
事業用電車とは?
旅客を乗せる営業用車に対し、部内における試験等の目的に供される車輛を言います。事業用車は大別すると「牽引車」、「配給車」、「教習車」、「訓練車」、「救援車」、「試験車」があります。これらの車輛は営業用車とは異なり、車輛基地内で待機している事も多く、見掛ける機会はあまり多くありません。近年では車輛の性能向上や自動車輸送転換等の理由で数を減らしています。
牽引車(けんいんしゃ)
名前の通り、車輛基地内で車輛の入換作業、工場への入出場の際に使用する電車です。記号は「ヤ」です。
●クモヤ22形式事業用制御電動車
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| クモヤ22 115(3位側) |
昭和35年から昭和45年にかけてモハ10形式、クモハ11形式、クモニ13形式の改造又は改番によって誕生した17m級の事業用電車です。0番代の2両は配給車のようなスタイルでコンテナ輸送試験車として誕生し、100番代、150番代、200番代は牽引車としたものです。
新性能電車が首都圏に登場し、各車輛基地に続々と配置が進みました。編成を組成したり、工場への入出場の際、新性能電車は動力を持たない附随車が多い等の理由から牽引車の必要が出てきました。そこで、小回りのきく17m級の電車を種車に牽引車へ改造しました。100番代は最初の1両は片方に運転台を持つクモハ11形式の後位側に運転台を付けましたが、他の9両は地方に転出しても短編成に適さない中間電動車のモハ10形式を種車とし、両側に運転台を設置する改造を行いました。150番代はクモハ11形式400番代を種車に、200番代は牽引車代用としていたクモニ13形式を改番したものです。
100番代は国鉄分割民営化直前まで1両を除いて活躍。残った1両はJR東海へ継承され、イベント用にクモハ12041へ改造し、平成14年まで活躍しました。
●クモヤ90形式事業用制御電動車
17m級牽引車であるクモヤ22形式の後継車輛として、余剰となっていたモハ72系のモハ72形式を種車に改造した牽引車で、昭和41年から54年にかけて36両を改造しました。派生形式として、昭和43年に交流電化区間で制御車として運転が出来るようにしたクモヤ91形式があります。
昭和41年~46年にかけて改造した車輛はモハ63系を種車にモハ72形式とした車輛から、昭和54年に改造した車輛はモハ72形式として新製されたモハ72
500番以降のグループから改造しています。
改造は種車の前後に運転台を設置したもので、種車の面影が色濃く残っています。新性能電車との併結運転を可能とする為、ジャンパ連結器が備えられるなどの改造が施されています。昭和54年の改造車についてはクモヤ145形式に似た車体を新製しており、外観が全く異なっています。
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| クモヤ90 055(1位側) | クモヤ90 801(4位側) |
クモヤ90 051~055
0番代と同じく、モハ63系のモハ63形式として誕生し、モハ72系のモハ72形式となった車輛を種車とするグループです。外観等は0番代と同じですが、ブレーキの新旧切換装置を搭載した点が異なり、50番代に区分されています。
クモヤ90形式800番代
中央本線の狭小トンネルに対応する為、低屋根構造を採用したグループで、5両が改造されました。801番は当初より低屋根構造で改造されたもので、前部標識灯が前面窓下に配置されています。
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| クモヤ90 802(2位側) | クモヤ90 803(3位側) |
クモヤ90形式800番代
800番代の802~805番はクモヤ90形式0番代を種車にパンタグラフ部分を低屋根構造に改造しました。802・804・805番は前位側に1基のパンタグラフがあります。803番は種車がクモヤ90
015番で、霜取り用パンタグラフを装備し2基のパンタグラフを持った変形車でした。この車輛を低屋根構造に改造したもので、屋根周りが独特の形態となっているのが特徴です。
●143系電車
国鉄の新性能電車となる昭和32年に登場した101系は電動車を2両1組としたユニット方式を基本としたもので、以降登場する電車に大きな影響を与えました。しかし、試験等の理由から1M方式が求められ、新性能電車にも1M方式の車輛が登場します。初採用は昭和34年に登場したクモヤ791系交流試験車で、営業用交流電車が続き、昭和42年に登場した711系試作車となります。直流用電車として初めて登場したのが711系と同じ、昭和42年に登場したクモユ141形式郵便電車になります。
