
事業用車(じぎょうようしゃ)とは?
営業収入を得る営業用の貨車に対し、収入を得る目的ではなく、部内の安全や保守作業等の目的をした貨車を言います。
車掌車(しゃしょうしゃ)
貨物列車に連結され、車掌が乗る為の車輛を言います。記号は車掌の「ヨ」です。元々は、列車全体に作用する貫通ブレーキが存在していない時代、旅客、貨物列車の中に手ブレーキを備えた車輛を連結し、その車輛に「制動手」という係員が乗車。必要な時に手ブレーキを操作していました。この車輛を「緩急車(かんきゅうしゃ)」と言います。直ぐに有蓋車や無蓋車にブレーキの設備を備えた車輛が登場し、これらは有蓋緩急車、無蓋緩急車と呼ばれました。その後、貫通ブレーキが発明され、普及し始めると手ブレーキは留置用のブレーキになり、役割を終えました。同時に緩急車は車掌が乗務する車輛へと意味合いが変わっていきました。そして、貨物を積載出来る車輛を「緩急車」、貨物を積載出来ない車輛は「車掌車」という分け方になりました。
昭和44年に車掌から貨物列車専門に乗務する係員が分けられ、列車掛という呼び名に変更されています。(昭和61年に廃止。)列車掛の役割は、事故発生時の列車防護が主となり、入換作業や列車の増解結等の作業もあります。時代の流れで、列車無線や防護無線装置等が開発され、機関士1人で運転が可能になった事から、列車掛が廃止され、同時に車掌車の連結を廃止しました。
現在は、大物車の運転時の随伴車や新製車輛の回送等に控車としての役割で残されています。
ヨ2000形式車掌車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 7830mm | 走り装置 | 二段リンク式 | 化成品分類番号 | |
| 全 幅 | 2640mm | 台 車 | 特殊標記符号 | ||
| 全 高 | 3735mm | 専用種別 | その他 | ||
昭和12年から13年にかけて100両が製作された車掌車です。本形式登場以前の車掌車は「マッチ箱」と呼ばれる明治、大正時代に製作された木製二軸客車を改造した粗末な造りのものであった。本形式は新車として初めて設計されています。車体は鋼製、車掌車らしく両デッキ構造、車内は3人分の執務机、椅子、長椅子が設けられ、乗心地を考慮した設計が特徴となっています。この構造は後に登場する車掌車にも継承され、標準的な車掌車のスタイルを確立しました。
一方で、新型の車掌車が登場すると暖房用ストーブが無く、室内灯は石油ランプ等と見劣りがあり、昭和39年に石炭ストーブの設置、車軸発電機、蓄電池の装備を行い、電灯設備を取り付ける近代化改造が実施されています。昭和42年には走行性能改善の為、走り装置を一段リンク式から二段リンク式に改造しています。昭和60年に形式消滅しています。
写真は京都府与謝郡与謝町にある加悦SL広場に静態保存されている貴重な1両です。
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| ヨ2047(3位側) |
ヨ3500形式車掌車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 7830mm | 走り装置 | 一段リンク式 | 化成品分類番号 | |
| 全 幅 | 2640mm | 台 車 | 特殊標記符号 | ||
| 全 高 | 3735mm | 専用種別 | その他 | ||
昭和25年から33年にかけて1345両(新製車595両、改造車750両)製作された車掌車です。戦後、国鉄はGHQ(連合国軍総司令部)の命令により、全ての貨物列車に車掌車を連結せよ。とのお達しを受けます。新製車といきたい所ですが、それは認められず。そこで、木造二軸貨車を改造したヨ2500形式を中心とした車掌車を用意しました。しかし、窓が無い、隙間風が酷い等設備等があまりに粗末で貧相な車掌車は現場から敬遠されてしまいます。少し落ち着いた昭和25年に、これらを置き換えるべく本形式が登場しました。
基本はヨ2000形式をコピーした形で始まります。足回りや車内設備は同じでしたが、暖房用の石炭ストーブと電灯設備が装備され、作業環境を大幅に改善させました。
1300両以上も製造されている為、製造時期による変更があります。デッキ仕切りが丸棒組立てから鋼板に変更(ヨ3550以降の2次車)や側面の4枚窓の間隔を拡大したもの等、幾つかあります。一方で、昭和26年から28年にかけて、戦時設計で製作されたトキ900形式無蓋車からの改造車が750両あります。車体、台枠は新製で連結器やブレーキ関係等を流用しています。ヨ3550~4399番が該当します。
