諸元
全 長  20000mm
全 幅  2800mm
全 高  4140mm
主電動機 MT60形式(150kw)
制御方式 サイリスタチョッパ制御方式、弱め界磁制御方式
制動方式 回生ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ、直通予備ブレーキ、手ブレーキ
動力台車 DT46形式 不随台車 TR231形式

車内設備など
座 席 ロングシート(普通席)
乗降扉 片側4扉
トイレ なし

 昭和50年代、日本ではオイルショックにより「省エネルギー」が様々な分野で求められるようになります。一方で半導体技術も進捗し、エレクトロニクスを車輛に応用しようと1960年代より研究、開発がすすめられ101系や103系を用いて試験を行ってきました。
 オイルショックにより、省エネルギー化の高まり、大容量の半導体素子の開発、そして101系の老朽化も進んでおり、新しい車輛の機運も高まってきた事から、国鉄では初めてとなる電機子チョッパ制御(サイリスタチョッパ制御)を採用し、電力回生ブレーキも装備した省エネ電車こと201系試作車が昭和54年に登場しました。
 車体は従来の通勤形電車と同じスタイルとしていますが、新系列である事を印象付けるため、前面形状は左右非対称型のデザインとし、前面上部の開口部にはジンカート処理と呼ばれる特殊な防錆処理を施した黒い鋼製パネルがはめ込まれた独特のスタイルとしました。
 この他、主回路などに新機軸が多数盛り込まれ、次世代標準型通勤形電車として大きな期待が寄せられました。昭和56年より量産車が登場しましたが、当時の国鉄の財政状況において電機子チョッパ制御器の高コストが問題になりました。このため、中央快速線、中央・総武緩行線、京阪神緩行線の3線区に投入されたのみに留まりました。

900番代
 昭和54年に登場した本系列の試作車です。クモハ200形式(M’c)、クハ201形式(Tc)、モハ200形式(M’)、モハ201形式(M)の4形式が用意され、東京方からTc+M+M’+M+M’c+Tc+M+M’+M+M’cの10両編成1本が登場しました。
 基本構造は103系を踏襲しつつも、省エネルギー化の図られたサイリスタチョッパ制御方式、乗心地の良い空気ばね台車など多くの新機軸が盛り込まれています。車内はAU75B形集中式冷房装置1基を搭載し、ラインデリア(横流ファン)を使用し、隅々まで冷気がいきわたる構造となっています。これにより扇風機は採用されていません。換気用の通風器はFRP製の角形押し込み式を採用しています。座席では7人掛け座席のモケットを3-1-3と分割し、中央の1人分だけ色を変え、座席定員通りに着席するように心理的な誘導を行うデザインが採用されました。これは後の国鉄形車輛だけに留まらず、他の鉄道事業者にも大きな影響を与えています。この他にスタンションポールが設置されていましたが、こちらは不評であったため、後に撤去されています。
 中央快速線に登場し、各種試験を経て営業運転を始めました。昭和58年に量産車化改造が行われます。中央快速線から中央・総武緩行線を経て、晩年は京葉線で活躍しました。

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クモハ200-901・902(クモハ200-901)

試作車のみに作られた偶数向き制御電動車です。量産車と比べると200mm車体が長い特徴があります。中央・総武緩行線へ転籍後、ATS-P型保安装置を搭載する場所がなく中間車代用の扱いとなり、前面を見る機会は殆どありませんでした。

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クハ201-901・902(クハ201-902)

試作車の奇数向き制御車です。量産車と比べると200mm車体が長く、運転台後方に戸袋窓があるのが特徴です。晩年は中間車代用の扱いになっていました。写真は量産車化改造前の姿。ジャンパ栓が2本あります。

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モハ200-901・902(モハ200-901)

試作車の偶数向き中間電動車です。量産車と比べると戸袋窓が大きい特徴があります。

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モハ201-901~(モハ201-903)

