
諸 元
| 最大長 | 19870mm |
| 最大幅 | 2805mm |
| 最大高 | 4085mm |
| 機 関 | DMF17H形式(180PS) |
| 制御方式 | 自動空気ブレーキ方式 |
| 動力伝達方式 | 液体式 |
| 動力台車 | DT22形式 |
| 附随台車 | TR51形式、TR11形式、TR23形式 |
車内設備など
| 座 席 | クロスシート |
| 乗降扉(片側) | 2扉 |
| 便所の有無 | あり |
| その他 |
概要
キハ08系という呼称は国鉄が定めた制式なものではなく、同一の構想に基づいて改造された気動車の形式を趣味的に総称したものです。
キハ08系は昭和35年に登場した鋼体化客車の改造によって製作された気動車で、昭和38年までに14両が改造されました。
昭和28年、初の本格的液体式気動車キハ45000系(キハ10系)が登場。非電化区間の動力近代化(無煙化)の旗手として、全国各地へ配置されていきました。しかし、需要が供給を上回り、新製が追いつかない状態となりました。
現場の一部では気動車に客車を連結する事例が出てきました。やむを得ない事とはいえ、これは総括制御の利点を損なう等問題のあるものであり、当時の気動車の性能から坂道で立往生を発生させ、蒸気機関車で押し上げて対応する事となり、動力近代化に逆行する行動になり、妨げとなってしまいました。
特に北海道での気動車の増備は遅れており、打開策が求められていました。そこで、気動車の増備で余剰となる客車にディーゼルエンジンを搭載し、気動車に改造する案が持ちあがり、実施される事になりました。
種車はローカル線で使われていた60系客車。この客車はもともと木造で製作され、後に鋼体化をおこなった車輛です。この客車に最新鋭のDMH17形式ディーゼルエンジンを搭載し、総括制御可能な構造としました。
改造は基本的に運転台の設置が中心で、接客設備には殆ど手を加えておらず、外観は種車時代の面影が色濃く残っています。オハ62形式を改造した両運転台構造のキハ40形式、オハフ62形式を改造した片運転台構造のキハ45形式、オハフ61形式に運転台を設置した、片運転台構造のキクハ45形式、オハ62形式をそのまま気動車にしたキサハ45形式の4形式が登場しました。昭和41年に後継の新型気動車に形式名を譲る為、キハ40形式はキハ08形式、キハ45形式はキハ09形式に変更されています。
気動車不足の救世主となるべく大きな期待を背負って登場しましたが、運転台は乗務員用扉も無く、狭く窮屈なもので、評判は悪く、客室も種車時代のままで、シートピッチは狭い等、新製気動車と明らかに見劣りするものでした。
致命的なのは、軽量ではない(機関車牽引による引張力や圧縮強度を確保したつくり)客車にエンジンを搭載した為、車体重量増加となり、加速や登坂能力、制動性能等の影響は避けられませんでした。
単体での運用は行われず、キハ22形式等の軽量で性能に余裕のある気動車に併結されて、非力を補いました。峠越えでは蒸気機関車の助けを借りる事になりました。附随車も製作されましたが、運用面での制約多く、こちらも使い勝手の悪さから、短命に終わりました。
とどめの一撃となったのは改造費で、新製車の費用に対し、割高過ぎの問題があった為、大量増備に至る事は出来ず、昭和46年までに全ての車輛が廃車となりました。
その中で、キハ08 3は京都府にある加悦鉄道へ譲渡され、トイレ等の撤去などの改造を行い、昭和49年から廃止される昭和60年まで活躍しました。その後、加悦SL広場に静態保存。本系列の唯一の現存車であり、貴重な存在です。しかし、同広場が閉園となり、保存先が見つからず、放置されたままとなっています。
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| キハ08 3(3位側) |