老朽化した車掌車を駆逐し、全国各地で使用されましたが、昭和34年にコンテナ輸送開始により、必要となる車掌車として、本形式を二段リンク式に改造しました。形式が変更され、ヨ5000形式になりました。その後、多くの車輛が運転最高速度85km/hに対応する為、二段リンク式改造を受けてヨ5000形式になりました。改造を受けない車輛は、貨物列車の速度が低い北海道、四国に残り、特異な場所に信越本線横川~軽井沢駅間の碓氷峠用に残されました。
国鉄からJR各社へ移行後はトロッコ列車等の利用で残ります。しかし、老朽化等により引退し、最後はJR北海道のヨ4350で平成28年に廃車され、同時に形式消滅しています。
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| ヨ3961(2位側) | ヨ4350(3位側) |
ヨ5000形式車掌車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 7830mm | 走り装置 | 二段リンク式 | 化成品分類番号 | |
| 全 幅 | 2640mm | 台 車 | 特殊標記符号 | ||
| 全 高 | 3750mm | 専用種別 | その他 | ||
昭和34年、汐留~梅田駅間に我が国初のコンテナ輸送が開始されました。コンテナ列車は当時の貨物列車としては最速の85km/hで運転されます。当時の車掌車は当時は運転最高速度75km/hであり、列車に使用する事が出来ない為、ヨ3500形式を二段リンク式化した本形式が製作されました。
車体や内装は種車のままですが、塗装色はヨ5000~04番は有蓋車で構成された急行便に使用する為、黒色のままでしたが、ヨ5005~11番はコンテナ専用特急貨物列車「たから」号用として、コンテナ車とコンテナに合わせた色となり、車体は淡緑3号、台枠を赤3号としました。また、コンテナ特急をPRする為に日本初の電照式テールサインが掲出されました。
昭和37年に新製車が登場。5050番代と呼ばれるグループで100両が製作されました。基本はヨ3500形式の最終増備車と同じで、全溶接構造となっています。
昭和42年以降は再びヨ3500形式を改造したグループになり、こちらは原番号に10000番を加えています。最終的にヨ3500形式を何両改造したか不明であり、従って全体数も不明のままとなっています。
昭和61年に貨物列車の緩急車及び車掌車の連結廃止により、大半が余剰廃車となりました。その中には駅舎や静態保存、売却され事務所や店舗になった車輛もあります。
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| ヨ5008(2位側) | ヨ14493(4位側) |
ヨ6000形式車掌車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 7200mm | 走り装置 | 二段リンク式 | 化成品分類番号 | |
| 全 幅 | 2640mm | 台 車 | 特殊標記符号 | ||
| 全 高 | 3621mm | 専用種別 | その他 | ||
昭和37年から44年にかけて905両製作した車掌車です。当時、ローカル線向けには貨物も積載出来る緩急車(ワフ)が使用されていましたが、居住性が今一つ。また、慢性的な不足状態であり、これらを改善する為に登場しました。
基本的構造はヨ2000形式で確立された片側4枚窓の車掌車スタイルを継承したヨ5000形式(ヨ3500形式)としています。このヨ5000形式を僅かに小さくしたスタイルで、片側の窓は3枚となり、室内も執務用の机、椅子、長椅子も3人分から2人分に減っています。屋根も深い丸屋根のヨ5000形式に対し、緩やかな丸屋根となっています。ベンチレーターも2個から1個になっています。走り装置は軸距離は短くなったものの、同じとなっています。
室内の暖房装置は石炭を使用するだるまストーブでしたが、石油ストーブに変更した車輛もあり、識別の為白線が妻面に入れられています。
形態としては基本となる6000番代(ヨ6000~6870番)、前期北海道向け(窓を二重窓する等耐寒対策を施したもの)の6900番代(ヨ6900~15番)、後期北海道向け(石炭列車運用時に大きな前後衝動が発生する為、連結器の緩衝装置をゴム式から油圧式に変更したもの)の7900番代(ヨ7900~17番)の3つがあります。
本形式も昭和61年の列車掛(車掌)乗務廃止により、昭和62年に形式消滅しています。
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| ヨ6720(1位側) | ヨ7904(1位側) |
ヨ8000形式車掌車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 7200mm | 走り装置 | 二段リンク式 | 化成品分類番号 | |
