ホサ1形式(ホサ1)

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 このホサ1形式は国鉄に在籍していたホキ600形式ホッパ車を基本として製作されたもので、ホッパ車の第1号形式の一つであるホキ600形式無き現在、その面影を強く残す大変貴重な貨車です。まず、ホキ600形式の生い立ちを説明しましょう。
 昭和5年浅野セメント(後に日本セメント、現在の太平洋セメント)所有の石灰石輸送用25t積み鉱石車として登場しました。登場時の形式はヲキ1形式(ヲキ1~16)。ヲキ1~8は武蔵野鉄道(現在の西武鉄道)(昭和17年より南武鉄道(現在のJR東日本南武線)に移籍)、ヲキ9~16は青梅電気鉄道(現在のJR東日本青梅線)にそれぞれ車籍を置いていました。南武鉄道と青梅電気鉄道は戦時買収(国の命令で、強制的に私鉄を国鉄に編入すること。)で、昭和19年より国有化(国鉄路線になる。)。ヲキ6~16は石炭車の指定を受け、形式をセキ4000形式に変更しました。その後、昭和32年にホッパ車に変更となり、ホキ4000形式になりました。これで落ち着くかと思われましたが、昭和38年に形式の大規模な変更を受けて、ホキ600形式(3000番以降は私有貨車のため。)となり、4つの形式名をもつ貨車となりました。昭和44年に形式消滅しています。
 このヲキ1形式が登場した昭和5年にもう一つのホッパ車が登場しました。それがこのホサ1形式です。ヲキ1形式のホッパ部を短縮し、一端に車掌室を設けたもので、登場時はヲサフ1形式(1~4)石灰石輸送用23t積み鉱石車でした。所有者はヲキ1形式と同じく浅野セメントです。ヲキ1形式と同じく1と2は武蔵野鉄道を経て南武鉄道、3と4は青梅電気鉄道へ籍を置きました。昭和19年の国有化によりセサフ1形式に、昭和32年にホサフ1形式となりました。昭和38年の改定では形式番号が1であったため、そのまま活躍し昭和41年に廃車となりました。この廃車となった1と2がそのまま福井県の福井鉄道に払い下げられ、福井鉄道では車掌室を撤去し、形式をホサ1形式としてバラスト輸送及び散布用として活躍。平成13年に廃車となりました。そのうちの1両が三重県にある貨車博物館に寄贈され、保存されています。

国鉄ホキ700形式(ホキ746)

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昭和32年に登場した30t積みバラスト専用ホッパ車で、国鉄長野工場で内製されました。軌道の外側にバラスト(道床の敷石)を散布できます。ホッパ下にある流し板から散布をします。12mを超えるホッパ車である事を示す記号「オ」が形式の前に添えられます。

国鉄ホキ800形式(オホキ1346・オホキ1877)

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昭和33年に登場した30t積みバラスト専用ホッパ車です。ホキ700形式ではバラストは軌道の外側のみの散布でしたが、軌道の内側また外側の遠方へ散布を可能とした構造に改良した形式です。走行をしながらの散布も可能で、台車の流し板寄りには排障器が設置されています。12mを超えるホッパ車である事を示す記号「オ」が形式の前に添えられます。旅客会社に所属する車輛のほか、譲渡などにより私鉄でも類似スタイルの車輛を見る事が出来ます。

JR貨物ホキ1000形式(ホキ1000-1)

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平成2年に登場した35t積みフライアッシュ及び炭酸カルシウム専用ホッパ車(私有貨車)です。セメント工場と火力発電所を起終点として、セメント工場からは炭酸カルシウムを、火力発電所からはフライアッシュを輸送します。このように往路と復路の積荷が異なる貨物を輸送する貨車は珍しく、このホキ1000形式が初めて実用化した由緒ある形式です。12mを超えるホッパ車である事を示す記号「オ」が形式の前に添えられます。
写真は登場して間もないころの姿で、セメントタンク車の隙間から白い車体が見えたので、社員の方に聞いた所、「撮っていきな。」と計らいを受け、撮影しました。自動車が邪魔でしたが、良き思い出です。
フライアッシュ…Fly ash 石炭を燃焼させた後に残る灰。コンクリートとの相性が良く、耐久性などが向上する。また、吸水性が高く、汚泥処理などの埋め戻し材、埋めて立て工事などの土質改善剤、特撮映画などで爆破シーンの埃などにも使われています。
炭酸カルシウム・・・calcium carbonate(CaCO3) 石灰石を細かく粉砕したもので白色の粉末。石炭を燃焼する際の公害防止剤として使用されています。

JR貨物ホキ1000形式(ホキ1000-901・ホキ1000-10)

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現在の様子。ホキ1000-1として登場した試作車は、量産車が登場すると900番代に変更されました。量産車と比べると違いがあります。

JR貨物ホキ2000形式(ホキ2000-27)

