第一家庭電器(だいいちかていでんき)

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※写真左及び中央はTuboフォトオフィス様撮影

昭和33年に創業し、平成14年まであった家電量販店メーカー。写真左は創業時のものでしょうか、オーディオ機器や掃除機、洗濯機、テレビなど泣けるイラストが描かれています。さらによく見ると地図があり、そこには都電がまだ走っていた当時のもの!三光町、新田裏、東大久保は電停のようですね。(写真中央)右は郊外の駅で見つけた第一家電が残る地図です。
三菱電機(みつびしでんき)

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※上段左を除いて、Tuboフォトオフィス様撮影

大手総合電機メーカーで家電から人工衛星までを手掛ける会社で、鉄道車輛でも様々な所で使用され、おなじみのメーカーとなっています。三菱グループの共通である「スリーダイアモンド」マークは変わりませんが、現在は「MITSUBISHI ELECTRIC」の文字が添えられています。
三菱電機を扱う個人販売店では三菱のロゴマークが目立つものとなっています。写真左は「三菱家庭用電化品」と書かれたもので、あまり見ない名前のお店です。中央は「三菱ストアー」とも言われる一般的な商店の様子。上段右は三菱電化品とかかれたもの。いずれも昭和のものですね。下段の「三菱電化ローン」は昭和後期のものでしょうか。昭和にはローンの他に「割賦(かっぷ)販売」という言葉がありました。商品を購入する際に、代金を前払い又は後払いで分割しながら支払う方法。支払いが終わるまでの期間、商品の所有権は業者にあり、支払いが滞ると商品は引き上げられてしまいます。支払う間隔では一ヶ月に一回の「月賦(げっぷ)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。割賦とローンの違いは簡単に説明すると品物を買うために代金を積みたてるものを「割賦」、品物を買うために手元にあるお金を差し引き、残った金額を借りる事を「ローン」と言います。割賦は数十万円程度の商品、ローンは自動車や住宅などの高額な商品に使われています。
日立製作所(ひたちせいさくしょ)

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※左及び中央はTuboフォトオフィス様撮影

国内最大の電機メーカーであり、世界有数の電機メーカーとして知られています。♪この木なんの木のCMソングを御存じの方も多いでしょう。(あの木はモンキーポッドとという木で、米国ハワイ州のオアフ島にあり、観光名所にもなっている。)また、鉄道車輛にも大きくかかわっており、様々な所に日立製の車輛や製品が使われています。
写真左と中央は日立の「日」と「立」を組み合わせた通称亀の子マークとも言われる社章で、製品には「HITACHI」に左側に社章が添えられていました。(写真右の下)(平成7年まで)中央の「日立のクレジット」というのは、現在とは異なり「月賦払い」を意味しています。昭和時代は家電製品の多くは月賦払いが一般的でした。
写真右の「日立キドカラ―」は1970年代のカラーテレビの愛称名。キドカラ―の愛称を用いたカラーテレビは昭和43年に発売されました。カラーテレビの輝度を上げるために希土類元素をブラウン管内の蛍光体の材料を用いており、「輝度」と「希土」をもじって付けられました。赤色の発色が良かったようです。因みに、テレビが真空管からトランジスタ化され、電源を「ポン」と入れたら、すぐに「パッ」と映るという意味を持つ「ポンパ」くんという鳥のキャラクターが生まれ、昭和45年10月14日から翌46年5月25日にかけて、キドカラ―やポンパなど日立家電製品を宣伝するため「日立ポンパ号」とい愛称を持った宣伝列車が全国203ヶ所で展示会を開催しました。機関車(日立製C11)と60系客車5両の構成で、カラフルにデザインされました。※移動の際は別途牽引用の機関車を用意していました。

松下電器産業(まつしたでんきさんぎょう)・松下電工(まつしたでんこう)

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※写真左から3番目及び4番目はTuboフォトオフィス様撮影
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※写真左はTuboフォトオフィス様撮影

