来る店舗をいいます。主に飲食物の販売が主であり、世界中の国や地域で見る事が出来ますね。似た言葉で「露店(ろてん)」という言葉がありますが、移動式とは限らない(店先で売るお店など)のが違いです。
古くは天秤棒を担ぐ方法で始まったそうです。多くの商品を運べないのが欠点でこれを解消したのがリヤカースタイル。もちろん人力によって牽引する方法になり、やがて自転車やオートバイによる牽引スタイルへと変化しました。また、店舗を組立式にしたスタイルも登場。他にもトラックの荷台やワゴン車の荷室部分を店舗に改造したスタイルがあります。
昭和の屋台と言えば、リヤカーですね。♪プーゥ~プーゥ~とラッパを鳴らしにくる豆腐屋さん、チャルメラの音色が懐かしいラーメン屋さん(駅前やガード下も懐かしい。)、北風に身を震わせながら熱燗で一杯できるおでん屋さんなどなど、おじちゃんがのんびりと牽いて歩く姿は長閑なものでした。自動車の屋台ではラーメン屋さんとかはスズキのキャリー、ハイカラなハンバーガーやホットドックを売る店はフォルクスワーゲンのバンが思い出にありますねぇ。
写真は静岡県某所で散歩中に偶然出会ったわらび餅を売っていた屋台。鐘のカランカランという音色に引き寄せられました。音色を頼りに探すのも懐かしかった。わらび餅は絶品でした。

カレンダー(かれんだー)

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今日は何日?と曜日を教えてくれるもので、24時を迎えるとパタッと変わり、その日の仕事は終了。という機械。現在でも駅などで見る事が出来るが、必要性が薄れているせいか見る機会は少なくなっているようです。昭和のものはパタパタ式で、平成生まれはデジタルに進化しています。職場や家にあった日めくりカレンダーもあまり見られなくなりましたねぇ。
天気予報機(てんきよほうき)

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Tuboフォトオフィス様撮影

明日の天気も気になる所。主に駅や百貨店に見る事が出来たもの。お天気は絵で表現され、「明日の天気」という文字と交互表示されます。降水確率などはなさそう。この他にも温度を表示するものもあります。靴(下駄)を飛ばして、表だと晴れ、裏になると雨、横になると曇りという天気予報をする子供を見なくなりましたね。

何屋さん?

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※写真右はTuboフォトオフィス様撮影

お店の中には、一体何と読むのだろう?と思う看板を掲げたお店もありました。皆さんはわかりますか?左は「やぶそば(藪蕎麦)」と読みます。左から2つ目の文字「ぶ」は「ぬ”」に似た変体仮名を用いています。これは藪蕎麦のロゴマークなのです。
右は草加がヒント。埼玉県草加市の名産品である「草加せんべい」と読みます。こちらも変体仮名なのでしょうか。
百貨店(デパート)やストアマーケットなど

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百貨店に入口などで見かけられたのが左のショッピングバック販売機。現在とは意味合いが少し異なるのかな。紙袋にビニールがコーティングされたものが売られていました。この袋は学生やヤンキーと呼ばれる不良がもつ、ある種のお洒落アイテムでもありました。
写真中央はデジタル時計。銀行などでよく見かけました。現役で活躍している姿を久しぶりに見ました。指針のあるアナログ時計とは違い、都会っぽいイメージでしたね。
写真右はブルーチップ。現在ではすっかり当たり前になったポイントカード。その基礎をつくったのがこのブルーチップ。加盟店(スーパーだったかな。)で買い物をするとリスが描かれた切手のようなもの(ブルーチップ)がもらえる。これを手帳サイズの青い台紙に貼り付けて貯める。専用のカタログがあり、集めた枚数に応じてカタログにある商品と交換してもらえる仕組み。このリスはシマリスで「チップちゃん」というマスコットキャラクターだ。ブルーチップはアメリカ生まれなので、イラストもアメリカンですね。現在は切手ではなく、カードになっているそうですよ。
ドライブイン(どらいぶいん)