| 全 幅 | 2650mm | 台 車 | 特殊標記符号 | ||
| 全 高 | 4077mm | 専用種別 | その他 | トイレ付 | |
老朽化した車掌車や緩急車等の置換えを目的に昭和49年から54年にかけて1170両が製作されました。最後の新製車掌車の形式となります。
車体は伝統のデッキ付き箱型構造ではなく、コキフ10000形式やコキフ50000形式コンテナ緩急車に見られる仕様を採り入れました。ヨ6000形式に相当する台枠の上に車掌室をボルトで接合する構造としており、コストダウンと製造工程の合理化を図っています。車掌室はコンテナ緩急車の車掌室に近い設計であり、屋根が短くデッキは外にある姿となっています。この様にしているのは、床下に搭載する蓄電池やトイレの付帯品等の空間を設ける為です。また、軸距離を確保し、高速走行時の安定性を保つ為の設計となっています。
室内設備は従来車から大幅に刷新され、照明の蛍光灯化、石油ストーブの設置、新製車掌車では初のトイレも設置されました。これにより乗務環境が大きく改善されています。北海道向けの車輛は耐寒仕様で窓が二重窓となっています。
走り装置は従来車と同じ二段リンク式を採用し、運転最高速度85km/hとしています。変化として、従来車では制輪子が鋳鉄製であった為、ブレーキ作用時に共鳴音(車掌車は構造上空洞である事から。)が酷く、改善の為、本形式ではレジン制輪子を採用し、静粛性を向上させています。
登場後は運転最高速度65km/hの有蓋緩急車が多数活躍していた北海道、四国に集中配置され、その後は全国各地に配置され活躍しました。昭和61年の車掌車連結廃止により、多くが失職。活用策としてイベント列車などに使用され、国鉄からJR各社へ移行。336両が継承され、旅客会社はイベントや電車列車の非電化区間乗入れ時の電源車代用(28000番代)に改造される等活躍しました。現在は旅客会社の所有車は無くなり(一部は私鉄へ譲渡されています。)、JR貨物が所有するのみとなっています。JR貨物所有車ではかつて、推進運転時の先頭車代用として38000番代が登場しましたが、現在は大物車の運転や甲種輸送時の控車として、工事用に係員の添乗といった特殊な用途の為に残されています。
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| ヨ8069(1位側) | ヨ8402(4位側) |
形態としてほぼ同じですが、車掌室の後位側(3、4位側)の雨樋が初期は台枠上で切れ、途中より台枠下まで延長されています。
雪かき車(ゆきかきしゃ)
冬季において、線路上の除雪を目的に使用される貨車(事業用車)です。記号はゆきの「キ」です。歴史は古く、北海道で初めて開業した幌内鉄道で雪払車という名前で1880年代に登場しました。
その当時より雪かき車の問題として、「降雪時以外は用途が無い」というもの。とはいえ、当時は諸事情から雪かき車に頼らなければならず、幾つかの種類や形式を登場します。1960年代に入ると機関車にアタッチメント形の除雪装置が開発され、次第に普及していきました。
現在は貨車として扱われる雪かき車は姿を消し、ディーゼル機関車として僅かに残存し、多くは保守用車であるモーターカーが主力となっています。JR以外では青森県の弘南鉄道、津軽鉄道に国鉄から譲渡された車輛が残るのみとなっています。
キ100形式単線用ラッセル式雪かき車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 11011mm | 走り装置 | 化成品分類番号 | ||
| 全 幅 | 4500mm | 台 車 | TR42形式、TR41C形式 | 特殊標記符号 | ロ |
| 全 高 | 4015mm | 専用種別 | その他 | 全幅は翼を全開にした値 | |
国鉄初の単線用鋼製ラッセル車として昭和3年に登場し、昭和31年までに176両が製作されました。キ258~275番は昭和28年に単線用木製ラッセル車であるキ400形式(二代目)を鋼体化改造したもので、この改造でキ400形式(二代目)は形式消滅しています。
ラッセル式雪かき車とは、機関車に押される形で走行し、くさび形になった先頭部で雪をすくい上げ、左右に付いた翼ではね飛ばして除雪をする方式の車輛です。機関車の前に連結される為、前位側には運転台に見える操作室があり、前部標識灯や前面窓を備える。操作室では左右に付いた翼を操作します。前方に何もなければ翼を広げ、ホームや踏切など支障物があれば翼を畳むといった感じです。翼のある部分、後位側は機械室で屋根には圧縮空気を溜めるタンクを6基備えています。
平成元年にJR北海道に所属していた車輛が廃車となり、形式消滅しています。