白物家電などを中心に手掛ける日本を代表する電機メーカーで、現在は「パナソニック」として知られています。大正6年に日本の偉人にも登場する松下幸之助が電球用ソケットの製造販売を始めます。翌年に「松下電気器具製作所」を創設。昭和2年に自転車用ランプを発売。この商品より「ナショナル」の商標を使用開始しました。写真上段の左の電球の看板はその一例です。会社はどんどん大きくなり、昭和10年に「松下電器産業」に改組し、松下電工(後の松下航空工業、パナソニック電工)などの分社を設立します。(写真上段、右から2番目)
ナショナルと言えば、Nの文字にナショナルですが、この書体を「ナショ文字」と言い、昭和12年から昭和62年まで使用されていました。同社の製品の取次ぎや販売を行う特約店を「ナショナルショップ(現在はパナソニックショップ)」と言いますが、この系列電器店ネットワークを構築したのはナショナルが初で、昭和32年に始めました。ピーク時には約5万件もの電器屋さんがあったそうです。下段右の「カラーテレビ技術認定店」とは現在で言う、「パナソニック修理技術認定店」という制度で、カラーテレビが出始めた頃のものでしょうか、自社製品で軽微な故障ならばお店で修理できるという事。少し古い看板のようです。
三洋電機(さんようでんき)

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※写真左はTuboフォトオフィス様撮影

かつて総合家電メーカーとして知られた会社で、現在はパナソニックの子会社となっています。会社名の「三洋」とは太平洋、大西洋、インド洋を意味し、世界で活躍できる企業になるという意思を込めて命名されたそうです。少し古い家庭電化製品に今でも見られる会社で、なじみがありました。平成23年にパナソニックの子会社になりましたが、グループを含めて社員10万人を超す大企業が倒産を経ず、事実上消滅(経営統合のため)した事は、日本の経済史では初の事案となっています。
東芝(とうしば)

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※写真上段右と下段はTuboフォトオフィス様撮影

かつては家電製品やパソコンなどで名が知られた大手電機メーカーで、家電製品では冷蔵庫や洗濯機など国産化第1号の製品を多く製作し、白物家電のパイオニアとも言われました。現在は重工業分野(鉄道車輛、軍事機器、電子部品など)の電機メーカーとなっています。他社と同じく、東芝ショップなどの電器屋さんが町にありました。お茶の間では「サザエさん」で東芝を知る事になった方もいるのでは。ロゴマークは傘マークと呼ばれるロゴが有名ですね。(現在でも使われているようです。)
ゼネラル(ぜねらる)

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※写真はTuboフォトオフィス様撮影

テレビや冷暖房、空調機器の電機メーカーです。昭和11年に蓄音機とその付属品を製造販売する八歐(やおう)商店が設立されます。その後、ラジオや無線機などの製造を始め、昭和17年より八歐電機株式會社(昭和30年からは八欧電機株式会社)に社名変更、昭和21年に「ゼネラル」を商標として使用を始めます。昭和41年、株式会社ゼネラルに社名変更。全国はもとより、海外で会社を設立し大きくなります。昭和59年に富士通と資本、業務提携を行い、翌年に「富士通ゼネラル」という社名に変更し、現在に至ります。

日本電気(にほんでんき)

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※写真左及び中央はTuboフォトオフィス様撮影

「NEC」の愛称で知られる、有線、無線通信機器やコンピューターなどの大手電機メーカーです。写真のNECのロゴマークは平成4年までの旧ロゴマークです。
マイクロコンピューターやパーソナルコンピューター市場では黎明期より手掛けており、PC-9800形シリーズで私たちの生活に知られるようになりましたね。中央の「テレフォンショップ」はあまり聞きませんが、NECの機器を使った携帯電話の発売と思います。
写真右は同社の販売促進キャンペーンの「バザール・デ・ゴザール」というサルのキャラクターです。「お♪~で、ござーる。」という歌は1990年代に流行りました。ちゃんとキャラクター設定もあり、旧ザイール(コンゴ民主共和国)出身で既婚。日本文化を学ぶために来日。好物はバナナ、おっちょこちょいで寂しがり、語尾に「ござーる」と付けるそうです。同時期、富士通のタッチおじさんと共に流行りましたね。現在も販売促進キャラクターとして活躍をしています。
日本ビクター(にほんびくたー)