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かつてコンビニエンスストアが少ない時代、街道沿いにはドライブインが多くありました。基本は駐車場が完備されており、大型トラックや観光バスなどが止められる大きなドライブインもありました。多くは食堂で、土産物店なども「ドライブイン」を名乗っていました。
写真左はそのドライブインの一つで、群馬県日光市にある「ハイセイコー食堂」です。「ハイセイコー」とは昭和の伝説の名馬の名前。店主が財を成すほどお世話になったとかで、食堂の名前にしてしまったとか。昭和の店構えで、店内はハイセイコーに関するグッズ類が飾られています。食堂の名物は写真中央の「カツラーメン」一般的にはパーコー麺と言われています。昭和のラーメンにとんかつが乗っています。不思議な事にカツはサクサクで(汁に漬けたらダメよ。)最後まで食べれる。とってもおいしいですよ。

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一方、自動販売機のみで構成され、無人で飲食物を提供してくれるドライブインもありました。こちらは「オートレストラン」や「ドライブスルー」などと呼ばれ、ここには様々な自販機があるほか、ゲーム機などもあります。自販機を見る方はこちら自販機・食べ物のコーナー
現在でも日本の各所に点在してドライバーの憩いの場所となっています。左から島根県邑智群にある「コインレストランかわもと」、埼玉県行田市にある「オートレストラン鉄剣タロー」、群馬県前橋市にある「オレンジ353富士見店」です。
因みに高速道路にあるものは有人、無人を問わずパーキングエリア、サービスエリアと言います。

トラック野郎(とらっくやろう)

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※写真左はモデルカーです。

ドライブインで思い出すのは「トラック野郎」。昭和50年から昭和54年にかけて全10作がつくられた東映の邦画シリーズです。主人公は俳優の菅原文太さん演ずる星桃次郎と桃次郎の相棒である「やもめのジョナサン」こと愛川欽也さんが演ずる松下金造が中心になって様々な物語が展開。アクションあり、お笑いあり、お色気もある大衆娯楽活劇と言える映画で、現在でも人気が高いそうです。皆さんは見たことがあるでしょうか。
主人公は長距離トラックの運転手。写真のように電飾と極彩画で飾られたトラック(デコトラ=デコレーショントラック)(現在ではアートトラックと言われています。)で全国を駆け巡っています。このトラックが爆発的人気となり、デコトラブームが起きました。トラックならず、写真右のように自転車にも装飾する(デコチャリという。)など社会現象となり、もちろんプラモデル化もされました。現在では様々な事情から、個人所有のトラックに見られるほどのようです。プラモデルは現在でも人気のある商品となっているようです。
昭和の映画を語る上では名作とも言える作品。一度見ると良いかもしれませんよ。
パトカー(ぱとかー)

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※写真中央、右はモデルカーです。

私達の生活を守るといった治安維持などに用いられる警察の車輛。パトロールカーを略して呼ばれています。昭和25年に登場しました。当時は移動警察車と呼ばれ、色は白一色でした。昭和30年に一般車と区別するため、米国のパトカーを参考。道路事情の悪い当時、車体下部を汚れの目立たない黒色のデザインとしたツートンカラーになりました。
昭和のパトカーのパトライトは筒状の赤色警告灯が中央に付いており、スピーカーがボンネットや屋根に付けられていました。これが現在のような散光式警告灯(バーライト)(写真右)になったのは、映画評論家、映画監督で知られた水野晴郎氏で、警察マニアである彼が、アメリカのパトカーを見て交流のあった警察関係者に話をした所、採用に至ったそうです。現在は外国人にも判別しやすいようにと随分と様変わりしてしまいました。
昭和のドラマや映画では警察ものの車輛としておなじみ。「白パト」なんて呼ばれてました。また、型の古い車輛は体当たり、横転、爆破に使われました。某軍団のドラマを見て警察官やスタントマンを目指し、実際に職に就いた人もいました。
昭和の警察ドラマは黎明期は人情ものもありましたが、だいたいが勧善懲悪もの。悪人は殴られたり、蹴られるのは当たり前。悪い事をする時は重火器を使うなど、日常では考えられないレベル。最後は射殺や自爆する事が多かったなぁ。因みに女性はまだ社会進出が本格化する以前であり、刑事ドラマ上での女性は水商売や喫茶店のウエイトレス、「お茶汲み」などと呼ばれる、軽作業を主にした事務員程度の扱いがほとんど。この様な過激な内容のほか、喫煙シーン、差別用語など現代には相応しくない内容が多く、現在では公共の電波での再放送は出来ないそう。兎に角、毎回の放送が楽しみで、プロ野球中継がある時は残念だった思い出がありますね。
交番(こうばん)

