
諸 元
| 最大長 | 21100mm |
| 最大幅 | 2903mm |
| 最大高 | 3910mm |
| 機 関 | DMH17H形式(180PS) |
| 制御方式 | 電磁自動空気ブレーキ方式 |
| 動力伝達方式 | 液体式 |
| 動力台車 | DT31系 |
| 附随台車 | TR68系 |
車内設備など
| 座 席 | リクライニングシート |
| 乗降扉(片側) | 1扉 |
| 便所の有無 | あり |
| その他 |
概要
明治45年に新橋~下関間に特急列車が初めて運転を開始しましたが、昭和33年までは特急形や急行形という明確な区分は無く、1等展望車とスハ44系客車が特急列車専用に限られていました。この為、急行列車と特急列車で寝台車や特別2等車(現在のグリーン車に相当)、食堂車等は差異が見られない状態でした。
国鉄は戦後、全体の近代化を推進する事にし、昭和33年に昼行特急用に20系電車(後の151系)、寝台特急用に20系客車を登場させました。用途は異なりますが、全車輛に冷房装置が搭載され、空気ばね台車のデラックス車輛で、それ以前の車輛とは比較にならない程の高水準の居住性、走行性を実現し、華々しいデビューとなりました。
その一方で、同年に東北地方初の特急列車となる「はつかり」号が上野~青森駅間で運転を開始。スハ44系客車を中心とした旧態依然の特急列車で、明らかな見劣りするものでした。
昭和35年に「アジア鉄道首脳会議」が実施される事が決まり、国鉄は東北特急の近代化を行い、アジア諸国にPRをする為、新型特急形気動車の開発が実施され、国鉄初の特急形気動車としてキハ80系が昭和35年に登場しました。
車体構造や車内設備は151系電車を全面的に踏襲する事とし、冷暖房完備、客室窓は固定窓としています。防音、防振対策に浮床構造を採用しました。また、空気抵抗低減を図る為に各車の連結面に「外幌」を装備しました。(効果が見られず、早々に撤去)食堂車は従来の石炭レンジに代わり、安全性も高い電気式が採用されています。
主要機器については、落成までの期間が無かった事から、既存車輛で実績のあるDMH17系エンジンを採用。車体構造に浮床式構造を採用した為、床下側面からメンテナンス作業が出来るように設計変更が行われたDMH17H形式を搭載しています。1基あたりが180PSと非力である上、過給機やエンジンブレーキの装備は見送られました。
キハ80系は特急「はつかり」号に投入され、「はつかり」形とも言われます。さぞ、華々しい活躍・・・が出来ませんでした。新型車輛によくある「初期故障」が続発しました。特に走行用エンジンの故障を中心に多く発生し、利用者からの不評もあって、マスコミからも特急「がっかり」等と揶揄される事に。原因は幾つかありますが、製造メーカーの多さがありました。国際舞台へのお披露目もあって、当時の国鉄に旅客車を納入していた9社が参加した事により、性能が安定しなかった事があります。また、短期間の開発という事もあり、新型エンジンの耐久性等の問題点等を見つけられなかった。といった問題がありました。
キハ80系投入前より、様々な場所で旅客需要が増え続け、輸送力改善が急務となっており、昭和36年ダイヤ改正(サン・ロク・トウ)で全国に特急列車を大幅に増発する事になりました。キハ80系の初期故障の問題解決を図る他、地方幹線に適応した車輛の開発を勧めました。昭和36年に改良型となるキハ82形式をはじめとした量産車グループが登場しました。鉄道ファンの中では、昭和35年に登場したキハ81形式等の先行試作車となるグループを「キハ81系」、量産車に当たるキハ82形式をはじめとするグループを「キハ82系」と区分した呼び方があります。
四国地区を除いて全国各地に配置され、特急列車網をつくりあげました。電化や勾配区間のある線区ではキハ181系に置き換えられる等が行われ、そこへ老朽化も加わり廃車が進みました。国鉄からJRへ移行時にはJR北海道へ18両、JR東海へ51両(1両は車籍復活)が継承されました。JR北海道では特急「北斗」号等の臨時列車の他、リゾート特急に改造され活躍し、平成19年に最後の車輛が廃車となっています。一方、JR東海へ継承された車輛は特急「ひだ」、「南紀」号に活躍。ジョイフルトレインとして「リゾートライナー」の改造もありました。後継のキハ85系に置き換えられる形で平成7年に運用が終了しました。その後、3両が保存を目的に車籍を有し、保管をしていました。平成21年に全て車籍が抹消、廃車となり、本系列は廃系列となっています。
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| キハ81 3(1位側) |
キハ81 1~
昭和35年に登場した1次車(先行試作車)の先頭車です。151系のデザインを基に製作され、特急「はつかり」号に登場した事から「はつかり」形とも言われますが、先頭部の他に例のないボンネット形からブルドックともファンから呼ばれていました。このボンネット内にはDMH17H-G形式発電機が収納されています。
写真の3番は京都鉄道博物館に保存されている貴重な1両で準鉄道記念物に指定されています。
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| キハ82 74(1位側) | キハ82 102(2位側) |
キハ82 1~
昭和36年に登場した2次車(量産車)以降の先頭車です。非貫通構造では運用の制約が多く、フレキシブルな運用が出来る用にする為、貫通構造となり外観が一変しました。投入された列車の一つである特急「白鳥」に因み「白鳥形」とも呼ばれる他、キハ82系とも呼ばれています。
床下機器の配置を見直しが行われ、発電機を床下搭載に変更。ボンネットを廃止しました。客室内も端部にあった売店を無くし、客室に変更し、定員増を図っています。貫通構造の先頭部はパノラミックウィンドゥ、前部標識灯と非常点滅灯をまとめたライトケース、正面貫通扉にはヘッドマーク、チャンピオンマークをコンパクトにまとめたデザインは後継車輛にも少なからずの影響を与えています。運転台後方には機器室があり、中央部に通路があり往来が可能となっています。
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| キハ80 145(2位側) | キロ80 52(1位側) |
キハ80 13~
昭和36年に登場した二次車以降のグループ。キハ80系の基幹形式で、駆動用エンジンを2基搭載しています。一次車からの変更点は台車の変更、エンジン周辺の軽微な改良程度で、大きな違いはありません。
キロ80 6~
昭和36年に登場した二次車以降のグループ。グリーン車で車内はリクライニングシートが配されています。シートピッチに合わせた狭窓が外観の特徴です。キハ80
13~と同じ変更を行った他、シートラジオの廃止、前位側屋根部に水タンクの増設が行われています。
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| キシ80 27(2位側) |
キシ80 1~
昭和36年に登場した二次車以降のグループ。1次車では駆動用エンジンを搭載していないキサシ80形式でしたが、編成の力不足を補う必要から、駆動用エンジンを2基搭載し、必要となる電源をキハ82形式又はキハ81形式から供給する方式に変更しました。車内レイアウトも変更されており、外観は異なっています。