0番代
本系列の基本となるグループです。111系、113系を基本とした片側3扉、セミクロスシート仕様ですが、乗降扉は半自動機能付き、通風器は降雪地域の走行を考え押し込み式となっています。主電動機冷却風取入れ口も車内に設けており、寒冷地での使用を考えた設計となっています。
当初はクハ115+モハ114+モハ115+クハ115の4両編成を基本としていましたが、後にクモハ115形式が登場し、最小編成が3両編成に。昭和58年より始まった列車編成を短縮化し、列車本数を増やすフリークエントサービスにより、中間車の先頭車化改造で最小編成は2両になっています。
クハ115-551~(クハ115-551)
昭和58年に登場した番代で、越後線、弥彦線電化開業用及び広島地区の列車増発用としてモハ114形式0番代及びモハ115形式0番代を電装解除し、先頭車化改造したものです。552番のみモハ114形式からの改造車です。奇数向き制御車で、トイレの設備はありません。
クモハ115-501~(クモハ115-503)
昭和58年に登場した番代で、越後線、弥彦線の電化開業に伴い登場しました。モハ115-1~を種車に先頭車化改造しました。当時の国鉄財政は火の車であり、低コストが強く求められました。そこで、種車の指定された部分を切断し、1000番代に相当する運転台ブロックを製作し、接合する方法を行いました。
右のクモハ114-501~とユニットを形成する車輛と単独で種車時代のモハ114-1~とユニットを組む、2つのグループがあり20両が改造されています。
モハ115-1~135(モハ115-30)
本番代の中間電動車です。主制御器、主抵抗器を搭載しています。この主制御器も製造年度により、より良いものへと変化しています。83番以降は主制御器内部の配線を改良したCS15B形、94番以降は継電器を無接点化したCS15C形、107番以降は応荷重装置準備工事、耐雪構造を強化したCS15E形、127番以降は限流、減圧継電器などを無接点化したCS15F形が採用されています。モハ115-94~107は横軽対策施行車となっています。
モハ114-801~831(モハ114-827)
昭和41年にクモハ115-1~と共に登場したグループです。中央本線高尾以西のトンネル区間は狭小トンネルであるため、モハ114-1~ではパンタグラフの折畳み高さが高く入線が出来ません。そこで、パンタグラフ部分の屋根を下げた低屋根車で対応する事となり、この800番代がつくられました。因みに800番代=低屋根車ですが、何故「8」にしたのか。諸説あり、8=ヤマ(山)という意味を表したのではないか。と言われています。
この低屋根部分の天井には扇風機の代わりに換気扇(ファンデリア)が設置され、外観では肩部に外気を取り込む風道が設置されています。写真は豊田車両センターで訓練車として活躍した最後の1両で、平成26年に廃車となり、番代消滅しています。モハ114-818~831までは横軽対策施行車となっています。
300番代
昭和48年に登場した番代で、0番代のモデルチェンジ車になります。最も大きな特徴は近郊形・通勤形電車にも冷房装置が標準装備される事となり、本番代で新製時よりAU75C形集中式冷房装置が搭載されました。この冷房装置の給電を賄うため、モハ114形式に搭載されるMGは160KvAの大容量となり、自車を含めて最大4両に給電が出来ます。冷房電源用三相引通し線が新たに発生したため、片渡り構造となっており、奇数番号は奇数向き、偶数番号は偶数向きと向きが固定されています。
客室窓はユニットサッシ窓化、電動式行先表示器が準備工事されるなど、製造工数削減やメンテナンス面での省力化などが図られています。また、中央本線高尾以西の狭小トンネル対策として、新規に折畳み高さの低いPS23形パンタグラフが開発されました。これによりモハ114形式に対し、低屋根構造が不要となっており、800番代は存在していません。この他、車体構造では全車輛が横軽対策施行車となっています。
安全面でも大幅に改善されています。登場する前年の昭和47年に発生した北陸トンネル火災事故の教訓を活かすため、長大トンネル走行時の火災対策が強化され、A-A基準に対応する構造(座席、床面材などを難燃化、配線のダクト化、断路器の屋根上設置など)としています。
