ここでは、私たちの家に関する様々なものを中心にご紹介します。見て懐かしい思い出がよみがえるといいなぁ。
バラック(ばらっく)

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主に倉庫や工場に見られたもので、トタン板を外壁に使っているのが特徴。安価な家賃のアパートメントにもあった。戦後の焼け野原になった場所に仮設住宅としてたくさんつくられました。その後は急速に数を減らしましたが、昭和の貧しい家庭の住まいの代表として語られました。
パンション(ぱんしょん)

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人々が都市部に集まり、1950年代に集合住宅が登場しました。当時はこれといった名前が無く、アパート、ハイツ、そしてパンション、マンションといくつかの呼び名が生まれました。パンションとは建物の内外装が西洋風の民宿を意味します。マンションは高級感をイメージするために生まれた言葉です。その後、法によってマンション管理などの資格がつくられた際に、集合住宅の用語として「マンション」と呼ばれ、以降はマンションという名前が主流になったそうです。
マンションの他に「アパート」という言葉がありますが、この違いはマンションは比較的大規模な共同住宅(集合住宅)で、鉄筋コンクリートなどを用いた堅固なつくりのもの。アパートは小規模で、木造又は軽量鉄骨造り、賃貸物件である。という事が一般的のようです。アパートのような造りであっても、マンションと名乗る事には問題は無さそうらしいです。
「マンション(mansion)」は海外では主に豪邸を示す言葉だそうで、集合住宅はアパートメント(apartment)といい、分譲物件はコンドミニアム(condominium)と言うそうです。海外に行って、マンションという言葉を使う際には気を付けましょう。
裸電球(はだかでんきゅう)

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現在でも見かけられますが、正式には白熱電球というもの。昭和の家や街路灯ではよく見られたもの。家に帰れば紐を引っ張ると肌色の灯りがともる。ちゃぶ台を囲んで一家団欒…。電球が切れると交換しなければなりませんが、素手でつかむととても熱いので注意が必要。家で唯一吊り下げてあるもので、地震が来ると一家の注目の的となる。街路灯では、易者や屋台が似合うイメージがありますね。
蛍光灯のカバー(かいこうとうのかばー)

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昭和50年代以降になると白熱灯はトイレや階段、玄関灯などに限られ、人が常時居る居間や台所などは蛍光灯になりました。写真のような少しこじゃれたカバーのものがありましたね。蛍光灯は白い板ばねのようなもので、意外と固く留められて蛍光灯の交換に難儀した覚えがあります。まだまだ現役のものと思われますが、いずれは過去のものとなるでしょう。
郵便受け(ゆうびんうけ)

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今では様々なスタイルがある郵便受け(ポスト)ですが、写真のものは昭和の家によく見られた形です。上の蓋が投函口で、中央に名前や住所が書ける場所があり、下にあるプラスチックをスライドして郵便物や新聞を取り出しました。本体の色は水色のほか赤色が主流でしたね。
牛乳受け(ぎゅうにゅうけ)

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現在でも牛乳の配達をして頂いてる家にはあるものです。牛乳配達はアルバイトというイメージがあり、大学へ進むためや貧しい家庭を支えるために少年が朝早くから働くという設定が多かったですねぇ。
国営放送聴取章(こくえいほうそうちょうしゅしょう)

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平成後期に話題となった受信料。これを支払っている家に付けられていたものでしょうか。現在ではシールになっていますが、かつてはこんな立派なものが付けられていたんですね。

アッパッパー(あっぱっぱー)

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夏になると見られた女性用の服。歩くと裾がパッパッと広がる様子が由来らしい。イメージ的には年配の女性だったなぁ。男性ではステテコに腹巻姿(バカボンのパパ)だが、こちらも最近では見なくなりましたね。
昭和の女性(しょうわのじょせい)

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とある所で見つけた自動車教習所の看板。車もフェンダーミラーの角目で昭和っぽい。で、乗っているお嬢様もヘアスタイルが昭和ですねぇ。こんな感じのヘアスタイルは見かけなくなりました。最後に残っているのは某国民的アニメで、お魚をくわえたドラネコを追いかけるあの奥様でしょうか。よく見ると、写真などに写る時の決めポーズが昭和臭たっぷりです。

お断り!

