103系通勤形直流電車

ここでは、103系の改造車や地下鉄仕様車などの派生番代をご紹介します。まだ、基本番代(0番代)を見ていない方は下の文字をクリックして下さい。

103系の基本番代(0番代)を見る


0番代(改造車)

 0番代に編入された改造車です。

クハ103-2551(1位側) サハ103-760(1位側)

クハ103-2551~
関西本線の列車増発に伴い、不足する先頭車を用意するため、国鉄時代に101系に簡易な改造を施し、編入した2000番代(クハ100形式改造)、2050番代(クハ101形式改造)が誕生しました。JR西日本へ移行後も先頭車の不足は続き、モハ103形式を先頭車化改造(同時に不随車化)した本番代(2550番代)、モハ102形式を先頭車化改造した2500番代が登場しました。
サハ103-751~
台所事情の苦しい中、103系の新製数を抑える為、中間附随車のサハ103形式を101系の中間附随車で賄う事になり、最初に登場したグループです。750番代はサハ101形式を種車としたもので、簡易な改造を施し、行先表示器も設置しました。700番代というのも予定されており、こちらはサハ100形式を種車とするものでしたが、実現しませんでした。

サハ103-770(1位側) サハ103-804(1位側)

サハ103-751~
サハ103形式750番代のうち、サハ103-768~770の3両は101系時代に冷房化改造を受けていた車輛で、行先表示器は未設置となっていました。
サハ103-801・804・806
サハ103形式800番代というグループ。この3両が登場する経緯は、超多段バーニア制御方式試作車910番代として製作されたモハ102形式910番代が始まりになります。後ほど詳しく説明しますが、試験終了後はモハ103形式910番代とユニットを解消し、911番と913番は別のモハ103形式とユニットを組む事になります。モハ103形式の元のユニット相手となるモハ102形式0番代2両は余剰車となり、912番と共に電装解除を中心とした附随車化改造を受けました。

サハ103-802(3位側)

サハ103-802・803・805
この3両はモハ103形式910番代を附随車化改造したもので、電装解除が主なものとなっています。パンタグラフ部分のランボードが残り、少し離れてベンチレーターが設置され、外観の特徴になっていました。

910番代(超多段制御方式試験車)

 抵抗制御方式の仕組みは電動機(モーター)に加える電流値を抵抗器の組み合わせで変化させ、回転数を制御します。電車が動き出す時が最も大きい力を必要とし、徐々に小さな力で動かせるようになります。減速時はこの逆となり、高速域では大きい力を必要とし、徐々に弱めていきます。
 抵抗器の組み合わせでは、力の変化がある際に衝動を発生させるほか、降雨、降雪時に空転、滑走という現象が起こり、乗心地を悪くするなどの問題があります。
 この問題を解決する方法は、「抵抗できる組み合わせを多くする」があり、多ければ多い程、空転や滑走を発生し難くする事が可能です。重い貨物や荷物を牽引する機関車では「バーニア制御」と呼ばれ、実用化されていました。
 バーニア制御を電車でも採用は考えられましたが、床下スペースの限られた中ではなかなか難しいため、実現が難しい状況でした。しかし、昭和42年に103系を用いて、試験的に導入が決定しました。結果は、バーニア制御の性能は良かったものの、高価でメンテナンスに手間がかかるという問題があり、地下鉄仕様車となる1000番代、1200番代のみに採用されるに留まりました。

モハ102-911(4位側) モハ103-911(4位側)

モハ102-911~913
モハ103形式910番代とユニットを組む為に製作されたグループ。構造などは0番代と同じであり、試験終了後は912番を除いて、モハ103形式0番代とユニットを組み活躍しました。
モハ103-911~913
CS30形式超多段バーニア制御器を搭載した試験車で、特殊な構造を持っていたため、他の103系との混結は出来ません。試験終了後は全車輛が附随車化改造を受け、サハ103形式800番代となりました。

1000番代(地下鉄仕様車・営団地下鉄千代田線相互乗入れ用)