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警察の所轄地域をより細かく見れるように市街地などに設けられた警察署の派出所。その起源は江戸時代の番屋だそうです。日本ではごく普通の光景ですが、世界ではこのような例がなく、素晴らしいシステムだ。として導入が進んでいるそうです。交番のお巡りさんは道案内など地域に密着したイメージがあり、子供の頃は遊び相手にもなってくれたなぁ。警察ドラマではお巡りさんは自転車で警らし、交番が粗末な造り(プレハブちっくな)だと、コーヒー缶やショッピングバックなどに入った時限爆弾で爆破されてしまうという事も。
写真は東京都中央区月島にある警視庁最古の交番で、大正15年生まれとの事。現在は退役し、防犯パトロールなどの詰所として使われています。入口の上部にある赤いランプが青い灯に変わっていますね。

ゲームセンター(げーむせんたー)

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小学生低学年の頃は駄菓子屋さんが作者の社交場でしたが、高学年になると「ゲームセンター」が社交場になりました。駄菓子屋さんでは10円でパチンコの要領で遊ぶゲーム(日本一周旅行など)(写真が撮れたらご紹介します)がありました。日本でコンピューターゲームと言えば昭和50年代前期に登場した「ブロック崩し」(ブレイクアウト)が最初。家庭用でも回すコントローラーを家庭用テレビにつないで遊ぶお金持ちの子がいました。昭和53年、写真中央の御存じ「スペースインベーダー」が登場し、一大ブームとなりました。写真左のテーブル躯体でゲームセンターならず、喫茶店のような場所でも若者が熱狂しました。ゲームセンターは不良少年の溜まり場と呼ばれるようになり、派生的な色々な問題が出たのであります。このスペースインベーダーをきっかけに数多くのゲームがつくられ、新作が出るとゲームセンターはとても賑わいました。「魔界村」、「1942」、「ソンソン」などなど、後に家庭用ゲーム機にも登場するものがどんどん出てきたのです。写真右は懐かしい躯体のクレーンゲーム機。覗き込むようなスタイルはめっきり少なくなりました。取れると嬉しいのですが、後で「なんで取ったのだろう?」と思うことも。

おみくじ・不思議なもの

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食堂や喫茶店などでテーブルの隅に設置され、よく見ることが出来たのが、左のルーレット式おみくじ器。正式名称は卓上小型自動販売機と言い、自動販売機の一つ。かつてはどこでも見る事が出来たが、現在は数を減らしつつも健在のようです。
1回100円で、自分の正座に100円を入れ、レバーを引くとルーレットが開店した後、小さなおみくじが出てくる仕組み。当たるも八卦、当たらぬも八卦。見かけたら一度チャレンジしてみては如何でしょうか。
右の「ダウジング」。古くは地下水や鉱脈などの見えぬ所にあるものを、L字又はY字の棒(ロッド・ダウジング)や振り子(ペンデュラム・ダウジング)で探し当てるという摩訶不思議なもの。宝探しなどの特番でも見たことがあるような。子供の頃はこの様な不思議な事をテーマにした特番がありましたね。超能力(スプーン曲げ、手から砂を出す、透視や霊視など)や怪奇現象など多数あり、ダウジングやスプーン曲げは学校で流行ったような記憶があります。

交通信号機(こうつうしんごうき)その1

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普段、交差点などで見られる信号機。LED灯式の普及が進み電球を用いたタイプが少なくなってきています。また、丸いタイプも最新型に置換えが進んでいるそうです。写真中央は日本信号製で、左のメーカーとは枠に違いがありますね。写真右は緑の縞々のもので、太陽光により見難い場所の信号機の背面に付けられるものですが、技術の進化により、こちらも少しずつ数を減らしているそうです。
交通信号機(こうつうしんごうき)その2