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Tuboフォトオフィス様撮影

映像、音響機器などを主製品とした会社で、平成20年以降はJVCケンウッドという会社になっています。写真左は昭和35年より発売されていたカラーテレビのものでしょうか。
日本ビクターは米国のビクタートーキングマシンカンパニーの日本法人として設立されたもので、蓄音機の販売から始まりました。ビクターと言えば、写真右の蓄音機と犬のトレードマークがおなじみですが、何を表しているかご存知ですか?「ビクターくん」などと呼んでいましたが、実在するワンちゃんで、「ニッパー」という名前があり、このような物語がありました。
英国の風景画家マーク・ヘンリーバロウドがニッパーの最初の飼い主。1884年に生まれ、やんちゃな性格からか客の足を噛もうとする様子から「Nipper(噛む、はさむの意)」と名付けられました。1887年にマークは病死。弟の画家フランシス・バロウドがニッパーを引き取った。ある日、蓄音機から亡きマークの声をニッパーに聞かせたところ、声の聞こえる蓄音機を不思議そうに覗き込むニッパーが。この様子を描いたものなのである。1895年ニッパーは死去。1898年、フランシスは蓄音機の絵をエジソン・ベル社の製品に書き換えて、商標を出願。メーカーに提示するも、犬が蓄音機を聞くはずがない。と門前払いされてしまう。そこでベルリーナ・グラモフォン社を訪問した所、「自社の蓄音機に変えるなら絵を買おう。」という提案を受け、同社の商標になり、現在に至っているそうです。
パイオニア(ぱいおにあ)

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オーディオ機器などを手掛ける電機メーカーで、写真は旧ロゴマーク。音楽を趣味とする方なら一度は聞いたメーカーと思います。音響機器のほか、かつてはパソコンも扱っていた時期があり、「MSX」や「X68000」を覚えているでしょうか。
ソニー(そにー)

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AV機器では世界最大手となる電機メーカー。「SONY」という名は、日本で初めてトランジスタラジオの販売を始め、米国に輸出する際にブランド名として付けられました。「音」を意味するSonicの語源となったラテン語の「Sonus(ソヌス)」と小さいや坊やを意味する「Sonny」を組み合わせ「SONY」としました。これは日本以外で、どの国でも同じように読め、発音が出来る事が大事だという考えから作られたそうです。
写真は昭和43年にソニーと米国のCBSの合弁会社CBS・ソニーレコードのロゴマークで、子供の頃は「宇宙人」と呼んでいた目のような模様はCBSの親会社であるコロムビア・レコードのロゴで、「ウォーキング・アイ」という名前が付いています。「CD・テープ」という言葉もちょっと懐かしいですね。

第一勧業銀行(だいいちかんぎょうぎんこう)

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昭和46年から平成14年まで存在した銀行で、現在のみずほ銀行の前身になります。銀行は再編など動きがとても複雑。第一勧業銀行は第一銀行と勧業銀行の合併で誕生しました。宝くじの当選金の受託銀行で、「夢を買いましょう」という文句が何となく切ない気がしますねぇ。
北海道拓殖銀行(ほっかいどうたくしょくぎんこう)

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Tuboフォトオフィス様撮影

平成10年まで存在した銀行で「拓銀(たくぎん)」と呼ばれていました。平成9年に経営が破たんし、平成10年に北洋銀行、中央信託銀行(現:三井住友信託銀行)になっています。この看板は間違いなく昭和ですねぇ。手書きとカタカナのしびれる字体が素晴らしいです。
日本興業銀行(にほんこうぎょうぎんこう)