このクモユ141形式郵便電車のシステムに発電ブレーキ、抑速ブレーキを付加したものが143系電車で、クモヤ143形式牽引車、クモニ143形式荷物電車、クモユニ143形式郵便・荷物電車、クモユ143形式郵便電車の4形式が登場しました。
〇クモヤ143形式事業用制御電動車
首都圏でのATC線区に対応すると共に、老朽化の進むクモヤ90形式の後継として昭和51年に登場した牽引車です。ATCの導入により、旧型電車を改造した牽引車では保安装置やブレーキ関係の問題で対応が出来ない事から、新性能牽引車が必要になりました。
車体は20m級の高運転台貫通構造、前面窓の左右は後退角が付いています。車内は前位側より保安装置機器室、機材室、控室、後位側乗務員室となっており、機材室には1800mm両開き扉が設置され、重量物を容易に扱えるよう、クレーン装置が設置されました。控室にはロングシートが設置されています。塗装色は事業用新性能電車標準の青15号で、前面に黄5号の警戒色の帯を配しています。
21両が製作され、JR東日本に全車輛が継承され、車輛基地から工場への入出場、職員輸送等に使用されていましたが、検査体制の変化等により、廃車が進み令和5年に全車廃車となり、0番代は番代消滅しています。
0番代
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| クモヤ143-4(3位側) | クモヤ143-15(2位側) |
クモヤ143-1~
クモユ141形式をベースに設計された1M方式を採用した牽引車です。直流新性能電車と全て協調運転が可能な設計となっています。将来登場する荷物車、郵便車、旅客車への共通化が可能な設計にもなっています。
首都圏の各車輛基地に配置されて活躍。国府津車両センター所属の4番は晩年、湘南色に塗装変更していました。検査体制の変化により廃車が進み、廃車後に訓練用機械として訓練センター等で余生を過ごす車輛もありましたが、令和5年に全車が廃車となり、0番代は番代消滅しています。
50番代
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| クモヤ143-52(3位側) |
クモヤ143-51・52
クモニ143形式を改造した牽引車です。クモニ143形式は143系の荷物車で、昭和53年に東北、高崎線、信越本線の輸送力増強に伴い、客車列車の電車化により登場しました。荷物電車は旧型電車からの改造で賄われていましたが、老朽化や新性能電車の車輛性能が向上した事により、高速化の妨げになる事から、新性能電車として設計されたものです。
昭和61年に郵便・荷物輸送が全廃され、余剰車に。同じ年、上沼垂運転区(現:新潟車両センター)に485系が配置されました。交直両用電車を向上に入出場させる際に併結できる牽引車が必要となり、余剰となっていたクモニ143形式2両を改造しました。
クモニ143形式はクモヤ143形式をベースにした荷物車で、荷物車としてはクモニ83形式に準じた設計ですが、それ以外は143系となっています。改造は連結器を相当連結器に変えた程度で、種車時代とほとんど変化はありません。ATC装置は搭載していません。
令和4年に廃車となり、50番代は番代消滅しています。但し、52番は長野総合車両センターで入換用動車としてその姿を残しています。
〇クモユニ143形式郵便・荷物用制御電動車
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| クモユニ143-3(1位側) | クモユニ143-4(2位側) |
昭和56年身延線に115系を投入し、新性能化が行われました。同線では郵便・荷物輸送をクモユニ44形式が担っており、合わせて新性能化が実施され、本形式が製作されました。新性能電車では郵便車としてクモユ141形式、荷物車にはクモニ143形式がありましたが、身延線の実情に合わせて郵便室、荷物室を半分ずつ設けた合造車としており、4両製作されました。
基本構造をクモニ143形式としていますが、モハ114形式2600番代と同じく、狭小トンネルに対応する為、パンタグラフ設置部分の屋根は20mm低くなっています。室内は前位側から荷物室、郵便室(細長の明り取り窓がある部分)、荷物室、トイレ、荷扱い車掌室、運転台となっています。塗装色は身延色と呼ばれる赤2号(ワインレッド)にクリーム10号の白帯を巻いたものでした。機器類はクモニ143形式と共通で、主電動機はMT57A形式(100kw)、台車は床下機器を圧迫しないDT21C形式等同じ機器が搭載されています。