 常磐線複々線化完成に合わせて昭和45年に登場したグループです。この完成により、常磐線と帝都高速度交通営団(通称:営団、現東京メトロ)千代田線との相互乗入れを実施する事になります。103系を地下鉄適合車に必要なA-A基準(車輛の不燃化、難燃化対策の基準。現在は廃止。)を満たす仕様にしました。座席や貫通幌などの難燃化、制御車前面に非常用貫通扉を設けるなど、0番代とは一線を画す姿となりました。
 編成は地下鉄線内の勾配区間に対応するため、8M2Tの強力な組成とし、中間附随車はありません。車体は灰色9号をベースに千代田線のラインカラーでもあり、常磐線の色でもある青緑1号の帯を巻いたものとなっています。
 地下鉄線内で使い始めると、非冷房、抵抗器の排熱、騒音など利用者には評判が悪く、昭和61年に常磐快速線に転用されました。その後、大半の車輛が105系の種車として改造され、残った車輛は常磐快速線で活躍しました。

クハ103-1003(1位側) クハ103-1017(2位側)

クハ103-1001~
クハ103形式0番代を地下鉄仕様車としたもので、前面中央部の非常用貫通扉が特徴です。運転台後方には千代田線内の保安装置(ATC4型)の機器室が設置されています。

モハ102-1002(1位側) モハ103-1008(3位側)

モハ102-1001~
モハ102形式0番代の地下鉄仕様車に相当する形式です。
モハ103-1001~
モハ103形式0番代を地下鉄仕様車とした形式で、910番代で試験が行われた超多段バーニア制御器を量産化したCS40形式制御器を搭載しています。また、地下鉄線内ではブロアモーターを用いた強制排熱式では騒音が酷いと予想される事から、自然通風式が採用されており、1-3位側に抵抗器がずらりと並んでおり、外観の特徴にもなっています。

1200番代(地下鉄仕様車・営団地下鉄東西線相互乗入れ用) 

 1000番代と同じ昭和45年に登場したグループで、東西線には301系が投入されていましたが、高価な車輛であった為、増備車は103系としたため製造されました。
 性能や構造は1000番代と同じですが、保安装置、編成が異なります。車体色は灰色8号をベースに黄色5号の帯を巻きました。(中央・総武線各駅停車に205系投入後は、誤乗防止を目的に青22号に変更。)

クモハ102-1203(2位側) クハ103-1203(1位側)

クモハ102-1201~
103系では初の形式です。301系と編成を合わせるために用意された偶数向き制御電動車です。1202番以降はユニットサッシ窓に変更しています。
クハ103-1201~
本番代の制御車で、奇数向きとして用いられます。1000番代と似ていますが、運転台後方には保安装置の違いから機器室が無く、戸袋窓になっています。1202番以降はユニットサッシ窓に変更しています。

モハ102-1206(1位側) モハ103-1209(3位側)

モハ102-1201~
本番代の中間電動車で、モハ102-1001~と同じ構造となっています。1203番以降はユニットサッシ窓になっています。冷房化改造を受けた際に電動発電機を大型化したものに換装した車輛もありました。
モハ103-1201~
本番代のパンタグラフ付き中間電動車で、モハ103-1001~と同じ構造となっています。1204番以降はユニットサッシ窓になっています。

1500番代(地下鉄仕様車・福岡市営地下鉄相互乗入れ用)

 昭和58年に筑肥線電化開業が行われ、同時に福岡市営地下鉄との相互乗入れが実施される事となり、登場したグループです。九州地区の国鉄路線初の直流電化である事から、新製車輛を投入するにあたり、当時の最新鋭であった201系と同じ、チョッパ制御方式、回生ブレーキを装備した省エネ電車が望まれましたが、列車密度の関係から効果が期待できない。という理由により、103系が投入されました。
 この様な背景があってか、在来の地下鉄仕様車とは異なり、基本構造を103系としつつ、車内設備を201系に準じた設計としており、特徴の1つとなっています。前面は105系に似た顔つきで、塗装色も従来車と異なり、地下鉄仕様車=灰色で表すためベースし、路線を帯色となっていましたが、これを反転させ、青22号(スカイブルー)をベースに灰色9号の帯を巻いたものとなりました。

クハ103-1515(1位側) クモハ102-1515(2位側)

クハ103-1501~
本番代の制御車で、前面は105系に似たものになっています。車内は201系に準じた設計で、暖色系の袖仕切りのあるモケット、平天井でラインフロー式の冷風吹出し口となり、扇風機、戸袋窓が廃止され、他の103系とは異なるものとなっています。後年、排障器(スカート)やトイレが設置されています。
クモハ102-1501~
閑散区間となる筑前前原駅以西の運用を適正化するため、6両固定編成であったものを半分の3両編成で運行する事になり、モハ102形式1500番代の後位側に運転台を設置した、先頭車化改造車です。分割、併合を自動化するため、電気連結器が装備されています。なお、3両編成での地下鉄線内の乗入れは行わないことから、ATC装置は装備されていません。