試作車の奇数向きパンタグラフ付き中間電動車です。150kwの大出力主電動機を搭載しており、集電容量が不足する事も考えられたため、2基搭載されています。量産車が登場すると1基は下げたままとなり、量産車化改造時に撤去されています。

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モハ201-901~(モハ201-904)

量産車化改造後の様子です。パンタグラフは1基のみとなっており、量産車との区別は戸袋窓の大きさになります。

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サハ201-901(サハ201-901)

量産車化改造時に編成の見直しが行われ、8M2T編成から量産車と同じ6M4T編成へと変更される事になりました。その際、モハ201-903を電装解除して登場したのが本車輛です。パンタグラフ台跡がそのまま残されています。

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サハ201-902(サハ201-902)

量産車化改造時に登場したもので、モハ200-902を電装解除し、中間不随車としたものです。

0番代(量産車)
 試作車の2年間にわたる試用期間を経て、その結果を反映した量産車(0番代)が昭和56年より登場しました。主に当時の国鉄の財政状況を反映して、コストダウンを図ったため、様々な変更点があります。
〇8M2T編成から6M4T編成へ編成構成の変更。
〇回生率を向上させるなどにより、電気回路の変更。
〇全般的に軽量化を図り、床下構造の大幅な変更。
〇外板をSPHC(熱間圧延軟鋼板)からSPA(高耐候性圧延鋼材)に変更し、構造を見直し軽量化。
〇屋根はビニール布張りから塗り屋根方式に変更。
〇制御車の車体長を中間車と同じ車体長に変更。合わせて戸袋窓の小型化。
〇ラインデリアの台数見直し。(半分の4ヶ所)
〇天井高さの変更。
といった変更が行われました。中央快速線をはじめに量産車が製造されていきますが、国鉄の台所事情はますます悪化していきます。201系の増備が進められますが、昭和58年より一層のコストダウンを図るため設計変更が行われました。このグループを「軽装車」と呼んでいます。この軽装車での変更点は・・・
〇前面のジンカート処理鋼板を電解二次着色アルミニウム板に変更。
〇通風器の材質をFRPから鋼製に変更。
〇客室窓は下段上昇、上段下降式の外羽目ユニット窓で、上段窓にバランサーが付いていましたが、2段上昇式に変更。この変更により、鋼体設計を大幅に変更。
〇車号表記をステンレス製切り抜き文字から、転写式に変更。
など、従来の通勤形電車のようなスタイルになっています。
 JR東日本では中央快速線、中央・総武緩行線、京葉線、青梅線・五日市線などで活躍していましたが、2000年代に入ると老朽化や陳腐化が目立つようになりました。同社ではメンテナンスのかかる鋼製車輛を淘汰していく方針が出されたため、引退をしています。なお、クハ201-1のみ保存を前提に保留車扱いとして残されています。
 一方、201系が所属するJR西日本では現在、大和路線(関西本線)やおおさか東線を中心に活躍していますが、令和5年に運用を終了する予定となっています。

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クハ200-1~(クハ200-13)

量産車で初めて登場した偶数向き制御車です。冷房装置は1~28番までAU75D型、29番以降は外キセをステンレス製に変更し、省エネを図ったAU75G型を搭載しています。

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クハ200-135~(クハ200-151)

軽装車と呼ばれる、後期型の車輛です。

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クハ201-1~(クハ201-7)

奇数向き制御車です。車体長が中間車と揃えられたため、運転台後方に戸袋窓はありません。また、戸袋窓の大きさが乗降扉と揃えられています。29番以降の冷房装置はAU75G型となっています。

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クハ201-1~(クハ201-44)

中央快速線を中心に活躍した車輛は特別快速の運転があり、運転時には前面に大きい種別表示板を掲出していました。201系に車種統一後、掲出をやめていましたが、JR東日本発足後に差し込み式(Tc200-13参照)で復活しました。その後、平成4年より電動式種別表示器が用意され、1号車及び10号車の制御車に装備されていました。(クハ200-87のみ、中間に入る先頭車では唯一電動式種別表示器を装備していました。)