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※写真右はTuboフォトオフィス様撮影

今も昔もある訪問販売。時に契約や値段でもめる事もしばしば。昭和では、主に出所した輩が玄関に上がり込み、刑務所から出所してきたばかりなどと恫喝し、粗悪な家庭用品を法外な値段で売りつける「押売り」という行為がありました。写真右にある「しし舞い」とは、お正月に見られる獅子舞に扮し、家に上がり込んで居座る行為(お酒や金品を要求し、くれるまで居座ったようです。)の事です。現在、押売り行為は刑法に触れるそうなので、ご注意を。
ガラス(がらす)

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昭和の木造住宅で主に見かけられたのが、飾りガラス。外部から覗かれないように、トイレやお風呂場、道路に面した部屋にありましたね。ガラスには模様があり、左とその右は星模様、その左より花柄、笹の葉っぱ模様です。

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待合室の仕切りやトイレによく見られたのが写真の厚手のもの。正方形で幾何学模様のガラスです。
鍵(かぎ)

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柄の部分を起して、廻しながら施錠するねじ式の鍵です。現在の住宅からは消えてしまったようですね。
自転車(じてんしゃ)

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昭和の自転車と言えば、写真左のタイプ。牛乳配達や酒屋さんなど商店が所有していましたね。現在でも郵便屋さんや警察の自転車として活躍していますね。右は昭和50年代に流行った変速ギア付の自転車。ハンドル部やサドルとハンドル部の梁に設置された変速ギアレバーを操作するもので、子供たちの間で流行りました。確か、スーパーカーブームもあったような。ギアチェンジに失敗したり、チェーンが緩いと外れてしまい、戻すのに難儀する事もありました。
自転車の思い出と言えば、プラスチックの輪っか(輪っかを複数個つけて遊ぶチェーリングのもの。)をスポークに付けて走るという事も流行りました。
柱時計(はしらどけい)

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インテリアとしても人気のある時計。ぜんまいばねを回すことで動く仕組み。ばねの力がなくなると、時間が遅れだす。気付くと止まっている事も。また、振り子の動いている音が静かな夜には不気味で、怪談話なんかではボーンボーンという音が怖さを引き立てていました。お金持ちの家にはもっと大きい柱時計が有ったり、文字盤の数字がローマ数字で何時か解らなかった。なんて思いでもあります。似たもので鳩時計もありましたね。時間になると鳩が出てきてました。

昭和の子供の遊び(あそび)

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テレビゲームが無い時代、基本は外遊びで古くから親しまれる遊びでは、男の子は鬼ごっこやかくれんぼなど、女の子はゴム紐飛びや路上などに丸い円をチョークで描きケンケンパッ!と言いながらする遊びがありましたねぇ。写真上段左のようなお店ごっこといったお飯事もありました。
写真中央のパトカーはラジコンカー(ラジオコントロールカー)。無線式ではなくコードの付いたタイプです。ラジコンではありませんが、ボタンやスイッチを扱い、円を描いて自走する自動車もありましたねぇ。ラジコンの思い出では、亡き親父が競馬で大当たりしてスカイラインRSのラジコンを買ってもらった事。買ったその日に家の前で遊んでいましたが、酔っぱらって帰ってきた親父の車に轢かれた事。わずか数時間しか遊べませんでした。女の子ではぬいぐるみやリカちゃん人形などが流行っていましたねぇ。
外遊びでは、飛行機飛ばしなんてのもあり、折り紙や広告などの紙飛行機、写真上段右のソフトグライダーも流行りました。主翼や胴体など発泡スチロールを組み合わせて、最後にプラスチック製のプロペラを胴体の最前部につけて出来上がり。というもの。米国や日本のプロペラ戦闘機が主だったものだった。手で投げるものが登場し、その後ゴムの力で飛ばすパチンコ式がありました。