クモハ103-1516(1位側) モハ102-1516(1位側)

クモハ103-1501~
クモハ102-1501~と同じく、モハ103-1501~を先頭車化改造したグループです。前位側に運転台を設置しています。クモハ102形式と同じく、種車の番号をそのまま引き継いでいます。
モハ102-1501~
本番代の偶数向き中間電動車です。電動発電機は急行形電車の廃車発生品を再利用しています。

モハ103-1515(1位側)

モハ103-1501~
本番代のパンタグラフ付き中間電動車です。他の地下鉄仕様車と同じく、自然通風式を採用。1-3位側の床下には抵抗器がずらりと並んでおり、外観の特徴となっています。

3000番代

 昭和60年、赤羽駅から大宮駅まで新しい路線が開業。池袋駅から赤羽駅まで赤羽線という路線名でしたが、改称し(正式名称としてはそのまま。)「埼京線」となりました。埼京線の開業にあたり、車両基地の関係から大宮駅から西へ路線を持つ川越線も高麗川駅まで同時に電化開業する事が決まりました。
 川越線の電化開業にあたり、川越駅から高麗川駅の区間は旅客需要から3両編成程度で賄うことが出来ます。投資効果などを考えると新製車輛の導入は、当時の国鉄の台所事情は火の車であり、難しい状態でした。そこで、既存車の投入を決めます。通勤線区である事から103系が候補に上がるも、当時は余剰車はありません。どうしましょう。
 一方、遠く離れた宮城県にある、国鉄直流電化最北の路線である仙石線で、モハ72系970番代という電車が103系に置き換えられ、引退する事に。この電車は旧型国電が主力であった仙石線のイメージアップを図るべく、首都圏で活躍する103系に似せた電車なのです。最新鋭中の最新鋭であったATC車のような車体を載せ、台枠以下をモハ72系とした改造車で、昭和49年に4両編成5本が登場しました。(当時、東京の電車が仙台で走り始めた!とニュースにもなりました。)
 このモハ72系970番代は編成両数、編成本数が川越線に求められているものに見事に合致します。という事で、旧性能電車を新性能電車化するという前代未聞の改造が行われ、本番代が登場する事になりました。改造は床下以下が中心となります。台車等に101系の廃車発生品も使い、一部の部品はモハ72系時代からのものを使い、コストをかけずに立派な103系化改造を行いました。
 平成8年に八高線が電化開業し、その相互乗入れにも活躍。モハ72系時代から通算すると50年以上活躍した車輛もありました。

クモハ102-3005(1位側) クモハ102-3001(2位側)

クモハ102-3001~3005
クハ79形式600番代を103系化及び制御電動車に改造した形式です。台車はDT33形式、主電動機はMT55形式を装備させるなど103系に準じた仕様に改造しました。一方で、電動発電機はモハ72形式970番代に装備していたものを流用するなど、一部に旧型国電時代のものが残っていました。車体には仙石線時代に使用していたタブレット防護板が残されている車輛もありました。八王子、高麗川方に位置していました。

クハ103-3005(1位側) クハ103-3002(2位側)

クハ103-3001~3005
クハ79形式600番代を103系化及び制御車に改造した形式です。車体は種車時代のままで、車輛の中には工場へ回送される際の後部標識板をかけるフックが残されるなど、旧型国電時代の面影を残していました。台車は101系の廃車発生品であるDT21T形式となっています。高麗川、川越方に位置していました。

モハ103-3003(1位側) モハ103-3004(4位側)

モハ103-3001~3005
モハ72形式970番代を103系化したパンタグラフ付き中間電動車です。床下機器、パンタグラフなどを103系と同じものとしています。種車の都合からパンタグラフは前位側となっています。この為、ユニットとなるクモハ102形式に寄った位置ではなく、離れた位置にパンタグラフがあります。3004番のみ主電動機冷却風取入れ口が付いています。

サハ103-3005(4位側) サハ103-3002(4位側)

サハ103-3001~3005
川越線で使用する編成が3両であったため、モハ72形式970番代が5両余剰となり、廃車されるかと思われていましたが、同じ頃、青梅線、五日市線の輸送力増強を図る事になり、必要な車輛を確保するために白羽の矢が立ちました。
電装解除を行い、中間附随車として改造。台車は101系の廃車発生品であるDT21T形式です。パンタグラフの跡がそのまま残されています。1両だけ3000番代の増結車として、仲間に再会。平成8年の八高線電化開業により、4両編成とする為、残った車輛が再び合流し、活躍をしました。