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| ロキ165(1位側) |
キ550形式複線用ラッセル式雪かき車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 12200mm | 走り装置 | 化成品分類番号 | ||
| 全 幅 | 2621mm | 台 車 | TR42A形式、TR41C形式 | 特殊標記符号 | ロ |
| 全 高 | 4015mm | 専用種別 | その他 | ||
国鉄の前身である鉄道省が昭和7年に初めて、鋼製複線用ラッセル車として製作したキ250形式(キ250)を昭和3年、称号規定改正によりキ550形式(キ550)としたのが始まりです。その後、昭和18年から34年にかけて36両が新製されました。改造車もあり、昭和30年には木製複線用ラッセル車であるキ1500形式を鋼体化改造し、キ557、558とした2両が登場しています。昭和36年から43年にかけてキ100形式を複線用に改造(キ589~99、キ1550~69)が加わり、70両が活躍しました。
仕組みとしては単線用と同じですが、進行方向に向かって左側のみを除雪する構造となっています。(単線用では複線側に雪を溜めてしまう。)この構造は、線路が密集する駅や操車場等で威力を発揮します。進行方向の最も右側から除雪をはじめ、次に左側の線路を除雪し、雪を左へ除雪していく方法となります。
昭和62年に形式消滅しています。
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| ロキ1567(2位側) | ロキ555(4位側) |
キ700形式広幅雪かき車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 11350mm | 走り装置 | 化成品分類番号 | ||
| 全 幅 | 2724mm | 台 車 | TR20形式、TR41形式 | 特殊標記符号 | ロ |
| 全 高 | 3959mm | 専用種別 | その他 | ||
駅や操車場構内の除雪をする為の雪かき車で、ジョルダン車とも言います。大正15年に米国ジョルダン社から2両輸入し、参考に国産化をしたのが始まり。輸入時はユキ400形式が与えられ、その後キ400形式(初代)に改称。昭和16年の称号規定改正でキ700形式に改称されました。この時は15両あり、改称後に9両増備され24両となっています。
輸入した2両(キ400、401)は雪かきをする機能のみでしたが、国産化したキ402番以降は前位に前方の確認、機器操作を行う木造の操縦室が設置され、輸入車も改造しました。戦後になり、鋼体化が実施されています。昭和40年に入り、機器室の増設や除雪能力を高める工事が実施されています。
昭和54年から58年にかけて、8両に近代化改造を実施。台車の交換、ディーゼルエンジンを搭載した箱型車体への交換が行われ、改造車は750番代に区分されています。
国鉄からJR北海道へ2両が継承され、平成5年まで活躍。同年、形式消滅しています。
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| ロキ756(1位側) |
操重車(そうじゅうしゃ)
操重車とは、クレーンを装備した貨車の事を言います。記号は操重(そうじゅう)の「ソ」です。
用途は3つあり、1.操車場や駅で貨物の荷役を行う。2.保線作業、建設工事に使用する。3.事故発生時に復旧作業に使用する。です。
1は地上にあるクレーンが届かない場所で貨物の荷役を行う場合で、操重車の中では小型のクラスとなります。機動性に富む自動車のクレーン車が普及し、姿を消しています。
2は様々なクレーンの種類があり、軌道敷設や分岐器の設置、橋梁の設置など様々な用途があります。現在は保守用車に存在しています。(多くはクレーン車が主流。)
3は操重車の中で最大級なクラスが存在し、脱線や転覆事故の際に車輛を吊り上げられる能力を持つ。但し、機関車といった場合は複数の操重車を使用します。
操重車は一部の車輛で、ごく低速ながら自走が可能なものがありますが、基本は機関車に牽引されます。その際に車体からはみ出ているジブ(ブーム)を他の車輛に当てないようにする為、列車に連結出来るように「遊車」が連結されています。余剰となった長物車を転用し、セットで活躍します。遊車にはジブを置く他、装備品などを置きます。
道路網の整備が進んだほか、事故や工事現場に自動車で容易に搬入できるようになり、使用の機会が減少。我が国では役目を終えています。(保線用に機械扱いとして存在する車輛はあります。)