昭和60年に身延線の郵便・荷物輸送が廃止され、新潟地区へ転出。昭和61年に国鉄の郵便・荷物輸送が全廃になりましたが、千葉地区の新聞輸送は道路事情の関係で存続する事になり、同地区で活躍していた旧型電車のクモユニ74形式を置き換える為に転属しました。新潟地区へ転属した際に湘南色になりましたが、1番は身延色のまま千葉地区に転属しています。その後、昭和63年からは全車が横須賀色に変更しています。
平成8年に新聞輸送は113系に変更され、長野地区で牽引車代用として活躍。2番は東京総合車両センターの入換用、4番は小山電車区に転属し、それぞれ余生を送りました。1と3番は長野地区で活躍していましたが、平成30年にクモヤ143形式50番代が転入し、3番は訓練センターの機械に転用。郵便・荷物電車として、最後まで残った1番が平成31年に廃車された事により、同時に国鉄時代から続いた郵便・荷物電車の歴史に幕を降ろしました。
●145系電車
直流新性能電車において1M方式を初採用したクモユ141形式をベースに発電ブレーキ、抑速ブレーキを付加した143系が設計され、昭和51年にクモヤ143形式牽引車が登場しました。
首都圏の山手線や京浜東北線等にATC投入という事で旧型電車を置換えに投入されましたが、各車輛基地には旧型電車を改造した牽引車等が多数有り、置換え時期が迫っていました。クモヤ143形式が登場した頃、101系の廃車が始まっており、財政的にも厳しい為、101系を改造する名義で車輛の設計が行われる事になり、最初に配給車が製作されました。(後ほど紹介します。)その後、保安装置がATCではない線区向けの牽引車が設計される事になり、昭和55年にクモヤ145形式が登場しました。機器類は101系から多く流用されており、製造コスト低減が図られました。
〇クモヤ145形式事業用制御電動車
101系のクモハ100形式、クモハ101形式、モハ100形式、モハ101形式を種車に1M方式の制御電動車に改造したもので、旧性能電車と新性能電車(一部を除く)との協調運転が可能となっている他、冷房装置や乗降扉の開閉試験も可能となっています。車輛の牽引や入換の他に、軌道試験車(マヤ34形式)の牽引車としても使用されます。
車体はクモヤ90形式で車体を新製したクモヤ90 102、201、202番を基本としたもので、両運転台の貫通構造のスタイルです。側面には1800mmの大きな両開き扉を片側1箇所設置しています。前面はクモヤ143形式に似ていますが、汽笛は前部標識灯の横に設置されています。塗装色は事業用新性能電車標準の青15号で、前面に黄5号の警戒色の帯を配しています。
区分としては昭和55年に登場した0番代、その改良となる100番代が基本で、交流電化区間でも牽引できる(直流電化区間は制御電動車、交流電化区間は制御車)ようにした200番代、身延線向けの600番代があります。その後、0番代を交流電化区間の制御車として使えるようにした50番代が派生番代として登場しました。
JR西日本に所属していた0番代、100番代、200番代、50番代は主電動機を種車のMT46A形式から出力を向上したMT54系へ換装する工事が実施され、原番号に1000番を加え、1000番代、1100番代、1200番代、1050番代に変更。同時に200番代、50番代が番代消滅しました。
現在はJR西日本に在籍する車輛のみが残っています。
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| クモヤ145-117(4位側) | クモヤ145-1102(1位側) |
クモヤ145-101~
クモヤ145形式0番代を救援車としても使用出来るように、車体中央部に救援機材を載せた区画を設けたグループで昭和57年に登場しました。車内にはクレーンが設置され、側面窓割と側面扉の位置が変更された他、機器搬入口も設置されています。JR西日本所属車は主電動機を変更しており、原番号に1000番を加えた1100番代に変更されています。
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| クモヤ145-601(1位側) |
クモヤ145-601・602
昭和58年に登場したグループで、クモハ100形式、モハ100形式1両ずつを種車に改造した車輛。狭小トンネルが存在する身延線で使用出来るように、狭小トンネル向けのPS23形式パンタグラフを使用し、屋根部分を20mm低くしています。昭和63年にクモハ123形式600番代に改造され、番代消滅しています。
●147系電車
昭和59年に飯田線の新性能電車化が決まり、119系、165系の投入となりました。合わせて、郵便・荷物電車も新性能電車となる事になり、クモユニ143形式が投入される予定でしたが、新製コスト低減を図る為に145系電車と同じく101系を改造する事になりました。