JR東日本3500番代

 東京都では最後の非電化区間として残っていた八高線。平成8年に南線と言われる八王子駅~高麗川駅間が電化開業しました。103系3000番代、209系3000番代をそれぞれ4本用意しましたが、不足するため103系0番代4両編成1本を加えました。
 この0番代編成は改造されておらず、半自動機能が無い為、長時間停車のあるこの路線ではサービス低下となるので、半自動機能を持った本番代が登場しました。

クハ103-3502(2位側) モハ102-3501(2位側)

クハ103-3501・3502
クハ103形式0番代(725、738番)を改造した車輛で、半自動機能の追加がメインとなる改造が行われました。戸閉回路、車掌スイッチの変更、乗降扉付近に押しボタンの設置が行われました。また、保安ブレーキが追加され、直通予備ブレーキが装備されています。
モハ102-3501
モハ102形式0番代(2047番)を改造した車輛で、半自動機能の追加が行われています。

モハ103-3501(4位側)

モハ103-3501
モハ103形式0番代(790番)を改造した車輛で、半自動機能の追加が行われています。

JR東日本仙石線の103系

 103系の活躍場所としては最北の地、宮城県にある仙石線。昭和54年より、旧性能電車を置換えに投入されました。寒冷地での使用である為、耐寒・耐雪装備が施された他、半自動機能の追加(ドアは手動扱い)も行われました。また、閉そく方式がタブレット閉そく方式であり、通過する際に運転台後方の戸袋窓が破損する恐れがあったので、埋める工事も行われました。(タブレット閉そく方式終了後の転入車は未施工)これらの改造による、番代新設や改番などは行われていません。

仙石線の車輛はスカイブルーが基本。外観は戸袋窓が埋まっている他は、ほぼ原形のままでした。

平成元年に延命工事が始まりました。首都圏の車輛に対して行われた工事ではなく、仙石線のオリジナル的な工事となっており、主な内容は下記の通りです。
① 列車番号表示器を列車種別(愛称)表示器に交換。
② 運転台前面窓を3分割から2分割化。(ATC車は未施工)
③ 非ユニット窓の客室窓をユニットサッシ窓に交換。(下段固定、上段下降式)
④ 車体色の変更。
⑤ 扇風機、ベンチレーターの撤去。(平成12年より実施。)

クハ103-105ほか クハ103-214ほか

延命工事を受けた車輛は写真左のような姿で出てきました。平成10年に写真右のような塗装色に変更されています。海沿いを走るためか、青系を上手に使ったものとなっています。
平成16年まで活躍し、後継の205系3100番代に後を任せる事になります。所が、平成18年より多賀城駅付近の立体交差化工事が行われる際に車輛が不足する事が想定されたため、廃車待ちとなっていた1編成を復活させる事になりました。この車輛には前例のない特徴がありました。

クハ103-235(2位側) モハ103-343(4位側)

クハ103-235
後継に投入された205系にトイレが設置されていた事から、4位側にトイレを設置しました。この部分の窓が埋められています。JR東日本に所属していた103系では唯一の事例となります。
モハ103-343
延命工事が施され、何も変わらなさそうですが、床下は灰色の塗装が施されたほか、座席は205系と同じものに交換しています。一番の特徴は前位側に霜取り用パンタグラフを設置した事。そのパンタグラフは給電用も含めシングルアーム式に交換しました。この事例は103系では初の事であり、唯一の事例となっています。

JR東日本 冷房化改造

 国鉄より103系をはじめ、113系、115系などの多くの電車を引き継いだJR東日本。103系では昭和48年以前に製造された車輛は冷房装置が搭載されない「非冷房車」であり、扇風機が設置されているのみでした。サービス向上を目的に冷房化改造を実施してきました。

 クモハ103-56(2位側)