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平成23年に登場した35t積み石灰石輸送用ホッパ車(私有貨車)です。所有者の所有するホキ9500形式が登場から40年以上活躍し、老朽化が目立ってきたことから置換えを行うため登場しました。外観はホキ9500形式と同一ですが、台車はTR213E形式で、運転最高速度は95km/hとなっています。(現在はホキ9500形式と混用されており、75km/hで運用しています。)

国鉄ホキ2200形式(オホキ12435・オホキ12753)

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昭和41年に登場した30t積み粉粒体(穀物などの農産物)専用ホッパ車です。穀物や飼料などを袋詰めし、有蓋車で輸送する方法は荷役に多くの労力と時間を必要とするため、これを解消する目的で開発された形式です。昭和38年に大手ビールメーカーが自社の原料を輸送するためホキ6600形式麦芽専用ホッパ車を製作。このホキ6600形式を基に設計されました。品質を保つため側面には遮熱板が設置され、車体色は当初銀色でしたが、クリーム4号を採用しています。台車は高圧ガスタンク車向けに開発されたTR207形式。のちに軸箱装置を密封ころ軸受に変更したTR211形式になっています。1160両製作されました。最盛期には車輛不足に陥ることもありましたが、トラック輸送への転換が進み、平成12年に形式消滅しています。

国鉄ホキ2500形式(ホキ2514・ホキ2683)

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昭和42年に登場した35t積み石灰石専用ホッパ車です。車体色は台車にコロ軸を用いている事を示す(転がりが良い車輛)赤3号です。積み荷の石灰石を側面下部にある側扉から降ろす方法となっています。この扉を開く方法は手動と自動があり、自動の場合、地上より圧縮空気を送り各車の側扉を開閉します。写真左は初期車で叩き板という丸い板が付いているのが特徴です。この叩き板とは通称「ガンガン叩き」といって、凍結などによってくっついてしまった積荷をハンマーなどで衝撃を加えるもので、北海道の石炭車では側板が凸凹になっていました。貨車の傷みがひどいので、叩く所を指定するために付けられました。台車は走行性能を安定させるため、TR213形式を履いています。関東地方で石灰石輸送に活躍していましたが、石灰石輸送終了に伴い平成11年に形式消滅しています。

ホキ3000形式(ホキ3007)

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昭和33年に登場した35t積みアルミナ専用ホッパ車(私有貨車)です。ホッパ車では初めてであり、唯一のアルミナ専用車の形式です。登場時はホキ4050形式でしたが、昭和38年のホッパ車改番によりホキ3000形式となっています。荷役方式はエアスライド式となっています。平成12年に廃形式となっています。

ホキ3100形式(ホキ3104)

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昭和36年に登場した35t積みセメント専用ホッパ車(私有貨車)です。ホキ3500形式を大きくした形式となり、登場時はホキ4100形式でした。昭和38年のホッパ車改番により、ホキ3100形式となりました。153両が製造され、その中には秩父鉄道のホッパ車を編入した車輛も存在していました。平成8年に形式消滅しています。

ホキ3500形式(ホキ3567)

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昭和27年に登場した30t積みセメント専用ホッパ車(私有貨車)です。貨車の歴史で初めてとなる有蓋ホッパ車第1号の形式となります。ホッパ車第1号としてホサ1形式を紹介しましたが、こちらは無蓋ホッパ車であり石炭車としました。しかし、このホキ3500形式は写真の通り、石炭車にするには無理があります。そこで、タンク車とする事としタキ2200形式として登場しました。登場した翌年の昭和28年にホッパ車が制定され、タキ2200形式からホキ1形式となりました。そして昭和38年以降はホキ3500形式となっています。ホッパ車の黎明期をになった由緒ある形式ですが、保存される事も無く平成8年に形式消滅しています。

ホキ5700形式(ホキ5756・ホキ5774・ホキ25744)

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昭和40年に登場した40t積みセメント専用ホッパ車(私有貨車)です。登場した当時、車輛製造メーカーで様々な40t積みセメント専用車が登場しました。ホキ5700形式は東洋工機及び日本車輛製造で製作されたもので648両が製作されました。
東洋工機製(写真左)はホキ3000形式などに見られる箱型タイプのスタイルで、各所の軽量化を図る事で40t積みを可能としています。日本車輛製(写真中央及び右)は独自の設計で、台枠中梁とホッパを一体化したもので五角形の特徴ある車体となっています。荷役方式はエアスライド式です。また、所有者によりホッパ上部の積込み口の数などに違いがあるのも特徴。作る時にはぜひチェックをしよう。

ホキ5700形式(ホキ45755・ホキ65703・ホキ65739)

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ホキ5700形式の履く台車は貨車ではおなじみのTR41C形式(写真左)で、多くの車輛が履いています。ホキ65700~ホキ65735はTR41Cの改良型であるTR41G形式、ホキ65736~ホキ65739の4両はTR41G形式からTR41E-13形式に改造しています。