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もう一つ消えていくものが写真の1つ目信号機(一灯点滅式信号機)です。細い路地の交差点での出会い頭事故を防ぐ目的で、昭和50年に登場しました。交通量の少ない道路は赤色、多い道路は黄色で交互に点滅し、警戒を促すもの。全国各地に広まりましたが、効果が長く続かない欠点があり、一時停止とした方が事故率を減らせることから撤去が進んでいるそうです。写真右のように、進路上の注意を促すものもわずかにあります。こちらはしばらく残ると思います。
西ドイツ(にしどいつ)

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昭和24年から平成2年までのドイツ連邦共和国の通称を「西ドイツ」と言います。国旗はトリコロールカラーで上から黒色、赤色、黄色です。もともとは東ドイツと同じ国家でしたが、戦争という悲しい出来事により分断されていたのです。ベルリンの壁というのも忘れてはいけませんね。

国土美化・観光美化(こくどびか・かんこうびか)

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駅や観光地に見られた小さな琺瑯看板。日本観光協会(全日本観光連盟)の制作したもので、いくつかのパターンがあるほか、県によるオリジナルのものが存在しているようです。

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Tuboフォトオフィス様撮影

これは登山名簿を出す場所にあったもので、字体は昭和ですね。観光地を美しくする会というものは、どのようなものか判明しませんでした。

ベンチ(べんち)

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現在では鉄道駅や工場などの私有地などで見られる昭和のベンチ。木製が主で、FRP製のものもありました。FRP製は経年劣化が早いため、見かける数は少なくなっています。支える足のバリエーションなども見所の一つです。背もたれの広告も昭和の文言がありますので、見つけたらチェックしてみよう。
屑物入れ(くずものいれ)

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公園などでよく見られたもの。平成になりゴミ箱という呼ばれ方が主流ですね。鉄製の網タイプの凝ったつくりで、左はラッパ型(アサガオ型)、中央とその隣はコップ型とでも言いましょうか。さらに進化形では最右のブランコ型でしょう。取り易さを追求した結果で、ブランコの頭上には丸い広告板をセットできる台座まで完備され、一石二鳥の形となっています。

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Tuboフォトオフィス様撮影

昭和の時代はゴミ箱ではなく、屑物入れと呼ばれるのが一般的だったようです。人間のクズという言葉がある通り、クズ=屑。こんな言葉にも昭和の名残があります。

青空駐車(あおぞらちゅうしゃ)

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※写真左はTuboフォトオフィス様撮影

昭和30年代の高度成長期以降、庶民の私たちにも自家用車が普及し始めました。車を持つと必要になるのが駐車する場所です。昭和37年以降に自動車の保有に関する法律が整備され、駐車場の整備が進められました。その中にある言葉が「青空駐車」というもの。今でいう路上駐車のようなもの。禁止とありますが、同一場所に12時間以上(夜間は8時間以上)止める事を言います。ドラマでは張り込みのシーンですね。紙袋に入ったパンと牛乳が定番で、犯人が動き出し、追いかける時には何故か車外に放り出される(もったいない!)事も定番でしたね。
写真右は駐車つながりで、とある駐車場の空車、満車の表示器。LED式が主流の中に残る回転式のもの。これも昭和では日常にあった風景です。
キャッシュレジスター(きゃっしゅれじすたー)

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お店で見かけるもの。商品の名前や販売額を計算し、記録してくれる機器。日本語で「金銭登録機」と言い、日常会話では「レジ」と言われていますね。
写真のものは間違いなく昭和のもの。多数のボタンが商品に対応したもので、これを押すと印刷されるようです。右手のレバーがドロワーと呼ばれる、お金の入った引出しを操作します。
レジが無いお店(八百屋さんとか果物屋さん)はざるを吊り下げた形態もありましたね。「坊や、お母さんのお使いかい?偉いねぇ~。」と言いつつ、お釣りを多くしてもらったり、店の商品を頂いたなぁ。りんごをもらい、ワックスを袖で拭き取り、かじりながら家路につく。ああ、昭和の思い出ですねぇ。
因みにスーパーでレジとセットにあるのが商品を袋詰めする台(カウンター)がありますね。何というかご存じですか?あれは「サッカー台」と言い、日本語では「作荷台(さっかだい)」と言います。イギリスでは袋詰めをする定員をサッカー(Sacker)と呼ぶのが由来と言われ、日本では荷造り作業の台である事からこれらを組み合わせた言葉という説があります。