 写真は一例ですが、国鉄時代の冷房装置はAU75形式集中式冷房装置のみで、これを1台中央部に載せました。
 この冷房化改造を簡単に説明すると、非冷房車モハ102形式に搭載されている電動発電機の容量は10kvAや20kvAといった容量の小さなもので、室内灯や扇風機、低圧電気で動く機器に対してのもの。冷房装置を動かす事は出来ません。そこで、大型の電動発電機(160kvA)に換装します。次に各車に冷房装置を搭載しますが、搭載を前提に設計されていませんから、補強工事を中心とする作業が必要でした。
 冷房化改造は大規模なもので、工期もある程度要します。JR東日本では、短期間で行えるようにAU712形式分散式冷房装置を開発。同時に冷房装置を動かすCS24形式インバーター装置も開発しました。インバーター装置に1500Vを取込み、低電圧に変換して冷房装置に給電する仕組みです。
 これにより、既存の機器をそのままとしつつ、屋根上を中心とする工事に留め、大量の非冷房車の冷房化を進めました。

サハ103-3005(4位側) クハ103-635(2位側)

写真左(サハ103-3005)の車輛の屋根を見ると、手前に銀色の箱が見えます。これがインバーター装置で、奥2つのメッシュがある箱が冷房装置となります。インバーター装置1台で、2つの冷房装置に給電をします。インバーター装置+冷房装置の組み合わせた車輛の電動発電機は容量の小さいものとなります。一方、写真右(クハ103-635)を見ると冷房装置しかありません。この場合は、モハ102形式又はクモハ102形式の電動発電機が容量の大きいタイプを搭載している事を意味しています。ですから、AU75形式と混在した編成もありました。

JR東日本 ATS-P型保安装置搭載車

 国鉄時代からの取り組みでしたが、速度超過や信号現示に対する無視などによって、脱線や転覆、追突、衝突といった重大な事故が度々起きました。ATS(自動列車停止装置)はありましたが、人為的に起きてしまう問題があり、これを解決する方法として速度照査式のATSが考えられました。簡潔に言えば、停止する位置までの速度パターンを生成し、列車又は車輛の速度が超過した場合、若しくは恐れがある場合にブレーキを自動で扱い、停止すべき場所を超えないようにしたシステムです。当初は名称は異なっていましたが、完成形は「ATS-P」と名付けられました。
 ATS-Pを本格的に導入したのは、昭和63年に開業した京葉線になります。以降、JR東日本では導入線区を増やしていく事を計画しますが、同年12月5日に中央・総武線各駅停車の東中野駅で列車追突事故が発生。ATSの欠点が原因となる事故であったため、同社ではATS-Pの導入を前倒しで進めていく事になります。
 このATS-P型保安装置は車輛側にも必要な機器を搭載する必要があります。各車輛の空きスペースに搭載していく事になりますが、103系の「クモハ103形式」はスペースが何処にもありませんでした。そこで、列車番号表示器を機器室に改造する事に。窓が埋められ、前面の印象に変化が出ました。この改造では幾つかのスタイルがあるのでご紹介しましょう。

クモハ103-??ほか

京葉線新木場駅延伸開業後の1枚。写真のように列車番号表示器が綺麗に埋められている様子がわかります。非冷房車でATS-P搭載改造したのは京葉線の車輛のみで、ごく僅かな時期だけ見る事が出来ました。

クモハ103-101(2位側) クモハ103-100(1位側)

写真左は列車番号表示器を綺麗に埋めたもの。シールドビーム及び冷房化が行われ、多く見ることが出来た姿です。写真右は、原形ライトで残された例です。原形ライト+非冷房という車輛は無かったようです。

クモハ103-142(1位側) クモハ103-139(1位側)

142番は一見すると標準的なスタイルですが、シールドビームの変形車となっています。139番も唯一の存在で、写真をご覧の通り、行先表示器の枠を残したもの。元に戻す予定でもあったのでしょうか。

クモハ103-52(2位側)

ATS-P型導入線区が末端線区でも始まるようになりました。この頃になると、機器がコンパクトになったのか、埋めないタイプが出てきました。

JR東海 冷房化改造

 JR東海の中心である名古屋地区でも103系は活躍していました。昭和52年、中央西線で使われていたモハ72系やモハ80系など旧性能電車を置き換えるため、京浜東北線の保安装置更新で捻出された103系が投入されました。車体色はスカイブルー(青22号)のままで、最長10両編成で運用されていました。
 JR東海へ移行後、リフレッシュ工事(更新工事)を兼ねて塗装変更、冷房化改造工事が実施されます。他社と同じく、冷房化改造に際しては、工期短縮、低コストが求められ、同社ではC-AU711A形式分散式冷房装置を開発しました。合わせて、モハ102形式の電動発電機をSIVに換装し、メンテナンス向上を図っています。因みに工事を受けた103系の車内は211系5000番代をベースとしたもので、バケットシートに変更されていました。