ホキ8300形式(ホキ8307)

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昭和49年に登場した35t積みトウモロコシ及びコウリャン(高粱)専用ホッパ車(私有貨車)です。当時、国鉄が設計したホキ2200形式を私有貨車としたものです。ホキ2200形式による穀物輸送の需要があり、車輛不足を補うために設計されました。登場時の塗装は黒色でしたが、後にクリーム4号に変更しました。輸送する穀物は畜産用であるため遮熱板は省略されています。平成8年に廃形式となっています。

ホキ9300形式(ホキ9300)

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昭和49年に登場した35t積みコークス粉専用ホッパ車(私有貨車)です。コークス粉専用車としては日本で唯一の形式でした。車体は同年に登場したホキ8300形式と同一で、塗装は黒色です。台車は走行性能安定を図ったTR225形式です。平成8年に廃形式となっています。

ホキ9500形式(ホキ9553・ホキ9713・ホキ9722)

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昭和45年に登場した35t積み砕石専用ホッパ車(私有貨車)です。新東京国際空港(成田空港)建設のため、国鉄ホキ2500形式を私有貨車として製作しました。私有貨車では初めての赤3号を車体色に使用しています。193両が製作され、空港が完成するとセメント関係の会社などに移籍をして、全ての車輛が専用種別を「石灰石」に変更しました。
グループとして3種類あり、写真左は国鉄時代の新製車で、ほぼホキ2500形式と同じ外観となっています。写真中央と右は改造車のグループ。平成6年頃より、国鉄ホキ2500形式を編入したもので、ホキ9663以降の車輛が該当します。改造は更新工事です。傷んだ箇所の補修などが行われました。台車は新製したTR213C-1形式に履き替えています。改造種車の番号を用いたり、番代区分はなく続番で登場しています。種車がホキ2500形式の初期車の場合、叩き板がそのまま残っています。

ホキ9500形式(ホキ19500・ホキ9783)

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ホキ9500形式のもう一つのグループがJR貨物になっての新製です。平成8年、実に26年ぶりにホキ19500~19502の3両が登場しました。中京地区で使用されていたホキ2500形式をホキ9500形式に編入する際、不足する両数を補うため予備車として登場したものです。中京地区と言えば、ホキ9500形式を見ると屋根が付いています。これは石灰石の飛散を防ぐためのもので、この地区でのみ見られます。ファンの間では「名古屋形」などと呼ばれています。

ホキ9800形式(ホキ9812・ホキ9846)

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昭和47年に登場した30t積み麦芽専用ホッパ車(私有貨車)です。ホキ6600形式を大きくした形式で、ホキ2200形式は穀物輸送で人気が高く、車輛を所有者の都合で手配するのが難しいため、ホキ2200形式を私有貨車として製作したものです。構造はほぼホキ2200形式と同じですが、丸みが無く角ばったデザインとなっています。登場した頃は黒色でしたが、後にクリーム4号になっています。初期車の台車はTR41E-12、後期車はTR225形式を履いています。

ホキ10000形式(ホキ10009・ホキ10248)

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昭和50年代日本中を震撼させたオイルショック。これにより原油の値段が高くなり、昭和54年頃より、セメント製造会社では製造に用いる燃料を石炭へ転向することになり、この石炭を輸送するため昭和55年に登場したのが、この35t積み石炭専用ホッパ車ホキ10000形式で、272両製作されました。石炭を輸送するので石炭車ではないかという意見もあったとか。ホッパは底開き式で、取りおろしをスムーズに進めるためバイブレーターが装備されています。
登場以来、石炭輸送を行っていましたが、平成12年に中部国際空港建設に伴う土砂を輸送するため、専用種別を「石灰石」に変更しました。建設終了後もそのままとなっています。

ホキ34200形式(ロホキ34274)

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このホキ34200形式は、昭和34年に30t積みホキ4200形式石灰石専用ホッパ車(私有貨車)として登場しました。
ホキ4200形式を所有する「奥多摩工業株式会社」では、青梅線及び南武線経由で石灰石を輸送していました。これら沿線には住宅地が多くあり、輸送する石灰石の粉塵が問題となりました。昭和51年、対策としてホキ4200形式にアルミニウム製の蓋を乗せたため、新形式としてホキ34200形式が登場しました。荷重は30tから28tに変更です。蓋を載せた事による自重増が理由ではなく、重心が高くなる事によって起こる不安定走行を未然に防ぐ目的で減トンを行いました。
種車の番号に30000番を加えたものが基準となって付番されました。トップナンバーはホキ34200ではなく、ホキ34230番です。運転最高速度は65km/hであるため、識別の記号「ロ」と車体に黄色い帯が巻かれていました。平成6年に廃形式となっています。