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昭和の子供たちの社交場と言えば駄菓子屋さん。ここには色々なものがありました。写真左は「スーパーカー消しゴム(通称、スー消し)」です。スーパーカーブームの影響で現れたと思います。消しゴムの多くは消す機能が弱く、ただのゴム。国産、海外問わず様々な車がありました。もちろん大きさも色々。このスー消しで机の上をレース場に見立て、ノック式のボールペンを使って遊んだなぁ。写真のような専用のものは知らなかった。遠くへ進めるために、ばねを2倍にしたものをつくったり、車の交換、もちろん無くして大騒ぎなんてことも。中央はチェーリングと呼んでいたもの。カラフルなプラスチックの輪っかを複数つなげて、お手玉のようなゲームをしていた覚えがあります。単体では、自転車のスポークに付けた。見た目がカラフルになるだけで、特に何もあるわけではないが、何故か流行ったなぁ。右はリリアンと呼んでいた手芸セット。女の子がひたすら編み続けていました。調べてみると、リリアンとはレーヨン(人造絹糸)を編み込んだ手芸用のひも(商標)で、大正12年に生まれました。リリーはユリの花、ヤーンは縫製糸の意味があります。ユリの花の商標を付けたためリリアンと命名されました。小さな筒状の編む道具は「ニッチング」というもので、針にクモの巣状に糸をかけて編むメリヤス編みという方法で編んでいきます。編む姿は見るものの、それが完成した。というのは見たことがない。どんなものが出来るのだろうか。未だに謎です。

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駄菓子屋さんで人気が高かったのが「くじ」です。写真左のようにスーパーボール、すずなどがありました。写真中央のようなくじがあり、くじをする旨を店主に伝え、支払い(10円~30円)を済ませるとくじを一回引く事が出来、番号に対応した景品を貰えます。飴玉を使ったくじもあり、大小様々な飴がタコ糸でつながっており、選び、手繰り寄せる事でその飴を貰えます。スーパーボールはよく弾むゴム玉で、壁などに当てて遊んだりした。時には女の子のスカートの中めがけて投げつける輩がいて、先生に鉄拳制裁を喰らっていたなぁ。(当時は先生に殴られるというのは当たり前。先生も出来た人で、過度な体罰も無い時代。ちゃんと殴られた時に解り易い説明も受けた。)他にも野球をしたりして遊んだなぁ。
写真右は牛乳瓶のキャップ。写真は現在のもので、取り易いように耳が付いていますね。当時はそのようなものはありませんでした。このキャップを使ってメンコ遊びをしましたね。やがてコレクションもしました。銭湯は格好の収集場で、あちこちで集めましたね。

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これは「つちのこ」と呼ばれるおもちゃ。にょろにょろとか言っていたような。つちのことは「ツチノコ」の事で、日本各地で出没する未確認動物の一つです。鎚(金づちの事)に似た姿を持つ、胴の太い蛇のようなもの。特番が組まれたり、懸賞金が掛けられました。このおもちゃは、細い糸(てぐす)を上手に引いて遊ぶもの。生きているように動かす事が醍醐味のおもちゃ。この他に、トカゲや蜘蛛などのゴム製のおもちゃがあり、女の子に投げつけて驚かせた。スライムも流行りました。ゼリー状の何だかよくわからない緑色のもの。茶筒状の容器で売られてましたね。80年代には「ブーブークッション」というものもありました。平べったい風船状のもので、その上に座るとおならの音が出るという悪戯おもちゃ。パッチンガムもありましたね。「ガムを食べる?」と言い、板ガムを取ろうとするとパッチンと指が挟まれるものです。
他にも細長い紙を継ぎ足して、ロール状にした迷路ゲーム。必ず行き止まりにはうんちの絵があったなぁ。瓶ジュースの王冠集め。裏にゴム製のシールがあり、めくると何かの応募やくじがありました。