 
クモハ103-8(2位側)  

塗装変更はホワイトアイボリーをベースに湘南色の帯が巻かれたものとなりました。冷房装置は角型のC-AU711形式で、1両に2個設置されています。

JR西日本の103系

 JR東日本に次いで多くの国鉄形車輛を継承しており、103系も多く引き継がれました。各線区に応じた派生番代、他社には見られない延命工事など色々な姿に変化した103系を見る事が出来、ファンを魅了した事は言うまでもありません。

JR西日本3500番代

 平成10年に播但線姫路駅~寺前駅間が電化開業し、同時に登場した番代です。JR東日本にも3500番代はありますが、形式が異なるため重複は避けられています。
 編成はクモハ102形式+クモハ103形式の2両編成で、クモハ102形式はモハ102形式を、クモハ103形式はクモハ103形式2500番代を種車として改造が行われました。車内のアコモデーションは当時の標準であった207系に準じたものとし、ワンマン運転に対応した機器の設置が行われています。後にトイレの設置工事も実施されています。

クモハ102-3506(2位側) クモハ103-3507(1位側)

クモハ102-3501~
モハ102形式0番代を先頭車化改造した制御電動車です。体質改善40N工事も並行して行われており、近未来風の仕上がりとなっています。平成17年にトイレが追加設置されています。
クモハ103-3501~
クモハ103形式2500番代を再改造したパンタグラフ付き制御電動車です。一部の車輛には前位側に霜取り用パンタグラフが増設されています。

JR西日本3550番代

 平成17年、加古川線全線電化開業となり、用意されたのが本番代です。播但線と同じワンマン運転対応の2両編成ですが、様々な変更点があるため、新しい番代となりました。
 まず、種車です。クモハ103形式を持つユニットを選定する計画でしたが、車齢の高さ、前面形状を変更する事から断念し、体質改善N40工事を施したユニットを選びました。そのユニットを先頭車化改造を行いますが、複数編成の組成時に乗客が往来できるよう、貫通扉を設置する事になり、105系に近いスタイルとなりました。車内は3500番代に準じたもので、大幅なリニューアルが施されています。

クモハ102-3551(2位側) クモハ103-3555(1位側)

クモハ102-3551~
モハ102形式0番代を先頭車化改造した制御電動車です。JR西日本所属の103系では初めてのトイレ付車輛となります。写真は電化開業を記念した特別装飾を施したものです。
クモハ103-3551~
モハ103形式0番代を先頭車化改造したパンタグラフ付き制御電動車です。一部の車輛には前位側に霜取り用パンタグラフが設置されています。

JR西日本2500番代(旧5000番代)

 平成元年に片町線(通称、学研都市線)が全線電化開業をしました。開業に合わせて松井山手駅が新設。同駅より京橋方面は7両編成での運転になりますが、木津駅までの区間のホーム有効長は短く、7両編成は運転する事が出来ませんでした。そこで、編成を4両+3両編成の組み合わせとし、松井山手駅で切り離し、3両編成のみを入線させる方法になりました。
 この分割・併合作業を容易にするため、電気連結器を装備させた改造車である5000番代が登場しました。後継の207系が投入されると役目を終え、電気連結器を外し、一部の車輛は原番号に戻ったり、2500番代に変更しました。

クモハ103-48(5001)(1位側) クモハ103-5012(2位側)

クモハ103-5001
5000番代のうち、唯一クモハ103形式を種車に電気連結器を装備させた車輛です。装備解除後は原番号に復帰しました。
クモハ103-5002~
モハ103形式0番代を種車に先頭車化改造を行い、電気連結器を装備させたもの。解除後も僅かな期間、番代はそのままでしたが、2500番代に変更されました。

クモハ103-2502(2位側) クモハ103-2505(2位側)

クモハ103-2501~
クモハ103-5002~の電気連結器装備及び関連機器を撤去して登場した番代です。2501、2502番の2両は種車のモハ103形式が非冷房車であった為、冷房化改造も実施。JR西日本が開発した分散式冷房装置WAU102形式を搭載していました。一方、2503番以降は集中式冷房装置AU75形式となっています。程なくして、多くの車輛が3500番代の種車となっています。

モハ102-654(5008)(4位側) サハ102-8(5008)(2位側)

