
諸 元
| 最大長 | 21300mm |
| 最大幅 | 2903mm |
| 最大高 | 4087mm |
| 機 関 | DML30HSC形式(500PS) |
| 制御方式 | 応荷重装置付き電磁自動空気ブレーキ方式(CLE方式) |
| 動力伝達方式 | 液体式 |
| 動力台車 | DT36B形式、DT40形式 |
| 附随台車 | TR205B形式、TR219形式 |
車内設備など
| 座 席 | リクライニングシート |
| 乗降扉(片側) | 1扉 |
| 便所の有無 | あり |
| その他 |
概要
非電化区間の特急列車用としてキハ80系が登場。電化区間と変わらない快適な特急列車のサービスを全国に拡げていった立役者ですが、その華々しさの裏では、下記のような問題がありました。
・駆動用エンジンが旧式かつ非力。
・サービス用電源を供給する為、発電用エンジンが必要であり、搭載する車輛は駆動用エンジンを1基搭載とする。この車輛は運転台を持つ車輛で、1両で自車を含め4両に供給が可能。7両編成以上(食堂車を連結する場合、2両分の電力が必要な為。)の場合は1エンジン車が供給分必要となる。
この様な制限がある事から、2エンジン車の比率が下がり、編成全体の出力が不足気味となります。更にエンジンの熱効率が低い為、オーバーヒートを起こし易く、連続で5分程しか負荷を与える事が出来ませんでした。この為、連続する勾配区間のある線区、電車が運転される区間でのスピードアップは困難なものとなっていました。
キハ80系が登場する時期には大出力エンジンの開発が行われており、採用が計画されていましたが、キハ80系の開発期間が短った事、大出力エンジンの試作は出来るも、試験結果は失敗に至り、採用できない事からDMH17系が引き続き使用される事になりました。この失敗に屈することなく、大出力エンジンの実用化に向けて開発が行われました。
昭和42年に実用化まであと一歩の大出力エンジンが完成し、キハ90系量産試作車が完成。中央西線の急行「しなの」号で実用化に向けての長期試験が始まりました。一方、昭和43年10月ダイヤ改正(ヨン・サン・トウ)では列車の高速化計画があり、キハ90系の試験結果を待つには時間がありませんでした。
そこで、ある程度の実用性があったキハ91形式の走行機器とキハ80系の車体を組み合わせた形で新型特急形気動車の製作が行われ、昭和43年に本系列が登場しました。
車体の基本設計はキハ80系に準じていますが、エンジン出力の増大、自然放熱式冷却器、冷房装置等により自重は増加した他、台車構造の関係で乗降扉に引戸を設ける事が難しく、2枚折戸となっています。また、側面に行先表示器を採用する変化もあります。前面はキハ82系の貫通形デザインを採用し、前部標識灯、非常点滅灯のライトケースは角張ったものに、後部標識灯と汽笛が一体型のケースにまとめられる変化があります。車内はキハ80系を踏襲したものとしていますが、トイレ、洗面所はデッキの外に配置を変更しています。運転台機器関係ではマスコン、ブレーキハンドルを前後に動かす従来には無い方式する等、人間工学を随所に採用しています。
エンジンは500PSのDML30HSC形式を1基搭載。編成全体に出力の余力が生まれた事から、食堂車のキサシ180形式のみ非搭載としています。エンジンの冷却にはファンを用いる方法などがありますが、騒音や振動対策等が必要であり、製造コストを低減する目的から「自然通風式」を採用。キサシ180形式を除く中間車の屋根上には自然通風式ラジエーターが全長に亘って搭載され、外観の特徴となっています。この自然通風式の採用も、キハ90系の試験中に冷却能力不足があり、解決出来なかったもので、見切り発車で採用した為、オーバーヒート等の故障が変速機の故障とも相まって頻発し、登場時から悩まされる問題となりました。
昭和43年に登場し、昭和47年までに158両が製作され、北海道を除く山岳路線を中心に活躍しました。電化開業により、気動車の電車化等で置き換えられ、JR発足時には山陰地方、四国地方を中心に活躍しました。後継車輛の登場、電化開業による余剰車の発生で廃車が進み、JR四国では平成5年に全車廃車、JR西日本では平成24年に籍を残していた車輛が廃車となり、キハ181系は廃系列となりました。(一部の車輛がミャンマーへ譲渡されています。)
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| キハ181 47(1位側) | キハ181 9(2位側) |
