
会社の概要
| 読み方 | じょうしんでんてつ |
| 略称等 | |
| 設 立 | 1895年(明治28年)12月27日 |
| 保有路線数 | 1路線 |
| 保有路線名 | 上信線(じょうしんせん):高崎駅~下仁田駅(33.7km) |
| 車輛形態 | 電車 |
| その他 |
概要
群馬県南部に位置する交通の要衝である高崎駅と甘楽郡下仁田町を結ぶ鉄道会社です。沿線は中山道のバイパス(下仁田道)として交通が盛んな地域で、明治4年官営富岡製糸場開設に伴い、近代交通導入への機運が高まった結果、明治6年に乗合馬車が開業。しかし、経営が思わしくなく程なくして廃業。明治17年に日本鉄道高崎線開通により、再び交通システム改革の動きが始まり、明治28年に「上野(こうずけ)鉄道」が設立し、明治30年に開業。同年に高崎~下仁田間が全通しました。現存する私鉄の中では、南海電気鉄道、伊予鉄道、西武鉄道に次いで4番目に開業。東日本最古の私鉄として知られています。
開業後、下仁田駅より佐久鉄道(現:JR東日本小海線)羽黒下駅まで延伸する計画を立て、大正10年に上野と信州の頭文字を使った「上信電機鉄道」に社名変更。工事の為に準備を進めました。しかし、世界恐慌の荒波に飲まれて工事は頓挫してしまい、実現する事はありませんでした。現在の社名である「上信電鉄」は昭和39年からとなっています。
上信線の電化は大正13年で、工事の際に電気部品の多くをドイツのシーメンス社から輸入した事から、ドイツ製の電気機関車やドイツ製の部品を使用した電車が在籍していました。技術面では集電装置を構成する部品の1つ摺板(すりいた)にカーボン製品を日本で初めて採用しました。
形式記号に特徴があり、制御電動車を示す記号は、単独で走行が可能な車輛は「デハ」、2両以上に走行に必要な機器を分散して搭載するユニット方式の車輛は「モハ」と区別をしています。
現在の車輛
250形
昭和56年に登場した通勤形電車です。当時、設備の近代化工事が終了したのに伴い、速達化を図る事になりましたが、主力車輛の200形の基本となる編成は電動車1両と附随車1両であり、速達化が困難である事から、増結車輛及び旧型車輛の置換用として6000形と同時に2両製作されました。
車体は20m級の両運転台構造。運転台はタブレット閉そく方式の名残で進行方向右側にあります。また、増解結時に連結器を見易くする為、前面窓は僅かに外側に傾斜しているのが特徴です。車内はロングシート。登場時は非冷房車でしたが、平成9年にデハ251が床置き式(バス用)、平成15年にデハ252が分散式冷房装置を搭載しています。
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| デハ251 | デハ252 |
500形
平成17年に登場した通勤形電車です。西武鉄道新101系2両編成を譲り受けたもので、2編成あります。入線にあたり、ワンマン運転対応の機器の設置や塗装変更等の改造工事を受けています。ユニット方式のままで、奇数番号車は下仁田方に位置する主制御器、パンタグラフ等走行に必要な機器を搭載し、偶数番号車は高崎方に位置し、電動発電機や電動空気圧縮機等補助機器を搭載しています。第1編成となるクモハ501+クモハ502編成は平成20年から24年まで「銀河鉄道999号」として運転されていました。
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| クモハ501+502編成 | クモハ503+504編成 |
700形
平成31年にJR東日本より107系100番代(2次車)を購入したもの。2両編成6本の12両を購入しましたが、1本は部品取りとしています。入線にあたり、ワンマン機器の整備、併結運転を行わない事から、前面の渡り板や幌の撤去。スカートの開口部閉鎖を実施。転落防止幌、無線アンテナの設置、密着自動連結器に変更が行われました。第2編成(702)からは信号炎管撤去、第3編成(703)以降はベンチレーター撤去が行われています。クハ751形式(旧クハ106形式)にあるトイレは閉鎖され、機器室となっています。走行装置等は107系時代のままとなっています。
各編成で塗装が異なっており、701編成はアイボリーと緑色の2色(現在は広告車となっています。)、702編成は下仁田ジオパークラッピング車、703編成は群馬サファリパークラッピング車(ホワイトタイガーを模したもの。スカートも黒色)、704編成はJR東日本時代の復刻塗装、705編成はコーラルレッドをベースに濃紺の帯を巻いた旧上信電鉄標準色となっています。
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| 701編成 | 702編成 |