乗務員の作業環境では、運転台機器配置を人間工学に基づいて設計し、乗務員室を拡大しています。また、客室との仕切りも0番代ではフリースペースとするため折畳み式であったものを固定化しています。踏切事故対策も考えられ、前面強化構造としました。前部標識灯は白熱灯から、シールドビームに統一されています。
クハ115-301~(クハ115-443)
本番代の制御車です。0番代のマイナーチェンジで、冷房装置の搭載、乗務員室の拡大など大きな変化が見られますが、客室の座席配置や窓割り、トイレ窓などは0番代とほぼ同じです。冷房用三相引通し線の関係から、奇数番号は奇数向き、偶数番号は偶数向きに固定されています。444~496番までは偶数番号の車輛のみで、奇数番号は欠番となっています。
1000番代
昭和52年に登場した番代で、上越線や信越本線などの寒冷地、積雪地域での運用を行うために300番代よりも更に耐寒・耐雪構造を強化したグループです。この番代では合わせて、居住性改善(シートピッチ改善)を図っています。
耐寒・耐雪構造の強化では、主電動機への浸雪防止のため車体側面にあった主電動機冷却風取入れ口を廃止し、新たに1、4位側車端部に雪切室を設置しています。この部分には大きなルーバーがあり外観の特徴にもなっています。台車軸ばねの積雪防止、ブレーキ装置のユニット化、夜間滞泊時の水管破損を防ぐため、自動排水装置を装備。など多数の耐寒・耐雪構造強化が行われています。
車内では、4人掛けクロスシートの狭さが評判悪く、本番代では改善すべく従来の急行形電車並みのシートピッチ拡大を図っています。これにより、従来車とは窓割りが大きく異なっています。また、乗降扉の半自動時における開閉の負担を軽減するするため、戸閉装置も改良が行われました。
当時、普通列車の冷房化が推進されていましたが、使用される長野、新潟地区は夏季でも酷暑とはなりにくい気候である事(当時)、財政難でお財布の紐を固くしなければならない点から、冷房装置を搭載せず、将来冷房装置を搭載する際は工事の簡略化、工期の短縮化を図れる構造とした冷房準備車で登場しています。暖房装置も容量が大きくなっており、冷房準備車でしたが160KvAMGを搭載しています。
クモハ115-1001~(クモハ115-1018)
本番代の制御電動車です。シートピッチ改善、雪切室設置により窓割りは大きく変化しています。写真は冷房準備車時代の様子で、運転台上部には箱型の通風器が搭載されていました。冷房化の際に押し込み式の通風器に交換されています。(クハ115-1001~も同じ。)
2000番代
1000番代と同じ昭和52年に、広島・下関地区で活躍するモハ80系など旧性能電車を新性能電車化する目的で登場した番代です。投入される線区が温暖な地域である事から、耐寒・耐雪構造を300番代と同程度としています。このため、電動車に設置される雪切室は省略され、主電動機冷却風取入れ口は車外妻部から取り込む方法になっています。念のため、切替装置を動作させる事で車内から吸気も可能としています。
車内は1000番代と同じく、300番代のシートピッチ拡大を図ったものとしており、雪切室がない事から車端部はクロスシートとなっています。運転台では更なる踏切事故対策が施されています。
昭和56年に身延線の旧性能電車を置き換えるために増備されました。3両編成での運用もあるため、クモハ115形式が登場します。また、身延線内の狭小トンネルに対応したモハ114形式もつくられました。1000番代と同じく、冷房準備車として登場しています。
この身延線仕様の2000番代の大きな特徴は塗装色で、従来の湘南色や横須賀色ではなく、甲州ぶどうをイメージしたワインレッド(赤2号)をベースに富士山の雪をイメージした白色(クリーム10号)の帯を巻きました。地方色の先駆けとも言える大胆な変更ですが、さらに帯色は塩化ビニールテープを貼り付けたもの。国鉄では初めての試みで、後に塗装簡略化の手法として様々な車輛に採用される事となりました。