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現在はみずほフィナンシャルグループの一つのなっている銀行で、明治時代に創設され重工業の発展や、戦後復興、高度経済成長を支えてきた銀行と知られていました。この銀行は金融債といった個人ではあまりなじみのない商品を扱っていたため、その知名度を上げるために、キューピー人形をキャラクターとして使用していました。因みに「ワリコー」とは「割引興業債券」で、みずほ銀行になってからは「割引みずほ銀行債券」となっていました。「リッキーワイド」は「利付興業債券利子一括払い」で、みずほ銀行では「利付みずほ銀行債券利子一括払い」というものでした。

日本航空(にほんこうくう)

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日本を代表する航空会社で、「JAL」の呼び名で誰もが効いたことがあると思います。写真は「鶴丸」の愛称で親しまれるロゴマークで、旧デザインのもの。平成23年より復活した鶴丸とは若干違いがある感じです。
全日本空輸(ぜんにっぽんくうゆ)

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国内線、国際線では国内最大規模の航空会社で、「全日空」や「ANA」で呼ばれています。かつてはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたヘリコプターのイラストが入ったロゴマーク(子供の頃は帆船と思っていた)が使用されていましたね。飛行機や写真の牽引機には「全日空」の文字が書かれていました。
農協(のうきょう)

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農業協同組合が正しい呼び名で、平成4年からは愛称は「JA」となっており、新しいロゴマークが使われています。かつては写真のような「協」の文字をあしらったロゴが使われていました。
第一製薬(だいいちせいやく)

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大正4年から平成17年まであった医薬品会社。平成17年に三共と経営統合し、現在は「第一三共」という医薬品会社となっています。パント錠とは滋養強壮や肉体疲労時のビタミン補給のお薬。パントテン酸を体内で働きやすい形にしたもので、第一製薬の代表的な商品でした。
セイコー(せいこー)

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腕時計など時計関係で知られる会社です。写真の看板はプラスチックを立体的に成形した昭和のものです。

コニカ(こにか)

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かつてカメラ、写真用フィルメーカーとして存在した会社です。始まりは明治6年、小西屋六兵衛店を設立し、写真関係の商品を扱い始めます。その後、小西六写真工業株式会社となり、明治36年に日本初の印画紙を発売。昭和15年には国産初のカラーフィルム「さくら天然色フヰルム」(後のサクラカラーリバーサル)が発売されます。因みにこのフィルムをつくっていた日野事業所(コニカミノルタ東京サイト日野)の所在地である東京都日野市さくら町はこの場所でフィルムをつくっていた事が由来となっています。
昭和62年にブランド名を「コニカ」に統一すると共に、社名をコニカ株式会社に変更。この際、フィルムもサクラカラーからコニカカラーに変更しています。当初は日本のカメラ業界のトップブランドでしたが、他社に苦戦を強いられます。平成15年にミノルタと合併し、コニカミノルタになりました。平成18年に写真フイルムや印画紙などDPE分野事業から撤退し、コニカブランドのフィルムは終焉を迎えています。

出光興産(いでみつこうさん)

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石油類を扱う会社で「出光」の名前でご存じの方も多いでしょう。同社のロゴマークとしてギリシャ神話のアポロンをデザインした通称「アポロマーク」が有名ですが、写真は下に「APOLLO」の文字が入ったもので、あまり見ない感じです。
エッソ(えっそ)

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「エッソ(Esso)」とは米国にある総合エネルギー企業であるエクソンモービルとその関連会社によって使用される商標名で、「Eastern States Standard Oil(イースタン・ステーツ・スタンダード・オイル)」の略です。
日本ではエクソンモービルの日本法人として「エッソスタンダード石油」としてガソリンスタンドなどで見られます。写真は昭和の古いものでしょうか。年期のあるものです。後に東燃ゼネラル石油に吸収合併され、現在は日本の石油元売り最大手のJXTGエネルギーに吸収合併されています。合併後も「Esso」の看板がそのまま残っていましたが、「モービル」、「ゼネラル」と共に「エネオス」に統合されるそうです。
ゼネラル石油(ぜねらるせきゆ)