ワンコイン遊具(わんこいんゆうぐ)

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※写真左及び中央はTuboフォトオフィス様撮影

遊園地やデパートの屋上などに見られた50円や100円で動く電動遊具です。台座の躯体と支える支柱のつくりは昭和のものです。FRP成形品でしょうか、1つのパーツで出来ている事が伺えます。また、右のような屋根付きタイプでは中の白い部分にFRPの繊維がそのまま残っており、ちょっと荒っぽいのが昭和風ですね。ハンドル部は子供が動かすため別部品。ロケットと自動車のメーカーが同一のようで、ハンドル部は共通部品のようですね。屋根付の赤い自動車は2点支えでしたので、前後と左右に動くタイプかもしれません。
お金を入れて、すごい衝撃と共にグイングイン動くのでしょう。終わる時は突然止まるタイプそうですね。多くの子供たちに楽し時間を与えてあげたのでしょう。
ゴミコンテナ(ごみこんてな)

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Tuboフォトオフィス様撮影

東京都府中市や稲城市などで見られたごみ専用のコンテナ。集積箇所に置いてあり、収集日になるとコンテナを吊り上げ、底部からトラックへ移す大胆な方式。写真は府中市のもので平成22年まで実施されていました。
地域振興券(ちいきしんこうけん)

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Tuboフォトオフィス様撮影

平成11年に政府がつくった商品券。バラマキ行政を象徴するもので、子育て支援、所得の低い高齢者への経済的負担を軽減する事により、個人消費の増加、地域経済の活性化などを目的にしたものです。でも、特に大きな効果は得られなかったようです。商品券を撒いて子供が増えたり、経済効果が高まるなら昔からやっとるわい。とは言ってはいけないようです。

便所(べんじょ)

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現在ではカラフルな便器もあるようで、快適に用を済ませる様々な機能が付いていますね。昭和のお便所事情は和式が基本(マンションなどでは洋式。)で、便器はほとんどが白色。水洗と非水洗の2タイプがあり、ここでは水洗仕様をご紹介。非水洗も水回り関係が無い(このため綺麗な写真は皆無であり、諸般の事情により非公開)程度です。因みに利用者に対する機能は無く、煎餅箱に入ったわら半紙(トイレットペーパーなしの場合)や灰皿の設備がある程度です。左は男子用小便器。右にある丸いものは芳香剤入れである。臭気対策で便器内にボール状のもの(匂い玉)を入れている事も多いですね。用を済ませるとセルフスイッチで水を出す。これが水道と同じ栓と同じ星形のタイプや古いものでは蝶形のタイプもあります。右は大便器(女性用便器)で、一般的には「和式」の便器。何でも、平成生まれの子ではこのトイレの使用方が解らないそう。和式は無理のある体勢である事から、体への負荷が大きく、用を済ませた後に脳疾患を発症する恐れがあるため、洋式への急速な交換が進められているようです。しかし、利用率が低い個所などではそのまま残置されているのが実態のようです。

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Tuboフォトオフィス様撮影

因みに昭和の洋式便所は「腰掛便器」とも言われていたようです。説明には棒人間が使われていますね。作者が幼少の頃、このトイレを水遊び場と思っていたようで、中に入って水を大量に流し、母に叱られた事がありました。良い子のみんなは遊んではダメですよ。
便所2(※画像に汚物が写っております。ご注意下さい。)

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Tuboフォトオフィス様撮影

FRP=強化繊維入りプラスチック技術の進展によって生まれた便器と思われます。小便器のみつくられたようで、厚さはあまりなさそう。記憶の限りですが、陶器製よりも用を足す際に音が大きかったような。写真は茶色ですが、黒色のものもありました。水洗自動センサーや手すりなどがありますが、後付けとなっています。陶器製に変わり普及が期待されたかもしれませんが、耐久性や清掃面で問題があったのか、現存数は少なそうです。
便所3