ソ30形式事故復旧用操重車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 10000mm | 走り装置 | 化成品分類番号 | ||
| 全 幅 | 2950mm | 台 車 | 3軸ボギー | 特殊標記符号 | ロ |
| 全 高 | 4010mm | 専用種別 | その他 | ||
昭和3年に米国より輸入されたソ20形式をベースに、改良を施し国産化した形式で、昭和11年から22年にかけて7両が製作されました。扱い荷重は主巻が65t、補巻が15t(アウトリガー最大展開で)の能力があります。
登場時は動力が蒸気機関で、二軸車の炭水車がセットとなっていました。低速での自走が出来ましたが、蒸気圧が上がるまで時間を要するのが難点で、保守も面倒であった事から、昭和45年にディーゼルエンジンに変更しています。
塗装色は登場時は黒色でしたが、淡緑色に変更されました。中には黄1号にに変更された車輛もあります。1980年代まで使用され、昭和61年に形式消滅しています。
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| ロソ34(3位側) |
ソ80形式事故復旧用操重車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 10000mm | 走り装置 | 化成品分類番号 | ||
| 全 幅 | 2900mm | 台 車 | 3軸ボギー | 特殊標記符号 | ロ |
| 全 高 | 4010mm | 専用種別 | その他 | ||
昭和31年から44年にかけて21両(ソ80~99、180)が製作されました。我が国最後の操重車形式となります。操重車としては大型となるソ30形式ですが、蒸気機関を採用しており、欠点や問題があった為、ディーゼルエンジンを採用したのが本形式となります。
大別すると前期車(ソ80~83)、中期車(ソ84~97)、後期車(ソ98、99、180)の3つに大別されます。前期車はソ30形式と機関を除いてほぼ同じ。ディーゼルエンジンを用いた電気式で、全ての操作が電気で行われます。自走用のモーターを各台車に1つ備えています。中期車は補巻を廃止した他、クレーンの駆動方式を油圧式に変更。この他、電化区間での作業性の改善などが行われています。後期車、我が国最後のグループはモデルチェンジ車に相当します。基本は中期車と同じですが、ブームの形状等が大きく変更された他、機械室窓のHゴム化、操重車初のコロ軸化が行われており、外観の印象が大きく変わっています。
JRへ移行し、全ての旅客会社へ配置されましたが、廃車が進み、JR東日本盛岡運転所に所属していた車輛が廃車され、本形式は形式消滅し、同時に事故復旧用操重車の歴史にも幕を閉じました。
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| ロソ81(1位側) | ロソ180(2位側) |
ソ300形式橋桁架設用操重車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 27500mm | 走り装置 | 化成品分類番号 | ||
| 全 幅 | 2566mm | 台 車 | 4-4軸複式ボギー | 特殊標記符号 | |
| 全 高 | 4085mm | 専用種別 | その他 | ||
昭和41年に2両製作された貨車で、走桁の架設工事に用いられた操重車です。同じ目的で製作されたソ200形式の改良形式で、扱い荷重やブームの旋回範囲等の改良を行っています。全長は27500mm、自重は153.5tで国鉄の鉄道車輛では最大となる車輛です。これだけの大きさですが、自走が可能であり、回送時の運転最高速度は75km/hとなっています。
国鉄からJR東日本へ継承されましたが、老朽化が進み、保線機械の開発により平成13年に形式消滅しています。
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| ソ300(4位側) |
控車(ひかえしゃ)
事業用貨車として分類される控車の記号は「控える(ひかえる)」の「ヒ」です。ここではこの車輛での説明となります。
控車の目的は大きく分けると次の2つになります。
1.鉄道連絡船において、船舶に車輛を積込む際に重量のある機関車を入線させない為に載せる車輛と機関車の間に連結させる貨車。
2.貨物駅などにおいて、曲線がある場合に連結作業を容易にする事を目的に介在させる貨車。
を言います。いずれも、重量は軽く、見通しがきくように、古い二軸貨車を種車としているケースが多く、側板はなく、手摺りが設置された簡素な貨車となっています。中には係員の待機場所として簡素な控室を設置したものもありました。