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昭和22年に石油製品の輸出入、製品を販売する会社と誕生。当時はゼネラル物産。昭和42年にゼネラル石油に変更。平成12年に東燃と合併し、東燃ゼネラル石油となります。現在はJXTGエネルギーに合併となっています。エッソも同じですが、タンク車で見かけた会社で、懐かしいです。
モービル石油(もーびるせきゆ)

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「モービル」とは米国にある総合エネルギー企業「エクソンモービル」とその関連会社で使用される商標名です。日本では現在、JXTGエネルギーの運営するブランド名として使用されています。しかし、「エッソ」、「モービル」、「ゼネラル」を統合し、「エネオス」に統一する事が決定され、そう遠くない時期に見納めとなってしまいます。
日本石油(にほんせきゆ)

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新潟県にあった尼瀬油田の石油開発を行う有限責任日本石油会社が日本石油の始まりです。平成11年に三菱石油と合併し、日石三菱に。平成14年に新日本石油となります。現在は新日鉱ホールディングスと経営統合し、JXホールディングス(現在はJXTGホールディングス)の1つの会社となります。さらに、新日本石油精製とジャパンエナジーと3社が統合し、石油精製、販売を行うJX日鉱日石エネルギー(現在はJXTGエネルギー)となっています。日本の石油業界の変遷はちょっと難しい。写真は国鉄特製のマシン油の一斗缶。
共同石油(きょうどうせきゆ)

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Tuboフォトオフィス様撮影

1960年代、通産省は石油産業において外資系企業に対抗できる石油企業をつくる事を目的に、昭和40年に日本鉱業、東亜石油、アジア石油3社の石油販売部門を統合し、共同石油を昭和41年に発足しました。「共石」の愛称でも呼ばれました。しかし、1970年代のオイルショックで経営が悪化。共石グループは離脱が相次ぎ、平成4年に日本鉱業と再合併し、日鉱共石が発足。翌年にジャパンエナジーに社名を変更。ブランドネーム「JOMO」が誕生しました。平成22年に親会社の新日鉱ホールディングスと新日本石油の共同持株会社JXホールディングス(現在はJXTGホールディングス)を設立し、ジャパンエナジーのブランド「JOMO」は消滅し、新日石の「ENEOS」に統一されています。
三菱石油(みつびしせきゆ)

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昭和6年から平成11年まであった三菱グループの石油会社です。「ダイヤモンドガソリン」は懐かしい名前です。ポスターを見てピピッ!と来てしまいました。平成11年に日本石油と合併し、日石三菱に名前が変更となりました。
丸善石油(まるぜんせきゆ)

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現在の「コスモ石油」の前身となる会社の一つ。丸善石油は明治40年に丸善礦油部を創業した事から始まり、昭和8年に丸善石油株式会社が設立されました。会社の商標はつばめ印が特徴のほか、写真のポスターがあります。昭和44年に放送した「丸善ガソリン100ダッシュ」のコマーシャルで、レースクィーンに扮した小川ローザさんが言う、「Oh!モーレツ」のセリフはインパクトのあるキャッチフレーズとして有名です。
昭和59年に大協石油株式会社と共に石油精製部門を分社化し、旧コスモ石油(精製コスモ)を設立。昭和61年に3社が合併して、現在の「コスモ石油」が発足しました。

ブリヂストン液化ガス(ぶりぢすとんえきかがす)

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世界でも名が知られるタイヤメーカーであるブリヂストン。社名は創業者の石橋正二郎の「石橋」に因み、ブリッジ(橋)とストーン(石)を合わせたもの。石橋を直訳すると「ストーンブリッジ」になるが、語呂が悪いので逆さまにして「ブリヂストン」になったとの事です。
そのブリヂストングループの会社として昭和35年に誕生したのがブリヂストン液化ガスです。誕生後、昭和41年に三井物産と資本提携をし、昭和56年に(旧)三井液化ガスに社名を変更しました。現在はENEOSグローブという会社になっています。
花王石鹸(かおうせっけん)

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手書きが素晴らしい、花王の広告看板です。琺瑯ではなくトタン板のようなものに書かれていました。