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駄菓子屋さんと言えば、「お菓子」ですね。現在でも昭和の駄菓子が数多く売られており、時折懐かしさについ買ってしまう事があります。しかし、時の流れと共に消えてゆくものも。写真左は平成29年に消えた「梅ジャム」です。子どもの頃、紙芝居屋さんでお煎餅に塗っていたものを食べた記憶がありますね。写真のような袋詰めも知っています。遠足などの時のおやつには誰かしら買っていましたね。また、駄菓子屋さんの隅には写真中央、右のようなアイスクリームを作る機械がありましたね。
ボードゲーム(ぼーどげーむ)

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どこの家にもあったのが「ボードゲーム」。現在でも人生ゲームやモノポリーなど人気のあるボードゲームがありますね。昭和に流行ったのが写真右の「野球番」です。ルールは野球とほぼ同じ。パチンコ玉を転がし、バットをタイミングよく振り、転がった先でアウト、二塁打、ホームランなどが書かれた窪みに落ちて、それに従いランナーを配して遊ぶものです。消える魔球などの裏技的な事も懐かしいです。
ダッコちゃん(だっこちゃん)

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昭和35年に発売されたビニール製の空気で膨らませる人形。当初は「木のぼりウインキー」(ウインキーとは目を閉じたり、開けたりしてウインクをしているように見える様から。)や「黒ん坊ブラちゃん」という名称だったそうです。手足が輪っか状になっており、腕や棒に抱きつくようにして遊ぶ。当時の女性に爆発的ヒットしました。ダッコちゃんのようなソフトビニールを使ったおもちゃがその後、色々と登場しました。ソフトビニールのおもちゃの中には鈴が入ったものなど工夫がありましたねぇ。

日本地図(にほんちず)

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今はよく分りませんが、子どもがいるどこの家庭にも貼られていたのが日本地図。印刷のものや立体的なものがあったほか、ちょっぴり裕福な家庭には地球儀もありましたね。写真の日本地図はまさに昭和のもの。懐かしい国名ですなぁ。
お土産(おみやげ)

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修学旅行といった旅行に出かけるとだいたいお土産を買ってきますよね。そのお土産を部屋に飾る事がありますか。お土産店では地名が書かれた提灯やテナントと呼ばれる三角旗があり、部屋に飾っていました。また、フェイクなお札を模したものなどもお土産に買ってきましたねぇ。お土産で何故かってしまったのだろう。というのが「木刀」。部屋に飾る事も出来ず、傘立に入れられたり、部屋の隅っこに追いやられていました。お土産ではありませんが、昭和の部屋でヤングな若者がやっていたのが鴨居に空き缶を並べていましたね。テナントを天井や壁に画鋲でとめ、提灯や空き缶を並べ、アイドルのプロマイドやポスター、年齢によってはプレイボーイなどの付録にある西洋女性のヌードポスターを貼れば、立派な昭和のお部屋に変身出来ます。
栓抜き(せんぬき)

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現在では飲食店で見かけられ、家にも1つ2つあるもの。左のような形が多く、ビールメーカーの刻印がされていましたね。お土産店などでもお洒落な栓抜きが売られていたような気がします。昭和の飲料や調味料(みりんやお醤油など)はほとんどが瓶で、王冠と呼ばれる蓋がされており、栓抜きで開封するのが一般的でした。ビールでは栓抜きで王冠を数回コンコン…と叩くと美味しくなるとかで、叩く光景や歯で栓を抜くおじさんもいましたね。ジュースは王冠にあるくじが楽しみである一方、一度開けてしまうと飲みきらなければいけない問題があり、炭酸飲料は大変でした。
現在ではペットボトル化でスクリュー式やプルトップ方式と呼ばれる開け方になり、栓抜きを使う王冠方式は主にビールに見る事が出来ます。てこの原理で開ける簡単なものなのですが、現代っ子はわからないとか。

赤ちゃんに関するもの(赤ちゃん)