モハ102-5001~
平成2年より登場した番代で、編成変更により、クモハ103形式の分割・併合をする相手がモハ102形式0番代となり、これに合わせて電気連結器を装備しました。解除後は全車輛が原番号に復帰しましたが、妻面に後部標識板掛けが残されていました。
サハ102-5001~
クモハ103形式の分割・併合の相手となる初代形式で、サハ103形式0番代を改造した形式です。5000番代で区分したかったのですが、電気連結器を装備した際に、床下機器に干渉するため方向転換を行いました。これにより、機器が逆配置となるため、取扱いが異なる事から新形式となり。5000番代の区分を行いました。編成変更により僅か1年程の短い活躍で、解除後は5000番代から0番代になったものの、形式はそのまま残されました。

JR西日本 阪和線羽衣支線用
 阪和線鳳駅から東羽衣駅の支線用として、昭和62年よりクモニ143形式荷物電車を改造したクモハ123形式が活躍を始めました。多客時の増結用としてクハ103形式が用意され、平成元年にワンマン運転対応の改造が行われました。

クハ103-194(1位側)

羽衣支線用の103系としては初代となる車輛。非冷房であり、前面のルーバーが残る貴重な1両。ワンマン運転対応の改造を受け、側面にスピーカーが設置されるなどの変化が見られました。

JR西日本 冷房化改造
 JR西日本でも国鉄から継承した103系などの冷房化改造が行われています。当初は国鉄時代と同じくAU75形式を用いて行っていましたが、他社と同じく経費削減、工期短縮を目的にWAU102型分散式冷房装置を開発しました。
 この冷房装置は1両あたりに3基搭載し、冷房用電源としてクハ103形式に制止型インバータ(SIV)を搭載し、給電する方法となっています。こうして、非冷房車の冷房化を早く進める事ができました。が、AU75形式と比べると冷房能力が劣る事から、廃車が早期より始められており、現在では見る事が出来ません。

クハ103-68(2位側) クハ103-535(2位側)

WAU102形式分散式冷房装置を搭載している様子です。冷房装置は東芝製と三菱電機製の2種類があり、ルーバーが異なるのが特徴です。どちらも能力が同じであるため、混ぜこぜになっているのもありました。床下に目を移すと、中央部にSIV装置があります。

JR西日本 広島地区所属車
 広島支社は山陽本線、可部線、呉線を管轄しており、「瀬戸内色」や「広島色」と呼ばれるクリーム色に濃い青帯を巻いた塗装色で103系も活躍。その中で珍しい車輛を2つ紹介しましょう。

クハ103-170(1位側) クハ103-828(2位側)

クハ103-86・170・171
この3両は平成20年にサービス向上を目的に3位側にトイレを設置しました。行先表示器は1位側寄りに移設をしています。因みに作者は山陽本線で下関駅から岩国駅まで103系で乗り通した経験があるが、お尻が2つに割れるかと思った。
クハ103-828
平成17年にJR東日本から譲り受けた1両です。武蔵野線で活躍していた8両編成1本が転籍しました。国鉄時代では広域転配と言い、時折あったのですがJRになってからは初めての事だったかと。当初は戸袋窓が残されていましたが、後に埋められています。

JR西日本 延命工事
 103系に限らず、鉄道車輌全般になりますが、車輛の経年により傷みが出てきます。一定年数を経過した車輛に対して寿命を延ばすため、通常の修繕工事とは異なる、特別の工事を実施します。これを「延命工事」と言います。会社によっては「アコモ改良工事」などと呼ぶ場合もあります。国鉄時代は「特別保全工事」と呼び、実施されました。この工事は配線類の交換などが主であり、外観的には分からないものでした。
 JR各社へ継承された国鉄形車輛は、時期になると延命工事を実施していきます。JR東日本では、特別保全工事をさらに徹底した延命工事が施され、冷房化改造なども合わせて実施しました。この工事では窓抑えのHゴムが黒色に変化。ゴムではなく金属抑えに変更やモケット、屋根材の変更など変化が見られました。
 JR西日本も同様に延命工事が施されますが、他社とは異なり、最終的には車体の大幅な外観の変化が見られるようになりました。様々な工事がありますので、ご紹介しましょう。

・延命N工事
 昭和47年までに製造された車輛に対して実施した工事です。製造から30年の使用を目指して、機器更新、外板整備、配管の交換、前部標識灯(ヘッドライト)のシールドビーム化、妻面窓の固定窓化、非冷房車は冷房化改造を実施しています。

