秩父鉄道 過去の車輛

100形
 戦後、秩父鉄道の電車は電化開業時に製作されたデハ10形や国鉄から払い下げられた電車で、多くが木造車であり、老朽化が進んでいました。そこで、体質改善、輸送力増強を図る為、昭和25年に新造車及び木造車の鋼体化改造車が100形として登場しました。形式はデハ100形(13両)、クハ60形(7両)、クハニ20形(10両)、クハユ30形(1両)の4形式で、いずれも17m級の半鋼製車体で、ウィンドゥ・シル/ヘッダー付き。車内はロングシートの通勤形電車です。
 昭和55年より、800系(元小田急電鉄1800形)、1000系(元国鉄101系)の投入により廃車が始まり、昭和63年に全車輛が廃車となりました。
 三峰口駅構内にあった鉄道車両公園にデハ107とクハニ29(2代目:クハユ31からの編入車)の2両が保存、展示され、車内には史料等が展示されていましたが、盗難や破損に遭い、屋外展示もあって徐々に荒廃が目立ち、晩年は扉が破壊され、屋根も抜け落ちた状態で、車内に立ち入ることが出来なくなっていました。令和元年に公園リニューアルの際に解体、撤去されてしまいました。

デハ107 クハニ29

1000系
 100形や800系等の吊り掛け駆動方式を持つ車輛を置き換える為、昭和61年に国鉄、JR東日本よりカルダン駆動方式の101系を購入しました。デハ1000形(クモハ100形式)+デハ1100形(モハ101形式)+クハ1200形(クハ101形式)の3両編成で、12本を購入しました。
 入線にあたり、パンタグラフの交換、運行番号表示器の封鎖、暖房強化、主電動機のデチューン(100kwから85kw)等の改造が行われました。
 平成6年に冷房化が先頭車にのみ実施され、容量増加による対応として、パンタグラフの増設、SIV装置の搭載が行われました。その後、ワンマン運転対応工事等が実施されています。
 塗装色は当時の標準色となるレモンイエローに茶色の帯を巻いたものに変更。その後、白地に青色と赤色の帯を正面から側面に回り込むデザインに変更し、運転台前面窓廻りを黒色で縁取っています。
 譲り受けてから20年近く秩父鉄道の顔として活躍してきましたが、車齢が半世紀近くになる為、老朽化が著しく目立ってきた為、平成21年以降より後継となる東急電鉄7000系、8090系を改造した7000系、7500系、7800系に置換えを行い、平成26年に全車輛が廃車となり、系列消滅しました。

1005編成 1006編成

 3両編成12本ある中で、唯一1006編成は激アツな編成として知られていました。デハ1006の種車はクモハ1000-1013で、武蔵野線向けの難燃化対策を施した車輛です。この1000番代になる前はクモハ100-53、そして新製時はモハ90616と、モハ90系時代を知る最後の生き証人でした。同様に中間車のデハ1106も遡るとモハ101-1013→モハ101-50→モハ90109となっています。

形式

デハ1008 デハ1105 クハ1211

デハ1000形式(デハ1001~1012)
三峰口方のパンタグラフ付き制御電動車です。クモハ100形式を改造したもので、非冷房車時代は大きな変化はありませんでしたが、冷房化された際にパンタグラフを増設する等大きな変化が見られました。
デハ1100形式(デハ1001~1012)
モハ101形式を改造したもので、冷房化の際に容量が不足する事から見送られ、非冷房車のまま活躍しました。冷房使用時は両端の貫通扉を開け、隣り合う車輛からの冷気を分けてもらうという、一風変わった方法がとられていました。
クハ1200形式(クハ1201~1212)
羽生方に位置する制御車です。クハ101形式を改造しました。冷房化の際にSIV装置を搭載しました。

国鉄色復刻塗装、リバイバルカラー
 平成19年にさいたま市内に鉄道博物館が開館した事に合わせ、4編成を101系で使用された国鉄色に塗装変更しました。
 選ばれた塗装は中央快速線等で使われた「オレンジバーミリオン」(1011編成)、総武線各駅停車等で使われた「カナリアイエロー」(1212編成)、京浜東北線等で使われた「スカイブルー」(1001編成)、関西本線で使われた「ウグイス」(1009編成)の4つです。平成22年より7500系が登場し、1000系の廃車が始まり、最初にオレンジバーミリオン編成が廃車されました。翌年のイベントで復刻塗装の人気投票が行われ、オレンジバーミリオンが最多得票を得た事から、1003編成を2代目オレンジバーミリオンとして運転しました。