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赤ちゃんの頃?記憶にないなぁ。記憶としては残っているのですがずぅ~と奥の方にあり、思い出せないだけだそうです。赤ちゃんは基本的なお仕事は泣く事。言葉を教えてもらうための最初の仕事です。泣く事で親が話しかけ、少しずつ理解をして言葉を発するそうな。歩く事が出来ませんから、乳母車というある種の専用車を用意してもらい、外出します。作者は乳母車ではなく、親の背中でしたね。また、部落の農作業で外に出る時は、リンゴの木箱に入れて、気に吊るしてゆりかごにしていたそうです。
家では、泣く赤ちゃんにご機嫌を取ろうとおもちゃがいくつもありました。写真中央は「起き上がり人形」というもの。倒しても起き上がる、不屈の闘志をもったお人形。赤ちゃんにとっては実に不思議なものに見えたでしょう。何よりもその表情。何をしても反応しない表情に恐怖を感じたのか、泣きだす子も多かったのでは。意外と笑う事が多かったのが、右のメリーゴーランドとかいうもの。天井につるし、回転をすると垂れ下がっていた飾りが綺麗に開く仕組みで、赤ちゃんに満面の笑みをもたらします。
文房具(ぶんぼうぐ)

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鉛筆を削る際に「鉛筆削り」というものがありますが、作者の小学生の頃は30円程度の平たいカッター(折り畳みで平たい刃が付いていた。具体的には不良女子高生(カミソリの●●)が指に挟んでいたもの。)で削っていました。誤って怪我をする事もあったけど、それは不器用だから。特に気にもされなかった。お金持ちの子はいつも芯が尖った鉛筆で、写真のような電動の鉛筆削りを持っていました。当時のものにはストッパーが無く、鉛筆がある限り削れたなぁ。手動のハンドル付鉛筆削りや学校にはプラスチック製の小さな鉛筆削りを使いました。鉛筆と言えば、貧乏な子は持てないくらいの長さまで使ったり、両端をセロテープで継ぎ足す「貧乏鉛筆」をよく持っていました。「物は大切に。」という心が最後まで残っていた、心豊かな人とも言えますよね。
お弁当箱(おべんとうばこ)

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昭和のお弁当箱と言えば、写真のアルミ製のお弁当箱。また、やかんでも見られた金色のお弁当箱。というのもありました。金色のやかんやお弁当箱はアルマイト処理されたもので、アルミニウムの表面に酸化アルミニウムの皮膜をつくり、耐久性を向上させたものです。豪華なイメージになりがちですが、工事現場の作業員の持ってくるお弁当。というイメージがあります。
お弁当はだいたいご飯に梅干しやふりかけ。ごま塩もあったなぁ。おかずは鮭やにぼし。急いで食べるとカシャカシャ音を奏でて食べていたのを思い出します。

ちゃぶ台(ちゃぶだい)

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四脚の食事用のテーブルで、写真のような円形や四角いものがありました。「ちゃぶ」の語源は諸説あり、漢字で「卓袱台」と書きますが、中国語のテーブルかけを意味する卓袱(チャフ)から来たものなどがあります。昭和の一家団欒を象徴する必須アイテムであり、時には父のちゃぶ台返しというのもありました。その後、生活様式の変化で現在のようなダイニングテーブルへと変化していくのであります。作者は子供の頃、ちゃぶ台に蚊帳があり、ご飯があった事。使い古しのちゃぶ台が初めての学習机だった事を思い出します。

医薬品類(いやくひん)
蚊取り線香(かとりせんこう)