※ワインレッドと白色の地域色であった頃の様子。後に湘南色になって消滅。復刻塗装の際、ワインレッドを「ぶどう色」とした所、真っ茶色に白帯の姿に。国鉄塗装色のぶどう色とはこげ茶色の事で、受けた側も「こんな色あったかなぁ。きっと旧型車の色なんだろう。」と思いつつ塗ったのでしょう。その後、直ぐに写真のように正しい姿になったそうです。
クハ115形式2500番代(クハ115-2515)
平成24年に広島地区に登場した番代で、113系のクハ111形式2000番代を主幹制御器の交換等を行い、115系に編入したものです。車輛番号は原番号に500番を加えたものですが、クハ111形式時代に高速化改造を受け、さらに電気連結器を装備した車輛は原番号までさかのぼり、500番を加えています。写真の2515番を例にすると。クハ115-2515の一つ前、113系時代最後の車番はクハ111-7606になります。そして一つ前、電気連結器を装備以前の車番はクハ111-7015、高速化改造で5000を加えていますから、差し引くと2015となります。ここまで戻り、115系化で500番を加えると2515番となります。
3000番代・3500番代
昭和57年、下関地区で使用される153系の置換えを行うと同時に、列車編成を短縮化し運転本数を増発してサービス向上を図る「ひろしまCity電車」の導入を行うため、本番代が製作されました。導入にあたり、競合するたの交通機関との対抗もあり、更なるサービス向上が要求されたことから、3扉セミクロスシート仕様という従来の仕様から2扉クロスシート仕様という、117系に近い車体となり、同系列の中でも異色の存在となっています。
車体構造は117系、主要機器類は2000番代をベースとしており、乗降扉は片側2扉、客室窓は2連タイプ、車内は転換式クロスシートが配置されていますが、乗降扉付近、車端部はロングシートとしています。
編成は4両編成を基本とし、3000番代のみで組成されたものと111系や115系のユニットを組み込み組成た2種類の編成があり、後者は非冷房で登場しました。塗装はクリーム色に青色の帯をまいた「瀬戸内色」とし、広島地区の地域色になりました。
平成3年に東海道本線(JR京都線)、山陽本線(JR神戸線)で活躍する117系の新快速運用が減る事になり、一部編成は4両編成に短編成化の上、他の路線に転属しました。この際に余剰となったユニットを非冷房車の残る山陽本線系統に置換えるため、115系化する工事実施され3500番代が平成4年に登場しました。
※ひろしまCity電車のヘッドマークを掲げて活躍していた頃の115系3000番代
シールドビーム改造車
0番代の前部標識灯は運転台下部に左右一つずつ、白熱灯が設置されていました。しかし、照度が低い問題がありました。300番代では夜間での視認性向上を目的にシールドビーム灯が採用され、以降登場する先頭車はシールドビームを基本としました。
照度が劣ってしまう白熱灯から、シールドビーム灯への交換が始まりました。灯具の口径が異なるため、前面強化工事の際に、ライトケースごと撤去し、300番代以降の車輛と同様に整形するのが一般的な手法です。しかし、改造費がかかるためコストかっと出来ないものかと試作的な要素を含めて改造が行われた車輛もあります。
クハ115-207他(クハ115-207)
JR東日本で見られたもので、白熱灯ケースはそのままに、リング状の枠をシールドビームに設置する方法です。通常は枠を車体色に塗装しますが、豊田車両センターに所属するクハ115-108、207は灰色となって異端車として知られていました。なお、この2両は訓練車編成の制御車として活躍しました。
JR西日本の改造車
国鉄より大量に引き継いだ115系。地方直流電化区間では主力の存在ですが、輸送実態に合わせて色々な改造車が生まれています。
高速化対応改造車
東海道本線(JR京都線)、山陽本線(JR神戸線)などの輸送力増強に伴い、不足する113系を補うために115系を転属させ、その際に高速化対応の改造が行われました。113系と同じく、原番号に5000番を加える事を基本としています。
その後、113系が撤退し余剰となるため、再び地方へ転出。多くの路線が運転最高速度が100km/h以下であるため、原番号に復帰した車輛も多くあります。
300番代を種車とするグループ
1000番代と種車とするグループ