オレンジバーミリオン カナリアイエロー
スカイブルー ウグイス(関西線色)

平成21年に秩父鉄道創立110周年を記念して、国鉄色になっていない編成を用いて、同社の旧型車輛に使われていた色を用いた編成が出てきました。第1弾として100形に使用されていたあずき色とクリーム色の2色塗りを施した1002編成が登場。
続いて、本系列でも登場時に標準色であった黄色に茶色の帯を巻いた塗装に1007編成が登場しました。

100形風塗装 旧標準色

3000系
 急行列車用の車輛として昭和34年に製作した300系を使用してきましたが、老朽化が進んでおり、冷房化も難しく、サービス面での問題がありました。そこで、平成4年にJR東日本より165系急行形電車3両編成3本を購入し、登場したのが本系列です。
 改造は大規模なもので、前面を非貫通化改造。前部標識灯及び後部標識灯を角形のケースで一体化、愛称表示板差しの装備、トイレの撤去、パンタグラフの増設、主電動機のデチューン(120kw→105kw)等が行われました。塗装色は「青い空、白い雲、清流」をテーマとし、クラシックホワイトをベースにスカイブルーの帯を配し、窓枠や正面窓廻りを黒色としました。内装もイメージアップを図る為、モノトーン系の色を使用し、シンプルで落ち着きのあるものとしています。
 300系に代わり、急行「秩父路」を中心に活躍を始めました。しかし、登場から10年程経過した平成15年。お役所より車輛の老朽化が指摘され、延命を図る為には大規模な更新工事が必要となりました。車輛機器の修繕や部品の調達等を考えた結果、代替車輛を投入する事が決定し、6000系の投入が決まりました。平成18年に置き換えられ、系列消滅となっています。

形式

デハ3001 デハ3101 クハ3201

デハ3000形式(デハ3001~3003)
羽生方の制御電動車です。クモハ165形式を改造した車輛で、3001編成と3003編成は昭和43年に行われた試作冷房車を改造しており、冷房装置に特徴があります。(以下の形式も同じ。)
デハ3100形式(デハ3101~3103)
モハ164形式を改造した車輛です。パンタグラフが増設されています。
クハ3200形式(クハ3201~3203)
三峰口方に位置する制御車です。

デキ1形直流電気機関車
 かつて活躍していた電気機関車ですが、製造メーカー、形態が異なるデキ1~5のグループとデキ6、7の2つのグループがありました。
デキ1~5
 大正11年に電化開業が行われ、貨物輸送を蒸気機関車から電気機関車に変更する為、デキ1~5の5両が米国ウェスティンハウス・エレクトリック(車体、台車等機械部はボールドウィン)で製造、輸入しました。日本に輸入された初めての幹線用大型電気機関車で、東海道本線の電化を計画していた鉄道省の目に止まり、大井工場(現:JR東日本東京総合車両センター)で組み立てられました。車体は全長10m程の凸形機で、制御機器を中央部、補助機器類をボンネットに配置しています。登場時はボンネット上に鐘が設置されていました。
 昭和27年の架線電圧を1500Vに昇圧させた際に出力増強が行われており、貨物輸送の主として活躍しました。しかし、老朽化や輸送量減少により、昭和59年にデキ3~5が廃車、昭和63年にデキ1、最後に残ったデキ2が平成6年に廃車され、形式消滅しています。

デキ1

デキ6、7
 大正14年に登場したグループで、英国イングリッシュ・エレクトリック(車体、台車等機械部はノース・ロコモティブ)で製造されたデッキ付きの箱形車体を持つ機関車です。同型機に東武鉄道のED10形、青梅電気鉄道1号形があります。
 性能面ではデキ100形デキ101を上回るものでしたが、デキ1~5とは異なり、登場以来、機器更新などを行わず使い続け、結果老朽化により昭和52年に2両とも廃車となっています。