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ご存じ蚊を駆除する目的のもので、お線香に除虫菊の有効成分(ピレトリン)などを練り込んだ燻煙式の殺虫剤。蚊と人類の闘いの歴史は古くからあり、平安時代に「蚊遣火(かやりび)というヨモギの葉などを燻し、その煙で追い払う方法が発明され、蚊帳(かや)と共に大正時代まで主流となっていました。蚊は叩く方法が唯一の撃退法でしたが、闘いに劇的な変化が起こったのは明治に入ってからである。「金鳥」の商品名で有名な大日本除虫菊株式会社の創業者である上山英一郎がアメリカよりやって来た除虫菊を栽培し、明治21年に蚊遣火を参考に除虫菊におがくずを混ぜた粉末状の製品を開発。しかし、夏に火鉢が必要であったため普及しませんでした。そこで、線香に練り込む方法を考え、明治23年に世界初、棒状蚊取り線香「金鳥香」が誕生しました。燃焼時間を長くするためには棒を長くする必要がありましたが、倒れる恐れがある事から限度がありました。それを解決したのが上山の奥様。棒ではなく、現在の渦巻き形を提案し、現在に至っています。これにより形勢は逆転し、人類に安眠を与える事になりました。現在は火も使わない、煙も出ない電気蚊取りやスプレーが誕生し、火災のリスクを伴う蚊取り線香は活躍の場を狭めていますが、現在も愛用者が多いようです。
写真はアース製薬の「アース渦巻(現在はアース渦巻香)」の琺瑯看板。モデルは由実かおるさんで、昭和40年代のもの。この看板を見て、当時の世の男子は今でいう激萌えしたそうですよ。
殺虫剤(さっちゅうざい)

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こちらも人類と長い闘いを続けているゴキブリを中心とした殺虫剤。未だ持って人類が制圧に至らない、ある意味最強の好敵手(ライバル)と言えよう。
主に見つけるとスリッパや新聞紙を丸めるなど、後に害のないもので強い力で叩き潰す手法であったが、エアゾール方式の誕生は人類最強の武器となったようです。写真左は歌手であった水原弘さんのアース製薬「ハイアース」の琺瑯看板で昭和45年に登場したものです。殺虫剤の商品は現在のようなゴキブリをデフォルメしたような可愛いものではなく、ダイレクトなイラストがほとんど。フマキラーの殺虫エアゾール商品としてロングセラーであった「ジェットA」。(現在はフマキラーAダブルジェットに統一。)その隣は発熱体を応用した火も水も要らぬ燻蒸殺虫剤「567(ゴロチ)」、そして一番右は中央化学株式会社のゴキダンCという商品。(会社が無い模様で、詳細は不明)
兎にも角にもこのようなインパクトあるイラストでの商品化は現在ではありえないだろう。

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戦後の日本で、殺虫剤や農薬に用いられていた「DDT」というものをご存じでしょうか。その散布や他の殺虫剤で使われていたのが写真のようなスタイルのもの。エアゾール式が登場する以前のものです。
戦後、衛生状態が非常に悪く、シラミなどの防疫対策で、児童の頭に薬剤をかけるシーンが有名ですが、その薬剤がDDTというものです。ジクロロジフェニルトリクロロエタン(dichlorodiphenyltrichloroethane)(化学的には4,4'-(2,2,2-トリクロロエタン-1.1-ジイル)ビズ(クロロベンゼン)という。)もので、米国より輸入されたものです。後に、発がん性がある事や環境問題がある事がわかったため、日本では製造、販売、使用は行われていません。因みにプロレス関係で出てくる「DDT」はこれが由来で、危険性が高い事を印象付ける言葉として生まれたそうです。
芳香剤(ほうこうざい)

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トイレの防臭を目的としたもので、写真はフマキラー「ナイスコロン花」というもの。現在は絶版となっています。容器や名前も昭和の感じがしますね。
オロナイン軟膏(おろないんなんこう)・ムヒ(むひ)

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現在でも発売されている薬です。大塚製薬「オロナイン軟膏」、あかぎれ、軽いやけど、いんきん等に使われていますね。昭和28年発売のベストセラーで、米国の製薬会社オロナイト・ケミカルが製造した殺菌用消毒剤が原点。社名のオロナイトとはスペイン語の「黒い金(oro negro)」で原油を意味しています。この社名がオロナインの由来で、昭和40年に同社で発売された「オロナミンC」の名前のヒントともなったそうです。
虫さされ、かゆみと言えばでおなじみの「ムヒ」。株式会社池田模範堂の代表的な商品で、大正15年(昭和元年)からのベストセラーです。「ムヒ」は他に比べるものが無い「無比」が由来となっています。