飯田線は勾配区間が多い事から、119系と同じく発電ブレーキ、抑速ブレーキを装備したものとし、クモユニ147形式が登場しました。
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| クモユニ147-5(1位側) |
クモユニ147-1~5
145系電車に発電ブレーキ、抑速ブレーキを付加した147系電車唯一の形式です。クモユニ143形式に準じた車体構造となっており、身延線での運用も考えた低屋根構造となっています。また、119系と同じく耐寒構造となっており(耐雪構造は省略。)、塗装色も青22号(スカイブルー)に灰色9号の帯を巻いたものとなっています。
昭和60年に飯田線の郵便・荷物輸送廃止で、東海道本線に移動し、旧型郵便・荷物電車を置換えて活躍。昭和61年の国鉄の郵便・荷物輸送廃止により、用途が途絶えた。車齢が若い事もあり、昭和62年に全車がクモハ123形式40番代に改造され、形式消滅。147系も系列消滅しています。
配給車(はいきゅうしゃ)
工場から車輛基地へ部品や修理品の供給等を主に行う車輛を言い、形態としては有蓋タイプと無蓋タイプがあり、電車は無蓋タイプとなっています。記号は配る(くばる)を意味する「ル」です。
●クモル23形式事業用制御電動車
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| クモル23 050(2位側) |
昭和34年に登場した、17m級の両運転台を持つ配給車で、それ以前の木製配給車を置き換える為に登場しました。全車輛がクモハ11形式、クモニ13形式の改造によるもので、車体の中央部が無蓋となった凹形の特徴ある車輛となっています。雨に濡れては困る部品を運ぶ為に有蓋室が前位又は両側に設置されています。
形態は種車が異なる事からまちまちで、7両改造され、クモル23 000、23 001・23 002、23 003、23 010、23 050、23
060番となります。
写真のクモル23 050は昭和36年にクモニ13形式(鋼体化改造車)を改造したもので、車体中央部を無蓋としている部分は他のクモル23形式と同じですが、前後に有蓋室を設けている他、前面窓がHゴム支持の2枚窓とし、傾斜した変形車となっています。
●クモル145形式事業用制御電動車・クル144形式事業用制御車
本形式の登場以前に活躍していた配給車は戦前に製造された旧性能電車を改造したもので、老朽化が進んでいました。また、山手線や京浜東北線に導入が計画されていた新しい保安装置であるATCに対応が困難でした。そこで、昭和54年に101系を改造した配給電車が製作され、本形式が登場しました。145系電車の第1号形式です。
構造は冷房装置といった重量のある部品や大型の部品も運べるよう、車体の半分以上を無蓋車のような構造としており、小型部品や職員を運ぶ有蓋室+運転台の構造となっています。強度の関係から車体長は旧型電車を改造した車輛と同じ17級としています。
首都圏と近畿圏に配属され、工場と車輛基地の間で運転されました。移行後はJR東日本とJR西日本が継承し、活躍が続いていましたが、ダイヤの過密化、道路事情の変化等の理由からトラック輸送へ移行し、JR東日本では平成5年頃から廃車が始まり、平成20年に全廃。JR西日本では平成10年にクモル145形式の主電動機を出力の高い主電動機に換装し、1000番代に変更。晩年は入換用に使われていました。令和3年に最後の編成が廃車となり、クモル、クルの全ての形式が消滅。同時に配給車の歴史に幕を閉じました。
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| クモル145-10(2位側) | クモル145-1015(1位側) |
クモル145-1~16
1M方式の構造となる車輛で、機器類は101系のものを多く流用しています。運転台は103系高運転台車に似たスタイルとなっています。運転台後方には有蓋室があり、小型部品等を収納できます。JR西日本所属車は主電動機をMT46A(100kw)から120kwのMT54系に変更しており、原番号に1000番を加えています。
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| クル144-2(2位側) |
クル144-1~16
クモル145形式とペアとなる制御車です。外観はクモル145形式に似ていますが、屋根上のパンタグラフは架線の無い線路や入換が容易に出来るように使うもので、本線で使用はしません。車内にはATC機器室を備えています。
教習車(きょうしゅうしゃ)・訓練車(くんれんしゃ)