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| 703編成 | 704編成 | 705編成 |
1000形
1970年代に入り、収入減少が問題となり、合理化等を進めていましたが、一方で混雑時間帯の対策が求められていました。そこにオイルショックの影響が加わります。モーダルシフトが進み、利用者が増加に転じた事がきっかけとなり、昭和51年に新潟鐵工所製の本形式が製作されました。1000形の由来は昭和51年に登場した事によります。編成はクモハ1001+モハ1201+クハ1301の3両編成1本となります。
20m級、片運転台、片側3ヶ所の乗降扉とし、3両固定編成である事から、前面形状は増結をしない為非貫通構造とし、大型1枚窓、踏切事故対策のバンパーをアクセントとしたデザインになりました。
この他に当時の地方私鉄新型車輛としては画期的な電気指令式空気ブレーキ、ワンマスコンハンドルが採用され、斬新な塗装も相まって、上信電鉄のフラッグシップになりました。
平成13年に大きな変化が訪れます。3両編成だった1000形ですが、3両編成での運用を終了し、2両編成に生まれ変わりました。モハ1201中間電動車にクハ1301の運転台部分を移植し、クモハ1201に変更。顔を取られたクハ1301は増結用制御車とする為、デハ250形に似た運転台を設置(非貫通構造)し、ブレーキシステムを在来車との併結を可能にする為、自動空気ブレーキに改造しました。
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| クモハ1201 | クハ1301 |
6000形
木造車を鋼製車体を持つ車両への置換え、運転最高速度向上により、急行、準急列車を新設し、所要時間短縮を図ったダイヤ改正を実施する為に昭和56年に登場した通勤形電車で、クモハ6001+クモハ6002の2両編成1本が製作されました。形式の「6000」は昭和56年に由来しています。
実質的に1000形の増備車となり、デザインも似ていますが、灯具類をバンパー内に並べて設置した他、バンパーと一体化した排障器(スカート)が設置される等の変更があります。車内は上信初のセミクロスシートを採用した他、初の冷房車となっています。
平成8年よりワンマン運転を開始し、機器の搭載から運転台直後の座席を撤去。平成17年には特徴であった千鳥配置のクロスシートを撤去し、ロングシートに改造しています。
車体色は平成8年から群馬日野自動車の広告車となっており、初代は赤色と白色をベースに太陽と月が描かれた「昼も夜も働く車=トラック・バス」というコンセプトとした塗装でしたが、平成28年からは赤色と白色は変わらず、日野自動車小型トラックのマスコットキャラクター「コトラちゃん」が描かれたデザインに変更され、この際に黒色であったバンパーはスカートも含めて茶色に変更されています。また、現在はパンタグラフはシングルアーム式に変更されています。
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| 群馬日野自動車広告(初代) | 群馬日野自動車広告(二代目) |
7000形
老朽化に伴い、置換え時期を迎えるを車輛が出始め、検討していましたが、他社で手頃な車輛が見つからず悩んでいましたが、行政支援を受けて31年ぶりとなる自社発注による新製車輛が製作される事になり、この7000形が平成25年に登場しました。
車輛は上信電鉄初のVVVFインバータ制御方式、ボルスタレス台車、シングルアーム式パンタグラフを採用しました。一方で、車体は事故に遭った際の補修の容易さを考え、普通鋼製車体としています。前頭部の形状は湘南顔が採用され、下部には衝撃吸収機能を持つ張り出しがあり、作業時の足場となるようにデザインされています。この他に運転台は右側が慣例でしたが、初めて左側としました。車内はセミクロスシート配置とし、乗務員室後方に車椅子スペースがあります。
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| クモハ7001 |
デキ1形
大正13年に上信線が改軌、電化した際にドイツのシーメンスシュケルト社から3両購入した、小型の凸型電気機関車です。外観ではパンタグラフの交換、ATS保安装置の搭載が行われましたが、当時との変化は殆ど無く、「上州のシーラカンス」という異名が付けられています。
貨物列車の牽引や国鉄からの直通列車(臨時)の牽引を中心に活躍しました。貨物輸送廃止に伴い、平成7年にデキ2が廃車となり、デキ1と3は工事列車を中心に使用されるようになっています。
平成29年にデキ1が故障を起こし、以降はデキ3と共に高崎駅構内で留置された状態となっています。