キハ181 1~
本系列の先頭車です。キハ82形式のデザインを踏襲しています。運転台後方の機器室はサービス電源用の発電機が搭載される他、駆動用エンジンの放熱も行う静油圧式ファンを備えており、機器室が延長されています。この為、トイレ、洗面所は設置されていません。1~4番は先行試作車で、台車はDT36B形式、TR205B形式を履いています。5番以降は量産車で、台車はディスクブレーキ式に変更したDT40形式、TR219A形式を履いています。また、発電機用エンジンが過給機付きのDMF15HS-G形式に変更されています。
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| キハ181 104(1位側) |
キハ181 101~105
特急列車の増発に伴う先頭車不足の為、キハ180形式を先頭車改造したグループで、国鉄時代に101~103番、JR四国で104・105番が登場しました。工法は予め配線等の艤装を含めた完成済みの運転台ブロックを製作する「ブロック工法」で行われ、種車の前位側に設置しました。また、屋根上にあった放熱器が撤去されています。トイレ、洗面所は残されましたが、JR四国車はトイレは業務用、洗面所は撤去されています。
機器室は僅かに短くなっており、その後方の小窓が無いのが特徴です。101~103番は行先表示器窓が残され、104、105番は逆にトイレ、洗面所の窓が残されている特徴もあります。サービス用発電機はキハ183系と同じDMF15HSA-G形式を搭載しています。
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| キハ180 1(2位側) | キハ180 10(1位側) |
キハ180 1~
本系列の基幹形式となる中間車です。1~6番は先行試作車で、7番以降が量産車となり、キハ181形式と同じ台車を履いています。量産車はトイレ、洗面所の寸法と設置位置が変更されています。昭和51年に山陰本線の特急「おき」号がキハ80系からキハ181系に置き換えられた際に車掌室を持つキロ180形式が不足。この為、モノクラス編成での運転となり、その際にキハ180形式の座席の一部を撤去し、車掌室に改造する工事が実施されました。改番はされず、種車の番号を継承しています。その後、追加改造が行われており、最終的には6両が改造されています。(写真右)
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| キロ180 11(3位側) |
キロ180 1~
グリーン車となる車輛で、1、2番は先行試作車で、3番以降が量産車となります。キロ80形式とは異なり、荷物保管室を廃止し、その代わりに乗務員室が設置されています。前位側(乗降扉のある側)に洋式、後位側には和式トイレが設置され、トイレの向かいに2ヶ所の洗面台が設置されています。昭和47年に食堂車を連結しない四国地区向けに前位側のトイレ・洗面所スペースを車内販売準備室とした100番代(101~104)が登場。この部分には小窓は無く、行先表示器のみが設置されています。
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| キロハ180 1(1位側) | キロハ180 8(2位側) |
キロハ180 1~8
JR発足後の昭和62年、JR四国ではキハ181系の車内設備をキハ185系に近いものとする為、乗車率が低かったグリーン車を半室グリーン車とする改造を行いました。181系では初めての合造車形式となります。塗装色はアイボリーをベースにコーポレートカラーを帯色にしたものへ変更。車内は中央部に自動扉がある仕切りを設け、普通席側に公衆電話を設けた電話室を設置しました。
8両が改造されており、1~4番はキロ180形式100番代(0番代の洋室トイレ側を車内販売準備室としたもの。)、5及び6番はキロ180形式150番代(キロ180形式0番代を100番代と同じ仕様としたもので、洋室トイレ、洗面所を撤去し、跡地に車内販売準備室を設けたもの。)、7及び8番はキロ180形式200番代(キハ180形式のうち、車掌室を設ける改造を施した車輛(23番、24番)を種車にグリーン車とした改造車。)を種車としています。7及び8番は中間に仕切りを設置した際の関係で窓が一部埋められています。