クハ103-24(1位側) サハ103-1(3位側)

外観は大きな変化が見られませんが、前面の窓などは腐食を遅らせる目的で、金属抑えとしています。中間車も窓の固定化程度となっています。戸袋窓や妻面窓はその時に埋めたもの、後に埋めたものなどばらつきがあります。

・延命NA工事
 国鉄時代に特別保全工事を実施した車輛に対して行った延命工事です。延命N工事に準じた工事内容となっており、延命N工事車との大きな違いはありません。

クハ103-94(2位側) クハ103-168(2位側)

外観は延命N工事車と同じ。前面窓や戸袋窓が黒色のHゴムであった場合、それが国鉄時代に特別保全工事を受けた時に行われたので、区別がつきます。

・延命NB工事
 昭和45年以前に製造された初期車を対象に行われた工事で、延命N工事及び冷房化改造(WAU102形式搭載)、客室窓を1枚風に見せる為、サッシを黒くしたものに交換しました。

モハ102-145(4位側) モハ103-72(4位側)

施行対象となったのは僅か10両程度との事です。冷房化やユニットサッシ窓に交換し、窓は1枚窓と新しさが見える一方で、行先表示器が未設置や20kvA電動発電機が残されるなどアンバランスな感じもありました。

クハ103-86(2位側)

延命NB工事車で、最も迷車?とも言われているのがこの86番でしょうか。屋根形状も特徴がありますが、晩年にはトイレが設置され、合わせて行先表示器も設置されており、他の車輛とは異なるものでした。

・延命N40工事
 製造から40年の使用を目指すため、延命N工事又は延命NA工事に加えて、塗装の総剝離を行った後に塗り替え、雨樋のFRP(強化繊維プラスチック)化、窓サッシの交換などが行われた工事です。

クハ103-253(1位側) モハ103-498(4位側)

延命NB工事で始まった1枚窓風の改造で、延命工事車の中では最もスタイリッシュな仕上がりとなっています。

クハ103-109(2位側)

広島運転所に所属していた103系のうち、昭和47年以前に製造された車輛も延命N40工事の対象となりました。原形を崩さないスタイルのまま、活躍をしました。

JR西日本 体質改善工事
 延命工事を施し、現代風の車輛としてきましたが、後継車種の207系などと見比べると見劣りが否めなくなってきました。平成8年以降、延命N40工事以上の延命を行う「体質改善工事」を実施される事になりました。
 老朽車のイメージを払拭し、メンテナンス性向上を目的に下記の工事が実施されました。
・運転台、ドア窓の支持方法の変更。
・運行番号表示器、行先表示器、前部標識灯の内支持化。
・乗降扉間の客室窓を下段固定、上段上昇式とし、三分割Т字サッシへの交換。車端部窓を固定し、1枚窓化。
・荷棚のパイプ化。
・照明カバーの取付け。
・扇風機を廃止し、ラインデリアへの交換。冷房風道のラインフロー化。
・屋根の張り上げ屋根化及びベンチレーター撤去。
といった内容で行われる事となり、この工事を「体質改善工事40N」と言います。その姿は究極の103系とも言われ、JR西日本の匠の技が光り輝く傑作となっています。
 平成14年以降、新型車輛の投入ペースが早まり、一方で103系の車齢が高まった事から、改造内容を縮小し、製造後30年程度使えるように変更され、工事も車体の大幅な変更をやめ、車内を中心とした改造内容に変更しました。この工事を「体質改善工事30N」と言います。

〇体質改善工事40N

クハ103-245(1位側) クハ103-182(1位側)

クハ103-245、246番は体質改善工事40Nの試作車で、前部標識灯が原形のまま残されているのが特徴です。以降、写真右のように変わりました。都会的な先進さがある一方、何処か懐かしさを持つ、田舎から都会へ出てきた人には故郷を思い出させるようなデザインです。低運転台車の改造数は少なかったようです。

クハ103-800(1位側) サハ103-371(4位側)

写真左は高運転台車の施行例です。原形の面影は残りつつも、都会風デザインがより強くなった印象を受けます。中間車も窓の様子が一変し、良い意味で103系らしからぬ姿になりました。

〇体質改善工事30N

クハ103-797(2位側)

最後の工事は、103系らしさを取り戻す事になりました。中間車は戸袋窓や妻面窓が埋められている程度となっています。




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