ED38形直流電気機関車
 この機関車は昭和5年に現在のJR阪和線を建設した阪和電気鉄道が新製しました。登場時は「ロコ1000形」という形式が与えられ、1001~1004の4両が製作されました。13m級のデッキが無い箱形車体で、昭和初期の私鉄機関車としては大型の車輛となります。主電動機出力も大出力となっており、定格速度はやや高めの設定になっています。この機関車の大きな特徴が発電、電力回生ブレーキ、総括制御を備えている事です。
 これは、並行する南海鉄道(現:南海電鉄)との競争が背景にあり、高頻度高速走行を基本としたダイヤの中で貨物列車を運転することを考えてで、貨物列車も重量あるものは避け、軽い編成として速度を出し易いようにしています。
 その後、阪和電気鉄道は南海鉄道と合併。戦時買収により国有化され、戦後の昭和27年に国鉄称号に変更され、ED38形式となりました。
 国鉄車輛になっても、阪和線で活躍を続けます。老朽化により後継車輛が考えられましたが、これほどの高性能な車輛が国鉄には無く、あれやこれやと手を変え品を変えたものの、代わりになる機関車は出てきませんでした。解決したのは昭和34年に登場した新性能電気機関車となるED60形式の投入です。
 余剰となったED38形式は三岐鉄道、大井川鉄道(現在は大井川鐵道)、秩父鉄道に貸し出しや払い下げられました。三岐鉄道に貸し出された4号機は返却の後、廃車。大井川鉄道に払い下げられた2号機は秩父鉄道に再譲渡され、結果1~3号機が同社に集まりました。
 譲渡後は昭和55年に2号機、昭和56年に3号機が廃車。最後に残った1号機が昭和63年に廃車になり、形式消滅しました。1号機は三峰口駅構内の秩父鉄道鉄道公園に保存展示されていましたが、令和元年のリニューアルの際にデキ1形等ともに解体されてしまいました。

ED38 1

テキ100形31t積み鉄製有蓋車
 昭和34年に30両が製作された鉄側有蓋車です。登場時は30t積みでしたが、昭和48年に1t荷重が増え、31t積みとしています。昭和33年にテキ50形1両(テキ51)を試作し、その量産車形式になります。
 特徴は我が国における
側面総開き構造を持つ貨車の実用化第1号である事。側面総開き構造と言えば、国鉄ワム80000形式が思い付きますが、こちらの量産車化は昭和35年です。
 袋詰めセメントを運ぶ貨車で、片側6枚の扉があり、フォークリフトによるパレット荷役に対応出来ます。容積を抑えた為、全高が低いのが特徴です。国鉄直通車で、車輛番号の下に二重線が付けられています。
 セメントを大量に輸送する方法が袋詰めから、タンク車やホッパ車によるバラ積みに変わった為、昭和59年に廃車、廃形式となっています。

テキ117

ワキ800形31t積み有蓋車
 昭和43年に55両が製作された31t積みの有蓋車です。国鉄ワキ5000形式の後期車と同一設計で、台車はTR209B形式と異なっている他、塗装色も黒色となっています。
 袋詰めセメント専用車で、国鉄直通車として昭和63年まで活躍しました。現在は車籍は無いものに、倉庫代用で秩父駅等に留置されている姿を見る事が出来ます。

ワキ806

ワフ50形1t積み緩急有蓋車
 昭和54年に老朽化した緩急有蓋車を置き換える為に、スム4000形式を改造した有蓋緩急車で、9両登場しました。
 改造は車掌室の設置で、中央部にある扉にアルミサッシの窓が設置され、外観の特徴となっています。昭和62年の緩急車連結廃止を受け、昭和63年に形式消滅しています。

ワフ51

ヨ10形緩急車(車掌車)
 昭和43年に9両が登場しました。ヲキ1形ホッパ車を改造したもので、種車の台枠、台車を流用しており、緩急車では珍しいボギー車となっているのが特徴です。設置された車掌室は片側に寄せた為、L字型の車体になっており、奇妙奇天烈な外観となっています。他の緩急有蓋車と同じく、昭和62年の緩急車連結廃止を受け、昭和63年に廃形式となっています。

ヨ15

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