昭和の表現色々

ここでは平成ではあまり見かけなくなった昭和の表現を紹介しましょう。皆さんはいくつ知っているでしょうか。
棒人間(ぼうにんげん)

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Tuboフォトオフィス様撮影

写真のような説明や事故現場(殺人事件)などに人を描く表現で見かけました。この他パラパラ漫画やゲームでも使われていました。
少年(しょうねん)

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昭和の子供をイラストにする時、男の子は野球帽に半ズボンというものが定番。野球帽は読売ジャイアンツ(巨人)、阪神タイガース、ヤクルトスワローズ、大洋ホエールズ、西武ライオンズをよく見かけ、近鉄、ロッテ、南海、阪急、中日、広島、日本ハムはあまり見なかったなぁ。(作者の子どもの頃の思い出です。)冬は「子どもは風の子」と言われ、半ズボンの子供は多かった。中には半袖という子もいたなぁ。長袖を来てるこの中には袖が鼻水でテカテカだった。
女の子は服装のイメージがあまりはっきりしないのですが、リボンの付いた麦わら帽子をかぶっているイメージが。
走る

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Tuboフォトオフィス様撮影(右は拡大したもの)

昭和の漫画では走っている人や急いでいるを表現する時、渦巻き模様が一般的。同じ渦巻きを使ったものとして、目を回した時ですね。他にも何かにぶつかったり、殴打された時の表現は星と土星ですね。

感電(かんでん)

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※入ナリ氏様撮影

平成になっても変わらない、昭和が生んだ名イラストの一つ「感電」。高圧電気を扱う変電所やその配線付近などで見ることの出来ます。骨のイラストは多種多様。髑髏(ドクロ)は危険物には鉄板で、劇薬などの注意にも使われていますね。
挟まれ

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Tuboフォトオフィス様撮影

写真のようなエレベーターの扉などで見かけられ、数は少なくなりつつあるもの。カニを用いて痛さの度合いを的確に表現。昭和はだいたいこんなもの。というおおらかな時代を象徴した注意ものです。「ドアー」という言葉も昭和ですね。
お風呂

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地図記号にもある温泉マーク。お風呂を意味する時にも写真のように使われています。家の間取りなどにも使われていました。因みに「下宿(げしゅく)」とありますが、これは学生が親元を離れ、今でいうルームシェアや一人暮らしをする言葉ではなく、旅館業法においての営業形態の一つの事。一か月以上の期間を単位とし、月極めの契約で部屋を間借りさせる事を言います。
うんち

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Tuboフォトオフィス様撮影

平成においても衰える事のない人気?を代表するイラストの一つ。子供たちに絶大な支持をもつ「うんち」のイラスト。通称「巻糞」と呼ばれ、実際に用を足す際にお尻をグルングルン回転させる子供もいたそうです。教科書やノートには必ずいたずら書きされるイラストのトップ3に入っていたかもしれない程、書かれていました。このイラストを超えるうんちのデザインは出るのでしょうか。
糞(ふん)

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昭和の表現では、現在のようにオブラードに包むような表現はなく、一般的にダイレクトでした。その一つが「糞」です。ペットを飼っている方はエチケットも忘れないようにしましょうね。

お肉(おにく)

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お肉をイメージすると写真のような骨付きのお肉となりますね。これは昭和49年から昭和51年にかけて放送されたアニメ「はじめ人間ギャートルズ」の影響が大きい。原始時代の原始人の日常を描いたギャクアニメで、主人公「ゴン」(少年)とその家族、相棒のゴリラの「ドテチン」が主な登場人物となる。このアニメでは様々なギャグが登場。マンモスに踏みつぶされ、人がペラペラになるなどがあり、その一つにマンモスの輪切りのお肉が登場し、お肉のイメージイラストの定番となったようです。テレビでお肉が再現できるか?というコーナーがありました。確か、動物の構造上、あの形のお肉は出来ないとか。
相合傘(あいあいがさ)