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| デキ1 |
テム1形
昭和36年に10両が製作された鉄製有蓋車で、国鉄が製作したテム300形と同一構造です。袋詰め生石灰の輸送に用いられ、国鉄直通車として使用される事から、車号の下部に二重下線があるのが特徴です。貨物輸送廃止によりテム1とテム6を除いて廃車となり、廃車となった一部の車輛は下仁田駅等で倉庫代用として余生を送っています。車籍を持つ2両はイベント用となっています。
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| テム8 |
ホキ800形
昭和63年にJR東日本より1両(ホキ1783)を譲り受けたもので、1両が在籍しています。
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| オホキ801 |
過去の車輛
150形
1980年代に投入した100形の老朽化に伴い、置換用として平成4年から平成8年にかけて西武鉄道から購入した電車です。100形も元は西武鉄道の車輛でした。150形は平成31年(令和元年)まで活躍しました。
2両編成3本が登場しましたが、第1編成が401系、第2編成が801系、第3編成が701系と系列が異なっていますが、性能上は同一である事から同一形式としています。
●第1編成
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| クモハ151+クモハ152 |
昭和39年に西武所沢工場で製作されたクモハ414、クハ1453を昭和53年に冷房化、新性能化改造したクモハ408+クモハ407を購入しました。国鉄101系の影響が強い、切妻3連窓が特徴で、運転席上部に行先表示器が設置されています。平成30年まで活躍しました。
●第2編成
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| クモハ153+クモハ154 |
801系を改造した編成で、クハ1801+モハ802+モハ801+クハ1802の4両編成でしたが、中間電動車に制御車の運転台部分を移設する改造を行いました。登場時は他の編成と同じく、コーラルレッド1色でしたが、平成9年に群馬サファリパークの広告車になりました。ホワイトタイガーを模したデザインでしたが、シマウマのように見える事から「シマウマ号」とも呼ばれていました。
●第3編成
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| クモハ155+クモハ156 |
第2編成よりも車齢の古い701系を種車とした編成で、第2編成と同じ改造、ワンマン運転対応工事を実施しています。第2編成とは見掛けは似ていますが、雨樋等細部に違いを見る事が出来ます。
200形
昭和39年に登場した通勤形電車で、当時、国鉄上越線新前橋駅乗り入れ、輸送力増強、車輛近代化の計画を目的に同社初の全鋼製車体、カルダン駆動方式を初めて採用した自社発注の車輛になります。
昭和39年及び昭和44年の2回にわたり、デハ200形5両、クハ300形4両の9両が製作されました。昭和39年製のデハ201~203、クハ301及び302番は1次車、昭和44年製のデハ204及び205番、クハ303及び304番は2次車となります。
1次車は国鉄101系、2次車は西武鉄道101系電車の準じた設計となっており、車体の外観が異なります。共通点として、前面は貫通扉を持つ3枚窓(1次車のクハ300形のみ非貫通構造)としています。車内はロングシートですが、1次車は乗務員室直後に座席は無く、2次車では設置されている。という違いもあります。
搭載機器は1次車、2次車ともに共通で、主要機器はデハ200形に集中搭載しており、片運転台構造ながらも単独で走行が可能でした。
平成元年に運用の弾力化を図る為、デハ204、デハ205の2両が両運転台構造に改造されました。この際に廃車となった東武鉄道3000系の部品を利用しており、前後で顔が異なるユニークな姿になりました。
非冷房車(クハ303を除く。)である事、後継車輛の投入により、廃車が進み令和2年に廃車となり形式消滅となりました。本系列の引退により、営業用車輛の冷房化率100%を達成。これは首都圏における狭軌の電化された普通鉄道では最後となります。
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| デハ205 | |
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| クハ304 |