0番代(初期車)
昭和46年に登場したグループです。車体は403系の最終増備車に準じたもので非冷房で登場しました。4両編成(クハ411-300+モハ414+モハ415+クハ411-300)3本が登場しました。クハ411形式が300番代の区分から始まっているのは、401系及び403系を411系に、421系及び423系を413系にそれぞれ変更し、制御車をクハ411形式に統一し、クハ401形式をクハ411形式0番代、クハ421形式をクハ411形式100番代に改番する計画があったためです。(実現はしませんでした。)
この初期車グループは制御車の制御回路引通し線を両渡り構造とし、奇数、偶数どちらの向きでも使用できる構造としているほか、モハ415形式に搭載される電動発電機の出力は従来通り20kvAとしつつも、出力を三相交流440Vに変更しています。
全車輛がJR東日本に継承されましたが、現在は廃番代となっています。
0番代(後期車)
別名0’(ゼロダッシュ)と呼ばれるグループで、初期車のマイナーチェンジを行ったものです。同じ近郊形電車の113系や115系に見られる改良が施されたものです。
性能面などでは、モハ415形式に搭載されていた20kvAのMGを廃止し、冷房装置の電源も兼ねた出力160kvAの大型MGをクハ411形式偶数番号車に搭載。冷房装置はこのグループから標準装備となりました。この冷房装置の引通し線の関係で片渡り構造になり、奇数向き、偶数向きと連結する向きが決められました。
公害対策として主変圧器に使用される絶縁油(冷却油)をPCB(ポリ塩化ビフェニル)油からシリコン油に変更しています。防火対策も施され、床材の難燃化、配管のダクト化が行われました。
接客設備では、先程の冷房化の他に隙間風防止対策としてユニットサッシ窓化になったほか、扇風機の廃止、応荷重装置の搭載が行われています。この他、運転台の拡大、ユニット化、踏切事故対策で前面構造強化が施されています。
JR東日本とJR九州に所属していましたが、現在は全車廃車となっており、廃番代となっています。
100番代
昭和53年に登場したグループです。近郊形電車の座席は昭和35年当時の体格を基準にしたもので、日本人の体格が大きくなるにつれて、座席は窮屈なものになってきました。特に4人掛けクロスシートは評判が悪く、改良が行われる事になりました。113系や115系などで行われたシートピッチ改善車が当系列でも行われ、100番代が登場します。座席幅や間隔を従来の急行形車輛並みに拡大しており、同時期に登場した113系2000番代と基本は同じとなっています。
この番代では奇数向きと偶数向きの制御車がそれぞれ製作され、トイレの数を集約するため、奇数向きの制御車にはトイレは設置されていません。また、荷棚や座席卦込み板のステンレス化、床下機器では電磁弁やブレーキ装置のユニット化などメンテナンス面での改良も施されています。
500番代
沿線人口の増加に伴い、常磐線中距離電車の混雑緩和を図るため昭和57年に登場したグループです。近郊形電車では初めてのオールロングシート(トイレ対面部のみクロスシート)の車輛です。100番代のロングシート仕様といった趣で、定員は20%増加しています。車内は当時増備されていた201系に準じたもので、クリーム色の化粧板にロームブラウンの暖色系を使った座席が配されています。窓割りは100番代と同じです。
この番代での変更点は経年劣化対策として屋根材を絶縁布からポリウレタン系樹脂の塗り屋根に変更、外板の裾部にステンレスを使用。通風器をFRP製の箱型のものに変更しています。
搭載されている機器類などは100番代と同一ですが、ロングシート化による定員増、つまり荷重の増加に対応するため、台車の改良、バランスを取るため一部機器の移設などが行われました。
塗装は近郊形交直両用電車の標準色であるローズピンク(赤13号)と先頭車前面にクリーム1号の警戒色を使用してきましたが、513番以降は常磐線色とも言われるクリーム色(クリーム10号)をベースに青20号の帯を巻いた新塗装色になって登場しています。
700番代
常磐線混雑緩和、昭和60年に開催されたつくば科学万博(エキスポ’85)の観客輸送に対応するため、基本4両編成の一部を7両編成にし、15両編成に輸送力増強を図る事になり、昭和59年に登場したグループです。
500番代の車体構造、機器類関係をベースに設計されており、車内はセミクロスシートとなっています。細やかな違いではモハ415-501~に搭載されていた蓄電池はモハ414形式に戻しています。車内は平天井に変更しています。この他、7両編成化によりサハ411-701~が登場しました。
塗装は万博に合わせて変更される事となり、従来のローズピンク(赤13号)とクリーム1号の近郊形電車交直両用電車の標準色(あずき色とも言われる。)からクリーム10号地に青20号の帯を巻いた明るいものに変更する事になりました。