国鉄時代は「教習車」と言われ、職員(見習運転士や検修、検査係)に機器の動作等の状態を把握し、教育させる目的の車輛です。訓練車はJR発足後に登場したもので、JR東日本に所属していました。異常時における乗務員の取扱い等を学ぶ目的があります。現在は訓練センターが出来た為、教習車、訓練車共に過去の存在となっています。記号は「ヤ」です。
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| クヤ165-1(1位側) | モヤ102-4(3位側) |
クヤ165-1
昭和49年に登場した教習車で、153系サハシ153形式を改造した事業用制御車です。客室を運転実習室とし、主制御器等(主電動機、電動空気圧縮機、電動発電機を除く)の床下機器を配し、作動状況を見る事が出来ます。この他に回路図等が設置されました。種車の前後には運転台が設置され、切妻形ですが急行形や近郊形電車に近いスタイルとなっています。
モヤ102-1~
103系モハ102形式を改造した訓練車で、他の車輛は白帯と訓練車の文字を追加したのみとなっています。3両又は4両編成で各車輛基地に配置されました。車内の座席を一部撤去し、ミーティングスペースや訓練用資材置き場に改造しています。
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| モヤ115-3(3位側) | モヤ115-6(4位側) |
モヤ115-1~
115系のモハ115形式を改造した訓練車です。中央部にミーティングスペースを設けており、乗降扉は締切扱いとなっています。
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| モヤ114-1(3位側) | モヤ484-2(2位側) |
モヤ114-1・2
115系のモハ114形式800番代を改造した訓練車です。モヤ115形式と同じ改造内容となっています。
モヤ484-1・2
485系のモハ484形式0番代を改造した訓練車です。
救援車(きゅうえんしゃ)
国鉄時代のみに存在するグループで、記号はきゅうえんの「エ」です。レールや枕木等の応援復旧資材、工作機械等を搭載しており、脱線事故や災害時に出動する事業用車です。戦前は「非常用車」や代用貨車がありましたが、昭和28年の車輛称号規定改正で独立した車種として生まれました。登場以前は自動車や列車で向かっていましたが、道路網が未発達であり、結構な時間を要する事も少なくありませんでした。そこで、起きてからではなく、発生時に迅速な復旧作業が出来るように、予め機材を積んだ車輛を常備しておこう。という発想が誕生のきっかけとなっています。
車輛は古い車輛を改造しており、外観、車内共に車種や配置先の実態により大きく異なっており、奇妙奇天烈な車輛が多くありました。
現在は道路網が充実し、車輛ではなくコンテナに搭載し、発生時にはトラックに載せて現場へ向かう方法が一般的となっています。
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| クモエ21 001(2位側) | クモエ21 001(1位側) |
クモエ21形式事業用制御電動車
昭和38年から45年にかけてクモハ11形式を10両改造(クモエ21 000~009)した救援車。後位側を運転台に改造し、両運転台化した他、車体中央部に幅広の扉を設ける改造は共通していますが、前面の形状、車内の様子は個体差があります。写真は小山電車区に所属していた車輛で、現在は栃木県下野市にある日酸公園に静態保存されている貴重な1両です。
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| クモエ21 800(2位側) | クモエ21 800(3位側) |
クモエ21形式事業用制御電動車
クモエ21 008番を低屋根構造に改造した車輛で、001番と比べると全く異なる姿となっています。前位側には外開きのレールなどを搬出入する扉が設置されています。低屋根構造に改造した後位側は貫通扉が埋められ、独特の前面形状を有しています。
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| クエ28 000(2位側) |
クエ28形式事業用制御車
昭和37年に登場した救援車で、50系電車のクハ16形式及び30系電車のサハ17形式100番代を種車に改造したもので、前者は0番代、後者は100番代となっています。基本的には車体中央部にクレーン装置、幅の広い引戸を設けており、配置された基地や使用線区に応じた改造が行われました。
事業用電車(試験車)もあります。右の文字をクリックして下さい。 →事業用・荷物・郵便電車その2を見る