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昭和のトイレで数を減らしているのが汲み取り式のブロック造り。写真は駅前の公衆トイレですが、似た構造は公園や学校にもありました。薄暗く、冬は底冷え、夏は悪臭放つものでしたね。
便所4

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FRP技術の進化で登場したのでしょうか。躯体、内部などにFRPを多用したトイレ。写真のようなスタイルが多く見られました。ドーム状の採光窓は室内を明るくするのですが、夏場はとても熱い。また、写真は日当たりがないのか割と綺麗ですが、日当たりが良いと全体に無数のひび割れが見られました。そのためもあってか、見る機会が少なくなってきています。
椅子(いす)

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写真左の椅子は昭和のお店や家でもあったようなドーナツ型のもの。駄菓子屋さんやゲームセンター、銭湯などにあり、家では電話の前にあったような気がします。右の椅子は洋風チックなバーに有りそうなもの。でも高級感は今一つ。ゲームセンターやパチンコ屋にあったような椅子です。多くは合成革で中にはウレタンがあり、革の劣化でたいていは中が見えているのですが、これほどの美品は珍しいかもしれません。

アドバルーン(あどばるーん)

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写真のお店は現在でも商いを行っています。そのお店が開業した当時の手書き広告です。昭和のたっぷり詰まった懐かしい看板で、「国鉄」という文字が昭和の証拠。注目は中央部のイラストです。何といっても懐かしいのが建物の上にある「アドバルーン」です。気球や風船に垂れ幕を付けて宣伝する手法ですが、大正2年が最初とされており、当時は「広告気球」と呼んでいたそうです。現在では都市部では高層ビルが多く、宣伝効果があまり期待できない事、安価なビル壁面に懸垂幕を掲げる方式に移行し、見かける機会は無くなってしまいました。地方などでごく稀に見かける事があります。この他に、外国製の自動車っぽいイラストが昭和ですね。新しいお店が出来ると、だいたい見ることが出来、アドバルーンを目印にお買い物に行った事もあり、懐かしい思い出です。

水道(すいどう)

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公衆便所などや家にもあったかもしれない、懐かしい水道です。写真左と中央は芯を押すと水が出る水道。手洗い用につくられたもので、蛇口は常に水で洗われるので衛生的。右は石でつくられた水道。学校にもあったあれです。最近は町中から姿を消しているようです。水道の横には石鹸があり、昔は台形をひっくり返したような感じの入れ物で、緑色の石鹸液が入っていましたね。
肥溜め(こえだめ)

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野壺(のつぼ)とも言われる農業には欠かせない設備の一つ。英語では「ハニー・バケツ(Honey bucket)」と言います。農家や他の家で出たし尿を貯蔵する設備。堆肥をつくるもので、主要な肥料を作るために欠かせないもので、江戸時代は農家がし尿を購入する事が行われ、都市部の主要なし尿処理手段でした。
一見、汚いなぁ。と思われがちですが、科学的には理にかなったもので、し尿を発酵させる事で、高温(70℃くらいまで熱をもつ。)、低酸素状態となり、寄生虫などは死滅する。(もちろん、不十分な発酵や耐高温の寄生虫の卵などでは寄生虫の病気にもなる。)また、そのままし尿を使用すると、食物が窒素欠乏など生育しない事があり、肥溜めは必須の設備だったのです。現在では化学肥料が普及し、し尿処理も処理場が出来るなどの理由で、し尿を使用する事はありません。(個人的なものは不明。)
作者は田舎の出身。写真のような大きな肥溜めではなく、あぜ道に納まる程度の肥溜めがあり(大きな所で作ったものを小分けにしておくスペースだったのかも。)、見かけはわらなどで覆われて、子供の目では判らなかったようです。何度が落ちました。部落の子供を含めて、肥溜めに落ちると役割分担が徹底されており、一人は大人を呼びに、小さな子は棒で救出。大きくなると自力で脱出。その時、周辺には誰もいなくなっている。
その後、川にて洗浄。指示あるまで適当に洗い流す。脳天を貫くような臭気ですから、当然、暫くの間、誰も近づいてくれません。まあ、落ちた経験のある人はそういないでしょう。