舞鶴線用6000番代・6500番代
平成11年舞鶴線綾部~東舞鶴駅間電化開業に伴い用意されたグループです。クモハ115形式+モハ114形式のユニットが種車で、モハ114形式は先頭車化改造が行われました。
このモハ114形式の先頭車化改造では、新しい運転台は窓配置や灯具類の配置を既存車と同じとしつつ、車体の構体を活かした改造が行われ、切妻形のスタイルとなりました。また、廃車発生品をリサイクルする事で工事費の低減も図られています。一方、クモハ115形式にはトイレの設備が追加されています。
共通する改造としては、ワンマン運転に必要な機器の搭載、体質改善40N工事(座席はセミクロスシートのまま。)、電気指令式半自動装置の装備、自動解結装置の装備などがあります。
平成20年に後継の223系が投入され、下関地区に改番を行い転属し、活躍しています。
クモハ115形式6500番代(クモハ115-6538)
種車はクモハ115-1501~及び高速化対応改造を受けた6500番代で、前者は5000番を加えています。車端部に車椅子スペース及びトイレの設備が追加されています。
下関地区用1000番代・1500番代
上述の舞鶴線用6000番代、6500番代ですが、後継の223系5500番代が投入され余剰車となりました。そこで、下関地区へ転属させる事となり、この際に高速化対応改造の装備を解除する事になり、原番号から5000番を差し引かれた事によって派生した番代で、平成20年に登場しました。
高速化対応改造装備の解除の他、自動解結装置の撤去、ワンマン運転に必要な機器の使用停止が行われています。
伯備線・山陰本線用1000番代・1500番代
平成13年に伯備線及び山陰本線直通の新見~西出雲駅を結ぶ列車をワンマン運転にするために登場したグループです。クモハ115形式+モハ114形式のユニットを改造し、2両編成としています。
種車のモハ114形式1000番代は先頭車化改造が行われています。通常は貫通扉を付けますが、併結運転時に貫通路を使用しない事から非貫通の103系高運転台車のような運転台ユニットが接合されています。運転台機器は廃車発生品をリサイクルし、低コスト化を実現しています。主電動機冷却風取入れ口の雪切室が廃止され、運転台下から吸気する方法に変更しています。クモハ115形式には車椅子スペース、トイレが追加設置されています。
両形式共通の改造内容では、ワンマン運転に必要な機器の搭載、電気指令式半自動機能化、体質改善40N工事が実施されています。
岡山地区用1600番代
平成16年に登場したグループです。当時、岡山地区の輸送力見直しのため4両編成を3両編成とする事になり、4両編成のモハ115形式に運転台を設置する事になりました。種車の原番号に600番を加えています。なお、一部の車輛は高速化対応改造を受けており、これを解除し原番号に戻した上で、原番号に600番を加えています。
同地区にはクモハ114形式1000番代という非貫通形の車輛がありますが、当番代では再び貫通扉が設置されています。運転台は種車の構体に合わせたユニット状のものですが、運転台の位置がやや低めになっている特徴があります。雪切室は廃止され、代わりに運転台下部に空気取り込み口が設置されています。また、体質改善30N工事が実施されました。
体質改善車
115系も113系と同じく、経年による老朽化、陳腐化が目立ち始めた事から国鉄時代では「特別保全工事」が実施されており、主に外板の補修や空気配管、主回路配線の取り替えが行われていました。
しかし、後継の新型車輛が登場すると見劣りは否めず、新型車輛に合わせた接客設備の改善、部品共通化によるコストダウン、効率化を目的に平成10年より行われました。体質改善40N工事、体質改善30N工事と113系と同内容の改善工事が実施されています。詳しくは113系をご覧下さい。
115系ではこの体質改善車で、113系には見られなかった閑散地区用車体体質改善工事というものが実施されています。この工事は30N工事に近いのですが、内装ではなく外装の更新を施工するという内容で、内装は化粧板の交換、標記類の変更、車椅子スペースの設置のみが行われました。そして、この工事では異端車が登場していました。