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昭和の愛の表現の一つ。とでも言いましょうか。落書きなんかで散見されますが、すっかり廃れてしまったような気がします。学生時代では好きな子が発覚すると黒板に大きく書かれていたり、右隅の日直コーナーがチョークで加工されていたりしていたなぁ。また、別れてしまうとハートマークにひびを入れて表現をしたような。まあ、青春ですなぁ。
旧仮名遣い(きゅうかなづかい)

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現在でも商品名などに見ることが出来ますが、昭和のものにはごく普通に使われていました。写真はどちらも「イ・い」ですが、左は「カノピースヰッチ」、右の小鏡付温度計は「飲んでゐる」となっています。

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読み方の他に文字の表現も色々で、左は「エンヂン(エンジン)」です。この他に小文字の表示も今とはちょっと違い、中央より「スウイツチ(スイッチ)」、「リツク(リュック)」、「しまつて(閉まって)」などがあります。
漢字(かんじ)

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読み仮名だけではなく、昭和生まれの文には何と読むのだろう?と考えてしまうものも稀にあります。写真は何と読むかわかりますか?「押釦」は押しボタンと読みます。最近は手書きや辞書を使う機会がめっきり減ってしまい、勉強しなきゃなぁ。と思うのですが、頭が受け付けない・・・。

御用達(ごようたし・ごようたつ)

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最近では見かけなくなった「御用達」。江戸時代に生まれた言葉で、幕府や大名などに出入りする特権を持った商人の格式を表す言葉です。現在では主に皇室や王室などの取引き指定を受けて物品を収める企業に使われ、信頼性や品質保証を意味するものとなっているようです。
写真左は南極観測隊ご用達の漬け物「養肝漬(ようかんづけ)」の看板。ご用達としているのは宮内庁があるためでしょうか。白菜の芯を抜き、しそ、大根、しょうが、キュウリなどを細かく刻んだものを詰め込み、たまり醤油で漬けた一品。戦国時代に生まれたもので、「武士たちの肝っ玉を養う漬け物」という意味があるそうです。写真右は「宮内庁御用達」を掲げる会社の看板。食べ物類は多く見ますが、この種は初めて見ました。
キャッチコピー(きゃっちこぴー)

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昭和のお店には今ではあまり見かけない、キャッチコピーのような言葉がありました。「ハイセンス」、「満足を売る」、「センスにマッチする」というインパクトがある言葉がありました。また、横文字を使わないで解り易いけど、今では使わなくなったような文言もありました。「余暇の創造」・・・今は何というのかなぁ。

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「太鼓判」という言葉もコマーシャルなどで見聞きしましたねぇ。太鼓判とは太鼓のように大きな判を押すという意味で、転じて確実を保証する意味です。江戸時代より前に甲州でつくられた一分金が影響したと言われます。この一分金は円形で、周囲に小さな丸印が装飾され、太鼓の皮留めに似ている事から太鼓判と言われるようになったそうです。似た言葉で「お墨付き」という言葉があり、こちらは権力や権威のある人が与える許可や保証を付けるもの。室町時代、江戸時代に将軍や大名から臣下に与えた領地の証拠とした文章を言い、その文章にある署名、署名を図案化した「花押」が墨で書かれていた事から「お墨付き」という言葉が生まれたそうです。

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「おじい様、おばあ様の代から・・・」、すごいキャッチコピーだなぁ。間違いなく昭和の表現ですねぇ。

ダイレクト(だいれくと)

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※写真右はTuboフォトオフィス様撮影

看板の文言にダイレクトに訴えるものが多く、手書きで力強く書かれている事が多いのも昭和の特徴です。

容疑者(ようぎしゃ)

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写真はイメージです。

犯罪などで容疑のある人物や何かの理由で人物をテレビや雑誌で出す際に、現在ではモザイクを使っていますが、昭和時代はこれでしょう。そして、「犯人A」や「少年B」という表現。いつの頃から見聞きする機会が無くなりましたねぇ。