当初は中間電動車、中間不随車のグループでしたが、後に不随車の先頭車化改造によって先頭車が登場しています。平成20年まで活躍。廃番代になったほか、サハ411形式は廃形式となっています。
1500番代
在来の老朽化した車輛を置き換えるために昭和61年に登場したグループです。軽量で省エネルギー化が図れる軽量ステンレス車体を採用しているのが最大の特徴です。台車もボルスタレス台車であるDT50C形式動力台車、TR235C形式不随台車に変更しています。番代区分が1500番代になったのには理由があり、車内はオールロングシートを採用(トイレ対面部、1700番代、クハ415-1901は除く。)した事。つまり、500番代のモデルチェンジに当たる事から1500番代となったそうです。
機器類は500番代に準じたものですが、電動発電機(MG)はブラシレス化し、出力を190kvAに向上させたほか、電動空気圧縮機の電動機を三相誘導電動機に変更し、三相交流による駆動方式に変更しました。また、容量もアップしており、1000リットルから2000リットルに変更しています。
国鉄時代はTc+M+M’+Tc’の4両編成でしたが、JR東日本になってから試作車やそれらに関係する車輛が登場しています。
クハ415-1901(クハ415-1901)
混雑緩和と着席サービス向上を目的に平成3年に登場した2階建て試作車です。奇数向きの制御車で、2階部分は2+3列、1階部分は2+2列の固定式クロスシート、平屋部分はセミクロスシートとなっています。乗降時間がかかってしまうのが難点で、混雑時間帯を避けた運用が組まれていました。結果、増備は行われず平成18年に廃車となっています。この時に得られたデーターは215系の設計に活かされました。
800番代
北陸金沢の近くにある七尾線。平成3年に大阪、名古屋方面からの特急列車の直通運転によるスピードアップ、普通列車の電車化を行うべく電化開業される事になりました。七尾線は地方交通路線である事から、駅の跨線橋など車輛の屋根と橋の間隔が狭く、交流電化を行うと大規模な改良工事が必要(※)である事から、工事費用が安価、建築限界が小さくて済む直流電化が選ばれました。しかし、北陸本線金沢~津幡間は交流電化であり、直通運転を行うために普通列車用には交直両用電車が必要となりました。
※架線に流れる電気はある程度近づくと、触れなくとも電気が流れる性質があります。難しい言葉では空気絶縁の破壊が起こるというもので、直流1500Vでは1.2m、交流20000V・25000Vでは2.0m以内で空気絶縁が破壊され、電気が流れます。(感電事故)つまり、この範囲には何もあってはならないのです。交流電化を行う際は2.0m以内に何もないようにしなければならず、七尾線の場合では橋をかさ上げしたり、線路を低くするなど大規模な改良工事が必要なのです。
当時、特急「北近畿」号などでは485系が活躍していましたが、全区間で直流電化。交流機器は不要。この交流機器を113系に搭載し、交直両用電車を製作するという前代未聞の改造を行う事が行われ、この415系800番代が登場しました。直流車輛の交直両用化の事例は多数ありますが、不随車化(電動車であれば電装解除を行う。)で、電動車の交直両用化は前例もなく、本番代が初の事例であり、現在の所、他に例はありません。
種車となったのは113系800番代及び0番代で、3両編成となり415系で初めてのクモハ415形式が登場しました。改造は大掛かりなもので、各車の共通ではグローブ型通風器は押込み型に変更するなど耐寒・耐雪工事が実施されました。モハ414形式では台枠強化や屋根上パンタグラフ部分の低屋根化改造、交流機器の搭載などが行われています。
車内は急行「能登路」(現在は廃止。)にも使用する事から、シートピッチを拡大し、クロスシートをバケットタイプに変更、一部のロングシートを撤去しています。平成12年からは半自動機能が手動からボタン操作式に変更されています。
クモハ415-801~(クモハ415ー805)
七尾方に位置する制御電動車です。クモハ113形式800番代を種車に改造したもので、415系で初めてのクモハ形式になります。もともとモハ113形式の先頭車化改造車であるため、クハ415形式とは乗務員室や窓割りが異なっています。写真は平成22年からの塗装で輪島塗をイメージした赤色になった現在の姿です。
モハ414-801~(モハ414-802)
本番代のパンタグラフ付き中間電動車です。113系のモハ112形式0番代及び800番代を改造したもので、最も大掛かりな改造を行いました。種車に交流機器を集中して搭載するため、種車の電動空気圧縮機、電動発電機など直流機器を撤去し、重量増に耐えられるように台枠の強化、パンタグラフ部分の低屋根化改造を行い、主変圧器、主整流器など交流機器を搭載しています。写真の802番は最も古い車輛で、種車はモハ112-12で製造は昭和39年です。また、塗装は先頭車と異なり、車体上部を能登(向田(こうだ))の火祭りをイメージしたロイヤルピンクとし、他は先頭車と同じとしています。