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クハ201-135~(クハ201-144)

軽装車グループの後期車輛です。

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モハ200-1~(モハ200-214)

偶数向き中間電動車で、モハ201形式とユニットを組みます。ブラシレス電動発電機、三相誘導電動機化した電動空気圧縮機といった補助機器を搭載しています。61番以降は冷房装置はAU75G型を搭載しています。

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モハ200-264~(モハ200-291)

軽装車のグループです。ペイント化された形式番号が見分けるポイントです。

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モハ201-1~(モハ201-27)

チョッパ装置など主回路機器を搭載するパンタグラフ付き中間電動車です。床下の白色(銀色)の部分がチョッパ制御装置です。当初は黒色でしたが、機器箱内の温度上昇防止を図るために塗装されています。61番以降はAU75G型を搭載しています。

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モハ201-1~(霜取り用パンタグラフ車)(モハ201-90)

冬季になると山間などでは気温によって架線に霜が付着する事があり、パンタグラフが通過すると激しい火花(アーク)が発生します。パンタグラフの摺り板(集電部)や架線がアークの熱で傷んでしまい、最悪架線が切断という事故が起きてしまいます。中央快速線で使用されるモハ201形式の一部には集電用パンタグラフとは別に霜取り用パンタグラフを装備していました。6両装備され、霜取り用は集電用と同じPS24形式でしたが、写真の90番のみシングルアーム式のPS35C形式を霜取り用としていました。(写真の左側)

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モハ201-264~(モハ201-289)

軽装車のグループになります。201系のパンタグラフは架線からの離線による回生失効を防ぐため追従性の良いPS21形式が搭載されていました。中央快速線用の車輛は高尾以西の狭小トンネルに対応した折り畳み高さの小さいPS24形式へと変更されました。このパンタグラフはひし形のもので、降雪時に雪の重みで自然降下してしまい、運転不能になる問題がありました。そこで、シングルアーム式のPS35C形式を搭載ています。
軽装車はPS21形式又はPS24形式のみでしたが、引退間近にPS35C形式を搭載していました。

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サハ201-1~(サハ201-55)

試作車の編成見直しにより、量産車で登場した中間不随車です。29番以降はAU75G型冷房装置を搭載しています。

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サハ201-92~(サハ201-98)

軽装車グループの中間不随車になります。9両だけの小世帯で、東海道・山陽本線緩行線向けに投入されており、関東地方では見る事のなかったグループともなっています。

ジョイフルトレイン「四季彩」
 平成13年に登場したジョイフルトレインです。乗務員の訓練車扱いであった4両編成1本を青梅線のイメージアップを目的に展望型電車に改造しました。公募により「四季彩(しきさい)」と命名されました。
 種車は立川方よりクハ201-134+モハ201-263+モハ200-263+クハ200-134の4両です。改造は座席配置の変更が主で、奥多摩方に向かって進行左側(川側)の座席を外側に向け、側面窓の一部を固定式に改造しました。反対側の山側となる座席はロングシートのままです。
 登場時は春夏秋冬を各車輌で表現した塗装色でしたが、平成17年より車体のベースを統一し、沿線の春夏秋冬を表すイラストを配するデザインとなりました。
 平日は拝島運転区(平成19年組織改正により廃止)の訓練車として使われ、土曜・休日は青梅~奥多摩間を中心に運転されました。このほか南武線や武蔵野線と青梅線の直通臨時列車、富士急行線への直通臨時列車、長野支社の臨時列車などに活躍しました。平成21年に老朽化のため廃車されています。

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左は四季彩の旧塗装色。八高線でダイヤ乱れがあり、代走した時の様子。右は新塗装色で、富士急行線を走行している時のものです。