ヒ600形式控車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 7830mm | 走り装置 | シュー式、一段及び二段リンク式 | 化成品分類番号 | |
| 全 幅 | 2580mm | 台 車 | 特殊標記符号 | ロ | |
| 全 高 | 2695mm | 専用種別 | その他 | ||
鉄道連絡船用及び構内入換用の控車として、昭和29年から56年にかけて253両が製作された控車の代表的な形式です。全て有蓋車や無蓋車を種車に改造されています。内容は台枠上の撤去を行い、手摺りと詰所の設置(構内入換用のみ)が行われています。
分割民営化の際にJR北海道、四国、貨物に継承されましたが、鉄道連絡船の廃止、貨物取扱駅の減少により、平成14年に形式消滅しています。
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| ロヒ759(1位側) | 不明 |
写真左は鉄道連絡船、構内入換用に見られた手摺りだけのタイプ。右は構内入換用のみに見られた小屋付きのタイプです。
その他事業用車
上述以外にも事業用車があり、記号は「役人(やくにん)」の「ヤ」が付きます。
ヤ550形式除草剤散布車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 14186mm | 走り装置 | 化成品分類番号 | ||
| 全 幅 | 2870mm | 台 車 | TR209形式 | 特殊標記符号 | |
| 全 高 | 3747mm | 専用種別 | その他 | ||
線路の周辺にある雑草の防除に用いられる事業用貨車で、ヤ500形式がありましたが、運転最高速度が65km/hと速度が低く、二軸車でありタンク容量が小さい為、効率が悪い事から、昭和51年にトキ25000形式を18両改造して製作した形式です。
種車のあおり戸、妻板等を撤去し、新規製作したタンク体を台枠上に設置。外観はタンク車のようになりました。この他に薬剤を散布するポンプ、動力となるディーゼル発電機等を搭載しています。台枠以下は種車のものを流用しています。塗装は黒色。
全国各地に分散配置され使用されていましたが、JR移行前に除籍され、中には保線機械扱いとして使用された車輛もあります。1両(ヤ562)のみJR九州に継承され、桜島から噴出する火山灰の除去用に散水車として使用されました。平成26年に廃車となり、本形式は形式消滅しています。
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| ヤ565(2位側) | ヤ552(4位側) |
ヤ250形式リニアモーター敷設車
| 諸 元 | |||||
| 全 長 | 20400mm | 走り装置 | 化成品分類番号 | ||
| 全 幅 | 2410mm | 台 車 | TR99-1形式 | 特殊標記符号 | |
| 全 高 | 3685mm | 専用種別 | その他 | 数値はヤ251を示す。 | |
この貨車は昭和47年にクサ9000形式、昭和51年にコキ9200形式を改造し、製作したリニアモーター敷設車です。
操車場の自動化を目的に様々な装置が導入され、その1つに「リニアモーター方式貨車加減速装置」というものがありました。それ以前に「カーリターダー」というものがあり、突放され転がってくる貨車の速度を検知し、それに基づいて適切な減速を行う装置です。リニアモーター方式貨車加減速装置は名の通り、推進力を与え、貨車の加速も可能としたものです。
貨車の下に潜り込むように入り、貨車を補足して、加減速を行う仕組みで、軌道間に専用のレールを必要とし、その他地上設備がある為、設置やメンテナンスを行う車輛が必要となりました。この理由から、余剰となっていた試作貨車2両を改造し、本形式が登場しました。
種車が異なる為、同一形式ながら、大きさは全く異なるものとなっています。ヤ250はクサ9000形式を種車とし、積み下ろし用のクレーン、発電機を搭載。ヤ251はコキ9200形式1両を改造したもので、ヤ250と同じ装備の他、自走用の移動機を搭載していました。
ヤ250は塩浜操車場(現:川崎貨物駅)、ヤ251は吹田操車場(現:吹田貨物ターミナル駅)に配置されて使用されました。昭和59年のダイヤ改正で、ヤード集結型輸送方式が廃止となり、同時に自動化の継続が必要となくなった為、2両は余剰車となって、昭和61年に形式消滅しています。
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| ヤ251(3位側) |
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