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クハ200-134(クハ200-134)

奥多摩方の先頭車(4号車)。写真は旧塗装色で、緑系をベースに桜の花をちりばめた塗装。テーマは「春」です。

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モハ200-263(モハ200-263)

3号車に位置しています。写真は旧塗装色で、爽やかな水色系をベースに向日葵のイラストが描かれています。テーマは「夏」です。

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モハ201-263(モハ201-263)

2号車に位置しています。パンタグラフはシングルアーム式のPS35C型となっています。写真は旧塗装色で、茶系をベースに紅葉のイラストを散りばめています。テーマは「秋」です。

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クハ201-134(クハ201-134)

立川方の1号車です。写真は旧塗装色で、紫色系をベースに雪の結晶などのイラストが配されたデザインとなっています。テーマは「冬」です。

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クハ200-134(クハ200-134)

平成17年リニューアル後の様子で、写真は山側のカット。窓など種車のままとなっています。塗装色は変更され、白色をベースに多摩川の流れを表現した青色の帯が配されています。

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クハ200-134(クハ200-134)

こちらは川側の様子で、固定式の大型展望窓が特徴です。春夏秋冬のイラストは旧塗装色と逆転しており、当車はテーマが「冬」となり、雪の奥多摩湖と柚子のイラストが配されています。

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モハ200-263(モハ200-263)

山側の様子です。テーマは「秋」で、鳩ノ巣渓谷と紅葉をイメージしたイラストが配されています。

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モハ200-263(モハ200-263)

川側の様子です。鳩ノ巣渓谷のイラストは奥多摩方(下り方)に配されています。

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モハ201-263(モハ201-263)

山側の様子です。テーマは「夏」となり、緑眩しい夏の御岳山とレンゲショウマのイラストが配されています。

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モハ201-263(モハ201-263)

川側の様子です。御岳山は立川方(上り方)、レンゲショウマは奥多摩方(下り方)に描かれています。

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クハ201-134(クハ201-134)

山側の様子です。テーマは「春」に変更され、吉野梅郷と梅のイラストが配されています。

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クハ201-134(クハ201-134)

川側の様子です。

JR西日本の201系
 国鉄時代の昭和56年より東海道、山陽本線の各駅停車として活躍してきました。車体色は青22号(スカイブルー)です。配置後、国鉄時代は大きな変化もなく過ごしていました。

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JR西日本へ移行し、平成3年頃より排障器が設置され、外観に変化が出ました。(写真左)写真の排障器は初期のもので、現在はより強固にした排障器になっています。
座席モケットの変更やATS-P型保安装置を搭載するなど、外観での大きな変化はありませんでした。平成17年になると外観に大きな変化が見られるようになります。車体腐食の原因の一つとなるベンチレーターの撤去が始まりました。(写真右)
長らく東海道、山陽本線の各駅停車で活躍してきましたが、平成17年より後継車種となる321系にバトンを引き継ぎ、103系の活躍する大阪環状線へと転属する事になります。スカイブルーの201系は見納めとなりました。
話は少し戻り、平成15年より201系の体質改善工事が行われます。同社の標準型通勤形電車である207系との格差を改善し、延命を目的としたリニューアル工事が実施されました。103系の体質改善工事30Nに倣った工事が実施されました。

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写真左は大阪環状線や桜島線(JRゆめ咲線)で活躍していた1枚。前面形状や張上げ屋根、客室窓の変更など大きな変化を遂げています。大阪環状線では平成18年より323系が投入され、201系は僅かな期間で関西本線(大和路線)、おおさか東線へと活躍の場を移します。この転属でサハ201形式は形式消滅しています。
201系では山手線の色になっていたであろうウグイス色(黄緑6号)に白色の警戒帯を巻いた姿になりました。(写真右)この路線が最後の活躍の場になる予定となっており、201系の終焉の時も近いようです。